“善良な日本人”が中国でヒーローだった時代——強さには、静かな型がある
上海の留学生宿舎のロビーで、その人は床に正座していた。
もう三十年以上前のことだ。記憶の細部はところどころ剥がれ落ちている。季節がいつだったのか、昼だったのか夜だったのかも、いまとなってははっきりしない。だが、ロビーの床に座るその人の姿と、まわりを囲む留学生たちのざわめきだけは、不思議なほど鮮明に残っている。
その人は日本人の中年男性だった。宿舎に頻繁に出入りし、留学生の面倒を見たり、大学の教職員と親しげに話したりしていた。中国語は流暢だった。まだ上海の生活に馴染めず、食堂の注文にもまごついていた私から見ると、彼は日本人でありながら、すでにこの土地の空気の中へ溶け込んでいる人のように見えた。
その日、その人は膝の上に置いた両手を、複数の欧米人留学生に押さえつけるよう促していた。
「用力。再用力一点」
もっと力を入れて、という意味だ。
大柄な男たちは、最初は少し遠慮していた。相手は床に正座している日本人の中年男性である。上から体重をかければ、すぐに押しつぶせそうに見える。すると、その人は笑うように、もう一度言った。
「没关系,使劲儿」
大丈夫だから、力を入れていい。
その瞬間、まわりの空気が少し変わった。留学生たちは本気で力をかけた。肩と腕に力が入り、上から押さえ込もうとする。その人の両手は膝の上にある。普通なら、腕は上がらない。上がるはずがない。
ところが、次の瞬間だった。
その人は、合掌するように、静かに両手を持ち上げた。
力で跳ね返したようには見えなかった。踏ん張ったようにも、相手を威圧したようにも見えなかった。ただ、両手がすっと上がった。その動きにつられるように、押さえつけていた留学生たちの身体が、後ろへ崩れた。
ロビーに小さなどよめきが起きた。
「怎么回事?」
そんな声が聞こえたような気がする。どういうことだ。私も同じことを思っていた。何が起きたのか分からなかった。
殴ったわけではない。蹴ったわけでもない。怒鳴ったわけでもない。私の目には、ただ腕を上げただけに見えた。それなのに、上から押さえていた男たちの身体は崩れた。
力とは、見た目の筋力だけではないのかもしれない。
倒すとは、相手を力で押し返すことではないのかもしれない。
そのとき私は、そんなことを言葉にできないまま感じていた。
時は1994年。私が上海の大学に語学留学していたころの記憶である。
当時の私は、中国語も生活も手探りだった。教室、食堂、売店、路地裏、バス停。何をするにも一つずつ戸惑った。中国語で話しかけられても、聞き取れる言葉は少ない。返せる言葉はさらに少ない。だから、漢字が頼りだった。
筆談用のノートを持ち歩くこともあった。漢字を書けば、発音は違っても、何とか通じる。日本語が分からない中国人と、中国語が分からない日本人が、紙の上の漢字を指さしながら笑う。いま思えば、それはずいぶん不器用な会話だったが、同時に、漢字が小さな橋のように働いていた時代でもあった。
雑談でよく話題にのぼったのは、日本の映画やドラマだった。
「《追捕》を見たことがあるか」
そう尋ねられ、最初は何のことか分からなかった。やがて、それが高倉健主演の『君よ憤怒の河を渉れ』の中国語題だと知る。山口百恵のドラマ、宇津井健の役名、日本製の電化製品や企業名。日本は、まだ「強く」「豊か」な国として、中国の人びとの生活感覚の中に入り込んでいた。
そうした時代の空気の中で、テレビで何度か目にした中華映画があった。
『東瀛遊俠』である。
「東瀛」は日本を指す雅称だ。作品は中国時代劇アクションの趣を持ちながら、主人公に日本人武士を置いている。西洋人との決闘に敗れた武士が、中国へ渡り、拳法を学び、やがて現地の悪党と対峙する。筋立てだけを追えば、荒唐無稽な娯楽映画である。
けれど、当時の私には妙に忘れがたい作品だった。
理由は単純である。中国映画の中で、日本人が善良なヒーローとして描かれていたからだ。
中華アクションの文脈で日本人が登場するとき、彼らはたいてい倒される側にいる。冷酷な軍人。傲慢な武道家。主人公の怒りを引き受け、最後には打ち倒される者たち。ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』を見たとき、その構図は圧倒的な説得力を持って迫ってきた。辱められた中国人が、武によって誇りを取り戻す。物語としては分かる。観客の喝采も分かる。
それでも、日本人として見ると、どこか落ち着かなかった。
画面の中で倒される相手は、卑劣で傲慢な存在として描かれている。だから倒されて当然である。そう頭では理解しながら、自分の身体のどこかが小さくこわばる。武道着を着た日本人が悪役として登場するだけで、私は少し身構えてしまう。
だからこそ、『東瀛遊俠』には戸惑った。
日本人が悪く描かれても落ち着かない。かといって、よく描かれても、やはり落ち着かない。そこには、他者の視線の中で自分がどう見られるかという、異邦人特有の緊張があった。
その緊張は、私自身の後ろめたさとも重なっていた。
私は武道について胸を張って語れる人間ではない。継続して稽古を積んでいるわけではない。熱心な格闘技ファンでもなければ、流派の系譜に詳しい専門家でもない。
ただ、大学時代には武道系のサークルに参加していた。いちおう有段者でもある。
この「いちおう」が、自分でも扱いに困る。中途半端に稽古し、中途半端に離れた。あのときもう少し続けていれば、歳を重ねても残る一生の財産になっていたのではないか。そう思うことがある。身体のどこかに稽古の記憶がわずかに残っているのに、その記憶に対して自分は不誠実だったのではないか。そんな思いが、いまも消えない。
だから、武術や武道の話になると、私は少し後ろめたい。
『東瀛遊俠』が不思議に私を刺激したのは、その後ろめたさのせいでもあった。
この映画には、「空手」がかつて「唐手」と書かれていたことへの素朴なまなざしがある。唐、すなわち中国。沖縄を経由し、中国南方の拳法と響き合いながら形を変え、日本で武道として整えられていったもの。もちろん、映画の筋立ては史実そのものではない。時代も人物像も大きく脚色されている。
それでも、そこには一つの古い矢印が残っていた。
日本から中国へ。中国から沖縄へ。沖縄から日本本土へ。そして、再び中国へ。
武は、最初から一つの国の中だけで完結するものではなかったのかもしれない。国境を越え、誤解され、脚色され、ときに政治の感情を背負わされながら、それでも人の身体から身体へ伝わっていく。『東瀛遊俠』は、その複雑な流れを、娯楽映画らしい大らかさで一つの物語にしていた。
その後、私は編集者として上海や大連で、武道家や事情通の話を聞く機会に恵まれた。
大連では、空手が中国へ戻っていった痕跡に触れる機会があった。沖縄剛柔流の道場があったとことを知った。極真空手を中国で広げた人の話も直接聞いた。そうした一つ一つの話は、単なるスポーツ交流というより、「唐手」と呼ばれたものが、中国の地で別の時間を生き直しているようにも思えた。
なかでも忘れられないのが、故・浜井識安氏を取材したときのことだ。
浜井氏は、極真空手の世界で文武両道の人物として知られた武道家だった。大連を拠点に、中国各地へ活動を広げていた。取材者としての私は、その経歴と理念を聞き、原稿にまとめた。
けれど、彼の話には、普通の人物紹介だけでは収まりきらないものがあった。
浜井氏は、「武術」と「武道」を分けて語った。
勝ち負けだけにこだわり、手段を選ばず、技術や方法論に偏るものを武術と呼ぶなら、武道はそれとは違う。礼を重んじ、戦いの中にも秩序を置く。力は必要だが、力だけでは足りない。そこには感謝がなければならない。
力と感謝。
並べてみると、不思議な組み合わせである。力は前に出る。感謝は頭を下げる。力は相手を押す。感謝は相手を受け入れる。片方だけなら分かりやすい。だが、両方を同時に持つことは難しい。
武道とは、おそらくその難しさを身体で学ぶための稽古なのだろう。
浜井氏の言葉を聞きながら、私は中国映画の中で倒されてきた日本人武道家たちの姿を思い出していた。彼らは強い。だが傲慢である。技もある。だが礼を欠いている。だから、主人公に倒される。
その構図は物語として明快だ。
しかし、現実の道場で子どもたちが礼を交わしながら稽古する姿を見ると、そこにあるものは、映画の中の単純な敵味方とはずいぶん違っていた。日本人が中国で武道を教えるとは、どういうことなのか。中国で日本人が「礼」を語るとき、そこにはどんな緊張と可能性があるのか。取材当時の私は、その問いを十分に言葉にできていなかったのだと思う。
浜井氏の言葉でもう一つ忘れられないものがある。
「我好、你好、社会好」
自分がよい。あなたもよい。社会もよい。
日本語でいえば、近江商人の「三方よし」に近い考え方である。言葉にしてしまえば、拍子抜けするほど当たり前だ。だが、その当たり前がいちばん難しい。
国と国の間でも、会社と会社の間でも、人と人の間でも、私たちはしばしば「我好」だけに走る。自分の都合、自分の正しさ、自分の利益だけを先に立てる。あるいは「你好」を装いながら、結局は自分の都合を隠しているだけのこともある。
我好。你好。社会好。
三つを同時に成り立たせることは、強さよりも難しいのかもしれない。いや、本当の強さとは、その三つを同時に考えようとする姿勢の中にあるのかもしれない。
中国で長く暮らしていると、相手の視線の中に自分が置かれることを意識する瞬間がある。
日本人として見られる。外国人として見られる。ときには、過去の歴史を背負った存在として見られる。もちろん、それは意識過剰かもしれない。ただの通りすがりとして見られているだけかもしれない。それでも、こちらは少し身構える。そして、少しずつ緊張をほどく。その繰り返しの中で、中国での歳月が積み重なっていった。
日本が「強く」「豊か」な存在として見られていた時代があった。
中国映画の中で、日本人が善良なヒーローとして描かれていた時代があった。
一方で、日本人が倒されるべき敵役として描かれ続ける文脈もあった。
それらの記憶は、互いに矛盾しているようでいて、私の中では一つにつながっている。なぜなら、どれも「相手の目に映る日本人」をめぐる記憶だからである。そして、その視線の中で、自分がどう立つのかを考えさせられる記憶だからである。
私は武道家ではない。専門家でもない。継続して稽古を積んできた人間でもない。
それでも、あの上海の宿舎のロビーで見た腕の動きだけは、いまも忘れられない。
床に正座した日本人男性。上から押さえつける大柄な留学生たち。力を入れていい、と促す中国語。静かに上がる両手。後ろへ崩れる身体。周囲のどよめき。
後になって、その人が日本の古武術の系譜につながる道場を開いていたことがあると知った。だから、あの動きにも技術的な説明はあるのだろう。身体の使い方、重心、呼吸、力の流れ。詳しい人なら、もっと正確に語れるはずである。
だが、私の記憶に残っているのは、技術の名前ではない。
あの腕の動きは、相手を押し倒すための動きには見えなかった。むしろ、合掌に近かった。相手を叩くためではなく、拝み合うためのような所作に見えた。そこには殺気だったものがなかった。力を誇示する派手さもなかった。
それでも、押さえつけていた身体は崩れた。
あれは何だったのか。
いまなら少しだけ、別の言葉で考えることができる。
強さとは、相手を押し返すことだけではない。自分を大きく見せることでも、声を荒らげることでも、相手を倒して喝采を浴びることでもない。力を持ちながら、力だけに頼らないこと。相手を崩しながら、相手を貶めないこと。自分を立てながら、相手も立てること。
我好、你好、社会好。
その言葉を、私は武道の教訓としてだけでなく、中国で暮らしてきた自分への問いとして受け取っている。
異邦人として生きるとは、強く自己主張することだけではない。かといって、自分を消すことでもない。相手の視線の中に置かれながら、自分の足場を探すことだ。ときには誤解され、ときには過去の影を背負わされ、それでも、こちらから先に礼を失わないことだ。
『東瀛遊俠』の日本人ヒーローは、いま見れば素朴で、時代がかった存在かもしれない。けれど、その素朴さの中には、敵味方だけでは割り切れない何かがあった。唐手が里帰りするという物語も、史実とは別の場所で、一つの願いを語っていたのかもしれない。
武は、倒すためだけにあるのではない。
強さは、相手をねじ伏せるためだけにあるのではない。
三十年以上前の上海のロビーで、私はそのことを、まだ言葉にならない形で見ていたのだと思う。
あの人の両手は、静かに上がった。
力はそこにあった。けれど、力だけではなかった。
強さには、こちらが思っているよりも、ずっと静かな型がある。(了)
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