「こうあるべき」を手放したら、世界はもっと面白かった。〜生きづらさは、知らないうちに増えた「こうあるべき」から始まるのかもしれない〜
私は最近、あることに気づきました。
人は出来事に苦しんでいるんじゃない。
「こうあるべき。」
その思い込みに苦しんでいることが多いんだな、と。
「こうあるべき」は、いつの間にか増えていく
子どもの頃から、
私たちはたくさんの「こうあるべき」を教わります。
勉強はこうするべき。
学校はちゃんと行くべき。
仕事は頑張るべき。
親はこうあるべき。
子どもはこうあるべき。
人生はこう進むべき。
もちろん、
それらは誰かが悪くて教えたわけではありません。
その人もまた、
「こうあるべき。」
の中で一生懸命生きてきたからです。
だから私たちは、
気づかないうちに、
少しずつ「こうあるべき」を積み重ねていきます。
生きづらさの正体
そして、
その数が増えれば増えるほど、
生きることが苦しくなっていきます。
「こうしなきゃ。」
「もっと頑張らなきゃ。」
「普通はこうだよね。」
いつの間にか、
自分の心の声より、
「こうあるべき。」
の方が大きくなってしまう。
私は勉強が苦手だったんじゃない
私は昔、
勉強が苦手でした。
だから、
「ちゃんと勉強できない私はダメなんだ。」
そう思っていました。
でも、
ニュージーランドへ留学して気づきます。
私は勉強が苦手だったんじゃない。
教わることより、
体験することが好きだっただけでした。
「へぇ。」が世界を広げてくれた
子どもが、
「お肉を食べたくない。」
と言った日も、
「子どもは肉を食べるべき。」
そう考えていたら、
きっと悩んでいたと思います。
でも私は、
「へぇ。」
と思いました。
じゃあ、
豆でハンバーグを作ってみよう。
麹コンソメも面白そう。
中華麹も作ってみよう。
気づけば、
料理の幅がどんどん広がっていました。
「じゃあどうしよう?」という選択
道の駅の売り場が狭くなった日も、
「このままであるべき。」
と思っていたら、
腹が立って終わっていたかもしれません。
でも私は、
「じゃあどうしよう?」
と考えました。
台を買って、
並べ方を変えてみたら、
前よりずっと見やすい売り場になりました。
本当は、「こうあるべき」は一つもない
振り返ると、
私の人生はずっと、
「こうあるべき。」
より、
「じゃあどうしよう?」
でできていました。
だから苦しかった記憶より、
面白かった記憶の方がたくさん残っています。
私は最近、
こんなふうに思うようになりました。
本当は、
「こうあるべき。」
なんて、
一つもないのかもしれません。
あるのは、
目の前で起きている出来事だけ。
そこに、
私たちが後から
「こうあるべき。」
という意味をつけているだけなのかもしれません。
世界は、もっと自由だった
もし今、
生きづらさを感じているなら、
頑張り方を変える前に、
一つだけ、
心の中を覗いてみてください。
そこには、
もう必要なくなった
「こうあるべき。」
が、
たくさん眠っているかもしれません。
その一つを、
そっと手放した時。
世界は何も変わっていないのに、
見える景色だけが少し変わります。
私はその瞬間が好きです。
「へぇ。」
世界って、
こんなに自由だったんだ。
そんな小さな驚きが、
今日も私に、
新しい遊びを教えてくれています。
🌿 世界と遊ぶエッセイ
このシリーズでは、
「へぇ。」
「なんでだろう?」
そんな小さな好奇心から見えてきた、
世界の見方や日々の気づきを綴っています。
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