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世の中で複数示される「第n案」なるものについて考えた


はじめに


 「これって、暗黙の了解(あるいは『空気を読む』ということ)なのかな」と、時折ふと思うことがある。会議などで3つも4つも案が示されているものの、どうやら本命は決まっていて、他は比較のための選択肢として並べられているように感じられる場面。せっかく会議の場を設けて選ぶ形をとっても、事前に配られた資料の第一印象の通りに、ほぼ決まっていくという経験は誰にでもあるのではないか。

さまざまな仕事に長年携わるうちに、こうした場に参加する機会や決裁に関わる機会が増えてきた。

今日は、ふと考えたことを少し綴ってみたい。

合議の仕組みと、その裏側

 大多数で物事を決めていくにはルールが必要。事前に決める手順を規則などで決めておく。新たなプロジェクトは、そうしたルールに基づいて進められる。大半は、ある程度納得のいく形で進むもの。

ところが、なかには「客観的かつ民主的に、第三者による委員会で立案した」という大義名分が前面に出ている『案』に出会うこともある。そこには、さまざまな立場や状況による力学が働いているのだろうな、と想像が及ぶことも少なくない。

見えてくる構図

 ここで具体的な出来事を指摘したり、特定の誰かを批判したりする意図は全くない。ただ、組織の構造として興味深いなと感じた視点。

こうした「案」の数々には、ルールに基づいた合議と手続きを踏んだという、一種の「形式(プロセス)」を重んじる構図が見え隠れする。「みんなで、手順通りに決めた」という事実を作ることで、後々の責任を分散させる、組織特有の防衛本能のようなものが働いているのかもしれない。

「第三者」という存在の難しさ

 それでは、アイデアの立案を委ねられる「第三者委員会」とは、どのような機能を持つのだろうか。 最も望ましいのは、関係する誰もが納得できる案。それを第三者に諮問するとなると、まずは各界のバランスを考慮して委員が選定される。仮に奇数人であれば、多数決の原理上、選定の段階でおおよその方向性が左右される可能性もある。もしその選定権限を持つ立場があれば、事前の意向が反映されやすい構造になり得るのも事実。

第三者委員といっても、当事者と直接の利害関係のない専門家、法律家、市民代表など、世間が「ふさわしい」と納得しやすい人物が選ばれる傾向にあるが、その選定自体がひとつの課題になることもある。

「案」の提示と選択のプロセス

 そうして設立された委員会からは、いくつかの「案」が提示され、広く公開される。場合によっては、「パブリックコメント」のような市民や関係者の意見を聴く機会が設けられる。

企業や団体であれば、モニターを募って意見を聞き、内部では気づきにくい視点を取り入れる。そして再び会議が開かれ、案が絞り込まれていく。

おわりに

 圧倒的に優れた案であれば、新しい試みであっても比較的スムーズに「これで行こう」と決まりやすいもの。しかし、どれも一長一短で難しい選択を迫られるときほど、議論は平行線をたどり、どっちつかずになりがち。

折衷案や改良を加えることが難しい状況であれば、なおさら意思決定は難航する。時には決定を先送りしたり、昨今の予算的な制約から「前へ進めない」という結論に至ったりすることもあるだろう。組織で物事を決めるということの難しさを、改めて感じる今日この頃。

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