英語で博士論文を書き上げたのち日本語に直せとのお達しが出て、念のためもうひとつ別の予備の論文も準備していた
はじめに
近ごろは論文博士の話は周囲でほとんど聞かなくなり、課程博士が主流になった。論文博士を得た経緯をもうそろそろ記しても支障なさそうなので、ここに少しだけ残しておこうと思う。
きょうはそんな話。
理系でも
博士課程の学生さんが身近にいる。研究成果をかたちにし、主著者としてレフェリー付き学術論文の審査にパスし、晴れて掲載された内容を中心に研究をまとめ上げて博士論文仕上げる。当人にとってはなかなか骨の折れる仕事。それに加えて博士レベルの教育を受けた実績や研究の遂行能力が伴うことが要求される。
その一方で、論文博士の制度は既に研究実績をあげている研究者へ開かれている授与制度。その研究実績(理系)として、レフェリー付きの学術論文掲載数で目安として少なくとも10報ほどと発表会、ほかに試験が課されたり学会発表の実績なども加味されたりする場合も(当時)。学術論文の投稿先としては基本的に国際的な英文誌が一般的。つまり研究者としてふさわしい実績をそれなりに十分なかたちで満たしていることが要求される。
論文博士取得に向けて
私は後者で授与された。つまり研究機関で働きながら実績を積み重ねてきてようやくその基準の2~3倍に投稿論文数に達した頃、そろそろ取ろうと動き始めた。その先は旧帝大の大学院。
そこはわりと私の進めている研究内容にテーマが近い。それだけに私の研究内容を理解していただけて、学位の審査を受ける上でふさわしい。もちろん事前にあれこれ上司を通じて、受け付けてもらえるかどうかの相談を話した上でのこと。こうしたつながりや下準備はもちろん必要。主査の先生だけでなく副査になっていただける複数の先生方にも当然だが同じようにご挨拶に伺う。その段階で当該大学院の博士論文の制度に関して説明を受け、私が提出を予定している論文の方針とのすり合わせなどを打ち合わせ。
取得まで
既報の審査付き学術論文のうち、内容のまとまった15報ほどの内容をひとつの論文に仕上げていく。基本的にその形式はそれまでに経験していた論文の形式と大差ない。ただしそれなりに大部となり、A4で3ケタのページ数になるのは必定。
その執筆期間は、勤務の休みの日を中心に延べで数十日。ちょうど小さな子どもたちが周囲でドタドタ走り回る中で、しかも夏の暑い時期だった。英文で200ページ余りにまとめた。仕上げた文章を校正会社の英語ネイティブの方に依頼して手を入れてもらう。これに3~4週間ほど。
校正作業など
帰って来た原稿を図表とともに手直ししてページを入れて、審査員の数に何冊か加えて揃えた。それを大学院の主査の先生の元へ持参して審査の各種書類とともに提出。それから数週間の間で朱を入れて頂き、手直し箇所が明らかに。
再び飛行機で出向き、指示されたとおりに手を入れて、最初と同様の冊数を揃えて再度提出した。ところがやっぱり日本語で出してほしいと指示された。原因は、どうやら私の英文の一部がしっくりこなかったようで、そうなったらしい。規定では日英いずれの言語でも提出は可能だった。
おわりに
すでに手元には英文原稿はある。それを基本的に日本語に翻訳し直せば審査には間に合う。当時の図表の作成はほとんどが手作業で、作成し直すのは膨大なため基本的に英語表記のままでよいとなった。
日本文の原稿が出来上がり、体裁を整えて再度持参した。僅かな訂正ののちにようやく清書のお許しを得た。万が一に備えて、別の論文集(つまり別の学術論文10数報からなる)の博士論文への変更も覚悟しつつの提出だった。このころにはすでに総数30~40報ほど掲載済みだったおかげで予備の論文を準備することも可能だった。
ここで学位が得られないならば別を探すか、あるいは予備の博士論文のほうで受け付けてもらおうとも思っていた。それらは何とか回避できた。
授与日には総長から、授与者のひとりひとりに言葉を頂きながら学位記を受け取れた。研究者としてようやくひと山越えることができたとなかなか感慨深いものだった。
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