見出し画像

早くもクマゼミからアブラゼミへの鳴く季節が移っていく


はじめに


 長いこと大型台風が居座った。この時期だからというより、今年は次々と発生しては近海をたどる。そのあいだ、日頃とは少し違う東寄りの風が吹き、はるか海の先のその存在に気づかされる。

今年はセミの鳴き声を一段と大きく感じる。けっこう数が多い年なのかもしれない。梅雨明けの頃からはっきりと聞こえ始めて、家の周辺ではクマゼミとヒグラシ。旅先の山がちのあたりではミンミンゼミ。彼らの音から季節の移ろいを感じる。

今日はそんな話。

朝から


 台風が近づいて来る中、朝早くから明るくなるにつれてセミたちが鳴き始めた。まだ夜明けからさほど経っていないのに、既にベランダの方から目一杯の鳴き声が押し寄せている。

梅雨明けの一報に前後する頃から、日中の耳には、意識する・しないにかかわらずセミたちの鳴き声がベースにある。まるで「夏」という季節そのものを体現するかのような響き。カエルの合唱とも鳥たちのさえずりともまた違う印象。

陽が雲に少し陰るとその音響はトーンダウンして、あたかも遠ざかるかのように小さくなる。そして、たった1匹でポツリと響いて聞こえる。それだけで印象はまるで違う。季節が耳元で行き来するかのよう。

風が強くなる


 今日はなおさら、鳴き声の中に悲壮感が漂っているかのよう。ここ数日で徐々に西日本の各地の海が白波を立てて荒れ始めた。台風がゆっくりと陸地のほうへ近づいてくる。空はどんよりと雲に覆われ、地上と大気の層がより狭く感じられ、その鳴き声はその狭い空間の中でガンガンと耳に響くほど。このまだ本格的に吹き荒れないわずかな時間で、子孫を引き継ごうとする響きが溢れている。

人とて、そうなのかもしれない。お盆前に懸案の仕事に目処をつけようとか、こじれかけた人間関係を立て直そうとかさまざまあるはず。それらの人々のせわしなさや、多様な感情をごちゃまぜにした様子を、セミの鳴き声がまるで体現しているかのよう。

備えるなかで


 だんだんと台風が陸地に近づくにつれて、木々もかき乱される。その間、どのくらいのセミたちが生き延びられるのだろう。そして、残されたセミたちはどれほど体力を使い、台風の通過後に残余のエネルギーを放出できるのだろう。ぬくぬくとした環境に身を潜められる人間とは明らかに違う。

そのことを思いつつ、セミだけではないと改めて気づかされる。他の野生の生き物たちもそう。ひっそりと身を潜め、鳥や獣たちは子らを匿いながら、ただただ災いとなりかねない情勢を見守り、通り過ぎるのをひたすら待つ。

おわりに


 旅先の由比の町では海岸近くの山からミンミンゼミが。住処のあたりでは山に行かないと聞けない鳴き声。ふもとの街中では早くもクマゼミからアブラゼミの時期が訪れた。これからお盆を過ぎ、夏休みの残り日数を数える頃になると、ツクツクホウシが鳴き始める。このセミが鳴き始めると、いつものことながら、この年の前半でやってきたことを振り返り、残り4か月ほどで何ができるだろうかと思いを巡らせる。

あの特有の鳴き声は、「さあ急げ、構うな、とっととやれ」とせかされているように聞こえたかと思うと、「もう仕方ない、これで行こう、取り繕え」と囁かれたようにも感じられ、「もういいよ、先に行こう、後ろを見るな」と集団で語りかけてくるようでもある。

それぞれの我が身の反映として耳に響いてくるから、不思議なもの。

こちらの記事もどうぞ


広告


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集