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人が集まるところと全くいない場所と


はじめに


 先日、東京まで飛行機で向かい東海地方を中心に旅をした。その様子は2日間にわたりnoteに掲載した。立ち寄った場所について人の数という点で比べると沿線の各地でじつにさまざま。

両極端と言っていいほどの違い。何をもってそんなに違いが生じるのだろう。

きょうはそんな話。

まず東京


 地方から向かうと羽田空港はまさにその典型。いったいどこからこれだけの人が集まってくるのか。ひっきりなしにエスカレーターを登る人々。途切れることがない。だがそんな空港内でもちょっとそこから脇に離れるとほとんど人が立ち寄らない手洗いがある。私は羽田でいつもそこに向かい、とりあえず「息継ぎ」をする。

ふだんから余りにも多くの人ごみに接すると息が詰まってしまう。どこへ行っても人がいる東京では、ちょっとひと休みできる場所を探し求める。今回は、よりにもよって利用客数が日本で1番の新宿駅に向かう。すでに駅の地下で行き交う人々の流れに目が回りかけた。人をなるべく見ないで進もうとするからなおさら流れに乗れずじまい。外に出られてひとまずほっとする。

途中下車


 この旅では気ままに途中下車。エリア内ならば乗り降り自由なきっぷなので、腹が空いたら列車を降りて駅の近くで適当なところを見つけて何か口に入れればいい。今回はある海岸近くの駅で降りて、駅前をしばらく歩いてそんな飲食店に入った。その道すがら誰ひとり出遭うことはなかった。

漁港のある小さな集落。しかも夏の南中(なんちゅう)間近の時間帯。暑いさなかに出歩く必要はまるでない。街道沿いでまだ食堂が営業しているだけいい。ほんの数時間前までいた新宿のごった返す様子とはあまりにかけ離れている。

でも、人が少ない分、吸えるひとり分の空気は十分に感じられる。気持ちも楽。だれにも出遭うことがないので、傍らの持ち物を抱え込む必要もない。

気分の差


 新宿駅の利用者は1日300万人ほどだという。それだけどこも人だらけなので、店内の商品の棚と棚のあいだの通路のスペースがどこもせまく感じられた。そこを同じような品物を求める人々が絶えず行き来する。よく考えると、自分と同じ商品(画材)を同じ時間に求める人がこんなにいることも驚き。たしかに何百万人も行き交えば、同じ目的でそこにいる人の確率も上がるだろう。

逆に、先ほどの静かな漁港前の駅前では同じ商品を求める人と出会うなんて100年に1度もないだろう。これは私にとっては大きな違いであり、心持ちには大きな差となる。極端に大きすぎる街に居続けることは間違いなくできない。一方で、人がいなくなりつつある場にも3年余り前まで住んでいたが、これはこれでさまざま不都合も多い。やはり中庸がいい。

旅だからこそ


 その両方を一遍に体験できるのも旅ならでは。そこへ居るなら居ればよいし、早く出たければただちに出立すればいい。それは自由だし、だれからも指図を受けずにできる。そうやってちょうど私にとって都合のいい場所を見つければいい。

人恋しくて向かう場もあれば、ひとりになりたいところもある。自由に選べてどこへ向かってもいい。

おわりに


 そんな一時的に身を置けるのが旅の醍醐味。あるいは旅を通じて、普段の住み慣れた場所でははっきりしなくなったり、埋没してしまったりする自分をもう一度見つめ直す。こうしようとか、それでいいんだとかを再認識しに向かうといってもいい。

人が集まるところと、全くいない場所とそれぞれをバランスよく巡る結果となりがち。おしなべて平均すると、わりとあっさり現在の住処のあたりの「人の混み具合」になるのかもしれない。


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