絵にしたい場所・記憶にとどめたいところを絵との関わりを思い起こしつつ散歩をしながらあたまにのこしていく
はじめに
絵をふたたび描きはじめた。そのときどきで画材やなにかを気が趣くまま選ぶ。小学生の頃から外に出るといつも絵になりそうなところは⋯とあたりを見まわしていた記憶。友人たちと遊ぶ以外、たびたびそうしていた。高校の頃は通学の鉄道の窓から緑の多いところはと目で追っていた。その癖はいまもってさほど変わりない。
きょうはそんな話。
絵の対象
もう半世紀近く、思いついたように絵に接してきた。長く中断した期間もあるが、いつもここへもどってきた。この4月以降、自営業の学習サポートを基本的に閉じた。その前後から絵の世界に舞いもどった。
やはりここへ来たかという感慨がある。郷里にもどった感じ。以前からまずは旅先で絵にまつわる行動をとる。絵になる風景はもちろん、美術館などへ真っ先に向かう性向だったのは違いない。
それだけ絵にはつねに思いいれがあり、わたしの原点をかんがえると、これ抜きでは語れない。影響は少なからずあり、それをつうじて関わったヒトビトが幾人かあたまに浮かぶ。
没頭すると
それこそ興が乗ると食べることをわすれて没頭してしまうぐらいの頃があった。大学にはいって間もない頃。まだ何に時間を使うべきかがあやふやだった。それこそ考えなしに文字どおりふら~と絵に向かってしまった。
それでも足らずに美術部に入部し、さらに時間をつくって絵に没頭。そこで大学に進んだ本来の目的を明確に思い起こすべきだったと思う。当時はまだそんな自己を客観的にふり返る習慣や自己管理能力が身についていなかった。
反省して
絵に没頭するあまり、当時は必修だったドイツ語の単位を落としかける。ほんとうに留年がそこまできて危うかった。その反省で美術部をあっさりやめ、そののちは時間の使い方をあらため、絵からはしばらくはなれた。
何でも長つづきするほうだったにも関わらず我ながらそう決断した。ふりかえるとよほどこたえたのだと思う。再開したのは大学院に進んでからだったと思う。しっかり封印していた。
今回は
こうして散歩しつつ絵の素材をさがす。ふりかえると、そののちも何度か絵を中断した。学位をとったり、転職したりなど大きな節目のとき。そのあいだはそちらに大きく比重をうつしたのにはまちがいない。
こればかりはだいじな時期だから⋯などとは意識せずとも絵筆はとらなかったし、作品を展覧会に出品などしなかった。再開したのはいずれもやるべきいちばんだいじなことがおちついた時期。
とはいえそんな時期はむしろ本業のほうがいそがしくなるときと重なる。そうしてまたしても絵のほうをひっこめるかたちになってしまう。そして今回、やめた仕事にあともどりはしないつもり。
もはや生活費をつつましくする術をなんとか身につけ、「のこりの期間」をなんとかかつかつでやっていけそう。となると費用をかけずにほそぼそと絵を描いてもいいともうひとりの自分が言う。
さてどうしよう
気がむくまま、おもしろいと思えるものを対象に描けばいい。それはなにも大きな旅行や趣向を凝らしたさきにあるものではない。ごく身近、そしてじつにさまつななかにみつかる。ちょうどわたしの場合、noteの記事のテーマとおなじといっていい。
なにもそれはきびしい鍛錬の結果で得られるものでも、極限まで磨かれた技能のさきに到達できるといったものではない。なにも目標とかその先に⋯など考えなくてよい。やっていておもしろければ、そしてのちに楽しかったと思えればいい。
おわりに
かなり横道にそれてしまった。散歩しつつ絵の素材をさがしつつふたたび思う。描いているあいだはほんとうに無心になれる。これはいい。日常のさまざまなことを一時でもわすれられて没頭できる。
自分にとってけっこうだいじなことかも。酒などをたしなまないわたしにはむしろこうして無意識のうちに絵でもってバランスを保とうとしているにちがいない。
こちらの記事もどうぞ
広告
