闇 473(台風第19号通称ハギビス編)
闇 473(台風第19号通称ハギビス編)

2026/02/05 thu
前回の章
二千十九年十月三日、木曜日先勝。
九州のひろみからのお願いで、宝くじを購入。
東京都くじなので、向こうでは販売されていないらしい。
国営のなので全国発売だと思っていた俺にはちょっとしたカルチャーショックを受ける。
写真を撮り彼女へ画像を送ってみた。

どうやらこのあと発売されるものらしく、好きなキャラクターを作ったくじのようだ。
確かに二千四百四十四回と記載されたくじには、キャラクターでなく真ん中にハートマークしかない。
まあ運試しに買ったと思えばいいか。
西武新宿駅へ到着すると、また懲りずに小江戸号では新たなカナヘイシールになっていた。

呆れながらもひろみが喜ぶだろうと、車両ごとに違う種類のカナヘイを撮影。

傍から見ればヤバい四十八歳にしか見えないだろう。

まあこんな俺の行動など、誰もきにしないか……。

一体何種類あるんだよ?

少し苛立ちを覚えつつも、写真を撮る俺。

このゆるいキャラクターの絵柄が、逆にイライラしてきた。

今度は車内から見える風景もなど言われたら堪らない。
なので小江戸号へ乗ると、とっとと眠る事にした。
本川越駅へ到着すると、ぺぺの中を通過しながらくらづくり本舗の最中福蔵の写真を撮る。
いつの間にこんな写真を撮る癖がついてしまったのだろうと自己嫌悪。

クレアモールを歩きながら帰っていると、今は亡き大門さんの残した店てんこもりラーメンのランチメニューが視界に入る。
親父の弟である修叔父さんの親友だった人。
ちょっと寄ってから帰るか。
二種類ある日替わりの内、カレーつけ麺とジャンボ餃子セットを選ぶ。

ここのジャンボ餃子はとても自分好み。
店員の無駄話が耳障りだったが、無視しながら食事を済ます。
家に帰ると睡眠を取り、起きたらまた新宿へ仕事に向かう繰り返し。
小江戸号に乗ると、車内もカナヘイシールをあちこちベタベタに貼って媚びている。

こんなものを撮る俺も俺だ。
新宿へ着くと、まだ出勤時間まで余裕あるのでちづる食堂でいつもの温かい豚しゃぶ定食を注文。

早く出勤したところで給料は変わらない。
満席で忙しいから善意で手伝っても、オカマの木下は感謝も何もなかった。
なので無駄に早く出る必要性を感じなくなってしまう。
せいぜい俺たちが行くギリギリまで汗水垂らして働けばいいさ。
相変わらずクソ忙しい店内。
ラッキーハウスが流行るのは嬉しい悲鳴であるものの、評価は木下のみに集中。
自由にしていいならば、あの薄気味悪い茶色の長い髪の毛を掴んで抜けるまで振り回したい。
橋本も、店長なんだからせめて客前で爪にピンクのマニキュアをつけるのやめろぐらい注意してほしいものだ。
二千十九年十月四日、金曜日友引。
多忙の中の唯一の利点は、時間が経つのを早く感じられる部分。
気付けば終わりまであと十五分になっていた。
また朝の早番との引継ぎ時、木下の勘違いした暴君が始まる。
「吉岡! テメーはそこで立ってろって言ってんだろ!」
本当に何様のつもりなのか?
俺より三つ年上の吉岡は、もう五十一歳。
三十代のたまたま運良く責任者になっただけのオカマが、人工透析の目上に対しぞんざいな口の利き方をするのがまかり通る現実。
卑劣なのが、店内に金太郎がいる時だけは笑顔で何事もないように振る舞っているのがムカつく。
忙しさはあくまでも遅番のほうなのに、新規客が入る数だけが早番という思い違いで評価される木下。
新規といってもスカウト軍団ナチュラルの紹介で、仲間が来ているだけなのだから。
いい加減その濁った選球眼を強制しろと、番頭の根間と金太郎には言いたくなる。
この腹立たしさは、俺だけでなく全従業員同じ気持ちだろう。
川越に帰ると、駅前の栗屋でソフトクリームを食べた。
余計な神経を使っているので、身体が糖分を欲しているのかもしれない。

帰り道に個人がやっている手狭な店で弁当を持ち帰り、家に帰ってから食べる。

色々なおかずが入った弁当をチョイスしてから温かいご飯を入れる店なので、何気に気に入ってしまった。
今日明日と出勤すれば休み。
あと二日間頑張らねば。
二千十九年十月六日、日曜日仏滅。
ただでさえ忙しいのにまた佐藤充がラッキーハウスへ顔を出す。
口を開けば競馬の事ばかり。
この満席状態が分からないのかと言いたくなるほど、充は邪魔だった。
ホールで仕事している時なら、接客優先で話を断れる。
しかし一服休憩で奥へ引っ込むと、必ず充はやってきて延々に競馬の話を始めた。
オマケにナチュラルのスカウト南までが近寄ってくる。
あくまでも一服休憩なのに、まるで休めた気がしない。
次の休憩時、競馬の全レースを購入し充へ見せた。
「もう佐藤さんの予想聞いても、馬券買ってしまいましたから」
「そんな焦って馬券をすぐ買うから、岩ちゃんはいつも勝てねえんだよ」
大きなお世話だと言い返したいが、客で来ている以上酷い言い方もできずグッと堪える。
充が去ると、今度は南。
山下がよく言うように、この店にはダブルカマッテチャンがいるようなものだ。
ようやく朝になり引継ぎを済ませる。
帰り際またオカマの木下が吉岡に対し理不尽に怒鳴っていたが、庇う余裕もなく疲労困憊だった。
ようやくこれで休み。
しつこい山下の飲みの誘いを断り、川越へ戻ると夕方までゆっくり睡眠を取る。
自棄で買った中央競馬全三十六レースはすべて外れ。
即パットをまた辞めようかな……。
せっかくの休みなのに、最近何の予定も入れなくなってしまった俺。
変わらないのはひろみとの変わらぬやり取り。
川越と新宿を往復しながら職場でストレスを感じ、プライベートでは意味の無い写真撮影をねだるひろみにうんざりしていた。
肉でも食べに行くか……。
本川越駅方面まで歩き、焼肉牛繁へ入る。
自分一人なので、このぐらいの安い焼肉で充分満足だ。

カルビ、ロース、ホルモンにサラダ。
そして大ライスに酒。

七輪で焼きながらご飯をモリモリ胃袋へ詰め込む。
酒を飲み干し、満足して店を出る。
帰りながらまだ買っていた馬券が一レース残っていた事を思い出す。
海外競馬の凱旋門賞の結果を待っている内に寝てしまった。
二千十九年十月七日、月曜日大安。
起きてからすぐ凱旋門賞の結果を確認する。

「……」
俺は久しぶりにフェイスブックへ投稿した。
宝塚記念以来の競馬
凱旋門賞!
結果2.3.4着で負けた
それにしても凱旋門賞含めた全37レースすべて外れるって、俺ヤバいな……
この投稿に様々な人がコメントをくれる。
固く決まると思ったんだけどな。
着順の単勝人気を見ると、九番、一番、三番人気。
単勝オッズを誕生日馬券で買っていれば……。
いやいや、またそうやって考えるから競馬にハマるのだ。
せっかく宝塚記念から今まで競馬を辞められていたんだろ?
俺は博打の才能無いの自覚しているんだから、もう忘れろって。
休んだ気のしない休日になってしまったな。
ラーメンでも食べに行くか……。
実家から近所のラーメン屋わこうへ行く。

味噌ラーメンに餃子定食の食券を購入し、胃袋を満たす。

部屋で出勤まで大人しく過ごし、時間になると家を出る。
歩きながら溜め息をつく。
また面倒臭い一週間の始まりか……。
二千十九年十月八日、火曜日赤口、寒露。
クソ忙しい店内。
カマッテチャン南が話し掛けてくるのを上手くいなしつつ、業務をこなす。
何でこんな日に橋本は休みなんだよ。
途中で番頭の香川が給料袋を持ってラッキーハウスへ来る。
「あれ、どうしたんですか? 給料十日じゃなかったでしたっけ?」
「まあ全員の計算が終わったので」
早くもらえる分ならそのほうがいいか。
俺は金庫に橋本と、早番の分の給料袋をしまう。
川崎と山下へ、一服休憩を回す時に各自渡した。
ホール内をせっせこ走り回り、業務をこなす。
朝方になり、店のインターホンがなる。
せっかく客が引き出したのに誰だよ……。
モニターを見ると、休みのはずの橋本が映っていた。
「あれ、どうしたんですか、こんな朝っぱらに?」
「休みだから新宿で飲んでてみんな頑張っているかなあと思って、これを」
そう言いながらトンカツ和幸の弁当を三人分差し入れてくれる。
「え、どうしたんですか、急に?」
「いや、木下の件もそうですけど、いつも忙しい中みんな頑張ってくれてんので、たまにはいいかなあと」
店長として力不足を感じていた彼なりの配慮なのだろう。
有難く頂くも、あと一時間で仕事も終わり。
帰りの小江戸号の中で食べればいいか。
一人の巨悪を倒す為に従業員一心同体になるのはロールプレイングゲームみたいでいい傾向だ。
しかしラッキーハウスの場合、その巨悪がオカマの木下だもんな……。
ゲームのキャラクターならパーティーの役柄だと間違いなく俺は武道家か戦士だろう。
実戦ならあんなオカマ、一撃でのしてやれるのに。
早番と交代の時間が来る。
吉岡が着替えていると、木下がまた怒鳴り出す。
「おい、テメー、チンタラ着替えてんじゃねえぞ、おい!」
あまりにも理不尽な物言い。
もう仕事を上がるだけだったが、今日は橋本もいない。
まだ怒鳴りつける木下へ向かって口を開く。
「吉岡さんは五十過ぎてんだから、もうちょっと言い方考えたほうがいいんじゃないですか」
俺の台詞に木下は目を見開いて凝視してきた。
「おまえ…、誰に口利いてんだよ? あ?」
「その面と口調…、金太郎さんや根間さんの前でも同じ事できるのか?」
「あ、関係ねえだろ!」
「関係あるから言ってんだよ。見苦しい事はやめろよ」
「……」
それだけ言うと俺は山下たちと店を出た。
別にこんな事で俺がクビになる事はないはず。
あのオカマと仲良くやっていくのは無理だ。
ならばせめて吉岡を少しでも庇おう。
きっと話を聞けば、店長の橋本だって俺のほうに心理的に味方すると思う。
「いやー、赤崎さん、見ててスッキリしましたよ」
外へ出てから山下が声を掛けてくる。
「おまえまで赤崎って呼ぶんじゃねえ!」
「すいません、岩上さん」
「すいませんじゃなく、すみませんだろ!」
「あ、そうすね! ところで給料も入った事だし、このあとどこ行きます?」
「行かねえよ! おまえもトンカツ持って帰って食え」
まだしつこく誘う山下を無視して駅へ向かう。
小江戸号へ乗ると、橋本からもらったトンカツ弁当を開き車内で食べてから眠った。

本川越駅を出ると、向かいの改装工事中のイトーヨーカ堂の建物がかなり完成に近づいているのが分かる。

俺は埼玉りそな銀行の駐車場へ、あの時いた猫がいるか見に行く。
毎日のように帰り道寄っていたが、いたのはあの時一回だけ。
たまたま一匹だけあそこにいただけなのかな?
これからもう少ししたら寒くなる。
温かい居場所を別に見つけているならいいが。
ひょっとしてあそこの野良猫カフェで保護されたか?
確認しに…、いや、あの底意地悪いメガネブスがいたら嫌だ。
大人しく帰ろう。
途中にあるUFJ銀行に寄り、給料のプール金と財布の中にある金を貯金する。
今回は二十五万円入金して、あとの金はうまく使えばいい。

夜になりラッキーハウスへ出勤すると、いきなり木下が絡んでくる。
もうコイツぶっ飛ばして辞めてもいいかな……。
そこへちょうど橋本が出勤して間に入る。
「赤崎さん、一旦食事休憩入って下さい。自分が木下と話ししますから」
店長命令なので、仕方なく外へ出てラーメン屋小次郎へ入った。
木下の暴君ぶりに一番腹が立っているのは俺なのかもしれないな。
まあとりあえず飯でも食おう。
月替わりの賄い丼を注文し、胃袋に入れて落ち着かせた。

あんな図に乗ったオカマは、これまでの人生で初めて見たぞ。
そろそろ橋本ら全員促して一致団結し、根間や香川を巻き込んでちゃんと話すべきだ。
明らかに勘違いし、間違っているのは木下。
これまでの愚行をすべて晒し、改革をしないといけないんじゃないか?
ワールドワンの時のゴマすり豚野郎の吉田をクビにした時を思い出す。
俺はワールドワンに来てから今までずっと店を支えてきた。
それが吉田はオープンから店にいるというだけで所の次に店長になり、店は休むは部下たちから金を巻き上げるは……。
しかも番頭の片桐など権力者にはゴマすりが半端ではない。
このままの現状がまかり通っていいのか?
いい訳ないだろう。
俺はまず遅番の従業員全員に話をした。
「大倉と山下が辞める件。俺は吉田が納豆いかない。これから上に対してクビ賭けて行かせてもらう。オマエたちはどうする?」
「岩上さんについていきます!」
三門、伊藤、そして新人の岡本、望月も声を揃えて言った。
翌朝になり早番の従業員が出勤してくる。
吉田はまた遅刻した。
ちょうど良かったので、早番の従業員たちにも意思疎通を取る。
これで吉田以外の全従業員が俺の元一つになった。
一時間以上遅れて出勤した吉田は、「いやー岩上さんすみませんねー。目覚まし掛けて起きたんですけど二度寝しちゃって……」と理由にならない言い訳をしている。
俺は無視して店を出て、真っ直ぐ家に帰った。
今日の夜、出勤したらまず番頭の佐々木さんと話し合う。
次に片桐と……。
考えると憂鬱になる。
ワールドワンへ出勤して、店内の状況を確認する。
まだ客はまばら。
佐々木さんと話すなら今だろう。
電話を掛け、佐々木さんに来てもらう。
俺は店の外でこれまでの吉田の無茶ぶりを伝え、これが今後もまかり通るなら吉田を除く、俺以下全従業員は店を辞めると話した。
ゴマすりだけの豚野郎と、俺以下の従業員たち。
どちらを選ぶかは明白だ。
佐々木さんは困った表情で片桐に連絡をする。
「おい、岩上この野郎! 全員が店を辞めるってどういう事だ?」
俺の前に来た片桐は怒涛の如く怒っていた。
「何かあったら言って来い…。片桐さんはいつもそう言っているのに、二年以上働いている従業員が二人同時に辞める事に対して、何の疑問も持たないんですか?」
「どういう事だ?」
「俺からでなく、大倉、山下の二人に直に聞いてみて下さい」
いつも上からの目線の片桐も、この時だけは何も言えないでいた。
翌日、大倉が不安そうな表情で話し掛けてくる。
「岩上さん…、何か今日仕事終わったら山下さんと自分…、片桐さんからいきなり飯行くぞって連絡あって……」
思わずニヤけてしまう。
「いいか、大倉。俺が全部ケツ持つ! だから言いたい事全部ぶち撒けて来い」
「え…、でも……」
「ケツは持つって言ったろ。そうなるように俺が仕組んだんだよ。オマエたちも辞めるって腹決めたんだろ? なら一度くらい腹決めろって」
俺は大倉の背中を押した。
あとはなるようになるだろう。
「食事終わったら、一回店に戻ってきます……」
心細そうに山下は大倉のあとをついて、店を出て行った。
今日も店に元ベガの高橋ひろし、そして中口も来て、ダイナミックをノーテイクでバチンバチン叩いている。
「いやー、ヤバいすね、岩上さん。一円でこんな過激台、歌舞伎町のどこにも無いですよ」
ギャンブル性の非常に高い台を作った。
本当に運が良ければ一撃の一気で二十万を越える事もある。
下手な十円の店よりも過激な一円ポーカー。
俺の予想通り客はその過激さにハマっていく。
数時間経ち、店に山下だけ戻ってきた。
「おう、山下。どうだった?」
何を話したのか気になる俺は、山下をせっつく。
「自分は言いたい事は片桐さんに何も言えませんでした……」
「はあ? せっかくセッティングしたのに何をやってんだよ?」
「でも…、大倉さんは自分の言いたい事まですべて言ってくれました」
そこまで言ってニヤける山下。
「何を言ったんだ、大倉は?」
「第一声が吉田を人間的に許せませんと……」
これまで溜まっていたものをすべて片桐へぶち撒けたようだ。
やるだけはやった。
あとは上の判断だが、なるようになるだけだ。
山下が帰り、少しして片桐が店に来た。
「岩上、何で今まで言わなかったんだ?」
「俺が言ったところで片桐さん聞く耳持ってくれなかったじゃないですか」
「そんな事ねえだろが!」
「ありますよ。先日片桐さんの奥さんが入院した時のお見舞いの件だって……」
俺は以前吉田がみんなから五千円ずつ徴収し、見舞いの品を渡した件を蒸し返す。
あの時吉田は早番だけの手柄のように伝え、片桐は俺に豚野郎を見習えと言ったのだ。
「すまなかったな、岩上。吉田はクビにする。そんな事をしていたなんてな」
「それなら片桐さんからアイツへ直に伝えて引導を渡してもらえますか?」
しばらく黙っていたが、やがて片桐は分かったと返事をして店から出た。
俺たちは仕事中にも関わらず、ハイタッチしながらこの展開を喜んだ。
朝が待ち遠しい。
これほどウキウキするのも中々ないだろう。
朝十時手前に片桐が来た。
吉田はまだ来ない。
また寝過ごしたとかで、遅刻だろう。
「アイツ、また遅刻か! 俺は店の外で待ってるぞ」
店を出て階段を上がった入口で吉田を待つ片桐。
一時間ほど遅刻して吉田は来たようだ。
俺が奥の休憩室でタバコを吸っていると、吉田がノソノソと店に入ってきて俺の顔を見る。
目に涙が滲んでいた。
「岩上さん、従業員の給料下がったじゃないですか? 片桐さんに戻してくれと言ったら、オマエなんかクビだと……。俺、クビになっちゃいました……」
俺が何も知らないと思い、この期に及んで未だ嘘をつく吉田。
吸っていたセブンスターを大きく吸い込んでから、吉田の顔に煙を掛けた。
「ウザいから、荷物持ってとっとと失せろ、豚野郎!」
ここ数年の恨みを込めて罵った。
「……」
「最後の最後まで自分に調子のいい嘘ついてじゃねえよ、とっとと消えろ」
黙ったまま店から吉田は出ていく。
俺は嬉しさから従業員だけでなく、店内で打っている客すべてに寿司の出前を取り、振る舞った。
俺がまだ三十代前半のあの時から一緒にいるのは山下哲也だけになってしまったな……。
このアイデアはうまくいくんじゃないか?
正義感に駆られて思い付いた訳じゃない。
ラッキーハウスへ戻ると木下はとっくに帰っていたが、店内は変わらず満席状態。
橋本に声を掛ける暇もなく時間だけが進んでいく。
二千十九年十月九日、水曜日先勝。
仕事明け飲みに誘ってみるか。
いや、それよりもまず他の従業員からまとめるべきか?
今日は木下が休みらしいのでちょうどいい。
帰り際、橋本へ声を掛ける。
しかし彼は用事があるようで急いで帰ってしまう。
せっかくのチャンスだったのになあ……。
俺は早番の吉岡の肩を軽く叩き「お互い頑張っていきましょうね」と声を掛けてから帰った。
川越に着き、新しい店で台湾混ぜそばを看板にしている店を見つけ入ってみる。

今だけ九百五十円が百円引きの八百五十円セール。
だけどライスと餃子四個付きも百円でセットになるのか。
しかも追い飯無料って、ご飯がお代わり自由だよな?
混ぜそばを注文し、早速食べてみる。

しかしあまりにも量が少なくご飯をお代わりできるほどでは無かった。
店を外したなあ。
埼玉りそな銀行の駐車場経由で寄ると、当たり前だがあの時の猫はいない。
木下の件、どうなるかは橋本が話に乗るかどうか次第だよな……。
二千十九年十月十日、木曜日友引。
溜め息をつきながら家を出る。
昨日の仕事の合間に木下の事を橋本へ持ち掛けた俺。
てっきり合意してくれると思っていたが、橋本は慎重になり過ぎているのか暗い表情で我慢してくれという返事しかしなかった。
他の従業員をまとめられても、店長である橋本に気力が無ければ改革は無理だろう。
ナチュラルのスカウト連中の新規客が尽きるまで、現状を堪える選択をした訳だ。
それまでに吉岡の精神状態は持つのか?
憂鬱な気分のまま駅ビルペペに入る。
弁当屋OHANAで鶏めし弁当が百円引きで売っていたので購入した。

小江戸号に乗ってから弁当を食べる。
ひろみが弁当の写真が見たいと言うので、溜め息をつきながら写真を撮った。
料理や弁当は過去自分でも散々撮ってきたが、人から言われて撮影という行為はストレスが溜まる。
ラッキーハウスのテレビのニュースで、大型台風が関東上陸すると何度も放送されていた。
「赤崎さん、十二日の日曜なんですが、休み返上して出られませんか?」
「え、何でです?」
「台風の影響で、電車がストップするかもしれないんで、明日はまだ大丈夫だと思うんですけど、十一日の土曜は出勤したら、歌舞伎町に泊まって次の日も出て欲しいんですよ。もちろんサウナ代ぐらいなら、店の経費で落としますから」
そんな大型台風が来るのかと驚く。
店はさすがに暇になるから山下と川崎は逆に休ませ、台風が過ぎたら俺は休んでもいいとお願いされる。
「分かりました。日曜返上して出ますよ。明日出勤したら泊りも大丈夫です」
「すみません、赤崎さん」
こうして明日の出勤から台風が去るまで、俺は休みの予定が立てられなくなった。
二千十九年十月十一日、金曜日先負。
台風第十九号通称ハギビス。
テレビを観てその名称を知る。
誰が一体そんな名をつけたんだ?
ハギビスって何かセンス無いよな……。
今日までは西武新宿線も運行するようで、仕事を終えると川越へ帰る事にした。
日曜も仕事になってしまったし、サイゼリヤでも寄って帰るか。
本川越駅ビルぺぺに入り三階へエスカレーターで上がる。
俺は料理の写真を撮りつつフェイスブックへ投稿した。

プチぷよサラダ
ほうれん草のソテー
ミラノ風ドリア
ミートソース
赤ワイン
トニックウォーター
メロンソーダ
さすがにこれだけの量を食べると苦しくなるとみんな思っているかもしれない。
しかしハンバーグもピザも頼んでいないのだ。
これでも控えめにしただけ。
家に帰り寝て起きると雨が降っていた。
ハギビス接近中か?
時間になり家を出る。
小江戸号はいつものように夜時半の車内はガラガラ。
車内の写真を撮り、ジョークを入れながらフェイスブックに投稿。
台風まともに上陸したら、こっちかなりヤバいんじゃないの……。
これが最後の投稿にならなきゃいいけど。
ラッキーハウスへ到着すると、客がいないと思ったが、一人だけ見た事のない客がいた。
不思議なのがその客はずっと項垂れたままINも一切入れずに一時間ぐらい座っている。
「橋本さん、あのお客さん誰なんですか?」
離れた所へ橋本を招き、聞こえないよう小声で囁く。
「俺も分からないですよ。早番の時間にキャッチが連れて来た新規客みたいです」
「俺たちが出勤してから一時間以上あの状態で、INも無いじゃないですか」
橋本はリスト表を俺に見せながら口を開く。
「赤崎さん、これ見て下さいよ。二十五万円負けな状態なんですよ、彼」
「あらら…、こんなこれから台風上陸って時に何でまた……」
「さあ……」
さすがにこの雨の中、二十五万円負けた客に出ていけとも言えない俺たち。
「橋本さん…、出前でも取りますか?」
「多分今日はどこもやってないですよ、きっと」
「とりあえず電話してみますよ」
かど平、玉蘭、叙楽苑、ラーメン王、ニーハオ…、どこに電話をしても出ない状況。
客が誰も店内にいないなら、寛いで時間を潰せるが一人だけ残っている。
俺たちは立った状態のまま、ホールにいるしかなかった。
「赤崎さん、コンビニとかドンキホーテ行って、ご飯買ってきてもいいですよ」
「でも、それじゃ橋本さん一人になっちゃうじゃないですか」
「誰ももう来ないでしょ、この雨じゃ」
「それもそうですね。ちょっと買い物行ってきますよ。何か欲しいものはあります?」
「ご飯類なら何でもいいですよ」
「じゃ行ってきますね」
彼一人店に残し、大雨の中ドンキホーテに向かう。
しかし外へ出るとそこまでの降りではない。

ドンキホーテへ到着し、弁当売場へ行くと思わず絶句した。

食料品棚にいつも山のように置いてある弁当やパンなどがほど無い状況。
パン売場にしても同様だった。
あるのは数個のカップラーメンだけ。

前にもこれと似たような風景を思い出す。
そうだ、東日本大震災の時か!
佐川急便へ行くのに車は必須。
走れば燃料は減る。
俺は高校生時代アルバイトをしていたガソリンスタンドの山口油材へ行くが、呆れるほど長蛇の列。
うんざりしていると山口油材の従業員が駆け寄ってきた。
「智一郎さん、こちらからどうぞ」
「え、だって並んでいるじゃん」
「いえいえ、こんな時だけ並んで来る客よりも、日頃の常連さんを最優先しますよ。こちらから来て下さい」
並んでいる客たちから見れば、反則行為だろう。
しかしスタンド側の言い分も分かる。
俺は仕事もあるのでその好意に対し、素直に甘える事にした。
スタンドを出てすぐ左手にある島忠とスーパーのOK。
小腹が減っていたのでスーパーへ入る。
愕然としたのが、普段なら腐るほど陳列されている食料品。
それがほぼ無い状況。
塩むすびが二つだけ残っていた。
誰がどれだけ買ったのかは分からない。
ただ、何故そうパニックになっているのだろうか?
川越ではほとんど被害など受けていないのに……。
あの時のスーパーOKの食料品売場のありさまとすっかり同じだ。
「……」
確かあの震災の時は二千十一年三月十一日。
何であれから八年以上も経つのに、人間は同じ事を繰り返すのだろうな?
非常に醜い光景。
人間の卑しさ。
自分だけ良ければいいという考え。
俺は残っているカップラーメンを三つ買って店へ戻る。
するとまだ例の客は残って項垂れたまま。
とりあえず自腹で買ったカップラーメンを勧めると「ありがとうございます」とか細い声で返事をして食べている。
二千十九年十月十二日、土曜日仏滅。
日が明けて十二日になった。
俺たちが出勤してから三時間以上ただ居るだけの状態が続く。
INを入れ金を使う客ならまだいい。
しかしただこのまま店に居られても、正直言い迷惑だった。
「橋本さん、俺ちょっと言ってきますよ」
「お願いします」
六卓の席に座る客の前で片膝をゆっくりつく。
目を見ながらゆっくり口を開いた。
「お客様…、これから台風上陸でどんどん酷くなります。なのでこんなことろで時間を潰すよりも、近くのサウナで身体を温めながら過ごした方が良くないでしょうか?」
「……」
視線を合わせず虚ろな状態のまま無言の客。
「あの…、お客様? 聞こえていますか?」
「……。サ、サウナに行く金も無いんですよ……」
俺たちが出勤した時には有り金の二十五万円をすべて使い果たしていたのかよ……。
一旦橋本の元へ戻り、事情を説明する。
「でも、入れた金を戻す事はできないですよ」
その状況で一時間が過ぎた。
何も変わらない。
俺は財布から三千円を取り出し、客の元へ向かう。
「お客様…、この三千円は店の金でなく私のお金です。これがあればサウナには行けるはずなので、身体を温めてきてはどうでしょうか? もちろんお金は返さないでいいですから」
「でも……」
「困った時はお互い様ですよ」
そう言って微笑む。
内心は早く帰って寛がせてくれよと、心の中で叫んでいた。
「すみません……」
ようやく金を受け取り、その客はラッキーハウスを出て行った。
ノーゲストになると、ようやく近くのソファーへ座りセブンスターに火をつける。
「すいませんね、赤崎さん」
それだけ言うと橋本もタバコをつけて携帯電話を眺める。
え、三千円、店で立て替えてくれないのかよ?
カップラーメン代だって俺が全部出したのに……。
まあ先日トンカツ和幸の弁当を差し入れてくれたから、まあいいか。
朝になり早番が出勤。
電車が動いているのか聞くと今はまだ動いているようだ。
しかしこのあとほとんどの電車が運行停止になる告知をテレビでも流れていた。
ラッキーハウスを出ると、橋本が声を掛けてくる。
「赤崎さん、たまには一杯どうですか? どうせ今日歌舞伎町泊まりですよね?」
「ええ、そうですが橋本さんはどこ泊まるんですか?」
「自分は鷺ノ宮なんで、タクシーあれば捕まえて帰りますよ」
「え、それズルくないですか?」
「まあまあ、飲みに行きましょうよ」
元コマ劇場広場を通ると凄い強い風が、身体を押されるかの如く吹き付けてくる。
「パチンコのマルハンも営業していないですね」
「多分エスパスもしていないと思いますよ」

普段ならたくさんの人で賑わうはずの歌舞伎町。
ほとんど
ひと気が無い。
広場に面したファミリーマートも『台風十九号に伴う臨時休業のお知らせ』と貼り紙がしてあり、十二日の朝八時から十三日の十二時まで店を閉めている。

「コンビニすらやってないんじゃ、飲食店なんてもっとやってないんじゃないですかね?」
「まあ探してみましょう」
「ちょっと待って下さい。中々こんなシチュエーションないだろうから、ここからゴジラビルの写真撮っておきますね」

西武新宿駅前通りまで行き、開いている店を探す。
どこも似たような貼り紙をして閉まっている。
「あ、一軒め酒場ならやってるかも」
「そこ行きましょう、赤崎さん」
橋本が予言した通り、エスパスも閉まっている。
新八食堂も日高屋も福しんも全滅。
望みを託した一軒め酒場へ向かう。
「……」
「ここも駄目ですね。他にあります?」

「靖国通りの養老乃瀧なら二十四時間だし、さすがにやってんじゃないですかね」
「そこへ行きましょう」
吹き付ける風と雨の中を俺たちは靖国通りへ進む。
一番街通りから見える吉野家は窓にバツ印のテープを貼り、台風に備えている。
二階の大きな窓も同様にバツ印のテープ。

「吉野家でさえ閉まってるぞ?」
「養老乃瀧もじゃないですか」
タクシーは数台だけ動いているようだ。
ひょっとしてこの男、この修羅な状態のまま自分だけ先に帰るつもりではないだろうな?
まあそうなったら俺も大人しくサウナへ行けばいいか。
一軒め酒場へ前に行った時の山ゴネスの台詞を思い出す。
「嫌な事言っていいですか?」
「どうぞ……」
「山下が前に言っていたんですけど、一軒め酒場って養老乃瀧系列らしいですよ」
「じゃあ……」
「ほら、やっぱり養老乃瀧も閉まってる」
「全然二十四時間営業じゃないですね……」

歌舞伎町の全部の店…、いやこの近辺すべてが飲食店全滅じゃないのか?
俺たちはセントラル通りへ行くも、開いている店は無い。
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