闇 505(自己犠牲呪文メガンテ編)
闇 505(自己犠牲呪文メガンテ編)

2026/03/23 mon
前回の章

二千二十年十月三十日、金曜日仏滅。
大久保ラッキーホステル自室内にて、ネオジオミニのリアルバウト餓狼伝説クリア。

「……」
まったく俺は無職のくせに、一体何をやってんだかな……。
働かざる者食うべからずと言うが、人間だから腹だって減る。
やる気が無い訳ではないが、正直何から手を付けていいのか分からないのが現状だった。
佐藤充が早いところ例の儲け話を言ってくれればいいのに、あれだけ長時間話して、競馬とか自分はとかどうでもいい無駄な内容ばかりだもんな。
こっちは無収入なんだよと何度言い掛けた事か……。
錐から連絡が入る。
また一緒に食事へ行きたいと書いてあった。
「……」
彼女も、こんな四十九歳男の何がいいのか。
まあ異性関係も、仕事もなるようにしかならない。
今最優先すべき事案は、この腹ペコの胃袋を満たす事。
喫茶店『ラ・ムー』にてカレーライスを食べる。

夕方まで部屋でゴロゴロ過ごし、池袋のちかとLINEのやり取り。
充から電話があり今日は来ないのか聞いてくるが、あそこまで行くのが面倒で適当な嘘をついて断る。
深谷さんから提示されたゲーム屋を開く件。
素直にあの話を受ければよかったのか?
でもそれだと酒井さんを裏切る事になってしまう。
香川や橋本はいい。
恩義ある人へ唾を吐く訳にもいかない。
もっと誰も犠牲にならない普通の仕事の話を持ってきてくれればいいのにな。
さすがにそれは甘え過ぎた要求か。
何にせよ何かしら仕事を見つけなければいけない俺。
夜になると、大久保駅南口のイタリアン『赤レンガ』にてディナー。

マスターにお勧めを聞くと、イタリアンであるが肉も相当拘っていると言うので注文してみる。

勧めるだけあって肉が本当に美味しい。
本当に質のいいものを仕入れているのが分かる。

焼きたてのピザを食べながら世間話をして、赤レンガをあとにした。
そのまま小滝橋通りに出てラッキーホステルへ向かう。
途中ラーメン屋があったので、入ってみる。
券売機で食券を買うシステムのようだ。
ニンニク、脂多めか、味は濃い目か聞かれたので、初めてだから分からないと答えると、カウンター席に貼ってある紙きれを指さす。
初めてって言っているんだから、口でちゃんと説明しろよな……。
「普通でいいですよ」
返事もせず厨房で作り出すラーメン職人を見て、味の出来に関わらずこの店はもう来る事がないだろうと思う。

出されたラーメンも不味くはない。
ただ先ほどの対応で、もうこの店はいいやとなっている。
馬鹿な奴だな…、接客態度一つで客が失うような事をするなんて。
金を落としてくれる客に対し、何故そこまでぞんざいに振る舞えるのか意味が分からなかった。
きっと頭が悪いんだろう。
二千二十年十月三十一日、土曜日大安。
買い置きのセブンスターボックスが切れた。
毎度買いに行くのも面倒だな。
待てよ…、確か櫻井さんに頼んだセブンスターが大量に川越の実家に置きっ放しのままだったっけ。
まだ五十個以上はあるはず。
往復電車賃千円ちょっと掛かっても、取りに帰る価値はあるよな?
そんな訳で西武新宿駅まで歩き、一瞬だけ川越へ行く事にした。
電車に乗っている中、佐藤充からしつこくLINEが届く。
今地元へ戻っている最中だと説明すると、いつ新宿へ戻ってくるのかしつこい。
今後の身の振り方もあるので、夕方には新宿へ戻る事を伝えそのまま彼の事務所へ行く約束をした。
家に帰りタバコをバックへ入れると、すぐ外へ出る。
まだ時間があるので、パラッツォへ入りパチンコを始めた。
もちろん台はシンフォギア。
俺も懲りずに好きだな。
シンフォギア2、デュランタル二回目でやっと当たる。
川越へタバコを取りに来た甲斐があった。
上機嫌で新宿へ戻り、一旦ラッキーホステルへタバコを置きに帰る。
これから充事務所か……。
儲け話だけ聞いてサッと帰りたいものだ。
西武新宿駅から小滝橋通りは、職安通りを真っ直ぐ行けばぶつかる。
北口の大ガードを潜り十五分程度。
それでも川越から戻ったばかりなので、何気に億劫な距離だ。
携帯電話が鳴る。
元部下でもあり後輩の山下哲也から。
店を辞めた俺に、今さら何の用だろう?
「何よ、どうした?」
「岩上さん、橋本の奴…、あいつ本当にふざけてますよ!」
「橋本がふざけているのは、別に今に始まった事じゃないだろ」
「あいつ抜いてますよ。岩上さんいなくなってから抜きが酷くなりました。昨日だって一日で十万以上金を抜いているんですよ。あり得ないですよ」
「……」
ラッキーハウスで未だ働く山ゴネスは、理不尽な店内の様子の愚痴を捲し立てて話している。
俺がいなくなれば、そうなる事などとっくに想定したはずなのに、本当にコイツは馬鹿だ。
辞めてからいくら吠えたところであとの祭り。
「橋本の奴、どうします?」
「どうしますも何も、俺はもうあの店を辞めた人間だ。何もやりようないだろ」
「でも、このままじゃ……」
「おい! じゃあ何故おまえは俺がいる時に、何も動かなかったんだ? 俺が辞めると決断したのは、おまえが動く気配すらなかったからだろうが! 人が辞めてから、後になって分かっていた事をギャーギャー抜かすな。それに俺にそんな事いくら言ったって、何も変わらねえよ。おまえが、香川なり橋本なりに自分の口から言わない限り」
「だって……」
「おい…、いつまでおまえはセーフティーな立ち位置から、ただ騒いでいるつもりなんだ? いい加減にしろよ!」
クソの役にも立たなかった山下との電話を強引に切る。
正直な心境では、ラッキーハウスでの辞めるまでの一件はまるで納得していない。
金を出すから店をやれと言ってくれる客までいるのだ。
ほとんどの客を引き抜き、新たな店をやり、香川たちを路頭へ迷わせられたら、さぞかし気分は晴れる事だろう。
だが、それと引き換えに捕まったままの酒井さんに対しても、弓を引く事になる。
怨恨と義侠心。
俺の中で義のほうが強いだけの話。
「救われたな、橋本……」
通行人が俺の顔を驚いて眺めている。
思わず考えていた事を口に出していたようだ。
四年近くの付き合いだった。
始めは根暗で何を考えているのか分からない感じだった橋本。
頭を絞めつけるような極度の痛み。
しばらく座ったまま、頭を両手で強く押さえた。
少しして痛みが治まり、何とか新宿へ向かう。
普段三十分前には着くよう早めに家を出る習慣があった為、遅刻しないで済みそうだ。
電車の中でもこめかみ辺りを強めに押し、我慢した。
職場へ行くも、いつもより激しい痛みが自身を襲う。
もう指で押さえようが増々酷くなる一方。
こんな日に限って川崎は休みだった。
幸い客がいない時だったので、橋本へ声を掛ける。
「橋本さん…、すみません…。ちょっと頭痛が凄くて…、客が来るまで床へ寝転がってもいいですか?」
「……。いや、仕事中なんで、椅子に座るのはいいけど、寝転がるのはさすがに駄目ですよ」
「……。分かりました…、すみません……」
責任者としての発言。
当たり前だよな。
気弱な発言をした俺が悪い。
時刻は夕方の六時過ぎ。
あと四時間堪えれば帰れる。
俺は両手で頭を強く押さえた。
一体どうしてしまったんだろう?
こんな酷い頭痛は初めて。
店に常備してある痛み止めを飲んでも、まるで効かなかった。
少しして橋本が近付く。
「赤崎さん…、かなり酷そうだから、今日は早退してもいいですよ?」
「で、でも…、橋本さん一人に……」
「まああと四時間もないし、何とかやりますよ。それで明日は休んでいいですから。川崎さんも出勤するし。ゆっくり身体を休めて下さい」
「ありがとうございます……」
四十五歳にして身体にガタが来たのか?
普段なら堪える俺も、この時だけは我慢の限界だった。
頭痛が取れず、人生で初めて仕事を早退。
こんな事今までなかったのにな……。
ラッキーハウスへ入りたての頃を思い出してしまう。
あの時現状で健康な俺は、珍しく頭痛で弱っていた。
人生で初めてとも言っていいほどだ。
後にも先にも体調不良で仕事を早退したのは、あれぐらい。
融通は利かないが、微弱な人間的な優しさを持っている。
それが初期の頃の橋本への感想だった。
特別な仲のいい関係にはなれなかったが、それでも四年近く共に同じ空間で働いてきたのだ。
橋本の誘いがきっかけで、パチンコや競馬へハマる事もあった。
でもそれはあくまでも自分で選んだ意思のせい。
あいつが金に詰まり、プレステーション4を買った事もあった。
「じゃあ正直に言いますよ。ちょっとキャバの女に入れ上げてて、プレステ手放してでも必要なんですよ、金が」
「事情は分かりました。ただ未使用というところが引っ掛かるんですよ。コーラか何かこぼしてませんか?」
「何もこぼしてないですって!」
「必死なのが怪しい」
「じゃあこうしましょうよ? ニンテンドー3DS、これもつけるから四万円ちょうどでどうです?」
「よ、四万円……」
さらに胡散臭くなった。
しかし3DSもかー……。
「ソフトもつけますから」
「むー」
いいほうのプレステ4に、3DS、さらにソフトも……。
この男、俺からなけなしの金を貪りつくつもりか?
しかしプラス五千円ならそう悪い条件ではなくなったのも事実。
結局この日、俺は橋本に押し切られる形でゲーム一式を買う事になった。
しかし現金が財布に三万二千円しかなかったので、プーさんの缶から千円札を数枚出すので明日になったら金を払う事を伝える。
「じゃあ手付で今日三万だけ下さいよ」
「駄目です! 現物と交換です。コーラこぼれた形跡があるか確認してから」
「まったく赤崎さんは疑り深いなあー」
ふん、何とでもほざけばいいさ。
俺はそんなチョロくねえぜ。
「……」
一緒に飲み歩くような仲ではない。
だが、一緒に時間を過ごしたのになあ……。
先ほどの山下の電話の内容が、頭の中で反芻する。
俺が辞めてから抜きが酷くなったか……。
一体どこで、ボタンの掛け違いしてしまったんだよ。
そんなに金が大事なのか?
生きていく為には確かに必需品ではある。
しかし罪なき人間を蹴落としてまで、必要以上に手に入れるほどのものかよ。
いや、完全に金の魔力に取り憑かれたからこそ、あのような暴挙へ出たのだ。
金は人間を狂わせる。
その揺れ幅が人によって違うというだけの話。
俺も偉そうに人の事など言えない。
ワールドワン時代、番頭の佐々木さんと組み、多額の金を得ていたのだから。
月に何百もの金を手にした俺は、図に乗って遊び歩いた。
橋本と決定的に違う点は、金額の大小。
そして俺は誰かを蹴落とそうとはしなかっただけ。
憂鬱な気分のまま、充事務所へ到着。
「岩ちゃん、筆記用具は用意してる?」
「いえ、何も持ってないですよ」
「何だよ。じゃあさ、コンビニでもどこでもいいから、ノートにペンを買っといでよ」
「分かりました」
必要なものなら、電話で予め言ってくれればいいのに……。
だが儲け話、またはパソコンの仕事へ直結する内容だと思うと、文句は言えず筆記具を買いに向かう。
「ほんとラッキーハウスは岩ちゃんが辞めて、クソみたいな店になったよ」
戻ると充の口から出るのはゲーム屋の愚痴ばかり。
黙って話に相槌を打ちながら聞く。
橋本の偉そうな態度が気に食わない。
自分は客だ。
同じような内容を何度も繰り返す。
俺は何の為に文房具を買いに行ったのか?
これじゃただの愚痴聞きだ。
チラリと時計を確認する。
針はちょうど十二時を指そうとしていた。
二千二十年十一月一日、日曜日赤口。
「佐藤さん、あのー…、ラッキーハウスの話はそろそろもうやめて、別の本題に入りませんか?」
夕方の六時過ぎに着き、六時間以上も話を聞いたのだ。
そろそろ儲け話を教えてもらわないと困る。
「それよりさー、岩ちゃんが来るの遅いから高知競馬、今日できなかったじゃん」
「いや…、佐藤さん…。俺、無職なんですよ。競馬とかやっている場合じゃなくて、儲け話があるからと言うから来たんですよ?」
「だからその為にノートとか用意させたんじゃん」
「じゃあまず俺は何をしたらいいです?」
「もう今日は遅いから、明日にしよう。明日…、あ、ごめん! 明日は予定入っているから、来週にしよう。来週の土曜日。夕方頃に適当に来てよ」
「え、ちょっと待って下さい。俺は無職だって言ってんじゃないですか。一週間待つようなんですか?」
「大丈夫だって。とにかく今日はお開きにして、来週土曜ね」
「……」
川越にいるのをわざわざ新宿まで呼び出して、本題には触れずに愚痴話。
それで次は来週?
本当に大丈夫なのか、この人……。
元従業員と客の関係性。
金が欲しい側と、情報をくれる側。
表立って文句も言えない状況が、思考を停止させる。
取り返しつかなくなる前に、自分でとっとと仕事を探した方がいいんじゃないのか?
ラッキーホステルへ着くと、風呂も入らず寝てしまう。
何もしていないのに疲れが溜まっていたようだ。
昼に錐から連絡があり、明日時間が作れるというのでデートの約束をする。
今のところ彼女が唯一の癒しだ。
「何か食べたいものあるかい?」
「岩上さん、お魚駄目。だから肉のほうがいいと思います」
「優しいなあ、錐は。肉系だと何がいい? 焼肉? しゃぶしゃぶ?」
「焼肉がいいです」
「じゃあいい店、この辺で調べておくよ」
電話を切ってパソコンの電源をつける。
もう十一月か……。
仕事を辞めてからあっという間に翌月。
本当に何かしらそろそろ考えたほうがいいな。
今日は天皇賞秋。
斉藤弘一が亡くなった日に行われたレース。
競馬なら彼も力を貸してくれるかもしれない。
9番アーモンドアイ、11番 ダノンプレミアム、8番キセキ。
抑えで7番クロノジェネシス。
これぐらいでおそらく決まるだろう。
結果、6番フェイールマンが後方から差してきて、二着。
またしても惜敗。
クソ馬が、頑張り過ぎなんだよ、バーカ……。
本当にギャンブルやっている場合じゃないよな。
俺はこの日どこにも出掛けず、大人しく部屋で過ごした。
二千二十年十一月二日、月曜日先勝。
錐とのデートがやってくる。
いつものように大久保駅で待ち合わせ、近くにある焼肉市場へ向かう。
コース料理を頼んでいたが、錐に格好をつけ好きな食べたい肉も頼みなと勧めた。
メニューを見て驚いたのが、単品だとそこそこいい値段だった事。
まあ言ってしまったものは仕方ない。

事前に予約してあるのに出てくるの遅い肉。

彼女の手前、平静を装ってはいたが、明らかな店の怠慢ぶり。

さすがにこの焼肉屋は、次は無いだろう。

焼肉の写真をSNSにアップする彼女を眺め、こうして明るい場所で真正面から見ると、二十半ばとは本当に幼い顔立ちなんだと感じた。
こんな二十以上も年が離れたおっさんと一緒に食事をして、錐は何が楽しいのだろう。
「岩上さん、明日も私時間空いてます。良かったら川越の写真見て行きたくなりました」
「明日か…、うん、問題ないよ。日本の色々なところを見たいんでしょ? もちろん案内するよ」
突然の連日に渡るデートの決定に少々戸惑うも、好意が無ければ向こうからこんな事を言わないだろうと納得させる。
前回同様スナックゆうこへ出勤するまで、彼女を抱き締め何度も口づけを交わす。
こんな毎日を送りつつ、じわりじわり目減りしていく金。
来週まで回された充の判断を恨みつつ、どう動けば分からない俺。
どちらにせよ、明日は昼間から錐を連れて地元川越まで。
ならばせめてつかの間の逢瀬を楽しむしかない。
夜になると池袋のちかからいつものLINE。
他愛ない内容の返信をしていると、また山下からの着信。
内容は、橋本がまた抜きをしたというどうでもいいものだった。
辞めた俺にそんな事を言ったところで何になるとだけ答え、電話を切る。
気分のいいところを邪魔するなよ。
明日は錐とのデートなんだから。
シンプルにその事だけを考えるようにして深い眠りについた。
二千二十年十一月三日、火曜日友引、文化の日。
西武新宿線小江戸号。
まさか中国人女性を連れて、この特急に乗るとは夢にも思わなかった。
人生何があるか分からないものだ。
本川越駅へ到着すると、まずは中央通りを歩き、熊野神社に収納されている連雀町の山車を見せる。
そして斜め向かいの連繋寺へ連れて行く。
先輩の始さんの和菓子伊勢屋へ錐と顔を出す。
奥さんの弘惠さんは「あ、智一郎君が彼女連れてるー」と大喜びしながら、焼き団子をご馳走してくれた。
「ねえねえ、二人の写真撮らせてよー」
錐を気遣いつつ、昔からの知り合いの店を回る。
そして蔵造りの街並み、時の鐘、菓子屋横丁と、普段地元にいたら絶対に行かない場所も案内した。
「川越はね、鰻が有名なんだ。錐には一番美味しい知り合いの店、連れて行くからね」
「それは楽しみです。私、本当に楽しく思います」
日本語での感情表現のボキャブラリーが乏しい彼女。
その会話に物足りなさを感じつつも、逆立場だったら俺など『ニーハオ』ぐらいしか言えないもんなと反省する。
加賀屋のおばさんのところへ連れていくと、錐を見て優しく接してくれた。
ヤスのカガヤカフェでコーヒーを飲みながら、目の前の鰻屋『小川菊』へ行くと、結構な列ができている。

「おばさんが修ちゃんに言ってきてやろうか?」
「いやいや、それじゃ申し訳ないですって。時間潰しに錐を連れて、喜多院とか成田山へ行ってきますよ」
実家から真っ直ぐ行った場所にある成田山川越別院。
住職の平井さんや高校時代山口油材で共にアルバイトした生臭坊主有原照龍は元気だろうか?
境内へ入ると、顔見知りの坊主はいたものの、行った時間が遅かったので、二人はもう帰ってしまったらしい。
久しぶりに顔を合わせられなかったのは残念。
それでも亀がたくさんいる池などを案内し、喜ぶ錐。

そのまま近くの喜多院へ連れて行く。
五百羅漢や主な場所を説明しながら、ひと気のいない場所を探し、優しく彼女を抱き締めた。

いい時間になったので小川菊へ向かい、うな重をご馳走する。

やはり鰻はここが一番旨い。
「どうだい、錐?」
「とても美味しいです!」
「新宿帰る前に、俺の同級生がいるところ一軒だけ寄っていこうか」
「はい、楽しみです」
小学時代からの同級生篠崎が働く大漁丸へ顔を出すと、女性連れで行くのは初めてなので驚いていた。
馬刺しや彼女の食べたいものを注文し、楽しいひと時を過ごす。

帰りの小江戸号では目がトロンとなった錐が眠ってしまい、ずっと俺の肩に頭を預けていた。
結構な距離を歩いたもんな。
せめて新宿へ到着するまで、ゆっくり休ませてあげよう。
大久保駅で彼女と別れラッキーホステルへ戻ると、深谷さんから電話が入り明日飲みに誘われる。
もちろん了承し、予定を埋める。
前回ご馳走になったから、明日こそ俺が返さないと。
錐とのデートの様子をフェイスブックへアップすると、九州のひろみからまた多数のメッセージが届く。
俺はすべて無視して、そのまま寝た。
二千二十年十一月四日、水曜日先負。
最近ハマっている中華料理の寿楽。
今まで回鍋肉だったけど、今日は茄子と牛肉のオイスターソース炒め定食に半味噌ラーメン。

時間までゆっくり部屋で過ごし、新大久保駅へ向かう。
深谷さんと合流すると、駅を渡った先の一本道沿いにある三重県伊勢松阪とり焼き『松阪食堂』へ行った。

三重県なんて看板に書いてあるが、場所は新大久保駅近くなのだから、店名だけにすればいいのにと素朴に感じる。
若い店主も深谷さんへ愛想良く頭を下げる姿を見て、この人は本当にどこでも面倒見がいいんだなと実感した。

「ワシはもう二年前になるが、一度心筋梗塞で心臓が止まった事があってな」
「それは大変でしたね。一時ラッキーハウスへ来ていなかった時期ですか? 全然気づかずすみませんでした」
「まだその頃岩上君をよく知らなかった時期だしな。気にせんでいいよ」
「あ、深谷さん。ここの会計ぐらい自分に出させて下さい」
「そんなの気持ちだけでいいよ」
「自分も無職とはいえ、もう四十九歳なんです。せめてここぐらいはお願いします」
「分かったよ。じゃあ今回はご馳走になるよ、ありがとう」
二軒ほど梯子をしてから別れると、伊達から電話が入る。
大久保まで来るから一緒に飲みませんかとの誘い。
無下にする理由もないので、いつものスナックゆうこへ連れていき、同じビルのイタリアン赤レンガへ連絡してステーキの出前も頼む。
自分のテリトリーなので全部の飲み代を支払うが、正直手痛い出費だ。
いい感じで酔いながら二人でラッキーホステルへ戻り、伊達は二段ベッドの上で泊まらせた。
二千二十年十一月五日、木曜日仏滅。
目を覚ますとまだ朝の六時。
昨日は少し飲み過ぎた。
それでも食事を要求する胃袋。
伊達を叩き起こし、淀橋市場にある伊勢屋食堂へ向かう。

彼はまさかこんな近くに市場があり定食屋まであるとは思わなかったようで、かなり驚いていた。

「岩上さん、本当に色々な店知ってますよねー」
感心したように店内を見渡す伊達。
俺はイカフライ定食としらすおろし。

伊達はトンカツ定食を注文。

「昨日飲み代出してもらったんで、ここぐらい払わせて下さい」
伊達がここはご馳走してくれ、そのまま店を出ると北新宿公園へ向かった。

「岩上さん、これからどうするんですか?」
「うーん、まだ何も決めていないんですよね、正直。ただ前の店の客の一人が今週土曜に呼ばれているから、仕事の話だと思うんですけどね」
「いい仕事ならいいんですけどね」
「あとおじいちゃんの客から、一千万出すからゲーム屋をやれって話もあったんだけど、さすがに酒井さん捕まっているのに、そんな不義理はできないじゃないですか」
「岩上さんは少し気を使い過ぎなんですよ。一千万ですよ? やっちゃえばいいじゃないですか」
「そういう訳にもいきませんって」
公園を出て、伊達がタクシーを拾って帰ると、俺はそのまま中華料理『寿楽』へ寄る。
今回は麻婆豆腐を注文。

そろそろ本当に、節約しながら次を考えないといけないよな。
まあとりあえず土曜の充の話次第か、すべては……。
二千二十年十一月六日、金曜日大安。
暇な時間をどうやって潰すか。
ネオジオも飽きた。
俺は携帯電話のアプリ『TOON BLAST』のパズルゲームを始める。
ようやく無課金で四千六百五十一面クリア。
現在世界一タイ。

「……」
本当にこんな事やっている場合じゃないだろうが。
まだ金曜日なのか。
明日の充の金儲け話、本当に大丈夫なんだろうな?
先の事を考えると、どうしてもソワソワしてしまう。
人間どんなに不安があっても腹は減ってくる。
喫茶店『ラ・ムー』でハンバーグライスを注文。

寝て起きてゴロゴロして、ゲームをするだけの退屈な時間。
部屋に籠りっきりも良くない。
再び外出するも、俺の行き先など特にないのだ。
結局周辺をフラフラ歩き、本日二度目の喫茶店『ラ・ムー』。

こうしてミックスサンド食べながらコーヒー飲んでいると、二十代前半の金が無かった頃も似たような事をやっていたのを思い出す。
俺が過去一番多く行った店『ジミードーナツ』。
マスターが亡くなって店は無くなってしまって。
もう一度食べたかったなあ、あのミートソース……。
年を取る、時間が経つって、取り返しがきかない貴重な何かを失いつつも踏ん張って生きていく事なんだろうな。
二千二十年十一月七日、土曜日赤口、立冬。
あれからようやく儲け話の時間が来た。
夕方になると鞄に筆記用具を入れて、充マンションへ向かう。
「佐藤さん、ラッキーハウス辞めてから、収入一切無いんですよ。前に言っていた儲け話って何なんですか?」
「分かってないなあ」
「どういう事です?」
「だから土曜日にわざわざ呼んだんじゃん」
「話が見えないんですが」
「高知だよ、高知」
「え、四国で仕事って事ですか?」
「違うって! 土日は高知競馬なんだよ」
「……」
一瞬目の前が真っ暗になった。
この男、地方競馬が儲け話だと本気で言っているのか?
「俺のこれまでのラッキーハウスでの金の遣い方見たろ? 月にだいたいいくらぐらい負けていると思ってんだよ」
「四、五十ぐらいですか?」
「まあもうちょっと負けているんだけどさ、実際。でもさ、何で俺が何年も掛けて、そんな馬鹿げた事できていると思ってんだよ。普通なら破産してるって」
「仕事でそれだけ稼ぎがあるからですよね」
「違うんだって! 高知なんだよ。毎週高知競馬で勝った金があるからこそ、ああやってやれば負けると分かっているゲーム屋へ懲りずに行けてんじゃん。俺のこの会社、結構いいオフィスでしょ? 維持費だって掛かっているの分かるよね? そういった事も諸々含め、地方で勝っているからこそ、できているんだよ」
「……。だって競馬でそこまで確実に勝てるなら、何でラッキーハウスなんかへ行くんです?」
「分かってないなあー、岩ちゃんは…。俺はポーカーが好きなの。いわば中毒者なんだよ。言葉良くないか。趣味みたいなもん。だからこそ高知で稼ぎ、浮いている金を使えるんじゃんかよ」
正直眉唾物だ。
無職の俺が何の知識も無い地方競馬で、どうやって勝つと言うのだ?
「……。佐藤さん…、申し訳ないですけど、俺本当に仕事が今していないんですよ! 競馬なんてやっている場合じゃないんですから!」
「ほら、そうやって最後まで人の話を聞かずに、すぐ決断する。だから岩ちゃんは駄目なんだよ。せっかく来たんだから、見てなって。目の前で勝つところ見せるから。それ見て嫌ならやらなきゃいいじゃん」
本当にそこまで自信満々に言うのなら、当てるところをこの目で見てやろうじゃないか……。
「せっかくだから岩ちゃんは、遊び程度で数千円だけ入れてやってみなよ。別に賭けなくてもいいけどさ。いい? 中央競馬は正直当てるのが本当に難しい。高知は特に簡単だから」
話ながら充は本当に一レース、二レースと当てていく。
「何で当たるんですか?」
「まあ今日は俺のを見ながら、賭けたくなったら賭ければいいじゃん」
「……」
気付けば俺も充の予想に乗り、高知競馬を最後までやりきり、十二レースの記者選抜ファイナルで何とか当てて、ちょっとだけ勝つ。
地方競馬…、特に高知競馬を実際にやってみて感じた事。
いかに中央競馬当てるのが難しいか。
まだ半信半疑ではあるが、金になるのなら……。
「明日も高知あるから、同じ時間においでよ」
競馬で勝って生活の基盤にする?
本当にそれでいいのか?
帰り道もいまいち信じられない気分でラッキーホステルへ帰った。
二千二十年十一月八日、日曜日先勝。
高知競馬四レースまで終了。
三連単を三点買いで、何と二万馬券ゲット!
高知五レース。
単勝、馬単、三連単
すべてゲット!
「佐藤さん、次のレースは?」
「駄目だよ、岩ちゃん。買ってんだから少しは出走表見て、自分で考えなきゃ。見方をちゃんと教えたでしょ? その為に筆記用具用意させたんだからさ」
六レースから自分の予想で、ことごとく外す。
十レース目に来て、ようやく当たり。
残りあと一レース!
高知ファイナルの十二レース。
勝ち分全部賭けてみる。
結果三連複で二百円しか当たらず。
この日は八千円勝ちで終わる。
「岩ちゃんも賭け金渋っていたから、その金額だけどさ、今日の五倍入れた金額で考えてみなよ? 四万だよ? 一日で四万稼げる仕事なんてないだろ? まあまた来週の土曜だね」
勝つには勝った。
しかしどうも腑に落ちない自分がいる。
また平日の間、ただブラブラして過ごせと言うのだろうか?
とりあえず地味に質素に暮らし、来週を待つしかない。
二千二十年十一月九日、月曜日友引。
起きてから寿楽で、焼売定食を注文。

久しぶりに美味しい焼売を食べたような気がする。
本当にそろそろ自分自身で仕事を探さないと、マズいんじゃないのか?
部屋で一人考えていても、何をすればいいのかまわる思い浮かばない。
結局のところ、矜持だ何だと格好つけて仕事を辞めたところで、自分一人になると俺は何もできない駄目男。
一体いつまでのんびりと浮世絵離れした生活を送るつもりなのだ?
携帯電話が鳴る。
ラッキーハウスの香川からの着信。
今さら何の用だと思ったが、プール分の残りの給料を渡したいとの事。
毎月十日前後に給料だった事すら忘れていた。
まだ手持ちの金が尽きた訳ではないが、このタイミングで給料は有難い。
大久保まで香川が届けに来るというので、大久保駅南口の焼き豚『吾作』で待ち合わせをする。
山下から電話が入り、またしても橋本が抜いたとの愚痴。
一体コイツは俺を何だと思っているのだろうか?
「岩上さんが店を辞めちゃったから、あいつやりたい放題すよ!」
「知らねえよ、そんな事。おまえは何もしなかっただけだろうが! くだらない事、俺にいちいち言ってくんじゃねえよ!」
神経がささくれ立っていた。
充の言う儲け話が高知競馬で勝つという先行き何の保証もないもの。
店を辞めても未だしつこく責任追及のように連絡をしてくる山下。
俺を辞めるように仕向け、いなくなれば金を抜きまくる橋本にもイライラしていた。
スナックゆうこで酒を飲み、時間になると吾作へ向かう。
香川と合流して給料を受け取る。
「赤崎さん、今は何か仕事をしているんですか?」
「まだ何もしてませんよ」
「何もしないというのも、生活大丈夫なんですか?」
「……」
自分で人をあのように濡れ衣で追い込んでおきながら、何て言い草だ。
「赤崎さんは、木下のようにすぐ店を辞めた訳でなく、ちゃんとキチンと筋を通して辞めたので、見直してはいるんです」
ひょっとして俺をまた店へ戻そうとでも言いたいのか?
だとすれば、山下が再三言ってきたように、橋本の存在は邪魔でしかない。
俺が勘繰っていただけで、抜いているのは橋本だけなのか?
思考を巡らせながら、セブンスターに火をつける。
俺は綺麗にラッキーハウスを辞めた。
この場で橋本の抜きを香川へ伝えても、いいんじゃないのか?
四年ほどの付き合いを考慮し、結局何も真意を言わずに去った。
辞める際、グレンリベット十八年のボトルを渡してきた橋本。
だが、俺に恨みを拡散する為の用意だとしたら?
「香川さん……」
「何でしょう?」
「俺は一切店の金なんて、抜いていません。本当に抜いているのは、店長の橋本ですよ! 山下もそれは知っています。あいつとのやり取りだって、携帯にショートメールで当時のやり取りもちゃんとあります」
密告するようで自分を少し恥じる。
だが、これはやられたからの意趣返しに過ぎない。
香川は俺の言葉にしばらく下を向いたまま、何か思い詰めているようだった。
「うーん…、抜いていたのは、やはり橋本でしたか……」
ショックと落胆…、二つの感情が表情から伺える。
「嘘を言ったつもりはありません。ただ、同じ店で働く同僚を正直変に庇っていた感情もあります」
「分かりました…、少し考えます……」
今後どうなるのか分からない。
ひょっとしたら、また俺に戻って来てくれと、声が掛かるかもしれない。
その時俺は……。
どちらにせよ、今日の告発で橋本はクビになるだろう。
スナックゆうこへ戻り、グレンリベットを飲む。
何だか今日の酒は酷く不味く感じた。
二千二十年十一月十日、火曜日先負。
起きてからいつもの寿楽へ行き、ランチBを注文。

昨日別れてから香川からの連絡はなかった。
色々思い悩んでいるのだろう。
俺を疑い、店を辞めるまでに至った。
しかしそのあとで信じていたはずの店長が抜きをしていたという事実を知ったのだから。
山下へ連絡をして、香川へ橋本の抜きを伝えたと報告だけしておく。
詳しく状況を聞こうとしてきたが、面倒なのでそれだけ言うと電話を切る。
以前宙ぶらりんなままだが、流れがこれで変わるのだろうか?
運試しだ。
地方競馬をやってみる。
「……」
結果すべて外れ。
競馬のセンスがないのを改めて認識する。
今後一人でやるのは辞めておいたほうが賢明だ。
二千二十年十一月十一日、水曜日仏滅。
未だ香川からの連絡はない。
山下へ店の状況を聞くと、昨日も今日も橋本は普通に出勤してきていると言う。
一体香川の奴、どういうつもりだ?
長年働いた橋本に対し、情でも出たのか?
それはさすがにないだろう。
では何故橋本はこれまで通り普通に出勤している?
最初に立てた仮説。
やはり二人は繋がっているからか?
頭がおかしくなりそうだ。
ベッドへ寝転がりながら、携帯電話でフェイスブックを眺める。
過去の思い出で、元ジミードーナツ跡地にできた『Sicurezza』へ行ったのが、一年前の今日だった。
もう二度と食べる事のできないジミードーナツのミートソース
こんな状況で部屋で籠もっていても、仕方ない。
川越へちょっと顔出してみるかな。
よし、これから準備してちょっとだけ川越へ行こう。
何となく新宿にはいたくない心境だった。
かといって川越へ戻ったところで何の目的もない。
一体俺は何をやっているんだろう。
呆れながらパチンコをやると、こんな事に限ってシンフォギア2の調子がいい。
結果、一回目最終決戦勝つも、単発当たり終了。
二回目も最終決戦勝ち、二回マックス当たり継続で一万四千円になる。
プラス余り玉で、ジョア三つとヤクルト一本。
新宿へ帰りながら、俺はまたあのラッキーハウスへ戻りたいのかどうかすら分からない気持ちだった。
二千二十年十一月十二日、木曜日大安。
香川と会ってから数日。
未だ連絡は無し。
山下からの報告によると、橋本も変わらず出てきていると言う。
あいつら完全にグルかよ……。
俺は敵にあえて情報を漏らしただけという事か。
あまりにも不甲斐ない自身の行動が、嫌になってくる。
何で俺ばかりこんな苦しみ、思い悩まないといけないのだ。
錐からLINEが入る。
今日スナックゆうこへ出勤するから、来てほしいという内容だった。
「俺は無職なんだよ!」
布団へ乱暴に携帯電話を放り投げる。
結局あいつも、ただの営業目的なのか?
精神的な余裕の無さが、怒りを増幅させていた。
俺は無視したまま返事をせず、落ち着かないこの感情を何とかしないとと焦る。
おもむろにアイパッドを取り出し、漫画の続きを描き始めた。
何かに集中したかったのだ。

二頁目をようやく完成。
アイパッドを買ってから、最初だけでほとんど描いていなかった漫画。
ラッキーハウスで描き出した七月二七日以来になる。
この日、ひたすら集中して漫画を九頁まで仕上げた。

小説と違い、漫画は描くのが本当に大変で時間が掛かる。
腹が減ったので、外へ出て喫茶店『ラ・ムー』へ食事に行く。
再び錐から店へ来ないのかの連絡が入るが、俺は無視したままを貫いた。
電話が鳴ったので、しつこいなと苛立った声で出る。
しかし着信の主は錐ではなく、ラッキーハウスの上客ルルだった。
彼女は何故俺が店を辞めたのか理由をとにかく聞いてくる。
たまには彼女の顔でも見に行こうかな……。
俺は夜になると、区役所通りにあるルルの店へ顔を出す。
辞めるまでの事情を正直に説明すると、彼女は「今度あのお店行って、岩上さんいないのか聞く。それで辞めたと言ったら、じゃあ今日は帰るわってやるんだ」と息巻いている。
こんな俺に気遣ってくれるルル。
俺は彼女の店が終わると二人で叙楽苑へ行き、路地裏で彼女の唇を奪った。
二千二十年十一月十三日、金曜日赤口。
当たり前のように香川からの連絡は今日も無い。
山下からは密告のような形で毎日連絡がある。
何で辞めた俺が、ここまで一人苦しまないとならないんだ?
「あ、岩上さん、猪狩さんでしたっけ? 今日釈放されたらしいっすよ」
「え、猪狩が? 酒井さんは?」
「金太郎さんの話だと、猪狩さんだけみたいすね」
酒井さんグループの初期に揉めた猪狩。
因縁とまではいかないものの、あいつとは奇妙な繋がりを感じていた。
「岩上さん、昨日も橋本の奴……」
「だからもういいって! 辞めた俺に何の関係があるんだよ!」
「でも橋本、この間なんてノブとキャバクラで一晩四十万使ったとか自慢してましたよ?」
「……」
電話を黙ったまま切る。
もう何もかもうんざりだ……。
辞めてまで何故俺を頼る?
橋本が抜きをしようが、キャバクラで豪遊しようが、俺にはまったく…、いや、本当ムカつくわ……。
片や月に五十万ぐらいあった収入は無くなり、路頭へ迷う。
画策した側は、一晩で四十万?
香川が橋本を罰しないのなら、そうせざるように仕向けてやる。
自分ばかり何でこんな目に遭わなきゃならない?
「あっ! ひょっとして……」
酒井さんが捕まったあの時…、あの時から香川と橋本は抜きの連携を立てていたと考えれば、色々な辻褄が合う。
緊急会議という事で、店長の橋本、そして責任者の俺が喫茶店『クール』へ集合。
オーナーである酒井さんを始め、すべての番頭が捕まるという異常事態。
今頃みんな、二日間の刑事拘留により調書を取っているのだろう。
「赤崎さん、ちょっと携帯電話出して下さい」
香川の指示で酒井さんと根間の電話番号を出すよう言われ、何かあると困るからその場で削除をするよう命じられる。
コイツ、本当に馬鹿な奴だな……。
逮捕状の関連でこっちまで警察の手が伸びる事は、もう無いのが分からないのだろうか?
仕方ない。
香川にしても、橋本にしても、これまで警察組織に捕まった事がないので、状況がどうなるのか把握できず、手探り状態なのだろう。
いちいち説明するのも面倒だったので電話番号を削除した。
猪狩や吉田の番号は残っている。
彼らも捕まったようだが、後々連絡を取ろうと思えば取れる。
「……」
あの時不必要に俺の携帯電話から、酒井さんと根間の電話番号を消すよう指示してきた香川。
欠けていたワンピースがピタッと嵌ったような感覚。
こっちは仕事を辞め、自分らはやり易いようにぬくぬく?
ふざけんなよ……。
香川より間違いなく上の立場の猪狩。
過去揉めたが、俺のスキルや能力は嫌というほどあいつは知っている。
出てきてお疲れさんと電話するぐらいまったく不自然ではない。
もちろん俺からは抜きの話を持ち出さない。
猪狩から何故かと聞き出すような会話に持っていけばいい。
思わず笑みがこぼれる。
まるでメガンテだ。
『ドラゴンクエスト』シリーズに登場する魔法の一つ。
ゲーム内では専ら戦いのために使われ、使用者の命と引き換えに、敵全体へ大ダメージもしくは砕け散る効果を与えるという自爆技。
本当は自らの持つ生命エネルギーを全て爆発させる呪文であり、所謂自爆ではないらしいが。
生命エネルギーで放たれる事からか、MPの消費は大抵の作品で一ポイントのみ。
正に今の俺が発動するには、ピッタリな禁忌の呪文だ。
俺は久しぶりに猪狩へ電話を掛ける。
「岩上さん、お久しぶりです。どうしたんですか?」
「いや、猪狩さん釈放されたって聞いて、とりあえずお疲れさんぐらい伝えたかったなあと」
「ありがとうございます……」
「猪狩さん、大変だったでしょ? 本当お疲れ様でした。留置所って捕まった人間じゃないと、本当の大変さ分からないですからね」
「落ち着いたら、その内ラッキーハウスにも顔を出しますよ」
「あ、それがですね…。俺、実はあの店辞めたんですよ。そういった意味合いもあって、今日電話したんです」
名目上は仕事を辞めたので、その挨拶というもの。
俺が辞めるという意味。
おそらく猪狩なら、何かあったのか聞いてくるはずだ。
「え、岩上さんが辞めるって…、何かあったんですか?」
うん、俺って冴えているね。
そう言われるのを待ってから、ハッキリ伝えた。
「あの店の店長が店の金を抜いているんですよ。それで俺が邪魔になり番頭へある事ない事言われ、逆にこっちがその疑惑を掛けられ、うんざりして辞めた感じになりますね。俺より立場が上の番頭と店長。その二人に組まれちゃ、何もやりようなないですよ。酒井さん捕まっている間だけでも、店を護りたかったですけど」
「え、どういう事です?」
ほらほら、食いついてきた。
「数日前、番頭には店長が金を抜いていると伝えたのに、確証がと何一つ動いていません。結果は俺があの店からいなくなっただけです。俺の推測ですが、店長と番頭は繋がっててグルで金を抜いているかもしれないですね」
「なるほど……。それは問題ですね……」
「まあ猪狩さんは、ずっと酒井さんのところにいた訳じゃないですか。出たばかりでお疲れのところ申し訳なかったですが、とりあえず俺と猪狩さんの仲だから、辞めたけど伝えといた方がいいかなと」
「分かりました。岩上さん、ありがとうございます」
電話を切ると、山下と吉岡へLINEを打つ。
『岩上智一郎はメガンテを唱えた』
しばらくしてどういう意味か返事が来たが、俺は無視したまま漫画の十一頁まで黙々と始めた。

二人の表情を想像しつつ、一人部屋で吹き出しながら絵を描く。
夜になり、寿楽で焼売定食を頼みつつ、酒を飲む。

さて…、メガンテの効果はどうだろう?
数日後、山下から勝手に連絡が来るだろうな。
今日は酒は格別に旨く感じた。
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