闇 494(まんが道編)
闇 494(まんが道編)

2026/02/24 tue
前回の章

二千二十年六月一日、月曜先勝。
休み明けラッキーハウスでの仕事が始まるも、いまいち気が乗らない。
意味不明な休みを取らされ出勤しても、内藤ノブの口からは何故だったかの真相を聞く事はなかった。
表向き俺には普通に接してくるノブ。
だが、香川なり橋本なりとの何かしらの密談か企みがあるような気がする。
でなければ再開して一週間で強引に責任者の俺を休ませるはずがない。
今週は安田記念。
今回はインディチャンプか、アーモンドアイでおそらく決まるであろう。
フェイスブックの四年前の思い出で、当時を思い出す。
横浜の石川雅之から紹介してもらった店。
是非このレースを取り、また行きたい川崎の美星屋。
俺が一番好きな焼肉屋さんである。
駄目だ。
競馬の事を考えようとしても、休みを強引に取らされた謎の解明が無い状態では現実逃避をしているだけ。
しっかりしろって。
ラッキーハウスを護るんだろうが。
無理に自身を鼓舞する。
気になっていた点。
それは台の設定をするから俺に休んでいいと言った香川。
一日〆あとの一時間、台を調整する時間を設けているはず。
とってつけたような言い訳で、無理くり休む方向へ持って行ったのが薄気味悪かったのだ。
もしこれが内藤へ先に休むかの確認をしていたら、ここまで疑念を持つ事もない。
それを責任者の俺に対し、そう仕向けた香川の意図が分からない。
今日朝の時点で、ノブがさり気なく「昨日はこうでしたよ」と軽いノリで話し掛けてきたならまだ安心したが。
何があったのかを俺から聞くのもおかしいので内藤の口から聞くのを待ったが、仕事終わりまでその事について触れられる事はなかった。
まあ別段そこまで気にする事もないか。
俺は正々堂々と普通に出勤して仕事をしているだけなのだから。
ただ一度気になった猜疑心は、仕事を終え家に帰っても拭う事はできなかった。
二千二十年六月三日、水曜先負。
何となく信用を置けないノブ。
吉岡は通常通りだが、所詮は週三回だけの男。
表面的には普通に仕事をしていたが、少し周りの出方を警戒するようになった。
何だかムシャクシャするなあ……。
仕事帰り、軽く一人で酒を飲む。
二十二時四十五分閉店なのを分かっていながら、残り時間十五分前にやってしまったシンフォギア2。
二千円で当たるも単発止まり。
まあ仮に連チャンしたところで時間切れなので仕方ないか。
時間ないのでセブンスターボックス三つと交換し、四百七十円負けで新宿をあとにした。
自分の気のせいならいいが、ラッキーハウスの中で妙な流れというか空気を本能的に感じている俺。
それでも黙って業務を遂行していくしか道はないが。
二千二十年六月四日、木曜仏滅。
深谷さんが帰るとノーゲストのラッキーハウス。
吉岡がまたフォトショップを教えてほしいと請うてきた。
店の印刷物はほとんど終わっているしなあ……。
「じゃあ、吉岡さん。俺がこれから無地の状態からの絵を描くので、とりあえず見ておいて下さい。結局のところ、ある程度操作法を覚えたら、あとは応用しかないんです」
「はあ……」
「この間は星座と宇宙を描いたじゃないですか。その続きからです」
五月二十八日に描き始めた牡牛座の絵を開く。
これは以前吉岡にフォトショップを教える際、ゼロの状態から始め、色を塗るにはこのツール、宇宙っぽく見せる為には色合いを変え、白色に設定し細かい点を散りばめていく。
彼にはこのような事もできるんだぞと、見せる為に描き始めたもの。
まだ現段階では宇宙と星座だけ。

「え、自分こんな赤崎さんみたいに器用に描けないですって!」
「いやいや、吉岡さん。同じように描けと言ってんじゃなく、フォトショップはこういう事もできますよと言いたいのと、店のものを作るのも理屈は同じですよって事です」
太陽から水金地火木土とオリジナルの星を描き、牡牛座を中央右上に添える。
順番や遠近法など無視して自由に並べてみた。
一つ一つ星を描いていたら、結構時間が掛かってしまう。
おそらく彼に教えるというよりは、自分がこの絵を完成させたかったのだろうな。
「赤崎さん、凄い器用なんですねー」
内藤ノブはマイペースに客席に腰掛けたまま、携帯電話を弄っている。
何を考えているのかいまいち性格が掴めない。
ひょっとしたら香川や橋本へ、逐一俺の様子を送っているのでは?
いやいや、さすがに考え過ぎだって……。
俺、本当にこの店で何か悪い事やミスをしていないよな?
あれ以来、ふとした拍子に出てくる猜疑心。
気難しく考え過ぎだろうか?
大山も今度俺の紹介で入れる話になっているし、ノブの知り合いも近々入る予定だと言う。
セブンスターに火をつけようとすると、店のインターホンが鳴る。
常連の清原来店。
大久保冬芽も続く。
まあ暇だから余計な事を勘繰ってしまうだけだ。
俺はINキーを持つと、ホールへ出た。
二千二十年六月五日、金曜大安、芒種。
徐々にではあるが、顧客に再開が浸透してきたのかノーゲストの時間が減ってくる。
昼の十二時を回ると、残っていた大久保冬芽に声を掛けた。
「ふざけんなよ! いくら使ったと思ってんだよ!」
普段負けても文句を言わないイメージがあったので、この対応には少し驚く。
ただこれから〆をするようだし、一時になれば香川が売上を取りに来るのだ。
それまでには客を全員出さなくてはならない。
「大久保さん…、お気持ちはご理解できますが、これからお店の〆がありましてご了承願えませんか」
「そんなのそっちの都合だろ? 俺には関係ねえよ」
この男、こんな一面を持っていたのかよ。
面倒臭い奴だな……。
一旦距離を置き、また十分ほど経ってから声を掛けよう。
タバコを吸いながら大久保の後ろ姿を恨めしく見た。
セブンスターを揉み消し、立ち上がるとノブが声を掛けてくる。
「赤崎さん。大久保さんの扱い、自分のほうが早番長いんで行ってきますよ」
「あ、そう…。じゃあお願いします」
珍しい彼の自己主張。
まあ彼に対応は任せ、俺は〆の準備でも始めるか。
伝票をまとめて整理をしていると、ノブが店の回銭から十万円を取り出し数えている。
「え、ノブさん。何をしてるの?」
「木下さんの時からなんですけど、ある程度負けてゴネたら個人ビンゴを完成した体にして、いつも渡しているんですよ」
「はあ? 何それ? 駄目でしょ?」
「これは香川さんも了承済みの事なんですよ。もう結構前からそんな感じですよ」
「……」
客が負けてゴネたら金を戻す?
そんなのこれまでのゲーム屋はおろか、同業種のインカジでも裏スロでもあり得ない事だ。
だが俺より上の香川の名前を出されると、さすがにそれ以上止めようがなかった。
大久保へ薄ら笑いを浮かべながらペコペコして金を渡すノブ。
そんな対応なら、誰でもできるだろ……。
通常金を客に戻す時は、必ず出入禁止にしなければならない。
これは業界の常識である。
パチンコや競馬で、いくら負けたからと文句を言って金が戻る事などない。
裏稼業という負い目がある為、ゲーム屋やインカジでは戻すケースもあるが、その場合必ず念書を一筆書いてもらい、出禁が当たり前。
あのオカマの木下の野郎…、当時の遅番に内緒で、こんな対応してやがったのかよ。
金を受け取ると大久保は立ち上がり、さっさとラッキーハウスを出ていく。
これはノブでなく直接香川へ話をした方が良さそうだ。
〆を終え、香川が到着すると、俺は先ほどの一件を報告する。
すると「そういうのはいいから早く食事休憩行って下さい」と怪訝そうな表情で言われただけだった。
まるで開けてはならないパンドラの箱を開けようとした俺を追い払うかのように。
俺の申告を煙たがる番頭。
この店に覚えた違和感…、これは間違いなく杞憂ではなかったのだ。
今捕まっているオーナーの酒井さんがこの現状を見たら、烈火の如く怒るであろう。
しかし今の司令塔は香川。
責任者という立ち位置の俺では話にならない。
仕方なくラッキーハウスを出て食事へ向かう。
近所の小次郎へ入り、日替わり定食を注文。
まったく何が地球を護る者だよ……。
護るはずの従業員の手綱すら引けていないじゃないか。
自身の力不足と自己嫌悪。
本当にあんな丸メガネに店を任せていて大丈夫なのか?
携帯電話にメッセージが届く。
小学時代の同級生、荻野力からだった。
『岩上先生の事だから大丈夫だと思うけど、歌舞伎町も東京アラートだよね。コロナ気を付けてねー。 荻野力』
思わず顔が綻ぶ。
俺はすぐ返信をした。
『うちは常連だけで、ホスト、キャバ嬢いないので安心ではあります。 岩上智一郎』

何だか少しだけ救われた感覚がした。
店に戻るといつも通りノブには接する事にした。
変に会話をして香川にある事ない事言われるのが面倒だったからだ。
ノブの大久保へした行動。
あれは責任者の俺に、まず始めに伝えておく案件である。
俺はノブの人間性を信じていない。
少し言い過ぎか。
信用できないというレッテルを貼っている。
仕事を終えるとエスパスへ寄り、シンフォギアを始めた。
ラッキーハウスでの一連の事など、プライベートまで持ち込みたくない。
頭を空っぽにしたい気分だったのだ。
『パンパカパーン! シーンフォギアーッ!』
五千五百円で当たりを引く。
今回の続編は本当に演出が派手だな……。
あれよあれよと連荘し、嫌な事を忘れパチンコへ熱中した。
「お客様、大変申し訳ありませんが、そろそろ閉店のお時間になりまして……」
本来なら夜の十一時までなのが、条例なのか一時間早い十時閉店。
こっちはずっと出っ放しなんだよー!
「だって継続中だよ? Vストックもあるんだよ?」
「お気持ちは分かりますが……」
「継続切れるまでいいでしょ?」
「いえ、この当たりが終わったら終了でお願いします」
決まりとはいえ、ケチンボだな……。

こんなに出た事、この台だと初めてなのによー……。
俺は次も当たりが確定しているのを知っていたので、立ち上がり荷物を整理するふりをしながらハンドルを回す。

「お客様! 終了して下さい!」
「わ、分かったよー」
約八千発の出玉で強制終了させられる。
換金すると二万九千円。
都内のパチンコ条例で換金率下げなければ、単純に八千発掛ける四円で、三万二千円になってんだよなあ。
どこのどいつがこんなくだらない条例を決めたのか知らないけど、本当に無意味で客しかマイナスにならない事を思いつくものだ。
帰りの電車の中、ギューギューに揺られながら携帯電話を操作して、安田記念の予想をフェイスブックへアップした。
安田記念は……
二着固定
2番ダノンキングリー。
6番インディチャンプ。
三着固定
1番ダノンプレミアム。
2番ダノンキングリー。
3番ノームコア。
5番アーモンドアイ。
7番ペルシアンナイト。
コロナ(5-6-7)馬券、本当にあるかもね。
まあ、この予想でも少し買い過ぎなぐらいだ。
それにしてもこの人混みの中は怖い。
誰か一人でもコロナ感染者いたら、みんな移ってもおかしくないのだ。
西武新宿線の端から端までだもんな……。
ま、なるようにしかならないか。
二千二十年六月六日、土曜日赤口。
あれだけ張り切って早番の責任者として臨んでいた俺は、気付けば無気力になりつつなる。
提示通り仕事に行き、時間になれば帰るだけ。
日曜日は吉岡が出勤するので、俺は休みを取る事にした。
帰り道にパチンコへ寄るルーティン。
昨日あんな中途半端に辞めさせられたのに、まるで懲りていない。
お、シンフォギアー!
聖詠レボリューションチャンス到来。
当たったけど単発だった。
さてあと制限時間四十分。
俺は椅子を軽く蹴飛ばし、西武新宿駅へ向かった。
さあ休みだ。
二千二十年六月七日、日曜日先勝。
何かね、競馬は外れっぱなしだし、パチンコは酷いし……。
二万使って百五十回転しかしないって詐欺でしょ。
だからね、もうギャンブルは卒業しようかと。
でもね、小説書いて本にしても金にならないの分かったし、アイパッド買って漫画でも描こうかなとさ。
安田記念を二着三着四着で敗れた俺は、カガヤカフェで酒を飲みながら後輩のヤスに管を撒く。
「え、智さん、漫画描けるんですか?」
「ちゃんとやった事はないよ。でもさ、アイパッドってやつなら、ペンで画面に絵が描けるんでしょ? それなら何とかなると思う。ほら、絵なら想像画だけど、過去に何枚も描いているんだよ。たまにだけどね」
俺は過去に描いた絵をヤスに見せる。
「おお、智さんほんと多才ですよね」
「ふん、すべて一円にもならないスキルばかりだけどね」
「でも競馬だって有馬記念取ったり、小説は本出すし、色々凄いじゃないですか」
「有馬なんて去年の話じゃねえかよ。まあいいや、チェックして。始さんところ行って、アイパッドの事聞いてくるよ」
せっかくの休みを嫌な風に終わりにさせたくない。
パスカルだったっけ?
人間は考える葦であるのだ。
せめて新たな挑戦をしようではないか。
カガヤカフェを出ると、そのまま中央通りへ入り伊勢屋へ向かう。
途中にあるピザ屋のロッコの前を通りながら、早番になってからここも全然顔出せなくなったなあと申し訳ない気持ちになる。
「こんにちはー」
「あ、智一郎君。お団子食べる?」
「もう、弘惠さん! 俺の顔見ると団子食わそうとするのやめて下さいよ。今日は始さんに用があってきたんですよ」
「奥にいるよ」
「ちょっと行ってきますね」
俺は作業中の始さんにアイパッドの相談をしてみた。
目的は漫画を描く事を伝え、どういうものを買えばいいか。
「だとしたら、まあそこまで性能のいいやつは別にいらないんじゃないか? まあタッチペンは必要だけどな」
「そのタッチペンっていくらぐらいするんです?」
「一万ぐらいだな」
「じゃあ始さん、六万円置いていくから、アイパッド一式買ってもらってもいいですか?」
「そこまで掛からないよ」
「割れないように画面に貼るシールとか、カバーもお願いしますよ。あとは始さんの手間賃で、釣りは取っといて下さい」
「悪いな、じゃあ届いたら連絡するわ」
「今、早番になってしまったんで、休みの時にそしたらまた顔出しますね」
絵、ピアノ、小説…、そして今度は漫画か……。
やればできるさ。
これからの挑戦に対し、ワクワクしているのを自覚した。
二千二十年六月十三日、土曜日先勝。
いつも通り新宿へ行きだして一週間。
始さんからアイパッド一式が届いたと連絡が入る。
俺は明日の日曜日、休みを取る事にした。
そして今日は三沢光晴さんの命日。
三沢さんが亡くなって十一年経ち、鶴田師匠の命日からちょうど一ヶ月経った訳だ。
気付けば俺のほうが年上になっていた。
四十六歳だったんだよな……。

今年で四十九歳になる俺。
一体何をしているのだろうか?
全然パッせず、何の努力もせず。
ただ無駄に長生きしているだけ。
不徳の日々を過ごす俺が何を言っても説得力ないけど、これからはもうちょっと頑張ってみよう。
二千二十年六月十四日、日曜日友引。
朝起きると始さんの伊勢屋が開くのが待ち遠しくて堪らない。
ソワソワしながら部屋で待機し、十時になると家を飛び出した。
「おう、智一郎。ほら、アイパッド」
「始さん、ありがとうございます!」

これでとうとう漫画へ挑戦ができる。
最初の設定方法を教わると、あとは自分で触れながら覚えるしかないので家へ持ち帰った。
三沢さんの命日の翌日に挑戦か……。
俺はフェイスブックにこの心境を投稿する。
手に入りました、アイパッド!
地元の先輩の始さんにお願いして購入しといてもらいました。
セッティング等色々と始さんに教えてもらってようやくスタートライン。
色々とありがとうございました。
よーし、一からだけど頑張ろう。
まだまだ遅くないですよね、三沢さん。
この日俺は寝る時間も惜しんで、アイパッドを触りまくった。
二千二十年六月十五日、月曜日先負。
この日からラッキーハウスへ出勤する時も、肌身放さずアイパッドを持ち歩く。
「赤崎さん、アイパッド買ったんですね」
「ノブさん、俺はこれで漫画に挑戦するんですよ」
「漫画? それはそれは」
客のいない時間帯はとにかくアイパッドを弄ってみる。
まだ扱いが全然慣れていない為、早くこのシステムを理解する必要があった。
話好きの深谷さんが来店。
会話に付き合いつつ、正直ゲームをもうやらないなら帰って欲しいなと思う。
いやいや、遊びに来ているんじゃないんだし、深谷さんのようないい人に対し、そんな事を思っちゃ駄目だろうが。
休みの日は何をしているのか?
仕事以外の時間はどう過ごしているのか?
とにかく質問責め。
時間を作り、今度食事でゆっくり話したいようだった。
仕事時間で十二時間。
三十分早めに出勤するよう心掛けているので、往復の通勤で三時間程度。
つまり俺には睡眠時間込みで、プライベートが九時間しかない。
従ってアイパッドを手に入れた今、深谷さんには申し訳ないがそういった時間を作る事はできなかった。
もう七十歳を過ぎ、会社も子供に任せ隠居した身なので、いつも寂しいのだろう。
だがこればかりは仕方のない事だ。
できればもう一度俺は脚光だって浴びたいし、小説も書かなくなってしまった今、漫画へ懸ける想いが強い。
深谷さんが帰り、ゼロになると早速アイパッドを開く。
すると店の電話に着信が鳴った。
「あ、岩ちゃん。石原だけど」
面倒臭い佐藤充からの電話。
ラッキーハウス面倒臭い客五本の指に入るだろう。
何故かこの偽名を使っているくせに、自分で名を言う時は本名を言う不思議な男だ。
「今日店、どんな感じ?」
「比較的暇なんで、どの台も回っていないですよ」
「ラッキーハウス行くならさー、夜の橋本の時間帯はあまり行きたくないんだよね」
「え、何かあったんですか?」
「あいつ、長く居ただけでたまたま店長になったくせに、接客態度悪いじゃん。調子乗ってんの分かんだよ! どうせ行くなら岩ちゃんのいる時間帯のほうが、いいかなってね」
「それはそれは…、失礼な真似を…。ちゃんと上申しておきますので」
「それよりさ、また先週の高知競馬勝っちゃってさー」
「あ、佐藤さん。その事より連絡してきた用件は何でしょうか?」
この男の競馬話になると、キリがないのは分かっているので話の腰を折る。
「まあ競馬で勝った金あるから、ラッキーハウス行こうと思ってんだけど、わざわざ負けに行くのは嫌なんだよ」
「確かにそれはそうですよね。誰だって負けるつもりでギャンブルやる人はいないですから」
「それでさー、昨日とか今日って、回っている台はあるの? 忙しかった? その辺聞きたくてさ」
香川が店長をやっていた頃から、客に台のメーターを見せたり、INとOUTを教えたりの悪習。
こんな事を当たり前にやっているから、客が勘違いしたまま増長していく。
本来のゲーム屋ではあり得ない事だった。
「まだうちも再オープンしたばかりで、暇なんですよ。なので必然的に台は回っていないですよ。今日は様子見でもいいんじゃないですか」
「うーん…、回ってないのかー。分かったよ。じゃあ行かない方がいいって事ね」
「いえいえ、行く行かないはお客様各自の判断ですが、佐藤さんの質問に対しての現状を答えたままですよ」
「うーん、そうかあー…。分かったよ。ありがとね、岩ちゃん」
喋り出したら止まらない充の電話をようやく切る。
客がいる時ならいいが、こんな状況で来られたらウザいだけ。
ましてや自分で好きにポーカーをしながら、負けると彼は従業員へ八つ当たりしてくるからとんでもない奴なのだ。
「今の充さんですよね?」
「はい、店に来そうな雰囲気だから、遠回しに来ないよう仕向けましたよ」
「充さん来ると、競馬競馬止まらないですからね。それは良かったです」
南とは種類の違うカマッテチャン佐藤充。
ノブも内心、彼に対しうんざりしているようだ。
また俺は暇な時間を利用し、アイパッドの操作を始める。
必要以上にノブと話し、変に香川に情報を流されるのも困るので、何かに集中していたほうがいい。
スマホとちょっとした操作基準が違うところがあるアイパッド。
それでも慣れないと漫画どころじゃない。
四苦八苦しながらも、様々な事を試してみる。
店のインターホンが鳴った。
モニターを見ると、充の姿が映っている。
え、何で来たんだ?
仕方なくドアを開けた。
「佐藤さん、暇だと言ったじゃないですか」
「岩ちゃんの電話での言い方が、来るなという方向だったから逆張りして来たんだよ」
「……」
だったら店に電話してくんじゃねえよ、このひねたチビ。
充一人だけなので、三十分ずつノブと休憩を回しながら交代をする。
ゲームをしながらひたすら高知競馬の自慢話を延々とする充。
仕事なのでげんなりしつつも、会話に付き合う。
「赤崎さん、休憩して下さい」
ノブがホールに出てくる。
俺は奥でアイパッドを始めた。
「何よ、岩ちゃん。アイパッド買ったの?」
振り向くと充はポーカーを中断し、休憩している俺のところまで来ていた。
頼むからゲームに集中しててくれよ……。
アイパッドについてベラベラ話し出す充は止まらない。
「ちょっとさ、岩ちゃん貸してみ。ここ、このページをブックマークしといて。ここ俺が作っているアカウントだからさ」
彼は『 iPadOS 完全攻略マニュアル★ 便利すぎる新機能まとめ!』というユーチューブのチャンネルを勝手に登録してくる。
「いや、佐藤さん…、一応今まだいじっている段階なだけなので」
「だから岩ちゃんは駄目なんだよ。せっかく俺がこういうの作ってんだから、参考にしてまず見てみなって」
強制的にユーチューブを見せられ、横には充が監視につく。
本当にコイツ、ウザいなあ……。
休憩時間を終えホールに出ると、また自分の席に戻り競馬の話を始める。
頼むから俺に粘着しないでくれよ。
忙しい訳じゃないのに充一人で疲労困憊だ。
ようやく他の客が来店し、充地獄から解放される。
だが十五万円負けになった彼は、台の設定がキツ過ぎだろと今度は大声で文句を言ってくる始末。
自分の好きで勝手に金を入れたんだろと言いたいが、それを言えないのがゲーム屋の辛いところ。
おそらくこの男は、親しい友達が誰もいないのだろう。
少なくとも俺はプライベートで絶対に関わり合いたくない。
遅番が出勤する時間になり、やっと解放される。
西武新宿駅へ着くと、特急小江戸号の席はソールドアウト。
仕方なく準急の電車に乗り、高田馬場を過ぎた辺りで自然に寝てしまう。
ふと目を覚ます。
見慣れない景色。
今どの辺だ?
駅の看板を確認すると『玉川上水』と書いてある。

え、どこよ、それ?
慌てて電車から降りた。

どうやら間違えて西武拝島線の準急へ乗ってしまったようだ。
時計を確認する。
十時過ぎ。
ここから小平駅まで戻って、そこから本川越駅?
参ったなあ……。
こんなところ初めて来たぞ。
仕事が始まった週の初日からこれかよ。
明らかに自身の判断ミスなので、誰にも当たれない。
今度は眠らないようにしながら、俺は川越まで大人しく帰る事にした。
二千二十年六月十六日、火曜日仏滅。
アイパッドをやり始めて三日目。
そろそろ何か絵でも描いてみるか。
暇な時間帯を利用し、俺はタッチペンを使ってみる事にした。
さて、まず何から始めるか。
漫画を描くにしても、俺って昔から女性キャラ苦手なんだよな。
子供の頃何度か描いた事はあったが、すべてオカマみたいな気持ち悪い女性になってしまう。
過去に漫画を描こうと思ったのは、二千七年の岩上整体の頃。
新宿クレッシェンドの受賞が決定し、この漫画も描いたら反響凄いのではと、悪ノリしてやったものだった。
あの時いきなり始めたが、本当に大変だった。
まず通常の紙に絵を描き、それをスキャナーで読み込む。
フォトショップで背景などの加工をして、各コマ割りにはめ込んでいく。

あの時は女性キャラの泉は、後ろ姿だけしか描かなかった。
背景もその辺のインターネットにある風景を適当に使っただけ。

結果数ページ描いた俺は、漫画を挫折した過去。
果たしてタッチペンを使うからといって、ちゃんとしたものができるのか?
いやいや、やる前から弱気になるなよ。
まずは苦手な女性からいこう。
ちかからのLINEが届く。
『昨日は岩上さん、大変やったんやね。今日も仕事でしょ? 睡眠はちゃんと取れたの? ちか』
正に掃き溜めに鶴。
まあ実際この場所に彼女が現れた訳ではないが、このハイテク化した時代ならそう表現も変わらないだろう。
ちかからのLINE一つで癒される俺。
返信をしてから、彼女をモデルに女性を描いてみようかなと閃く。
彼女なら誰が見てもいい女だと思うだろう。

早速タッチペンを使い描いてみる。

「……」
何か微妙だな……。
やっぱ俺、こっち方面の才能は無いのか?
いや、ここから影とか色々足していけば何とか見られるようになるだろう。
キャラクター一人描くだけで、ここまで疲労を覚えるのだ。
漫画描くより、小説書いたほうが全然楽じゃん。
いやいや、じゃあ何の為にアイパッド一式を買ったんだよ?
すぐ挫けるなよ。
そうか、いきなり張り切り過ぎたんだ。
今日はとりあえずここまで。
俺は気持ちを切り替え、ゲーム屋モードへ切り替える。
早く客来ないかな……。
二千二十年六月十九日、金曜日先勝。
いまいちアイパッドの進み具合が悪い。
今ではインターネットを見るにしても、スマホを使う始末だ。
漫画も、気乗りしない状態でやってもしょうがない。
別に俺は漫画家でも何でもないのだから。
本当に中途半端だよな、俺って……。
フェイスブックで二年前と六年前の今日が出てくる。
両方とも横浜関連の投稿だった。
二年前はこの日、黄金町駅の焼肉いくどんへ一人で食べに行った投稿。
マスター亡くなったので、もう二度と行けない黄金町駅前のいくどん。
本当にここのシロコロは旨かった。
そして六年前のほうは、俺がよく行く店をまとめた投稿だった。

当時横浜に住んでいた頃のお薦めのお店一覧という画像まで作って載せているよ、俺。
トゥルービルやインターコンチのカリュウが入っていないという事は、まだ高橋満治と知り合って間もない頃ぐらいか。
ゲンのアンチポップや、水木のぽあろまで載せているもんな。
あんな屑野郎だと知っていたら、この一覧には絶対に載せていないはずなのに。
全部まだ健在なのかな?
横浜の平田が、この中で弱肉強食はもう閉店したとコメントしていた。
二千二十年六月二十二日、月曜日赤口。
昨日の休みと今日の暇な状況を使い、ようやく描けた男の子の絵。
何度も描き直し、怯える子供を描いてみたけど、まるで可愛くない。

試しにフェイスブックへ載せてみると、吉岡さんが『甥っ子に似てる』とコメント。
甥っ子って然の事か?
正式にはもう甥っ子ではないんだけどな。
弟だった貴彦は叔母のピーちゃんと内緒で養子縁組をした。
だからもう弟の子供ではないのだから。
そういえば然と同じ敷地内に住んでいながら、ほとんど会っていないな。
以前は見掛ける度に、小遣いぐらいはあげていたけど。
まあちかモデルの絵もあるし、男の子の絵もある。
コマ割りをして、漫画にそろそろしてみるか。
そう思った時、ラッキーハウスは皮肉にも急に客が来店してきた。
二千二十年六月二十三日、火曜日先勝。
新宿へ向かいながら、頭の中は漫画を描く構造で一杯になっていた。
女性キャラや子供は書けた。
では内容をどうするか?
簡単だ。
俺が数ある小説を書いた中で、世に認められたのは何だ?
相当数執筆した作品の数々。
途中とん挫のものもあれば、完結した作品など山ほどある。
だが、文学賞を取り本になったものは何か?
処女作の『新宿クレッシェンド』だけなのだ。
あれは歌舞伎町を舞台にしたから評価を受けたのではない。
何故ならそのあと執筆したクレッシェンドの続編を世間では見向きをされなかったから。
自分で内容は面白いと思いながら書いたつもり。
新宿クレッシェンド程度で賞を取れるなら、俺をそのままモチーフにした実話を書いた作品『新宿プレリュード』のほうがより過激で面白いはず。
だが現実的に見れば、世の中の評価は違った。
自分がいいと思ったところで、他がそれを認めない限り、それはただの自己満足に過ぎない。
ならばどうすべきか?
簡単だ。
小説と違い、漫画なら自由な表現をできる点。
新宿クレッシェンドの主人公赤崎隼人へ、俺が幼少期受けた虐待をプレゼントしたように、これから描く漫画にもプレゼントすればいいだけ。
もちろんそれだけじゃない。
ちょっとした閃きがあった。
ギャグでも理不尽でも、ホラーでもジャンル無視で描いたっていいのだ。
読んでいて面白い。
これが漫画をすべて。
絵を見たら、気付いたらページをめくり読んでしまった。
じゃあ続きは?
これこそ漫画としての醍醐味だろう。
それにはまずどんどん先へ進めなきゃならない。
口先で構想だけああでもない、こうでもないと考えたところで何一つ話にならないのだ。
ラッキーハウスへ出勤すると、客はゼロ。
うん、理想の環境だ。
俺は店の準備をさっさと終わらせ、アイパッドを開く。
やっとこさ一頁だけ描けた。

まだたったこれだけ。
なのにこの疲労感は何だ?
顔だけ描けばいいというもんじゃない。
洋服も台詞のコマも、そして今回は電話機まで……。
漫画って本当に面倒臭い。
小説ならどうか?
簡単だ。
描写を書けばいいだけなんだから。
電話の受話器を母親は取り、息子へ渡すだけで意味が通じちゃうんだもんな。
小説ってある意味ズルいよ。
実際にまだ一枚だけだけど、こうしてやってみたから俺は堂々と言える。
小説家よりも漫画家のほうが大変で偉い。
戦後間もない頃って、確か文壇は漫画を小馬鹿にしていたんだっけ?
それってその時代の権威にたまたま立っていた連中が、新規参入のものに対し胡坐を掻いていただけだろ?
だから時代は進化し、娯楽が溢れ出した現在、小説と漫画の立場が逆転したんだ。
一応俺は本を出しているから小説家側だよね。
でもこうして漫画も描き出した以上、漫画家?
いやいや、それはおこがましいだろ……。
小説でいえば、一小節書いた程度で、俺は作家だぜと言うようなもんだ。
じゃあ今の俺って何?
小説はもう数年書いていない。
漫画は一頁だけ。
間を取って、小画家?
絶対そんな呼ばれ方は嫌だ!
続きを書かないと……。
こんな時に限って店のインターホンが鳴り、佐藤充登場。
あー、もう続き描くの無理になったよ。
ふざけんな、ひねたチビめ。
仕事中限定で描いてるから、あまり忙しくなるのは好ましくないなあ。
結局この日は次々客が来店し、ラッキーハウスの業務をこなすだけで精一杯。
家に帰った頃には疲れから風呂へ入ってすぐ寝た。
二千二十年六月二十四日、水曜日友引。
アイパッド、やり始めでいまいち勝手が掴めない。
もっと普通に筆を持つよう自由自在に描きたいものだ。
理想はパソコンのマウスを繋いた状態のフォトショップの上に、ペンが使えれば作業効率かなり、いや、大幅に広がるのだが……。
アップルペンシルって、何故か生理的に受け付けないんだよな。
こんなもんで一万円もしやがってよ。
もっとマジックとかボールペンみたいにできないのかよ。
マジックなら俺は茹で卵にだって、キン肉マンに出てくる超人を描けるのに。

あれは猪狩のいたインカジ『餓狼GARO』時代だったか?
キン肉マンの作者であるゆでたまごの島田先生からも褒められた茹で卵は。
卵の賞味期限が近付いていたので、ゆでたまごを作る。
待てよ……。
俺は水気の取れたゆでたまごに、油性マジックで『キン肉マン』に出てくる超人を書いてみた。
『キン肉マン』の作者、ゆでたまごがこんなゆで卵を販売したら、馬鹿売れになると思うのは俺だけだろうか?
あの頃は毎日のように料理を作り、従業員が賄い作ってくれとうるさかったなあ。
次々と店内の料理メニューを増やす猪狩と、年中口論になってあの店を辞めてしまい……。
あれからだもんな、俺の地獄への旅立ちが始まったのは。
皮肉な事に『餓狼GARO』で店長だった猪狩はそのまま番頭へ昇格し、片や俺はどこへ行っても失敗ばかり。
でもその猪狩は今、酒井さんたちと共に警察へ捕まっている現実。
裏稼業って本当に紙一重だ。
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