45.ユリウス・クラウディウス朝①
画像は以下のサイトから転載。
サロメ
ヘロデ一族は、新興キリスト教運動の長年の敵でもありました。
ヘロデ大王(紀元前七三年ごろ~)は、マタイの福音書二章にある「幼児虐殺」を行った張本人です。

新たにユダヤ人の王となる子(イエス)がベツレヘムに生まれたと聞き、おびえたヘロデ大王はベツレヘムで二歳以下の男の子すべてを殺害させました。
ヘロデがおびえた理由、経緯は、前回お伝えしたとおりです。ヘロデ一族はエドム人で、呪われたカナン人の血を引いていました。
ちなみに「ユダヤ人」は、単にユダの地に住む人という他称で、バビロンから帰還したイスラエル人のほか、すでに移住していたエドム人やカナン人も含まれていました。
陰謀論者が大好きな邪悪なユダヤ人は、エドム人、カナン人の子孫です。エドムは赤という意味があります。陰謀論者の飯の種、ロスチャイルドは「赤い盾」という意味です。
虐殺のきっかけとなったのは、「東方」の三博士、マギです。
マギたちは東方で星を見たあと、ヘロデ大王の元を訪れ、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」とたずねました。
マルコの福音書六章によると、ヘロデヤの娘サロメは、叔父でイスラエル領主のヘロデ・アンティパス(紀元前二〇年~)の誕生祝いの席でセクシーに踊ってみせ、当時投獄されていた洗礼者ヨハネの首を要求しました。

裏で糸を引いていたのは、ヘロデ・アンティパスの妃ヘロデヤです。
ヘロデヤは、いとこのヘロデ二世(紀元前二七年ごろ~)と結婚しました。ヘロデ二世はヘロデ大王の息子で、母は大祭司シモンの娘マリアムネです。
その後ヘロデヤは異母兄弟のヘロデ・アンティパスと恋仲になり、結婚しました。洗礼者ヨハネはこの結婚は不当だと避難したので投獄されてしまいました。
ヘロデヤは娘を説得し、洗礼者ヨハネの首を皿に載せてほしいと頼ませます。ヘロデ・アンティパスはやりたくなかったのですが、しぶしぶサロメの要求を受け入れました。
ちなみにヘロデ・アンティパスがサロメ(父が兄弟で母が妻)とやったかどうかはわかりません。
マタイとマルコの福音書によると、ヨハネから洗礼を受けた者の中にナザレのイエスという人がいました。

その後イエスがガリラヤで伝道をはじめたので、ヘロデ・アンティパスはヨハネが蘇ったのではないかと恐れました。
ルカの福音書十三章にはこうあります。
その日、あるパリサイ派の人々が来て、かれ(イエス)に言った。ここから出ていきなさい、ヘロデがあなたを殺すだろうから。
かれはかれらに言った。あなたがたは行って、あの狐に告げなさい。見よ、わたしは悪魔を追い出し、今日も明日も癒やしをする。そして三日目には、わたしは完全になるであろう。
また、ルカの福音書によると、イエスはまずユダヤ属州総督のピラトの裁判にかけられました。イエスがガリラヤ人で、ヘロデの管轄下にあると知ったピラトは、イエスをヘロデ・アンティパスの元に送りました。
ヘロデ・アンティパスは、イエスが奇跡を起こすのを見ようと喜んで会いました。ですが質問に対してイエスが沈黙をつづけたので、ヘロデ・アンティパスはイエスを嘲り、ピラトに送り返しました。
ピラトとヘロデは敵対関係だったのですが、これらの出来事によって関係が改善されたとルカは述べています。

ハスモン朝
ガイウス・ユリウス・カエサル(紀元前一〇〇年)は、グナエウス・ポンペイウス・マグヌス(紀元前一〇六年~)を敵視していました。ポンペイウスはエルサレムを征服して神殿の至聖所を汚した人なので、ユリウス・カエサルは逆をやりました。
ユリウス・カエサルは一連の勅令の中で、ユダヤに新政権を樹立し、エルサレムの城壁の再建を許可し、ヤッファの港をユダヤに返還し、ヒルカノス二世(紀元前三〇年没)とのちの子孫をユダヤの大祭司、宗教指導者として承認しました。
そのためユリウス・カエサルは、ユダヤ人から好意を寄せられていました。
著述家フラウィウス・ヨセフス(紀元後三七年~百年ごろ)は、著書『ユダヤ古代史』で、ユリウス・カエサルについて頻繁に言及しています。
(ユリウス・カエサルいわく)ユダヤ人アレクサンドロス(・ヤンナイオス)の子ヒルカノス(二世)は、わが国(ローマ)のことに忠実かつ勤勉であり、それは現在も昔も、平和のときも戦争のときも、多くの将軍が証言しているとおりである。
そして、先のアレクサンドリア戦争(ナイルの戦い)では、千五百人の兵士を引き連れて、われわれ(ローマ)を援護した。また、わたしがミトリダテスに派遣したときには、その軍隊のほかのすべての兵士よりも優れた武勇を示した。
このような理由から、わたしはアレクサンドロスの子ヒルカノスとその子らをユダヤ人の民族の長とし、かれらの先祖の慣習に従って、永遠にユダヤ人の大祭司職を与え、かれとその子らをわたしたちの同盟者とする。
ローマ帝国時代の歴史家ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス(紀元後七〇年~)によると、ユリウス・カエサルが暗殺された際、「とくにユダヤ人は、数夜にわたって、遺体が焼かれた場所に頻繁に通った」のだそうです。
これによって、ヒルカノス二世とハスモン朝はユダヤの王として承認されました。ハスモン朝は、マカバイ戦争でセレウコス朝シリアに叛乱を起こし勝利したあと誕生したユダヤ人王朝です。
ヒルカノス二世の側近には、イドマヤ(エドム)出身のアンティパトロス(紀元前一一三年~)がいました。
アンティパトロスはヘロデ王朝の創始者で、ヘロデ大王の父親です。ローマ軍の軍事行動を積極的に援助し、ユリウス・カエサルの信頼を勝ち得ました。そしてヘロデ王朝へとつながっていきます。
ヒルカノス二世はパルティア人(白人)によってバビロニアに捕囚され、バビロニアのユダヤ人たちと四年間生活しました。

紀元前三六年、エドム人のヘロデ大王は、ローマの助けを借りてアンティゴノスを倒しました。アンティゴノスはハスモン朝最後の王です。
ヘロデ大王は、ヒルカノス二世がパルティア人を説得して王位奪還に協力することを恐れ、エルサレムに戻るよう招きました。ヘロデ大王はあらゆる敬意をもってヒルカノス二世を迎えました。
そして紀元前三〇年、ヘロデ大王はヒルカノス二世を告発し、死刑に処しました。
こうして悪いエドム人が権力を握り、悪いパリサイ派がエルサレムを牛耳り、イエスの公生涯へとつながっていきます。
『アエネーイス』
ユリウス・クラウディウス朝の初代皇帝はアウグストゥス(紀元前六三年~)です。

ティベリウス、カリグラ、クラウディウスとつづき、最後のネロに至ります。
アウグストゥスは、大叔父のユリウス・カエサルの養子縁組でユリウス家の一員になりました。
ユリウス・クラウディウス家は、面子がユリウス家とクラウディウス家から選ばれたため、このような名前になりました。
アウグストゥスは、ローマの詩人ウェルギリウス(紀元前七〇年~)に有名なラテン語叙事詩『アエネーイス』の執筆を依頼しました。
理由は、ユリウス・クラウディウス家を、ローマとトロイの始祖、英雄、神々の子孫として正統化するためです。
領土争いをしていたアジアには、ミトラを含むゾロアスター教由来の強力な神々がいました。

コンマゲネのアンティオコス一世(紀元前六九年~)は、神を自称し、ネムルト・ダウに自分の像やアポロと握手する自分の彫刻をこしらえさせました。ローマとしてはこちらの方面でも負けていられません。
『アエネーイス』は、ホメロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』をモデルにして書かれました。主人公のアエネーアスは、トロイの武将です。
トロイはアナトリア半島、現在のトルコの北西部にありました。

トロイが陥落したあと、アエネーアスはイタリアに向かい、あれこれイベントをこなしたのちに新市ラウィニウムを建設します。
そしてアエネーアスの子孫ロムルスとレムスが、ローマを建国することになります。

アエネーアスは、例によって冥界に下ります。ニムロデとセミラミスの息子タンムズも冥界に下りました。イナンナもペルセポネもオルフェウスも下りました。典型的な邪教の叙事詩のテンプレです。
アエネーアスはアフロディーテの息子です。神話によると、アフロディーテはキプロス島の南西の海岸で泡から生まれました。都市パフォスにはアフロディーテを祭る神殿がありました。
キプロスの神話に近いビブロスの神話では、ウラヌスの切断されたちんこから出た血がビブロスの川に落ちたと語られています。ちんこは泡をつくり出し、乙女を生みました。
ビブロスはフェニキア人、イコールイスラエル人の都市です。
アフロディーテは豊穣の女神で、はるか昔からキプロスで崇拝されていました。十字架の形をした女性の偶像やちんこが発掘されています。

キプロスのアフロディーテは、(条件つきの)愛と豊穣、戦争、都市、国家の女神です。もろにセミラミスです。
案の定、アフロディーテの崇拝では、乱交、神聖な結婚、売春が行われていました。アレクサンダー・ヒスロップによると、キプロスのヴィーナス(アフロディーテ)はバビロンに由来することが歴史的に証明されているとのことです。
ヴィーナスの息子はキューピッドです。キューピッドはギリシャ神話のエロスです。

エロスといえばプラトンの『パイロドス』です。プラトンは著書で小児性愛を正当化していました。
アエネーアスの父はアンキセスです。アンキセスの父はトロイのプリアモス王のいとこで、どちらもトロイの創始者イロスの孫にあたります。
ユリウス家の「ユリウス」は、アエネーアスの息子ユルスに由来します。ユルスはアスカニオスとしても知られています。
『アエネーイス』は大きな賞賛を受け、ウェルギリウスの「ユリウス=ユルス=アスカニオス」という説が大衆に広まりました。ユリウスたちは晴れてトロイとつながり、神々の子孫になれたわけです。
しかしながら、この伝説は完全なでっち上げとはいえないのです。
アスカニオスという名前は、アシュケナズに由来すると考えられています。
アシュケナズはアシュケナージ・ユダヤ人のアシュケナージの語源で、古代アッカド人がスキタイ人(白人)を指していった名前です。

アシュケナズはマゴグの甥で、ヤペテの子孫です。つまり白人です。
ノアの子は、セム、ハム、ヤペテです。ハムは黒人で、ニムロデ、カナンの祖です。セムはメシアの系図で、アブラハムの祖、「世界」の支配を約束されたイスラエル人の祖です。
ヤペテは子孫を各地に広げた人物とされています。たしかに白人たちが世界に散っています。そして先にお伝えしたとおり、アジアにいたのはおもに白人でした。エジプト人も白人です。
創世記九章にはこのように記されています。
神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕にかれを住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ。
ヤペテは世界に広がり、そして「セムの天幕」に住みます。
アウグストゥスは地中海世界を統一し、のちにパクス・ロマーナといわれる時代の礎を築きました。
次回は驚愕の事実をお伝えします。
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