25.古代ギリシャの嘘⑧
画像は以下のサイトから転載。
前回はプラトンについてお伝えしました。
洞窟の比喩
プラトンの『国家』で有名なのは、洞窟の比喩です。

子供のころから足と首に枷をつけられ、前方しか見ることができない状態で、正面で影絵などが展開されます。たとえばウサギなどです。
この人は当然、影絵を本物のウサギだと認識しますが、実際は背後でだれかが、手を組み合わせてこしらえたりしています。じつはウサギでもなんでもないのに、その人の環境(血統、能力)によって、その人はウサギだと思い込んでしまうのです。
この寓話を、イデア論を解説するためだという方が大勢おられます。
孫悟空は孫悟空です。一巻から最終巻まで、だれが見ても孫悟空は孫悟空です。これを孫悟空の孫悟空性、孫悟空のイデアといいます。
洞窟の比喩は七巻の冒頭からはじまるのですが、六巻はこのように終わります。
さて、この四つの区分に対応して、魂に四つの能力があるとしよう。最も高いのが理性、二番目が理解、三番目が信仰(あるいは確信)、最後が影の知覚。
……。
かれは「わかりました」と答え、同意し、あなたの考えを受け入れた。
運よく枷から解放されれば、ウサギは単なる影絵だったのだ、と認識できます。
どうすれば解放されるのでしょうか。ふつうの方法では無理そうです。なぜなら偉大なるプラトンがわざわざ寓話としてわたしたちに伝えているからです。
つまり、しかるべきところに入門しなければならないのです。入門すれば、自分が現実だと思っていたものが、偽りの光によって投影された小道具の影に過ぎなかった、と認識できるようになるかもしれません。
そしてその人は、太陽に象徴される真の光、つまり真の知識を見つめるために、洞窟の上へと昇りはじめます。
太陽神ミトラとの合一を求めるミトラ教徒のようにです。
そしてわたしが言ったのは、壁に沿って通り過ぎる男たちが、さまざまな種類の器や、木や石やさまざまな材料で作られた彫像や動物の像を持ち、壁の向こうにあらわれるのが見えるか、ということだ。話している人もいれば、黙っている人もいる。
洞窟に縛られ、前しか向けない格好にさせられ、火が焚かれ、像を持った人間たちがうろついています。見えなくとも足音はするでしょう。話している人もいます。
この状況を単純に考えると、入信者は、どうにかしたい、と考えるはずです。死ぬほど考えるはずです。日常ではあり得ない体験だからです。
ですが拘束されています。死を恐れない者は数えるほどしかいないので除外しますが、それ以外の人間はあきらめ、受け入れます。
そして種明かしが待っています。ほっとし、同時に教えを完全に受け入れます。
俗にいうストックホルム症候群というやつです。現代も面接から採用、入社式、社員研修というカルトの儀式が行われています。
邪教の祖、自称天の女王セミラミスは、このような神秘宗教を体系づけました。神秘というと上等に聞こえますが、平たくいえば信徒を洗脳するための技、トリックです。
儀式を通過し(洗脳されながら)叡智を得た信徒は、シェイクスピアがいうように、世の中はすべて舞台だったのだと知ります。
ただ知るだけではもったいないので、今度は実践します。世の中の人は影絵をウサギと思い込むので、影絵をこしらえて騙せば金儲けなどができそうです。
支配者は、こういう洞窟(世界)をつくればよりよく人民を支配できるようになります。
結局のところ、ノウハウ集です。少なくともプラトンを読んだ支配者はそう捉えるでしょう。
実際、『国家』は後世の人間に多大な影響を与え、現在も優生学やプロパガンダという結実をもたらし、わたしたちの世界に根づいています。
高貴な嘘
次は「高貴な嘘」についてです。
『ゴルギアス』にはこうあります。
修辞学は信念のための説得の産物であって、善悪の問題を教えるためのものではない。だから、修辞家の仕事は、法廷や公衆の集会で善悪の問題を指導することではなく、ただ信じさせることなのである。
プロパガンダだけではなく、現在のアメリカなどの弁護士にも通じます。
小児性愛を正当化したい
古代ギリシャでは、小児性愛が社会的に認められていました。
小児性愛は「ダメなものはダメ」の典型でです。筆者の個人的意見ではなく、人間が人間であるかぎり、どの時代であろうとダメなものはダメです。
現在の同性愛とはちがう、と主張する方もおられます。快楽を求めることは禁止されていたのだ、と。
たしかに禁止されていたかもしれませんが、禁止されるということは行われていたということです。
小児性愛を合理化したのは、前回もお伝えしたように、プラトンです。
年上の男性をエラステス、十代の男性をエロメノスといいます。
プラトンの『パイドロス』では、ソクラテスの口を借りてこのように記しています。
狂気には二種類があり、一つは人間の病気から生じるもの、もう一つは従来の規範からの神聖な解放から生じるものである。
この二番目の狂気は、神秘主義者の恍惚状態やトランス状態、マイナス(バッカスの女性崇拝者)の狂気と関連しています。
『饗宴』ではこのように記されています。
「偉大な霊だよ、ソクラテス。霊魂のすべては、神と死すべきもの(人間)のあいだにあるのです」
「どんな力を持っているのですか?」
「(霊は)人間的なものを神々に、神的なものを人間に解釈し、運ぶ。下からの嘆願と生贄、上からの命令と要求。(霊は)その中間にあって、互いに補い、全体が一つになるようにする。生贄と儀式に関するすべての占術と祭司術、そしてすべての占いや魔術は、これを通して伝えられる」
この霊の一つが愛である、とプラトンはいいます。
プラトンは、ソクラテスの口を借りて、「神聖な狂気」を四つに分けています。
預言はアポロンから、神秘的な狂気はディオニュソスから、詩的な狂気はミューズから、そして愛の狂気はアフロディテとエロスからの霊です。

エロスは愛を司る神です。当時のギリシャでは、翼を持つ愛の神は詩の中に頻繁に登場し、芸術家たちのお気に入りでした。
美術では、エロスは美しく若々しい男性として描かれました。壺絵では、エロスはしばしば美しい青年や子供の姿で描かれています。
のちの時代の作品では、エロスはしばしば目隠しをされた美しい少年として描かれました。
『パイドロス』では、パイドロスがソクラテスに、弁論家リュシアスの主張を話して聞かせます。恋人たちについてなのですが、恋をする者は病気で、恋をしない者より社会にとって害悪だという話です。
恋する者は、欲望のまま事を終えたあとに後悔したり、新しい恋人をつくって古い恋人とのあいだに不和を生んだり、恋ゆえに貧しい者より恋人を優先したりします。ですが恋をしていない者は、美少年を見ても冷静です。
ソクラテスは話を聞き終えると、リュシアスの主張に同意します。そしてお返しとばかりに話を聞かせます。こちらも恋する者批判です。
ですが作品の後半、ソクラテスは唐突にダイモンのお告げを聞きます。おまえは罪を犯したので悔い改めるまではここから立ち去るな、というお告げです。
罪というのは、神エロスに対する罪です。恋人を批判したわけですので、エロスを暗黙のうちに批判したことになります。
そしてソクラテスは、意見を撤回し、真逆の話をします。
「自分を恋してくれる人がそばにいても、むしろ自分を恋していない者のほうに身をまかせるべきである、それは一方の人が狂気であるのに対して、他方は正気だからだ」と主張する物語、これは真実の物語ではない。その理由はこうだ。もし、狂気が悪いものだということが、無条件に言えることだとしたら、この物語は立派な根拠をもっていたかもしれない。しかしながら、実際には、われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。むろんその狂気とは、神から授かって与えられる狂気でなければならないけれども。
つづけて読み進めましょう。
デルフォイの予言者やドドナの巫女が狂気に陥ったとき、私的にも公的にもギリシャに多くの素晴らしい恩恵を与えたが、正気であったときはほとんど、あるいはまったくなかった。シビュラをはじめとする、予言の霊感によって多くの人に多くのことを予言し、それによってその後に幸運をもたらした人々について語るとすれば、長くなるのはだれの目にも明らかである。また、名前を発明した昔の人々が、狂気は恥ずべきことでも不名誉なことでもないと考えていたという事実も挙げておく価値がある。
プラトンは小児性愛を、二頭の馬が引く馬車と御者(戦車乗り)で例えます。
一頭は悪で、もう一頭は善です。長いのでぜんぶは引用はしませんが、馬は御者に対し、逃げたり、暴れたり、従順になったり、魂を汗でくまなく濡らしたりします。
苦痛が終わると、息も絶え絶えになり
喧嘩をし、嘶き、かれらを引きずり
かれは頭を下げ、尾を立て、歯でくわえ、恥ずかしげもなく引っ張る。
さらに激しく捩じ伏せることで、野生の牡馬の歯からはみを引きずり出し、その乱暴な舌と顎を血で覆い、その脚と臀部を地面に押しつけ、ひどい罰を与える。
かれは手なずけられ、謙虚になり、御者の意志に従う。そしてそのときから、恋人の魂は慎み深く、聖なる恐れを持って愛する者に従うようになる。
『饗宴』ではこのように主張しています。
少年愛の正しい方法によって、人がこれらの特殊なものから上昇し、その美を見定めはじめるとき、かれはほとんど最終的な秘密をつかむことができるようになる。このようなことが、恋愛問題に対する正しいアプローチや誘導である。個人的な美から美しい観察へ、観察から美しい学問へ、そして学問から最後には、美そのものとそれだけに関わる特別な学問へと進む。
そして最後には、美の本質を知るようになる。
そのような人生の状態において、人は本質的な美を観想することによって、真に生きる価値を見出すのだ。
プラトニック・ラブについての説明なのだ、と主張する方もおられますが、プラトンなどが影響を受けたエジプト、バビロニアの密議がなにをしてきたかを考えると、美しい少年をただ見つめ、我慢するだけでは、「最終的な秘密」をつかむことはできないでしょう。
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