18.古代ギリシャの嘘①
画像は以下のサイトから転載。
古代ギリシャについては、多くの誤解、曲解があります。
嘘というタイトルを選んだのですが、ギリシャ人が嘘をついていたわけではありません。後世、現代の学者があえて誤解、曲解を訂正しようとしないため、結果的に嘘が定着してしまっているのです。
数多くのトピックがあるため、数回に分けてお伝えします。
進歩する人間
大抵の方は古代ギリシャについて、「西洋文明発祥の地」「民主主義や哲学、芸術の基礎を固めて現代世界を形作った」などと教わったはずです。
ギリシャ人と聞くと、どこか「超自然的なものへの信仰」「迷信」「原始的な宗教」などを払拭し、現代人につながる理性的な人間を誕生させた、といったイメージがあります。
これほど真実からかけ離れた話はありません。
この誤ったイメージは、プロパガンダのためにわざと、意図的に保たれています。
十九世紀の啓蒙思想の広まりから、現代は経験主義的な時代となり、わたしたちは「超自然的なもの」を拒絶するようになりました。
啓蒙思想とは、わかりやすくいうと、「あなたならできる」という、一人の人間であることの宣言です。「夢は願えば必ずかなう」「努力は必ず実る」「あなたの可能性は無限大」などは、少年マンガや歌の歌詞など、どこでも見聞きします。これはヒューマニズムと呼ばれます。

ヒューマニズムは、現代の社会に歪みをもたらしている最も大きな原因、思想の一つです。
人間中心主義の対となるのが宗教です。人間は神にひざまずくちっぽけな存在でしかありません。どちらがいいかといわれれば、自由のほうがいいとだれもが答えるでしょう。
「夢は願えば必ずかなう」というのは、少し考えれば「そんなはずはない」と気づきます。端的にいうと嘘です。ですが子供や若い方は気づけません。大人もまた、心の中のどこかで信じているからです。
現在の不換紙幣は負債です。銀行が紙幣を創造し、企業が借ります。利子がかかるのでなるべくはやく返済しようと頑張ります。この頑張りが経済をまわし、成長させていきます。
市中に出まわっているおカネは有限なので、だれかの借金、負債を奪い取って利子の返済に充てなければなりません。世の中のシステムは競争を促し、メディアは努力しろ、夢を願え、とメッセージを垂れ流します。
誤った古代ギリシャのイメージは、この競争社会のシステムにおいて、現代人は知的で理性的に進化したというイメージを伝えるうえで都合がいいのです。二千年以上の隔たりは、いかにも「人間は進化してきた」という感じがします。
ですが、人間は進化しません。そのときどきの時代で、それなりに賢く、それなりに愚かに生きるだけです。現代は社会のシステムと人間がマッチしてないため、いまもどこかで苦しみや病が、静かに、確実に生み出されています。
ギリシャ哲学と宗教
古代ギリシャといえば哲学です。

哲学者たちは、宗教と人間を切り離し、超自然的なものへの信仰などの迷信から人間を解放し、客観的な真理の追求し、わたしたちの経験主義につながる伝統をはじめた、とされています。
これも嘘です。ギリシャ哲学は、自分たちの宗教的思想を正当化、合理化するために生み出されたものです。宗教と哲学は不可分です。むしろ宗教の要素がなければ、それは哲学ではありません。
イギリスの西洋古典学者F・M・コーンフォードは、著書でこのように指摘しています。
哲学の仕事は、このように宗教的、あるいは宗教以前のものを解明し、明確にすることである。
哲学は、新しい概念的な道具を創造するのではなく、元の資料の中で混同されている要素をより細かく分析し、より綿密に定義することによって、それを発見するのである。
かの偉人たちは、宗教から切り離された人間ではまったくありませんでした。
さらに、ギリシャ哲学の元となった神学は、紀元前八世紀からのアルカイック期から受け継がれたパンテオン(すべての神々)崇拝から来ているものではありません。
紀元前千二百年ごろのミケーネ文明の崩壊から、古代ギリシャは資料のない「暗黒時代」と呼ばれる時代に突入しました。その後アルカイック期と呼ばれる時代で、ギリシャは歴史的に復活を遂げ、古典期と呼ばれる時代につづきます。
オリンポス十二神はご存じかと思います。なぜパンテオンからわざわざ十二人の代表を選んだのでしょうか。
十二といえば、黄道十二宮です。
古代ギリシャ人の神学は、古い信仰体系を打倒することを意図したまったく別の信条、教え、すなわちバビロンの邪教ユダヤ、カルデアのマギのカルトを採用したものだったのです。
ペルシャのバビロン征服後、異端ユダヤ人とカルデアのマギは、ゾロアスター教も二神教にするなど歪め、おなじみの三位一体を取り入れました。
古代ギリシャにも顔を出してきたのです。
フェニキア人
暗黒時代からの脱却のきっかけになったのが、フェニキア人との文化的接触でした。
古代ギリシャは「西洋文明」、というイメージがあります。これも意図的に保たれている誤ったイメージです。古代ギリシャは基本的に中東文明でした。
アルカイック期、ギリシャ文化に最も影響を及ぼしたのは、具体的には近東ではなく、カナン人とユダヤ人の住むセム系の西方の土地でした。
地図を見ると地理的なつながりがわかります。

美術品なども、モチーフや技法に近東の影響がうかがえます。圧倒的な証拠が残されているのですが、現代の学者たちは意図的に無視しています。
ドイツの宗教学者ヴァルター・ブルケルトは、著書にこう記しています。
専門家である考古学者でさえ、この事実を不快に感じているようで、「東洋化時代」という表現を使うことに反対している。外来の要素は依然として封じ込め政策の対象である。東洋的なものとギリシア的なものが並んで描かれた標準的な教科書はほとんどなく、ギリシアの偉大な聖域で発見された東洋的なものの多くは、長いあいだ未発表のままであり、一部はいまも未発表のままである。
クセルクセスの時代、悪魔崇拝が発覚し、神殿を破壊されました。そのためカルデアのマギ(おそらくユダヤ人も)は、バビロンからトルコに逃げ、あらためて活動をはじめました。そしてローマのミトラ教が生まれます。
古代ギリシャはフェニキア文字を採用しました。ギリシャ人が文字を使いはじめたのは紀元前七〇〇年ごろのことです。フェニキア人、ヘブライ人、アラム人が使っていた文字体系に少し修正を加え、ギリシャ文字としました。
フェニキア文字のフェニキア人は、婚姻とカルト崇拝の共有によって、事実上イスラエル人と区別がつかない民族でした。
イスラエルの考古学者エフライム・スターンによると、紀元前十世紀ごろの王政時代(サウル、ダビデ、ソロモンの時代)、パレスチナの八つの民族は、それぞれ独立したカルトを持っていました。フェニキア人はバアル(ニムロデ)を主神にし、イスラエル人、ユダ人と同じ女神アスタルト(セミラミス)、またはアシェラを崇拝していました。
サムエル記は、イスラエルの王国建設の物語です。サムエル記上の二章にはこのような記述があります。
さて、エリ(祭司)の息子たちはベリアルの息子で、主を知らなかった。
人が生贄を捧げるとき、その肉が煮えたぎっているあいだに、祭司のしもべが、みつまたの肉刺しを手に持ってきて、それを釜、または鍋、または大鎌、または鉢に突き入れ、肉刺しが引き上げたものは祭司が自分のものとした。
人々が脂肪を焼く前にもまた、祭司のしもべが来て、生贄を捧げる者に言った。「祭司のために焼く肉を与えよ。祭司はあなたが焼いた肉を受けない。生の肉を食べようとするからだ」
もしだれかが「まず脂肪を焼かせましょう。その後ほしいだけ取ってください」と言ったなら、しもべは答えただろう。「いや、いまもらいたい。もしそうでないのであれば、わたしは力づくでそれを取るだろう」
もちろん厨房での微笑ましい一幕ではありません。
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