47.エメサ
画像は以下のサイトから転載。
https://www.wildwinds.com/coins/ric/elagabalus/i.html
祭司の王朝
コンマゲネ家とユリウス・クラウディウス朝は、ミトラ教の創始だけでなく、ミトラ教のキリスト教への取り込みにも関与しました。
ここでもう一つ、ミトラ教とキリスト教の発展に関与する第三の王朝が登場します。以前少しお伝えした、エメサの祭司王たちです。
エメサは女の子の名前ではなく、地名です。現在のホムスに当たります。

エメサは聖なる石(バエティル)を収めたエル・ゲバル神を祀る太陽の神殿が有名で、青銅貨の裏面にも彫られています。
紀元前六四年ごろ、共和制ローマのグナエウス・ポンペイウス・マグヌス(紀元前一〇六年~)は、シリアと周辺諸国をローマ属州として再編成し、シリアに盟邦王(クライアント・キング)を立てました。
この王がサンプシケラモス(紀元前一世紀)で、エメサの祭司王朝の創始者です。
サンプシケラモスはポンペイウスの指示で、アンティオコス十三世(生年不明~紀元前六四年)を捕えて殺し、セレウコス朝を滅亡に追いやりました。
そして一九三年、エメサの祭司王朝は、抗争のすえに強引にセウェルス朝を立ち上げ、シリアがローマ皇帝を輩出することになります。
エル・ゲバル(エラガバルス)は、バアルから派生した神です。邪神の祭司たちが一時期ローマを支配していたわけです。
そして太陽といえばミトラです。
ミトラ教の創始者
ヘロデ・アグリッパの息子ヘロデ・アグリッパ二世(紀元後二七/二八年~)は、妹のドゥルシラをエメサの祭司王アジズスに嫁がせました。
このアジズスはサンプシケラモス二世(~四二年)の長男です。ちなみに以前お伝えしたように、ヘロデの一族はエドム人で、カナン人の血を引いた邪悪な「ユダヤ人」です。


ドゥルシラはアジズスとの結婚前、コンマゲネ最後の王アンティオコス四世の息子ガイウス・ユリウス・アルケラウス・アンティオコス・エピファネス(三八年~)と結婚していました。
この結婚は、長い名前のエピファネスがユダヤ教を受け入れるのが条件だったのですが、結局拒否して破綻しました。
エメサのアジズスは、ドルシッラを得るために割礼を承諾します。ですがこの結婚も破綻に終わり、ドルシッラはユダヤ総督のアントニウス・フェリクス(五年~)と再婚しました。
アジズスもサンプシケラモスたちもドルシッラもアントニウス・フェリクスも、日本語のウィキペディアが存在しません。アントニウス・フェリクスは使徒言行録に登場し、聖パウロやクラウディウス帝との絡みもあるので、ふつうに重要人物のはずです。
そしてティベリウス・クラウディウス・バルビルスという名前は、日本語では特殊な探し方をしないと出てきません。
(ティベリウス帝やクラウディウス帝しかヒットしません)
バルビルスは、先に出てきたガイウス・ユリウス・アルケラウス・アンティオコス・エピファネスの義父です。つまりコンマゲネのアンティオコス一世(ネムルト・ダウを築いた人)の子孫です。
またバルビルスは、ローマ皇帝クラウディウス、ネロ、ウェスパシアヌスの宮廷占星術師でした。
さらにはエジプトの知事も務め、アレクサンドリアの図書館長でもありました。これだけでかなり重要な人物なのですが、やはり日本語ウィキペディアのページは存在しません。
作家ロジャー・ベックによると、ミトラ教を創始したのはこのバルビルスだとのことです。
ベックは、新しい宗教であるミトラ教がコンマゲネ(現在のトルコ/シリアにあたる)の王宮から出たのではないか、と考えています。
フランツ・キュモンもミトラ教とコンマゲネとの関連を指摘していました。
メンデス(アレクサンドリア)のトラシュロスは、プラトン名義の著作を整理した人です。現在流通しているプラトン全集のほとんどは、このトラシュロスがまとめた形式を踏襲しています。
トラシュロスの妻は、コンマゲネの王女、アカ二世です。
アカ二世はティベリウス・クラウディウス・バルビルスのきょうだいです。トラシュロスはバルビルスと同じく占星術師で、ローマ皇帝ティベリウスと個人的に親しくしていました。
バルビルスは、紀元後四三年にクラウディウスがイギリスに遠征した際、同行しました。
また、六〇年か六四年、彗星が空を横切って使徒パウロの死を知らせたとき、バルビルスはネロの不安を鎮めるため、解決策は著名な市民を殺害して神々を鎮めることだと指摘しました。ネロは同意し、多くの貴族を殺害しました。
第十五アポロ軍団
ミトラ教の血筋を引く一族は、ユダヤ人の叛乱を鎮圧する際にもローマ帝国に貢献しました。
ユダヤ人の叛乱は、ローマ帝国内では散発的だったのですが、パレスチナでは頻発していました。
紀元後六七年、のちに皇帝となるウェスパシアヌス(九年~)と息子のティトゥス(三九年~)は、Legio XV Apollinaris ("Apollo's Fifteenth Legion")を率いてガリラヤに到着し、占領しました。
Legio XV Apollinarisというのは、「第十五アポロ軍団」という意味です。いかにも強力そうな名前です。
紀元後七〇年、エルサレム第二神殿は陥落しました。第十五アポロ軍団は神殿を焼き払い、悪名高い聖櫃奪取を行い、ローマに持ち帰りました。

第十五アポロといえば、アポロ十五号です。そして第十五アポロ軍団は、日本語でググってもほとんど出てきません。

ヨセフスの『ユダヤ戦争』の注釈によると、エルサレム陥落によって九万七千人のユダヤ人が捕虜になったとのことです。
https://m.gutenberg.org/files/2850/2850-h/2850-h.htm
ちなみにヨセフスについては、著述家として何度も名前を出していますが、ユダヤ戦争の総司令官でもありました。
第十五アポロ軍団は、アルメニアでパルティア人と戦った軍団で、もともとはユリウス・カエサルによって紀元前五三年に結成されたのですが、アフリカの地で壊滅してしまいました。
カエサルの嫡男オクタウィアヌス(のちの皇帝アウグストゥス)は、紀元前四一年ごろに軍団を再結成し、アポロ軍団と名づけました。オクタウィアヌスはほかの神々よりアポロを崇拝していたからです。
アポロ軍団はティトスに同行してアレクサンドリアに向かい、カッパドキアから来た新兵と合流しました。
その後ドイツに派遣されたあと、ドナウ河畔に最初のミトラ神殿を建立しました。

神殿といっても洞窟です。ただし予算が足りなかったからではなく、あえてです。
プラトンの「洞窟の比喩」にあるように、洞窟は世界を反映したものだからです。
キュモンによると、ミトラ教は貴族ではなく兵士に崇拝されていました。兵士はいつなんどき死ぬか、あるいは不具になるかわかりません。
また超体育会系で、宗教的にも軍団としても規律が厳しいことを考えると、とにかく強い神、守護神にすがりたいという気持ちは理解できます。
ユダヤ人の叛乱鎮圧に協力したローマの同盟国には、ヘロデ・アグリッパやコンマゲネのアンティオコス六世だけでなく、エメサのソハエムスも含まれていました。
ソハエムスはドルシッラの最初の夫、アジズスの兄弟です。
コンマゲネの軍隊はユダヤ人鎮圧を行っていましたので、ローマの軍団とも広く接触していたでしょう。
そしてその中には、第十五アポロ軍団もいました。この軍団は新たな秘儀宗教の担い手として確認されています。
アエリア・カピトリーナ
ローマの歴史家カッシウス・ディオ(一五五年~)によると、紀元後七〇年にエルサレム第二神殿が破壊されたあと、大祭司が監督する礼拝は行われなくなりました。
そしてハドリアヌス(七六年~)が皇帝になったあと、エルサレムにユピテル(ゼウス)に捧げられた異教の神殿が建てられました。
エルサレムでは、破壊された都市の代わりに別の都市を建設し、アエリア・カピトリーナと名づけ、神殿の跡地に新しいユピテル神殿を建てた。
ユダヤ人は当然怒ります。そして戦争になりました。
ハドリアヌスは神殿に、ユピテルの像と自分の像を置きました。カリグラもエルサレム神殿に同じことをしようとし、ヘロデ・アグリッパに止められました。ネムルト・ダウで有名なコンマゲネのアンティオコス一世と同じパターンです。
さらにハドリアヌスは、ユダヤ人をエルサレムから完全に追放し、ティシャ・ベ・アブのお祭りの日だけは戻ってきてもいいと告げました。
ティシャ・ベ・アブは、エルサレム第一神殿と第二神殿の破壊を悼むお祭りです。
そこでユダヤ人の第二次叛乱が起きたのですが、ローマはまたも鎮圧しました。
ヨセフスによると、第一次ユダヤ・ローマ戦争末期の紀元後七三年から七四年にかけて、ローマ軍がマサダを包囲した際、籠城していた九百六十人のシカリ派反乱軍の集団自殺に終わったといいます。

ローマ軍はさすがに攻めあぐねたのですが、二年がかりで山の西側の崖をそっくり埋めました。
この執念は、単にユダヤ人が憎かったからではありません。
ローマ軍は無敵です。やるといったらやるのです。またはその無敵のメンタリティーゆえに、必ずやり遂げなければならないのです。
いずれにせよ、キリスト教の間接的な後押しです。そして無敵の太陽、ミトラ、またはソル・インウィクトス信仰につながっていきます。
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