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「サピエンス全史」が暴く家畜の悲劇。ベジタリアンになれない私の、自覚的な偽善と覚悟。 #37

今回は、世界的名著である『サピエンス全史(下)』を読んで、私の価値観が激しく揺さぶられたことについて書いていこうと思います。


種の繁栄と幸せ

本書を通じて、本当にたくさんの新しい視点や学びを得ましたが、その中で最も私の心に深い爪痕を残したのは、「人間の家畜になった動物たち」に関する記述でした。

現在、人間を除く大型哺乳類の中で、「種の繁栄(個体数の爆発的な増加)」に成功した種は、人間の家畜やペットになった動物たちだけです。それ以外の野生の大型哺乳類は、人間によって絶滅させられたか、あるいは個体数が激減しています。

もし、生物としての「成功」や「幸せ」を、ただ単に「種のDNAを多く残し、繁栄すること」と定義するならば、人間の管理下にある牛や豚、鶏たちは、地球上で最も幸福な動物なのかもしれません。

しかし、その繁栄の裏側にある「個体としての日常」を覗き込んだとき、それをお世辞にも幸せと呼ぶことはできません。

彼らは人間のエゴによって、生まれてから死ぬまでの全ての時間をコントロールされています。不必要な筋肉をつけさせない(肉を柔らかくする)ために一歩も動けない狭い檻に閉じ込められたり、牛乳を搾り取るために生涯のほとんどの期間を人工的に妊娠させられ、産んだ子供とはすぐに隔離されたりする。食べるものだって、彼らの嗜好ではなく、人間の都合に合わせて肉質を良くするための餌だけを与えられる。

生物としての「種の繁栄」が、個々の生命にとっては「史上最悪の苦痛の連続」になっているという、進化の残酷な皮肉。 この事実を突きつけられた時、私はそれまで当たり前のように口にしていたお肉や牛乳に対して、言いようのない「後ろめたさ」を感じるようになってしまいました。

ベジタリアンにはなれない。だからこその「覚悟」

私はベジタリアンではありません。肉も牛乳も大好きだし、自分の身体(アスリートとしての栄養摂取)にとっても必要なものだから、これからもきっと口にし続けるでしょう。

「私一人が食べる頻度を少し減らしたところで、世界の家畜たちの過酷な現状が何一つ変わるわけではない」 そう言って目を背けるのは簡単です。「肉を食べないなんて無理だし、ただの偽善だ」と切り捨てることもできるでしょう。

そもそも、私は肉を食べること自体が悪だとか、畜産業に携わる人々を批判するつもりは毛頭ありません。人間が生きていくためには必要なシステムであり、それを支えている人たちへのリスペクトもあります。この考えを誰かに強制する気もありません。

けれど、家畜たちの現状を「知ってしまった」今の私は、これまでと同じポーカーフェイスで肉を貪ることは、どうしてもできなくなってしまいました。

完全に食べないことは無理かもしれない。私の小さな行動でシステムは変わらないかもしれない。 だとしても、見たいものだけを見る都合のいい色眼鏡を外し、「目の前のお肉は、自由を奪われた命の果てにあるのだ」という不都合な現実から目を背けずに、その重みを噛みしめること。

食べる前に、彼らの現状を一瞬でも思い出し、これまで以上の深い「感謝」を込めていただくこと。

それしかできない自分の不完全さを自覚しつつも、知った責任(メタ認知)から逃げずに、自分の消費行動(食べる頻度を少し減らすことなど)にささやかな責任と覚悟を持っていたい。

一冊の本との出会いが、私の食卓に、小さな、けれど確かな変化をもたらしています。

【読者のみなさんへ】

最後まで読んでいただきありがとうございます。

今回は『サピエンス全史』をきっかけに、普段当たり前に消費している「食の裏側」について考えてみました。

みなさんは、本やニュースをきっかけに「自分の消費行動や食に対する価値観がガラリと変わった」という経験はありますか?

完璧には割り切れない難しいテーマですが、みなさんが日々「命をいただくこと」について思うことや、記事への感想があれば、ぜひコメント欄で教えてもらえると嬉しいです。


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