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SNSの偶像を追うアルゴリズムの奴裂(モブ)になっていないか?「流行」という現代社会最大の罠。 #4

前回の「他人に期待しない」という対人関係の話から、今回は「溢れる情報やトレンドとの向き合い方」という社会論へシフトする必然性を伝えます。

​前回は「他人に期待しない」という、本当の優しさと人間関係の距離感について書きました。

​今回は、他人に期待せず、自分の足で立つために決別すべき、現代社会最大の罠について。

なぜ世間はこれほどまでに「流行」を追いかけるのか、そしてその裏でどれほど多くの人が「自分自身の物語」を喪失しているのか、私の冷徹な違和感を綴ります。

流行という偶像、自己の喪失

流行やトレンドとは、他人が作り出した実体のない「偶像」に過ぎない。しかし現代社会には、この偶像を過剰に意識し、追いかけ続ける人があふれている。流行に敏感であることは、本当に手放しで称賛されるべき美徳なのだろうか。

私は、流行に敏感すぎる生き方こそが、現代人の自己肯定感を内側から削り取っているのではないかと考えている。他人が決めた「正解」を基準にするあまり、自分が本当に好きなものに自信を持てず、常に周囲の顔色を伺うようになるからだ。そこには、自己の意思が存在する余白など残されていない。

「流行だから」「トレンドだから」という言葉は、確かに便利だ。それに乗っかっていれば、大きく間違えることも、集団から浮くこともない。しかし、思考停止して自分を流行に委ねるだけの人生が、本当に幸福だと言えるだろうか。私たちは、自分だけの正解を、自分自身の意思によって見つけ出すプロセスを放棄してはならないはずだ。

何かを選んだ理由を尋ねたとき、「流行っているから」としか答えられない人間を、私は「面白みのない人間」だと感じる。表面的で中身のない記号しか持たない相手には、次第に惹かれなくなり、言葉を交わす機会も減っていくだろう。逆に、独自の審美眼や「自分の世界」を強固に持っている人こそ、人間としての魅力に満ちている。

多様化が進む今後の社会で、代替不可能な存在として生き残っていくのは、間違いなく後者の「自分の世界を持っている人」だ。

周囲に流されることは、集団の中で波風を立てずに生きるための「生存の術」であり「世渡りの術」かもしれない。しかし、そんな受動的な過ごし方で、あなたの人生は本当に芯から充実していると言えるだろうか。今一度、張り子の虎のような流行を追いかける手を止め、自身の人生の主権を取り戻してほしい。

【前回の記事】




【次回予告】

次回は、少しだけ論理の鎧を脱ぎ、私の脳内にこびりついて離れない「生々しい独白」をそのまま置いておきます。

​トレンドを切り捨て、自分軸を貫こうとする中で直面する、本音のスランプと孤独。理屈では割り切れない夜に私が戦っている言葉たちを、詩『つらくて、きつくて、くるしくて』として特別にドロップします。お楽しみに。

【哲学的思考シリーズ】

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