アドバイスをやめた私は「優しい人」か?他人に期待しない冷徹さの裏にある欺瞞。 #3

​前回は「自分自身に嘘をつかない」という、心の守り方について書きました。

​今回は、その自分軸を保ったまま、他者や社会とどのように関わっていくべきかという、人間関係の最終結論です。

私がなぜ「他人に期待することを諦めたのか」、そしてそこから生まれる本当の優しさの正体についてお話しします。

期待の放棄と、偽りの優しさ

​年齢を重ね、社会や組織というものを知るにつれて、私は他人に過度な期待をしなくなった。それに伴い、他者に対して怒る回数も劇的に減っていった。

​本来、人に期待を寄せるということは、美しく素晴らしい行為のはずだ。しかし、それが裏切られたときの代償はあまりにも大きい。私が言う代償とは、精神的なショックや信頼の失墜といった感情の話ではない。実務における「物事の進捗」の話だ。他人に期待し、任せきりにしていた仕事が頓挫したとき、全体の計画は完全にストップしてしまう。その手痛い教訓から、私は常に「プランB(代替案)」を同時に用意する冷徹さを身につけた。

​また、他人に期待しなくなるということは、同時に「他人にアドバイスをしなくなる」ということでもある。「どうせ何を言っても、この人は変わらないだろう」と、心のどこかで諦めてしまうのだ。

​周囲からは、感情が安定した「優しい人」と思われるかもしれないが、本質はむしろ真逆である。本当に優しい人とは、他人の過ちをあえて指摘し、怒り、その人の改善を信じて期待し続けられる人のことだ。

​幼い頃、大人から「怒られているうちが華(期待されている証拠)だ」と言われたことがある。当時はその真意が分からなかったが、今なら痛いほど理解できる。その人の未来を信じ、変わってほしいと願うからこそ、人間は怒るのだ。

​「怒る」という行為は、心身ともに多大な労力を消費する。そのコストを支払ってでも他者に向き合う人は、やはり本物の優しさを持っている。すべての怒りが利他的なものとは言えないが、多くの叱責の裏には、相手を思う心が隠されている。

​一方、他人に期待するのをやめれば、怒る必要もなくなり、失望もしなくなる。常に代替案があるため、計画は極めてスムーズに進行する。実務の面で見れば、利点しか存在しない。

​それでもなお、私はこの「期待しない生き方」を他人に勧める気にはなれない。なぜなら、他人に期待することを完全に手放すということは、人間として最も温かく、大切な「他者を信じるという心」を、自ら削ぎ落としていく行為に他ならないからである。


【前回の記事はこちら】


【次回予告】
次回は、他人に期待せず、自分の世界を強固に保つために、私たちが今すぐ決別すべき現代社会の最大の罠──『流行という偶像、自己の喪失』についてお届けします。

​なぜ世間のトレンドを追う人間はつまらないのか。情報が溢れるこの時代に、自分の頭で考え、自分の物語を生きるための冷徹なメディア論です。お楽しみに。

【哲学的思考シリーズ】

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