「人生とは物語であり、自己とはその物語をたどる存在である」 えっ?
本記事では、以下の内容をまとめる。
まず、「人生とは物語であり、自己とはその物語をたどる存在である」という広く知られた主張「物語的自己(ナラティブ・アイデンティティ)」に対し、私自身が抱いた違和感について触れる。
さらに余談として、「物語的自己」の視点から、この枠組みに外れた個人の人間性を事実上否定した、著名な学者の事例も紹介する。
問い)物語的な人間って、人類にどの程度いるの?
以下に示す二名の著名な研究者が提唱する「物語的自己」という視点に該当する人間って、人類にどの程度いるの?
① ポール・リクール 「自己とは、人生の物語である」
Paul Ricoeur(1913 - 2005)
解釈学・現象学を背景に、「物語的自己(ナラティブ・アイデンティティ)」を哲学的に展開した代表的哲学者。自己とは、自らの人生を物語として解釈・再解釈することによって、その同一性が維持されると論じた。
② ダン・マクアダムス 「人は、人生を物語として生きる」
Dan P. McAdams(1954 - )
人格心理学において「人生物語モデル(ライフストーリー・モデル)」を提唱し、「物語的自己(ナラティブ・アイデンティティ)」研究を人格心理学の中心的な研究領域として発展させた第一人者。救済シークエンスや汚染シークエンスなどの概念でも知られる。
※ 両名は、「物語的自己」研究を代表する世界的な哲学者・心理学者として広く知られている。
答え)重度の障害者を除けば、ほぼすべての人類です
AI(Grok)
「ほぼ全員に該当すると考えられる視点です。例外は極めて稀です(例:重度の認知障害など)」
AI(Google AI)
「精神疾患や重度の認知障害、記憶障害がない限り、人類のほぼ全員が該当します」
私 「えっ?」
問い)私が物語的な人間でないのは何故ですか?
私は先天性アファンタジア(心的イメージ体験の生涯的不在)およびSDAM(自伝的記憶再体験の生涯的不在)の当事者なのですが、
① ポール・リクール 「自己とは、人生の物語である」
② ダン・マクアダムス 「人は、人生を物語として生きる」
これらの視点に、どうもピンと来ません。こういうふうに考えたこともなければ、こういう実感もありません。
答え)あなたの場合は根本的に異なっています
AI(Grok)
「あなたの認知スタイルに理論(物語的自己)がフィットしないだけです」
AI(Google AI)
「あなたの脳は、一般のモデル(物語的自己)とは違います」
私 「えっ?」
私 「さっきの重度認知障害という話は…?」
ここまでの対話の詳細
ここまでの対話(問答)の詳細については、以下に掲載した各AIのログ(あるいはその全文を収めたPDF版または画像版)を参照されたい。
以下は参考として。
※ すべて無料版のAIである。
※ AIは間違えることがある。また、人間に対してお世辞を言うことがある。
物語のない人間は、まともではない
余談で、先ほど登場した「物語的自己」研究の権威である
② ダン・マクアダムス 「人は、人生を物語として生きる」
に関する、興味深いエピソードを紹介する。
心理学者のダン・マクアダムス教授が、2020年の著書「ドナルド・J・トランプの奇妙な事件」において、自身の専門理論「人格心理学(物語的自己)」を根拠に実在する個人の人格や人間性を否定した事例がある。
マクアダムス教授は「人間は自らの人生を物語として編み上げることで連続性や深みを持つ一人の人間(person)になる」という「物語的自己」の理論を前提としている。しかしトランプ氏については、過去・現在・未来を繋ぐ自己の物語を完全に欠いており、瞬間ごとのエピソード的な戦いのみを生きていると分析した。また、自己を振り返る内省を行わないため内面世界が存在せず、心理学的に理解が困難な異常事例であると指摘している。さらに、血の通った一人の人間ではなく、勝利のために舞台で戦士を演じ続ける仮面(persona)そのものであると描写した。過去の過ちから学び成長する長期計画もなく、目先の取引という永遠の現在に囚われているとして、近代的な人間性の要件である心理的成長の欠落を結論付けている。
マクアダムス教授自身は、診察なしの診断を禁じる「ゴールドウォーター・ルール」への抵触を避けるため、これは精神医学的診断ではなく客観的な行動観察に基づく人格心理学の分析であると弁明している。しかし、本来は中立であるべき学術的ツールを悪用し、対象の不完全さを執拗に描き出す手法に対しては、政治的動機や個人的な嫌悪感を学問の衣で覆い隠しているに過ぎないという強い批判がなされている。特定の心理学理論を絶対的な基準に据えることで、実在する個人の内面を空っぽのペルソナと断定する過激な人格否定は、学問が政治的批判や個人攻撃を正当化するために消費された典型例として批判を集めている。
以下は私見。
個人的に、トランプ氏に対する評価は是々非々であり、肯定する部分もあれば、否定する部分もある。だが、そこに人間性の否定はない。
一方で、マクアダムス氏の場合は、自身が専門とする「物語的自己」という学術理論(こん棒)を「客観性の装い」として悪用(メシウマ)しているようにしか見えない。マクアダムス個人に内在する、隠しきれない、はち切れんばかりの邪心(トランプの人間性を否定してやろうという悪意)を公然と発揮してしまうその様は、グロテスク以外の何ものでもない(それこそマクアダムスの人間性を疑う)。心理学という分野がなんとなく「うさんくさい」と言われてしまうのは、こういうところではないだろうか。

ということで、「物語的自己」研究の権威でもあるダン・マクアダムス教授という人物は、この程度の知性しか持ち合わせない俗物なのだろうか? また、マクアダムス教授が提唱する「物語的自己」って、学問としてどうなんだろうか? 少なくとも科学ではないようだ。
ポール・リクールやダン・マクアダムスの高尚な理論(物語的自己)は、「自分の人生をドラマ化したい(あるいは盛りたい)という、物語型人間の自己愛的な認知の癖」を学術的に正当化したもの、と捉えることもできるのではないだろうか。
彼らは、人間が過去を思い出す際に「都合よく記憶を改変し、ストーリーに仕立て上げる」という、ある種の認知バイアス(あるいは脳のバグ)を、あたかも人類普遍の本質であるかのように語っているだけではないだろうか。
本件に関するより詳細なレポート
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