かげろうの君と #16 第五話 八月①
第五話 八月①
新月の日がやって来た。
準備は万端。呪文も二人揃って暗誦出来るようになった。
会社も休んだ。何かあっても対応できるように。明日が土曜日というのもありがたかった。
ただ、幸子の未練がどこにあるかだけは分からず、さりげなく聞いてみても「それは大丈夫だから安心して」と微笑むばかり。
本人が言うのだから間違いないとは思うものの、愛する彼女の成仏を完璧に成し遂げたいと考えている身としては、少しの懸念も取り除いておきたいところ。
もっとも彼女の成仏について吹っ切れたのか? と問われれば、まだ首を傾げざるを得ない。
実感が湧かない、というのが正直なところだ。
いっそのこと、あの院長が言っていることが全て妄言であればいいのに、と思うが、それは自分の都合であって、彼女の気持ちではない。
もし自分に、終生、彼女の分まで賄えるエネルギーがあったとしても、それは何の保証にもならない。
両親は不慮の事故で失った。自分もどこかで事故に遭うかもしれない。
そうなった時、彼女は再び成仏する術を失くし、また何年も、いや、何十年も何百年も、独りでここに留め置かれることになってしまう。
愛する彼女を二度とそんな目に遭わせたくはない。ならば成仏はできるときにさせてあげたい。
だから邪念は振り払い、エンジニアとして、彼女の望む成仏の達成に集中してきた。
そして、彼女の未練も、自分なりに推測して下調べをしておいた。自信は無かったが、バックアップにはなるかもしれない。
「この素敵なお洋服たちとも今夜でお別れね」
長押に掛けられた洋服を名残り惜しそうに眺めている彼女に、胸が締めつけられる。
「……最後にもう一度聞くよ。本当に成仏していいんだね?」
幸子はコクリと頷くと、その場にゆっくりと正座して、三つ指を立てた。
「今まで本当にありがとうございました。拓海と出会えて、とても楽しくて幸せだった」
どうやら彼女の方は吹っ切れている様子。色々な想いが頭の中を駆け巡るが、今さら言っても仕方ない。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
これが、二人の最後のデート。夜中まで、時間が許す限り、目一杯楽しもうと約束した。
遠出は出来ないので、駅前を中心にして、あの初デートをなぞるように街を回る。
実は、拓海には別の目的もあった。このあと、タイムトリップした時のために、予め確認しておきたいこと。
「何でこんなところに?」
駅からの位置関係を探るように歩く拓海に、幸子が首を傾げる。
取り立てて何かあるわけでも無い住宅街。
「内緒。期待し過ぎてガッカリするかもしれないから」
「……もう。また拓海のいつもの〝内緒〟ね」
幸子が笑う。いつもとは違い、少し寂しそうに。
お互い考え無いようにしてきたのに、その時が近づくにつれて、やはり意識してしまう、終わりの時。
吹っ切るように、夜までたっぷりと遊んだが、それでも丑の刻まではまだ時間があるので、一旦家に戻ることにした。
この先、何が起こるか分からないので、トイレを済ませ、シャワーを浴びて、再度身支度を整えておく。
時間は午前1時。そろそろか。
「さっちゃん、もうそろそろ行こうか」
居間に入って声を掛けると、幸子は慌てたように振り向いた。
彼女の背の向こうには、あの二人の思い出のセルフィ―。心なしか、目が光っている。
「う、うん。行きましょう」
……やっぱり、彼女も吹っ切れてなどいなかったのだ。
それが分かっただけでも、拓海は嬉しかった。
そう、これは決して終わりなんかじゃない。二人が立ち止まらず、前に進むために必要なことなんだ、と言い聞かせる。
拓海は幸子を促して家を出ると、二人であの橋へと向かった。
日常で新月など意識したことは無かったが、月の明かりが無い分、星々がいつもより輝いているように見える。
橋に着くと、真夜中とはいえ、国道につき人目があるので、土手を降りて橋の下に潜り、腰を下ろした。
そしてリュックから院長に処方してもらった睡眠導入剤を取り出す。
「さっちゃん、手順は覚えているね? 俺はここから寝ちゃうから」
「ええ……、大丈夫よ」
「よし。じゃあ、飲むよ」
途中の自動販売機で買ったお茶のペットボトルを開け、薬を口に含むと、お茶を流し込んだ。真夜中で、前日もなかなか寝付けなかったこともあり、5分もすると眠気がやってきた。
落ちる瞬間、幸子がそっとキスをしてくれたが、いつもと違い、やんわりとした感触があったような気がした。
***
……拓海! 拓海! 起きて!
遠くで彼女の声が聞こえる。何かあったのだろうか?
うーん、と伸びをして目を開けると、幸子が心配そうに覗き込んでいた。
「あ……、さっちゃん、おはよう」
……ん? いつもより幸子がだいぶクリアにみえる。まるで生きているような。そして服装はあの橋で出会った時のもの。
思わず、幸子に触れようとして手を伸ばすと、彼女の顔を自分の手が突き抜けた。
「あ……、あれ?」
触れないのはいつもと同じなのだが。
「お、俺?」
「うん……。あたしが生き返って、拓海が幽霊になっちゃったみたい……」
拓海は起き上がると辺りを見回した。
実体の無い、意識だけの状態は勝手が分からずフワフワする。
〝君は仮死状態になって、霊として彼女と一緒に過去に遡るんだ〟
院長の言葉を思い出す。納得は出来た。ここは幸子の時代で、自分はまだ、生まれてもいないのだから。
「ここは?」
「あたしの、生前に住んでいた家よ」
「さっちゃんの家……」
柱に掛かっている時計は、朝の6時を指している。どうやら無事に(?)タイムスリップ出来たようだ。
「何か、久しぶりの身体で馴れないわ」
「だろうね。俺もだよ。お互い馴らさないと」
「そうね。まず顔を洗って歯を磨いてくるわ」
拓海としてはこの時代の生活様式に興味津々。
「へぇ、この時代からライオンの歯磨き粉があったんだ」
「もう、拓海、見ないで。恥ずかしいから」
「あ、ご、ごめん!」
慌てて洗面所を出る。急に幸子が生身の存在となり、調子が狂う。
居間に戻り、改めて部屋を見回して、隅に置かれた仏壇に目が止まる。
並んで置かれた写真。一人は軍服姿の男性で、もう一人は着物姿の女性。見た目的に彼女の両親だろうか?
「お待たせ。久しぶりにお化粧もしちゃった。と言っても、ヘチマ水しかないけど……」
悪戯っぽく舌を出した幸子が、拓海の戸惑いの表情に察した様子で、すっと仏壇の前に座る。
「……あたしの両親よ。時間が経ち過ぎて忘れていたけど、母はあたしが女学校の時に亡くなって、父は数ヶ月前に南の海で戦死したわ」
幸子の合掌に併せて、拓海も手を合わせる。
なるほど、彼女もまた、身寄りの無い境遇だったのだ。二人があの橋で出会ったのは、何かを引き寄せる力が働いたのかもしれない。
「ね、拓海。せっかくだから表に出ない?」
「そうだね。あ、でも、さっちゃんはお仕事に行かなくてもいいの? 今日が何曜日か分からないけど……」
確か彼女は生前、働いていたはず。拓海の勤める会社の前身で。
「今日は水曜日だけど……。どうせあたしはこの後、死ぬのよ? 仕事よりも拓海との時間を大切にしたいわ」
その言葉にドキッとする。
成仏という言葉に覆い隠されていたが、それはすなわち、彼女がもう一度、辛かったであろう死に直面する、ということだ。
今さら現実を突きつけられる。
「……分かった。じゃあ、行こうか」
彼女をひとりで死なせやしない。
どんなに辛くても、彼女の死の際まで必ず寄り添ってみせる、と心に誓う。
二人はしばし見つめ合うと、家を出た。
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