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祖父の原爆絵本を語り継ぐ【第6回】あの子らの碑のそばで、私は平和を学んだ─絵本と私の原点

「これだったら、石の上に乗って遊んでもだいじょうぶです」
遊び場だった石碑。そして「平和を」という静かなことば。祖父がくれた絵本。
子どものころの私は、それらを“語り継ぎ”だとは思ってなかったけど、今思えば、あの時間すべてが、確かに「平和を伝える」入り口だった。

私が生まれた頃から、祖父・坂口便は「原爆読本」や「長崎の原爆シリーズ」といった絵本を製作していました。おもに小学生、中、高校生を対象にしたものです。

まだ幼い頃に、初めて渡されたのは松谷みよ子さんの『まちんと』でした。
その後も「ひとつの花」「キノコのまち」といった短編を祖父に勧められました。
それらは、藁半紙に印刷され、ホチキスでとめ、ビニールテープで背表紙を貼った手作り製本。
教材として準備していたものだったかもしれません。

その後、小学生になった頃、祖父の絵本や原爆読本を受け取りました。
そして、父の転勤で長崎へ。
私は、祖父がかつて勤めていた山里小学校に通うことになりました。
この学校は被爆校としても知られ、この場所ならではの平和教育を受けることができたと思います。

🕊山里小学校と「あの子らの碑」|忘れないという祈りのかたち

山里小学校には、ひときわ静かな佇まいを見せる石碑があります。
その名も「あの子らの碑」。

これは、原爆で命を落とした山里小学校の児童たちを追悼するために建てられた記念碑です。
建立にあたり、大きなきっかけとなったのが、永井隆博士の存在でした。

永井博士は、被爆した子どもたちの作文などをまとめた
『原子雲の下に生きて』の編集を手がけ、世にだされました。その原稿料と、足りない分も博士が出され『あの子らの碑』が建てられたそうです。

この碑は、単なる追悼の石ではありません。
毎年8月9日には追悼の集会が開かれ、
碑の前で子どもたちが手を合わせ、平和を誓い、先に逝った友を偲びました。
今でもそうだと思います。

ただ、この碑は、形もずんぐりとしていて、子どもたちが乗って遊んでも大丈夫なように作られています。(いまは、どうなのでしょうか。
昔は本当に乗ってる子もいました💦)

祖父の絵本『あの子らの碑』の中には、永井隆博士が語ったこんな言葉が残されています:

「これだったら、石の上に乗って遊んでもだいじょうぶです。
ただ、あそびながら、石碑の中の絵は何をしているのだろう、
小さな石の柱の“平和を”って一体どういうわけだろう、
と考えてくれればいいと思うのですよ」

石碑には、モンペ姿の少女が、炎の中で合掌している姿が銅板に刻まれています。
碑そのものには、日付や説明文などは何も記されていません。

そばにある小さな石柱に、たったひと言――

「平和を」

その短い言葉が、子どもたちの胸に静かに残るようにと願われているのです。

私が山里小学校に通っていたとき、この碑は、鬼ごっこの中心でした。
みんな自然に集まり、笑い合い、走り回っていたあの場所に、
静かに、ずっとそこにあり続けていた碑。

親しみながらも、どこかで「大切な友だち」のように感じていたのを覚えています。

そんなふうに、私にとって「あの子らの碑」は、遊び場であり、平和を感じる場所であり、
何より、“日常の中にある語り継ぎ”の入り口でした。

そしてある夏休み、私は祖父から――
小さな、手作りの絵本を託されたのです。

📚次回予告
祖父からもらった手作り製本『火のトンネル』『もえるびょういん』

📕ぜひ、こちらもお読みください✨


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