🕊山里小学校の平和教育|「語り継ぎ」が日常にあった
長崎の爆心地から近い小学校がふたつあります。
城山小学校と、山里小学校。
私は、山里小学校に2年間、お世話になりました。
校舎もまだ建て替え前の旧校舎で。
今思えば、本当に特別な時間でした。
校内や地域そのものが、静かに語りかけてくれる場所であり、
生きた教材が、日常のあちこちにありました。
✅ ガラスのかけらが教えてくれたこと
こんな校内アナウンスが流れることがありました。
「運動場から、溶けたガラスが出てきました。資料室に展示してありますので、見てください♪」
それは、原爆の熱線で溶けたガラス片。
突然現れる“記憶のかけら”も、日常の一部でした。
✅ 「あの子らの碑」と「あの子」の歌
原爆で亡くなった山里小の児童を追悼する「あの子らの碑」。
不思議なんですが、いつもそこにいてくれる友だちのように感じていました。
校歌とは別に、永井隆博士が作詞された「あの子」という歌もあって、
平和記念式では、大切に歌い継がれていました。
かべにのこった らくがきの
おさない文字の あの子の名
よんで ひそかに 耳すます
ああ あの子が 生きていたならば
✅ 如己堂と永井隆博士
学校のすぐそばにある「如己堂」は、博士が病と闘いながら平和を訴え続けた場所。
こちらも建て替え前だったと思います。
当時は図書の貸出もされていて、よく絵本を借りて帰っていました。
「己の如く隣人を愛せよ」という言葉のとおり、
不思議と愛情を感じる、安心できる場所でした。
山里小学校の被害
作業中の職員爆死または火傷を負い,馬渡校長以下職員25名,養護婦1名,使丁2名逐次殉職。当日出勤職員で異常のないもの僅か4名。校舎の正面2階及び使丁室より発火し北側1・2階を残すのみで全焼。児童の爆死・焼死・火傷死した者約1,300名。
20年10月に、残存した児童を集合。校舎焼跡で授業を開始。(児童35名,職員7名)
もう、ずいぶん訪れてはいませんが、
今でもきっと、山里の子どもたちは「あの子らの碑」を大切に想い、
「あの子」の歌も、変わらず歌い継いでくれているんじゃないかなと思います。
思いを繋いでくださる先生方や地域の皆さまに、心から感謝しています✨
8月9日には、私は、広島から、
あの子の歌を歌い、平和を祈ろうと思います。
📕ぜひ、こちらもお読みください✨
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