【俺の悲しみはお前の幸せ】 〈小説〉
【俺の悲しみはお前の幸せ】
七海 文〈ななみ あや〉
俺には二人の女が存在していた。
1人は、鬱陶しい女。
もう1人は、捌けた女。
この二人の女の存在が、
俺自身に、
どんな影響を与えていったかを、
ここに示したい。
気付いたときには、
両親の居る家を飛び出し、
この狭い空間のこの部屋で、
独りで暮らしている。
この部屋は、
殺風景であり、
余計なものは置いていない。
そして、
目の前には、
鬱陶しい女が、
静かに微笑んでいる。
この女と会った時、
この静かな笑顔が、
悪くはなかった。
俺の為にだけに、
笑っていてくれているという優越感を、
常に与えてくれていた。
世間の汚いもの、
嫌なものを、
見続けた毒づいている俺を、
柔らかに、
暖かに見つめるのだ。
そんな女の優しい目に、
有難みを感じる振りをして、
心のなかでは蔑んでいる。
何故なら、俺は、
そんな風に笑うことを知らないし、
許されなかった。
そして、女は、
そんな俺を包み込もうとしている。
包み込もうとしている女を俺は拒む。
それでも、女は、
俺を優しく見つめている。
俺が小さな子供だったことを、
思い出させるかのように、
しがみつくように、
俺を強く抱き締める。
その抱擁に、
甘えそうになるが、
俺は女を突き放す。
笑顔が消え、
女が傷ついたことを、
頭で理解する。
そして、
俺から、
謝るように、
抱き締め、
俺が守っているかのように、
振る舞い、
強く抱き締めてやる。
女は常に俺に愛されたがっていた。
そういうものを、
与えることが出来るのだろうか。
同じ血の通っている筈の親にさえ、
満足に与えられたことが、
ないというのに。
与えられたことがないものは、
どうやって、
それを理解して、
与えていけばいいのだろうか、
俺は、
与えられたことがない憎しみを、
ぶつけていくことが、
俺に残された、
唯一の情だと思っている。
それでは駄目なのか。
あたたかい両親に、
蝶よ、花よと、
育まれてきた、
お前のような愛し方を、
俺にしろと言うのか。
哀れな人と、
俺を見つめながら、
大事に思っているという、
独り善がりなお前の感情なんてものを、
俺が見下していることを、
知っているか。
知らないだろう。
いや、知りたくないだろう。
俺はこの女にそれを知って欲しかった。
鬱陶しい女の中にあった、
私よりも哀れな人という、
その意識の存在が、
常に俺を怒らせ、
俺を哀れな人間にさせようとしていることを。
その怒りは、
ぶつけられるものではない。
ぶつけたら、
それは、
俺の僻みとして、
容易く片付けられてしまうからだ。
僻んでいる俺自身を否定はしないが、
容易く、扱われることが、
癪に触る。
鬱陶しい女の甘やかされた環境と、
俺の居た環境の違いの不公平さを、
日々、感じゆく。
そして、
俺とお前は、
生まれ育った世界が、
違うよなと突き放した。
そうした途端、
女はその言葉を、
敏感に感じて、
生まれてはじめて味わう、
孤独感という感情が、
自分の中に流れたことに
驚いていた。
俺が他の女と、
キスしあっているのを、
見た時以上に傷つき、
凍り付いていた。
俺は、
女に愛されている優越感を貰い、
女には、
俺を理解したくても、
理解できずにいる孤独感を与えていた。
孤独感を感じる以前に、
女は孤独だった。
何故なら、
俺に近付き、
俺を好きになり、
俺に愛されたがっている時点で、
もう、孤独になっている。
屈折した複雑な精神を持つ俺に、
周囲の人々は、
誰も近寄りたがらず、
避けていたのに、
この女は近づいてきたんだ。
周囲の人々から、
抜け出し、
自分から、
孤独になることを望んできたんだ。
この女に、
孤独への冒険を誘い、
仕掛けたのは、
もちろん、
女をおもちゃにして、
弄ぶ楽しみを知っていた、
この俺だ。
俺の前で、
孤独感を感じゆく女を、
好きではないが、
嫌いではなかった。
そんな鬱陶しい女を、
両親のいる、
帰るべき家に帰らせた。
俺の部屋には、
鬱陶しい女はいなくなり、
乾いた空気だけが残っていた。
気晴らしに、
急に捌けた女に、
会いたくなり、
気紛れに再会した。
俺達は、
愛し合うのではなく、
理性を失いながら、
人間として、
生まれ持ってしまった
性の本能を消化しながら、
お互いの体を借り合い、貸し合う。
捌けた女に、
鬱陶しい女への文句と悪口を聞かせた。
捌けた女は、
勝ち誇った顔を見せることなく、
静かに頷き聞いている。
今迄、関わってきた女は、
自分以外の女の悪口を言う俺を見て、
勝ち誇った顔を隠すようにして、
喜んでいた。
勝ち誇った顔をしなかった捌けた女に、
俺は驚いた。
俺のその驚きを悟り、
かっての私もそうだったからよと言った。
そうだった、
この女も、
本当の俺を知りたがり、
本当の俺に、
愛されたがっていたということを、
思い出した。
捌けた女は、
多分、
俺にこういう事を言っていた。
いろんな女に、
愛されてきても、
あなたから、
愛することは、
無かったよね。
その謎が、少しだけ、わかったの。
あなたは、
女に、
愛されたいのではなく、
血の通った両親に、
自分の愛してほしいように、
愛されたかったんでしょ。
私は、
あなたを見た時、
男の体に触れたことさえも、
堕胎したことさえも、
生んだことさえも無いというのに、
自分がどこかに捨ててきた、
我が子のように思い、
あなたを悲観的にさせるものから、
守りたいと思っていた。
誰かと、
はしゃいでいる時の、
楽しそうな顔をしているあなたには、
特別な魅力をちっとも感じなかった。
時々、挑発的で、
挑戦的な姿勢でありながらも。
あなたの目は怯えていて、
どこか死んでいた。
そして、いつも、何かに怒っていた。
その怒りを、
どこに向けたら良いのかわからずに、
闇雲に、
ぶつけようとしているあなたに、
無関心のままではいられなくなった。
そして、何かに怒っている、
その何かを知りたくなった。
周囲の人々は、
あなたが気になってしょうがない私を、
面白がりながら、
小馬鹿にしながら、
彼は危険な人と、
最後に囁いていった。
確かに、あなたは危険な人だった。
自分が苦しんでいる以上に、
人を苦しめたいと思っている危険な人だった。
そんな私は、
周囲の人々の中にいる、
自分をつくり、
八方美人になっている、
自分自身の生活に疲れていた。
そして、
極端に悪い女になろうとしていた。
あなたと関わるだけで、
周囲の人々は、
面白いように、
容易く、悪い女っていうレッテルを、
貼り付けてくるだろうと思い、
あなたに近付いた。
そして、自ら、
孤独でいる自分を自覚しようとした。
自分は悪い女のままでいいけれど、
あなたには、
優しい気持ちを、
取り戻してほしいと思い、
あなたを変えたいと思った。
いつも、
何かに怒っている、
あなたの怒りを鎮め、
癒したいと思った。
しかし、
変えられてしまったのは、
私の方だった。
孤独を感じなかった私に、
孤独を感じさせ、
あなたという人を、
好きになる自由を知った。
それまでは、
何も知らない世間知らずだった。
私は、いつも、
自分で鉄の鎧を着込んで、
思う通りではなく、
決めつけた通りにしか、
生きられない人間だった。
今は、
こうして、
あなたに、
会いに行ける人間になれたよと、
捌けた笑顔で、
俺に笑いかけた。
そして、
捌けた女は、
感情を割り切りながら、
捌けた笑顔で、
俺の前から去っていく。
俺は飛び出した筈の、
両親のいる家が、
気掛かりになり、
覗いてみたくなった。
気が遠くなるほど、
しばらく、その家に、
帰っていなかった。
それ程に、
俺と両親のいる家庭には、
複雑な何かがあったんだ。
これを語りだすと、
体中が中から、
痛み出してゆくのだ。
俺の両親は若い内に結婚して、
そして、この世に俺を誕生させた。
楽しそうな、
明るい家庭に、
きっと、見えただろう。
父は、今の俺に似ていて、
全てにだらしのない男だった。
気紛れに俺を可愛がり、
虫の居所が悪いと、
俺に当たり散らす、
子供のような最低な父親だった。
母はそんな父から、
俺を守ろうとしていたけど、
気の弱い女だった。
父は、
自分自身の物事が、
上手くいかないことを、
母に当たり散らし、
母はそれを受け止め、苛立つ。
そして、
その苛立ちを受け止めるには
小さすぎる俺を傷つける。
父と母に対し、
憎しみと憐れみの情を、
増やしては鎮めるを、
繰り返しながら、
いつしか、
話すこともしない。
無口な子供になっていた。
気紛れに、
僕を抱き締めてくれた時だけ、
僕は父と母に、
甘えることを許されたのです。
本当はね、
僕の愛してほしいように、
僕のことを、
ずっと、優しく、強く、
抱き締め、
偽りなく、愛して欲しかった。
気紛れな両親に育てられた僕は、
人の顔色を伺うことを覚え、
子供らしくない子供になりました。
両親、
そして、僕より立場の強い者の、
目の届かない所で、
僕は僕より立場の弱い者に、
当たり散らしながら、
傷つけられた心の痛みを、
癒そうとしていた。
しかし、
当たり散らしている、
自分の弱さに、
僕は深く傷ついてきていた。
そうやって、
大きくなり、
今の俺になっている。
この世に誕生して、
最初に出会う人間に、
影響されて、
人間は育つんですよ。
最初に出会った人間に、
憎しみを感じてしまうこと程、
哀れなことは無いんです。
幼き僕は、
あの家を出ることだけを、
必死に考え抜きながら生きていた。
自分が無力だということを理解し、
僕の本当の両親は、
遠い、遠い、どこかにいて、
いつか、僕を迎えにきてくれると、
願い、信じ、待っていました。
しかし、誰も、
迎えにきてはくれませんでした。
本当の両親は、
目の前にいる、
この気紛れな父と母なのです。
僕の中には、
両親と同じ血が一緒に流れています。
この一緒に流れている血液まで、
変えたいと思いました、
この血液を流し切って、
死んでしまいたいとも思いました。
それでも、
やっぱり、
生きていたかった。
この世に存在するものよ、
自分の血が混ざった魂を、
尊重出来ないのなら、
産まないで下さい。
育てないで下さい。
性の本能の赴くまま、
人と繋がるのをやめてください。
だけれども、
人は寂しがりになり、
誰かの温もりを求め、
繋がりたがり、
繋ぎ止め、
結局は俺のような人間を、
産むことになるんだ。
人間とは、
なんて、悲しくも、
繊細な哺乳類。
俺は生まれてきたくて、
生まれてきたわけではない。
自分の意志で生まれくるわけではない。
そこが、とても、不思議であり、
時には残酷である。
生まれてくる場所によって、
そこで待ち受けている人の人間性に、
影響されながら、
生き続けてゆくんです。
俺の悲しみは、
そこから来ていました。
鬱陶しい女も、
捌けた女も、
俺の悲しみを癒すことが出来る
期待感と幸福感と優越感を、
一度に感じたい為に、
俺の傍に、
目の前にいました。
その悲しみを、
感じている俺を見るのが、
俺を意識している女達の幸せでした。
結局、自分が、一番、可愛いのです。
俺は優しくされても、
すぐに恩恵を感じられるほど、
優しい人間には、
育っていませんでしたので、
何も感じさせないように、
女達に、
自分可愛さを責め罵った。
自分は、
どうしたらいいのだろうかという、
すぐには予測出来ない、
新しく焦りの入り混じった孤独感を、
女達に与え続ける。
俺が、どうして、
こんなにも意地悪で、
複雑な人間になったのか、
分かって頂けたでしょうか。
そうやって、
怯えながら過ごしていた、
あの頃を思い出す度に、
あの家に帰りたくなく、
どんどん、遠ざけていこうとした。
それでも、まだ、こんなに、
大きくなっていても、
父と母からの愛情を求めている、
密かな僕が悲しい。
他人ではある女達に、
母親のように、
どんなに強く、
優しく愛されても、
僕は血の通った父と母の愛情を、
一番、確かめたがっているのです。
あの家を出たけれど、
時々は、
家の前を通り過ぎながら、
窓の明かりの点滅を見て、
父と母の生きている遠い感触を、
確かめていた。
そして、
僕の中には、
強い俺が存在していたから、
帰りたくなかった、
両親のいる家に、
入ろうとする気持ちが出てきた。
この強い俺の中には、
憎しみも、憐れみも、
優しさも、強かさもある。
そんな強い俺に、
支えられて、
今日も生きています。
鬱陶しい女を連れ出し、
この両親の家に、
家族としてではなく、
客として、
訪ねることにした。
鬱陶しい女は、
俺の気紛れで、
そこに連れ出されたことに、
驚いていた。
母は戸惑いながらも、
何も言わずに、
突然来た、
俺たちを出迎えた。
鬱陶しい女は、
母に対して、
穏やかな笑顔で、
会釈していた。
俺は母を気遣う心理が無く、
挨拶も言わずに入った。
母はそんな俺の態度に、
諦めたような顔を見せた。
それが腹立たしかった。
そして、
俺と鬱陶しい女は、
元の俺の部屋に入る。
出た時よりは、
無くなっているものも、
いくらかあったけど、
俺の部屋として、
ちゃんと残っていた。
母は機械的に、
お茶の入ったペットボトルと、
空の2個のコップを、
俺に差し出した。
俺はそれを受け取り、
鬱陶しい女に渡した。
鬱陶しい女が、
コップにお茶を注いだ。
俺はこの家への、
帰巣本能を、
無くしてきたつもりだったのに、
完全に無くすことは、
出来ないことを自覚した。
居間に移動することにした。
そのドアを開けた向こう側には、
純粋無垢な感情を、
狂わせる原因を、
作り出した人、
父の背中が見えた。
その背中は、
以前に見た時よりも、
小さく、
俺を怖がらせるような、
威圧感はどこにもなかった。
確実に、
父は当たり前に、
歳を取っていた。
何故なら、
俺のほうが大きくなり、
若い威圧感を出していた。
父は俺の気配を感じ、
振り返った。
無表情な顔で俺を見ている。
俺も立ち止まったまま、
父を見る。
父は母と、
同じように、
段々、狼狽えてゆく。
俺が持ち続けている、
物言わぬ、
眼差しの強さに、
耐えられないのだろう。
俺の目の奥に、
何があるのか悟っても、
その悟りを、
自分に自覚させてゆくことを、
彼等は恐れている。
そして、それが、いつも、
俺を悲しませ、
彼等を嘲笑う種に、
なっていたことを知らない。
狼狽えながらも、
俺の眼差しを見ずに、
声を掛ける。
そういう風にしか、
俺と関わる事が出来ない。
彼等のその態度に、
悲観的な自分を、
抑えられなかった俺だった時は、
そこら辺にあるものを、
当たり散らし、
彼等の中にある悟りを、
目に見える形あるものにしていこうと、
必死だった。
俺が無断で壊し、
砕けていったものを見せて、
俺がどれだけ、
悲しんでいるか、
分からせようとしていた。
それでも彼等には伝わらなかった。
今の俺は、
そういう風にしか、
生きられない人なんだと、
悟ってあげている。
この眼差しの強弱の加減は、
きっと変わらず、
今の眼差しの強さのままで、
彼等の行動も心理も、
威圧しようとするだろう。
目は口程に、
物を言う人間の代表が、
俺なのだ。
鬱陶しい女は、
そんな俺を、
横で心配そうに見る。
そして、
俺は急に無気力になり、
俺自身で、
いつもの空虚な、
いい加減な俺に戻してゆく。
鬱陶しい女は、
父と母に、
俺には出来ない、
余裕のある笑顔で、
彼等に別れの挨拶をした。
彼等も反射的に挨拶を返した。
他人に対しては、
上手に関わる事が
出来ていることに、
俺は笑ってしまった。
どんなに久し振りに会っても、
彼等も、俺も、
簡単には、
自分自身を変える事が
出来ないのだ。
【完】
〈あとがき〉
この小説は、
若い時に書いたものです。
どこまでも、
嫌な人間を書いてみたいと思って、
書き上げたものを修正したものです。
この小説を読んで、
辛くなったら、ごめんなさい。
本当に、
心が辛くなったら、
心療内科、専門家、プロに、
頼ってくださいね。
✡著者の七海文〈ななみ あや〉も、
劣等感を持て余しながら、
生きてきました。
今は、その劣等感を愛して、
抱き締めながら、
ちゃんと生きています。
そして、
読んでくれた人達の、
幸せを祈っています。
最後まで読んで頂き、
ありがとうございます。
著者
七海 文
〈ななみあや〉
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