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【判例読み解き】チャタレー事件(わいせつな本の出版も表現の自由?/公共の福祉と表現の自由)

表現の自由と公共の福祉について争われた「チャタレー事件(チャタレイ事件)」についてわかりやすく解説します。なお、本記事は特定の書物を非難もしくは称賛するものではありません。また、判決文の内容を正確に伝えるために、表現なども引用して掲載している箇所がありため、性的な表現も若干含まれます。ご覧の際にはご注意ください。


基本情報

最高裁昭和32年3月13日大法廷判決
(昭和28年(あ)第1713号:猥褻文書販売被告事件)
(刑集11巻3号997頁)

事実の概要

そもそも本件の問題となった書籍がどのような本なのか。これについて簡単に解説をしたいと思います。なお、この記事は読書案内が目的ではないため、作品の紹介は判決文で示されている程度とします。

問題となった「チャタレー夫人の恋人(「チャタレイ夫人の恋人」とも言われますが、ここでは最高裁判決文に則り、「チャタレー夫人の恋人」と表記します。)」は、英文学界では著名なCが執筆した長編小説であり、芸術的観点から相当高く評されています。内容には、思想や文明批評が含まれており、著者の理想が表明されています。

物語のあらすじとしては、第一次世界大戦に出兵したことで負傷し、性的機能を失った貴族クリフオードの妻コニーが、領地内の森番メラーズと肉体関係を持ち、最終的には社会的な制約を打ち切って新生活に入ろうとするというものです。この物語をとおして、貴族社会への批判、工業化による自然破壊、また労働者の悲惨は境遇などを伝えているほか、全体を通じて「性的欲望の完全な満足を第一義的とし、恋愛において人生の意義を認める人生哲学」が展開されています。

出版社代表である被告人Bは翻訳者である被告人Aに、日本語への翻訳を依頼し、その日本語訳を得ました。そして、検察官が指摘する12箇所の性的描写があることを認識した上で、翻訳された本件書籍を頒布および販売しました。この行為が刑法175条のわいせつ物頒布等罪に問われ、起訴されました。

第一審は、被告人Bのみを有罪とし、Aについては「犯罪の証明なし」として無罪判決を下しました。また、本訳書を本質上わいせつ文書とはいえない」と判定しました。第二審では、一審の判決を覆し、Aについても共同正犯を認め、罰金10万円の有罪としました。第二審は、本作の性的場面が「性行為の非公然性の原則」に反し、社会通念上認容された限界を超えているとして、刑法175条の猥褻文書に該当すると判定しました。これに対して弁護人が上告しました。

判旨

上告棄却

最高裁の判決文全文はこちらから検索できます。(事件番号に「昭和28年(あ)第1713号」を入力してください。)

解説

今回のチャタレー事件の争点は以下のつです。

①わいせつ文書の定義と芸術性との関係について
②表現の自由と公共の福祉について
③故意の成立要件について
④裁判官の良心について

①から順に解説していきます。

①わいせつ文書の定義と芸術性との関係について

両名被告人(上告人)はわいせつ文書の定義を決める際には、「専ら自発的判断力の未熟なる未成年者のみの好奇心に触れることを予想し性の種族本能としての人道的職分を否定又は忘却せしめ肉体を消耗的享楽の具たらしめ未成年者をして恢復し難い心身の損失を招かしめるような悪意ある性関係の文書」と定義するべきだと主張しました。この定義は噛み砕いて説明すると、“未成年者の好奇心に触れることを予想した上で、未成年者の心身の喪失を引き起こしかねない悪意のある性関係の文書”ということです。その定義に従って考えると、チャタレー夫人の恋人には、「誠実性」や「警世的意図」があるものだから、わいせつ性は否定されるべきだと主張しました。

この主張に対して、最高裁は、わいせつ文書の定義を「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」としました。その上で、「芸術性と猥褻性とは別異の次元に属する概念であり、両立し得ないものではない」と判示しました。作品がどんなに高度な芸術性を持っていたとしても、それが「猥褻性を解消するものとは限らない」のだと判断したのです。

②表現の自由と公共の福祉について

上告人は、表現の自由について、「絶対無制限であり、公共の福祉によつても制限できない」ものだと主張し、また、憲法21条2項の規定から、検閲が禁止されている以上、公共の福祉云々の判断は、「各人の自主的判断に委ねられ」るものだとしました。

これに対して最高裁は、まず、いかなる基本的人権についても「公共の福祉の制限の下に立つものであり、絶対無制限のものではない」と判示しました。また、検閲が禁止されている中でも、「猥褻文書の頒布販売もまた禁止できなくなつたと推論することはできない」とし、刑法175条のわいせつ物頒布等罪の合憲性を否定しませんでした。そもそも、何がわいせつ文書に該当するか否かは、前述のとおり「社会通念で判断できるものである」から、判断の基礎が事前に不明白であるとは言えないと判断しました。

③故意の成立要件について

上告人は、出版が「警世的意図」に基づくものであり、主観的には猥褻文書にあたらないと信じていたため、故意は成立しないと主張しました。

最高裁は、猥褻物頒布等罪の故意とは、「問題となる記載の存在の認識とこれを頒布販売することの認識があれば足りる」とし、上告人に故意があったと認めました。また、客観的にわいせつ性のあるものを主観的にわいせつ性がないと判断して販売した際にも、「法律の錯誤として犯意を阻却しない」と判示しました。

④裁判官の良心について

上告人は、原判決(控訴審判決)は、論理を無視した不正なものであり、「非良心的」であるから憲法76条3項に違反するものであると主張しました。

これに対して、最高裁は、そもそも憲法上の裁判官の良心とは、「裁判官が有形無形の外部の圧迫ないし誘惑に屈しないで自己の内心の良識と道徳感に従う意味」であるとし、単に弁護人の見解と異なる判断をしたからといって、「非良心的」ということはできず、憲法違反ではないと判示しました。

最終的に、最高裁判所はこれら全ての争点について上告人の主張を退け、「本件各上告を棄却する」として、原判決(有罪)を維持しました。

参考文献

  • 最高裁判決文(昭和28年(あ)第1713号)

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