28歳、ブランド最大の炎上。誹謗中傷、そして逃亡。パリ移住の、本当の理由
「私がやることは、全部喜んでもらえる」
当時の私は、本気でそう思っていた。
数百個のアクセサリーが数分で完売し、百貨店の開店前に行列ができる。熱狂の中心にいた私は、いつしか魔法にかかっていたのだと思う。
いや、魔法なんかじゃない。
それは、「傲慢」という名の、あまりに醜い勘違いだった──
調子に乗った私が引き起こした、ブランド始まって以来の最大の「炎上」と、そこから逃げ出した日の、恥ずかしい記録です。
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2018年。
大阪での一人暮らしを始めた28歳。
孤独を埋めるように仕事に没頭した結果、ブランドは異常なほどの成長曲線を描いていた。
ある百貨店でのPOP UPでのこと。
初日、開店と同時に200人近いお客様が並んでくださった。
季節は冬。寒い中でお待たせしてしまうのが申し訳なくて、私はスタッフさんに頼んでカイロを100個買ってきてもらい、配ることにした。
「ありがとうございます」
「寒い中、すみません」
一人ひとりに声をかけながら配り歩く。しかし、100個配り終えても、列はまだ遥か後ろまで続いていた。恐怖で足がすくむ。慌てて、もう100個追加で買いに走った。
大変なことが起こっている──
申し訳なさの裏側で、いじわるな甘い蜜のような感覚が、じわりと胸に広がる。

1週間かけて販売するはずの商品が、たった1日で完売する。
作っても作っても追いつかない。
本来なら、クオリティを維持できないことや、お客様に届けきれないことに危機感を持つべきだった。
けれど、数字と熱狂は、私の感覚を麻痺させていった。
「私が作れば、みんなが喜ぶ」
「私が動けば、正解になる」
そんな全能感に酔っていた私は、ある一つのアクションを起こす。
それが、悪夢の引き金になってしまう。
──
売り方を学ぶため、私はこの時期、ビジネス書・自己啓発本を読みまくるようになる。年間読書50冊くらい。とにかく痛烈なマッチョな思想が多い界隈の本に、どっぷりとハマっていった。
西野さんの『革命のファンファーレ』
前田裕二さんの『人生の勝算』
山口絵里子さんの『裸でも生きる』
ジャパネット高田さんの『伝えることから始めよう』
森岡毅さんの『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?』、
佐藤航陽さんの『お金2.0』……
世の中にはかっこいい起業家がたくさんいる。書かれていることを愚直に行うと、面白いくらいにちゃんと結果が出る。
そして、それらの本に感化され、「ファンの方と一緒にブランドを作る」ということに熱中していた。
無料のオンラインサロンを立ち上げると、瞬く間に200名が集まった。
参加くださった方々と一緒に、大阪で単独の販売イベント(個展)を開催することにしたのだ。会場のキャパシティと、用意できる商品数には限界がある。泣く泣く、入場は「抽選で150名様限定」とせざるを得なかった。
サロンメンバーは200名。つまり、協力してくれたのに、当日来られないメンバーもいるということだ。
ここで、私は致命的な判断ミスをする。
「協力してくれたサロンメンバー全員の名前を、パンフレットに載せよう」
映画のエンドロールのように、感謝の気持ちを込めて全員の名前(ローマ字)を記載し、それを当日来場した150名に配布する。私はそれを、「素敵なサプライズ」だと信じて疑わなかった。自分の名前が載っていたら、きっと喜んでくれるはずだ、と。想像力が、完全に欠如していた。
イベントに行きたくても行けなかった人の気持ち。
自分のあずかり知らぬところで、名前が印刷され、配られることへの不信感。
私の「良かれと思って」は、誰かにとっての「暴力」だった。
炎上、そして誹謗中傷の嵐
イベント前から、沸々とその兆候はあった。私の行動は着実に傲慢になっていっていたし、そんな尖った発言がTwitterを中心に、ちょこちょこと批判を受けるようになってきた。
この時、フォロワーさんはInstagram1万人にようやく到達したあたりで、Twitterは1000人ちょっと。「こんなに小さい規模でも、批判ってくるんだな」と謎の楽観視をしていた。ちゃんと受け取れていなかった。

そしてイベント終了後。Twitter(現X)がざわつき始めた。
イベントにきてくださった方の嬉しい投稿やメンションが続々と投稿される中で、角度の違った投稿がなされはじめた。
「パンフレットに、私の名前勝手に乗せられてる!」
「行けなかったのに名前だけ使われている!怖い!」
「個人情報の流出だ!ありえない!」
「サロンに入って協力したのに、扱いがひどい!」──
火の手はあっという間に広がった。
批判は、パンフレットの件だけにとどまらなかった。
一度火がつくと、それは私に対する人格否定や容姿への攻撃、果ては私のブランドを愛用してくださっているファンの方への批判や揶揄へと飛び火していった。
数日のうちに「maruo vintage 炎上まとめ」そんなまとめサイトまで作られた。Twitterをひらくたびに、見知らぬ誰かからの鋭利な言葉が突き刺さる。
「今まで買ったのが無駄だった」
「こんなブランドだと思わなかった」
悲しみの声は、どんどん鋭いナイフのような言葉にエスカレートしていく。
「謝罪しろ!」
「隠れるな!」
「反応しろ!」
「金の亡者!」
「しね」
「消えろ」
怖い。
怖い。
怖い──。
心臓が早鐘を打ち、手足が冷たくなる。
通知の赤いマークがつくたび、ドキッとする。
世界中の全員が、私を敵視しているような錯覚に陥った。
「逃げた」という烙印
一番情けないのは、ここからの私の行動だ。
明らかに私が悪い。100%、私の配慮不足と傲慢さが招いた事態だ。
すぐに謝らなければならない。わかっていた。
でも、怖くて、こんなに一気にたくさんの言葉を浴びたことがはじめてで、エネルギーが、言葉が出てこなかった。
どう謝ればいいんだろう。
何と言えば許してもらえるんだろう。
保身と恐怖で頭が真っ白になり、苦しくて時間だけがすぎる。もう、ほぼ心が死んでいた。それでも、ひっきりなしに批判は続いている。批判で自殺してしまう人の気持ちが初めて、自分ごとになってわかった。
わたしくらいのこんな小さな規模で、こんなに「痛い」んだ。そして、自分が原因だから、もっと苦しい。画面の奥にいる匿名の人の言葉が、こんなにも鋭く刺さる。痛くて、痛くて、苦しい。
必死の思いで、謝罪文を綴る。手が震えてうまく文字が打てない。勝手に涙が溢れてくる。食欲なんて全然わかない。鉛のように重い身体は、ベッドからびくともしない。暗闇の中で何時間もかけて、謝罪文を書く。
そして私は最悪の選択をした。
Facebookのサロンページへの謝罪文の投稿を、スタッフさんにお願いしたのだ。
私の名前で、私の言葉として書いてはあった。
でも、投稿ボタンを押したのは私じゃなかった。
「逃げてる」
「誠意がない」
「本人を出せ!」
火に油を注ぐとはこのことだ。
私のその弱腰な姿勢は、さらなる怒りを買った。
当然の報いだった。
私は完全に心が折れた。
ベッドから起き上がることができなくなった。
カーテンを閉め切った暗い部屋で、天井を見上げながら、ただただ涙が流れた。
もう、終わりにしよう。
こんな未熟で、弱くて、誠実さのかけらもない私が、ブランドなんてやる資格はない。
誰も私なんて求めていない。
消えろって、言われてた。死ねって書かれてた。
今すぐ消えてしまいたい──
──
炎上の渦中も、皮肉なことに仕事のスケジュールは決まっていた。翌月には、表参道のSlobe IENAさんでのPOP UPが控えている。
もう誰も来ないだろうな。
あんなに叩かれて、あんなに晒されて。
しかし人の興味関心とはすごいものだ。
時間と共に、あっというまに批判は下火となった。それはすなわち、私のブランドはもう、「終わったコンテンツ」になったのだ、と思った。
だから怖かった。店頭に立つのが。誰かの視線にさらされるのが。
石を投げられるんじゃないか。罵声を浴びせられるんじゃないか。むしろ、誰一人来てくださらないんじゃないか。そっちの方が確率は高いだろう。
でも、これ以上逃げててもしょうがない。ボコボコに叩かれた後でも、「楽しみにしてます!」「応援してます!」とメッセージをくださる方々がいた。その方のために、行こう──。
そして初日の朝。
足がすくむ思いで、表参道の店舗に向かった。誰もいない入り口を想像して、絶望する準備をしていた。
けれど。
そこには、50名近いお客様が並んでくださっていた。
嘘みたいな光景に、その場で崩れ落ちる。涙がとめどなく溢れてくる。
ネットの海ではあんなに嵐が吹き荒れていたのに。
あんなに批判されていたのに。
ここには、変わらず私を、私の作品を待ってくれている人たちがいた。
「楽しみにしてました」
「ずっと欲しかったんです」
その言葉の一つひとつが、傷だらけの心に絆創膏のように優しく貼り付いた。
救われた。
本当に、救われた。
でも、同時に痛感した。
「私には、実力がない」
今のこの人気は、私の実力じゃない。
周りのセレクトショップさんのブランド力や、時代の波に乗っているだけだ。
中身が伴っていないのに、"外側"だけが大きくなってしまった。
だから、こんなふうにボロが出たんだ。むしろ、批判されて当然だった。されなければならなかった。
これ以上続けても、また同じ過ちを繰り返すだけだ。
中身がともなってなさすぎる。
今のままじゃ、だめだ。
──
そして、私は決めた。
もう、ブランド、辞めよう。
そして、日本から、離れよう──。
それは前向きな「挑戦」なんかじゃなかった。完全なる「逃避」。
日本にいたくない。
私を知っている人がいない場所へ行きたい。
もういっそ、みんなが私のことを忘れてくれたら、ブランドも自然消滅させられるかもしれない。
今の環境をすべてリセットしたい。
5月のあの日、表参道の喧騒の中で、私は9月のパリ行きを決めた。
そこまでは、責任を持って走り切ろう。そして、9月になったら、全部終わりにして、パリへ逃げよう。
それが、私が1度目のパリ移住を決めた、本当の理由。
夢を追いかけたわけじゃない。
自分の未熟さと、傲慢さと、犯した過ちから、ただ逃げ出したかっただけなのだ。
──
1度目のパリ移住をした時。
私はブランドを辞めるつもりで渡仏した。そんな私は、パリで、人生の中でトップクラスにタフで苦しい1年を過ごすことになる。人生で初めて精神的におかしくなりかけ、部屋で一人で発狂し、カウンセリングを受けた。苦しかった。まるで、世界でたった一人になったみたいだった──。
<つづく>
執筆後記
この章を書くために、当時の記憶の蓋を開けました。そこにあったのは、今の私が一番見たくない、醜い自分の姿でした。
「良かれと思って」という言葉は、時に暴力になります。 「怖かったから」という言葉は、ただの卑怯な言い訳です。
あの時、私は間違いなく、加害者でした。
私の配慮のなさが、傲慢さが、応援してくださっていた方々の心を深く傷つけました。 それなのに、私は「誹謗中傷が怖い」と被害者の顔をして、シェルターに逃げ込みました。
その事実を、7年経った今、ようやく直視しています。 言い訳の余地はありません。あの時の全ての判断ミスと、不誠実な対応は、すべて私の未熟さが招いたことです。
思い出すだけで胃が痛くなるような、私の人生の深い反省の体験です。
炎上そのものよりも、その後の「謝れなかったこと」「逃げたこと」の方が、今でも深く心に残っている後悔です。
人は、失敗した時の態度にこそ、その本性が現れるのだと痛感しました。その私の人としての未熟さが、全て現れた最悪の出来事。怒られて、叩かれて、批判されて当然でした。
だからこそ、この場を借りて、改めて伝えさせてください。
当時、オンラインサロンに参加してくださり、応援してくださっていた200名の皆様。 そして、私の未熟な振る舞いで、悲しい思いや不快な思いをさせてしまった皆様。
あの時は、保身と恐怖で、誠実な態度で謝ることができず、本当に申し訳ありませんでした。 「良かれと思って」という独りよがりな気持ちを押し付け、皆様の優しさに甘え、その信頼を裏切ってしまったこと。今でも深く反省しています。
7年が経った今でも、ふとした瞬間にあの時のことを思い出します。 許してもらえるとは思っていません。ただ、あの時の自分の弱さを認め、一生背負っていくことが、今の私にできる唯一の誠実さだと思っています。
でも、あのどん底があったからこそ、私は一度立ち止まることができました。
強制的にブレーキを踏まなければ、きっともっと大きな事故を起こしていたと思います。
だから。あの出来事は、私の人生に必要でした。傲慢さを戒めるために、わたしはあの体験をしなければならなかった。神様が、内面的成長をしなさい、と与えてくださったことだと今ならわかります。
今でもまだまだ未熟で、過ちも多々してしまいますし、道半ばです。でも、誠実に向き合うことから目を逸らさないこと。そうあり続けること。そして、応援してくださる方に、精一杯のお返しをしていくこと。あの出来事があったから、学ばせていただきました。
この物語も、なんと16章。合計すると10万文字以上書いてきていて、ここまで読んできてくださっているあなたに、感謝しかありません。本当にありがとうございます。
今日の文章が「よかった」とか「次も読みたい」、と思っていただけたら「スキ」を押していただけますと、執筆の励みになります。
そして、フォロワーさん950人突破しました!本当にありがとうございます。たくさんの方に見ていただけて、それがまたモチベーションになっています。いつもお読みくださる皆様、本当にありがとうございます!
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