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ADHDの飽き性で何も続かない――三日坊主を次へつなぐ「5つの問い」

今朝、スマホに「今日のタスクが3件あります」と通知が出た。

先週入れたタスク管理アプリだ。初日は張り切って20個も登録し、カテゴリを分け、色をつけ、繰り返し設定まで作った。一週間後の今、その通知を指で消すだけになっている。

これが、僕のADHDの飽き性だ。

新しいことを始めた瞬間は、異常なくらい集中できる。本を買い、動画を見て、比較表を作り、気づけば数日で「だいたいこういう仕組みか」と全体像をつかんでいる。そして、その瞬間に熱が冷める。

習い事も、勉強も、副業も、最初だけ妙に燃えて、あとはスンと静かになる。僕は長いあいだ、これを「自分は何も続かない人間だから」と解釈していた。

でも最近は、少し違う見方をしている。これは努力不足というより、構造が見えたあと、同じ場所に留まり続けるための報酬が切れる問題なのかもしれない。

この記事では、「また続かなかった」と自分を責める前に使える5つの問いを渡す。飽きない人になるのではなく、飽きたところから次の面へ進むための問いだ。



ADHDの飽き性は、なぜ「最初だけ異常に集中できる」のか

一週間前の僕は、そのアプリだけで人生が改善された気がしていた。今は、冷蔵庫の奥で賞味期限を過ぎたヨーグルトみたいに、静かに存在感だけを放っている。

新しいことを始めると、最初の数日間は異常に集中する。
朝から晩まで情報を漁り、関連書籍を買い、レビューを読み、実践者のブログを掘り、気づけばその分野の「にわか専門家」になっている。

たとえば、子どもの英語教育について調べ始めたとする。

初日。幼児英語教育の理論を片っ端から読む。
2日目。各メソッドの比較表を作る。
3日目。実践者のブログを50件くらい読む。
4日目。「なるほど、要はこういう構造ね」と分かる。

そして5日目、急に興味が失せる。

熱が冷める音がする。
ジュッ、というほど派手ではない。
どちらかというと、部屋の隅で小さなランプがひとつ消えるような感じだ。

昔の僕は、これを「飽きっぽいからだ」と思っていた。
いや、今でも飽きっぽいこと自体は否定しない。

でも、ただの飽き性という言葉では、どうにも説明しきれない感覚がある。

なぜなら、飽きるまでの集中力はかなり高いからだ。
嫌々やっているわけではない。むしろ、最初はかなり楽しい。誰に言われたわけでもないのに、勝手に深く潜っていく。

問題は、潜れないことではない。
底の形が見えた瞬間に、潜る意味が消えてしまうことなのだ。


「飽きっぽい」のではなく、構造が見えてしまったのかもしれない

人の脳は、パターンを見つけるのが得意だ。

ただし、そのスピードにはかなり個人差がある。

ある人は、100回繰り返してようやく「これってこういうことか」と気づく。
別の人は、3回くらいで全体像をつかんでしまう。

後者の人にとって、残りの97回は「練習」ではなく「もう分かっていることの反復」に見える。

もちろん、現実には反復によって身につく技術もある。
頭で分かったことと、身体で使えることは違う。
そこをすっ飛ばすと、ただの分かったつもりになる。

ただ、それでもなお、ADHD的な脳にはひとつ厄介な性質がある。

新しさが消えた瞬間に、報酬が急激に薄くなる。

最初は、情報の断片がどんどんつながる。
知らない言葉が出てくる。
「そういうことか」と膝を打つ。
脳の中で、小さな花火が次々に上がる。

でも構造が見えた瞬間、その花火が止まる。

そこから先は、同じ構造の中で地道に積み上げるフェーズになる。
多くの人にとっては、ここからが本番なのかもしれない。

けれど僕の脳は、そこで急に椅子から立ち上がってしまう。

「このゲームのルールは分かった。次のゲームはどこ?」

そんな感じで、勝手に出口を探し始める。


ADHDが三日坊主になりやすい理由

三日坊主という言葉は、かなり残酷だと思う。

そこには、どこか道徳的な響きがある。
「根性がない」
「我慢が足りない」
「本気じゃない」
そんなニュアンスが、薄く貼りついている。

でも、ADHDの三日坊主を見ていると、単なる根性不足だけでは説明できないことが多い。

最初の三日は、むしろ本気なのだ。

本気で調べる。
本気で環境を整える。
本気でやり方を考える。
場合によっては、周囲が引くくらい没頭する。

そして突然、止まる。

この停止を「怠け」と見ると、自責のループが始まる。

また続かなかった。
また飽きた。
また中途半端に終わった。
自分は何をやってもダメだ。

でも、構造として見るなら、もう少し違う説明ができる。

ADHDの飽き性は、しばしば「開始できない問題」ではなく、新規性が消えたあとに、同じ行動を維持する報酬設計が弱い問題として起きる。

つまり、スタートダッシュはできる。
短期集中もできる。
情報収集もできる。
仮説を立てることもできる。

ただ、構造が見えたあとに、同じ熱量で運用し続けるのが難しい。

ここを間違えると、「自分は意志が弱い」という話になってしまう。
でも本当は、意志だけでどうにかするには、少し設計が雑すぎるのだと思う。


高IQ×ADHDだと、「分かった瞬間」に退屈が来る

僕の場合、ここに高IQ的な要素も絡んでいる。

新しい分野に入ると、細部を覚える前に、まず全体構造を見ようとする。
これは何のゲームなのか。
勝ち筋はどこにあるのか。
どの変数が効いていて、どこは見せかけなのか。

そういう見取り図を作るのは、かなり好きだ。

そして、ある程度の構造が見えると、急に冷める。

料理でも、資格の勉強でも、副業でも、仕事術でも、だいたい同じことが起きた。

最初は楽しい。
「なるほど、ここが肝なのか」と見えてくる。
すると急に、脳が次の対象を探し始める。

これは、良く言えば構造把握が速い。
悪く言えば、地道な反復に耐えにくい。

社会はたいてい、後者の弱点だけを見てくる。

「また続かなかったね」
「飽きっぽいね」
「もっと一つのことを続けた方がいいよ」

もちろん、それが正しい場面もある。
続けなければ身につかないことは、確かにある。

でも、すべてを「続かない=悪い」で処理してしまうと、自分の中にある別の性能まで潰してしまう。

僕たちは「続けること」が苦手なんじゃない。
少なくとも、それだけではない。

同じ構造の中に留まり続けることが苦手なのだ。

この違いは、けっこう大きい。


飽きたあとに起きる3つのパターン

構造が見えた。
熱が冷めた。
このあと、だいたい3つの道に分かれる。

1. 惰性で続ける――退屈地獄

ひとつめは、惰性で続ける道だ。

「せっかく始めたんだから」
「ここでやめたら、また三日坊主になる」
「今度こそ続けなきゃ」

そう言い聞かせて続ける。

ただ、心はもうそこにない。

これは、僕にとってかなりしんどい。
クリア済みのゲームのチュートリアルを延々とやらされているような感じがする。

できなくはない。
でも、脳の奥の照明がひとつずつ消えていく。

2. すぐやめて次へ行く――永遠の初心者

ふたつめは、すぐやめて次へ行く道だ。

飽きた。
次。
また飽きた。
次。

これは一見、軽やかだ。
実際、いろんな分野に触れられるし、知識の幅も広がる。

ただ、これを繰り返していると、別の不安が出てくる。

何も積み上がっていないのではないか。
自分は永遠の初心者なのではないか。
また、入口だけ触って終わっているのではないか。

興味の残骸だけが部屋に積もっていく。
買った本、使わなくなったアプリ、途中で止まったノート。
まるで、脳内の押し入れに未完了の段ボールが増えていくようだ。

3. 視点を変えて深める――構造ハッカー

三つめは、視点を変えて深める道だ。

僕はこれを、勝手に「構造ハック」と呼んでいる。

飽きたから終わり、ではない。
構造が見えたから、次の角度に移る。

料理に飽きたなら、レシピを増やすのではなく、調味料の比率を見てみる。
和食の「だし・醤油・みりん・砂糖」の構造を、フレンチや中華に置き換えたらどうなるか考える。

英語学習に飽きたなら、単語帳を増やすのではなく、使う場面を変える。
旅行英会話、映画、接客、雑談、発音。
同じ英語でも、別のゲームに変える。

仕事に飽きたなら、作業量を増やすのではなく、仕組み化してみる。
テンプレにする。
人に教える。
別分野に転用する。
自動化できる部分を探す。

飽きた瞬間は、終点ではない。

それは、
「この構造はもう読めた。次の面に進め」
というサインなのかもしれない。


ADHDの飽き性に必要なのは、「続ける努力」より「次の面を用意すること」

ADHDの飽き性をどうにかしようとすると、多くの場合、「飽きても我慢して続ける」という方向に行きがちだ。

でも、それは僕の感覚ではあまりうまくいかない。

構造が見えてしまったあと、同じ作業を同じ濃度で続けるのは、なかなか難しい。
もちろん、必要な反復はある。
基礎練習も、地道な運用も、現実には避けられない。

ただ、そこに一切の新しい意味がないと、ADHD脳は急速に燃料切れを起こす。

だから必要なのは、「飽きないように頑張る」ことではない。

飽きたあとに、次の面へ進める設計をしておくことだ。

たとえば、勉強なら「同じ参考書を何周もする」だけではなく、
人に説明する、問題を作る、別ジャンルに応用する、実生活で使う、という次の面を用意する。

運動なら「同じメニューを続ける」だけではなく、
記録する、フォームを改善する、道具を変える、場所を変える、目的を変える。

副業なら「同じ作業を続ける」だけではなく、
構造化する、テンプレ化する、他のテーマに横展開する、誰かに教えられる形にする。

同じ場所に立ち続けるのではなく、同じ構造を持った別の場所へ移す。
これが、僕にとっての「続ける」に近い。

つまり、継続とは、必ずしも同じことを同じ形で繰り返すことではない。

見つけた構造を、別の文脈で使い続けること。

そう定義し直すと、少し息がしやすくなる。


飽きたときに試したい5つの問い

飽きてきたな、と思ったら、僕はなるべく自分を責める前に問いを立てるようにしている。

「また続かなかった」ではなく、
「何が見えたから、飽きたのか」と考える。

具体的には、この5つだ。

1. 転用の問い

この構造は、他の分野でも使えないか。

料理で見つけた比率の考え方は、仕事の段取りにも使えるかもしれない。
英語学習で見つけた反復の仕組みは、プログラミング学習にも使えるかもしれない。

飽きた対象そのものから離れても、構造だけは持ち出せる。

2. 逆転の問い

真逆のやり方を試したらどうなるか。

きっちり計画して飽きるなら、あえて雑に始める。
毎日やろうとして失敗するなら、週2回だけにする。
一人でやって飽きるなら、誰かに見せる前提にする。

逆向きに振ると、急に別の面が見えることがある。

3. 組み合わせの問い

他の興味と掛け合わせたらどうなるか。

英語と旅行。
料理と健康。
プログラミングと防災。
noteとSEO。
酒場巡りとフィールドワーク。

ADHD的な興味の散らばりは、ただの散乱ではなく、組み合わせの材料でもある。

4. スケールの問い

10倍にしたらどうなるか。
あるいは、10分の1にしたらどうなるか。

大きすぎて飽きるなら、小さくする。
小さすぎて退屈なら、大きくする。

「毎日1時間勉強する」が重いなら、「3分だけ開く」にする。
逆に、「ただ読むだけ」が退屈なら、「人に教える資料を作る」にする。

サイズを変えるだけで、同じ行動が別のゲームになることがある。

5. 教える問い

これを5歳児に説明するとしたら、どう言うか。

教える前提にすると、見えていたはずの構造がもう一段深くなる。
自分では分かったつもりだった部分に、穴が見つかる。

飽きた対象が、もう一度教材になる。


「続ける」の定義を変える

飽き性という言葉には、どこか敗北感がある。

何も続かない。
また途中で投げた。
また新しいものに飛びついた。
また自分を信じられなくなった。

僕も何度もそう思ってきた。

でも今は、少しだけ違う。

僕にとっての継続は、同じ場所に座り続けることではない。
同じ問題意識を、角度を変えながら測り続けることだ。

ひとつの海域を、別の船で、別の天気の日に、別の深さで測る。
昨日は浅瀬を見た。
今日は潮の流れを見た。
明日は海底の地形を見る。

それは、外から見ると「また別のことを始めた」に見えるかもしれない。

でも、自分の中ではつながっている。

飽きたのではなく、観測機器を変えた。
やめたのではなく、別の角度から測り直している。
そう考えると、自分の過去が少しだけ違って見える。

もちろん、全部を美化する必要はない。
本当に投げ出しただけのものもある。
買っただけで満足した本もある。
通知を消すだけになったアプリもある。
冷蔵庫の奥で化石になった野菜もある。

でも、それでもなお、僕たちは「何も続けられない人」ではないのかもしれない。

同じ形で続けるのが苦手なだけで、構造を見つけ、別の場所へ運ぶことはできる。

その力は、使い方しだいで武器になる。


飽き性は、次の構造への合図かもしれない

朝の通知がまた鳴った。

でも今度は、タスク管理アプリではない。
僕が自分で作った「構造ハック記録」のメモからの通知だ。

「今日は何の構造が見えましたか?」

少し笑ってしまう。
こんなものを作る時点で、まあまあ面倒くさい人間だ。

でも、僕にはこれくらいがちょうどいい。

飽きっぽい僕たちにとって、「継続」の定義は少し違っていてもいい。
同じことを同じ形で繰り返すのではなく、見つけた構造を、新しい文脈で次々と試していく。

それも、ひとつの続け方だ。

ADHDの飽き性は、たしかに扱いにくい。
放っておくと、永遠の初心者になってしまうこともある。
生活の中で困ることもある。
仕事では信用を失うことすらある。

だから、ただ「飽きっぽくてもいい」と言いたいわけではない。

そうではなく、飽きた瞬間を、自責で終わらせないこと。
その瞬間に、こう問い直すこと。

何の構造が見えたから、飽きたんだろう?
その構造を、次はどこへ運べるだろう?

その問いがあるだけで、飽き性は少しだけ形を変える。

欠陥ではなく、次の面へ進む合図になる。
三日坊主ではなく、観測の一区切りになる。
続かない自分ではなく、同じ構造を別の場所へ運ぶ自分になる。

「飽きた」は、終わりのサインではない。

たぶんそれは、
脳の奥で小さな船が、次の海域へ向けて錨を上げる音なのだ。


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ADHDの飽き性は、「続けられない自分」の問題だけではなく、報酬回路、起動コスト、ワーキングメモリ、過集中ともつながっている。

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