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恋愛小説「今度、虹を見たら」第十話〜真夜中の電話〜


🌈前回のストーリー(第九話)はこちら▼


【第十話】

あれから、レイとは連絡を取っていない。

自分から電話を掛けなおす勇気なんてなかったし、レイから電話がかかってくることもなかった。

そんな状態のまま、わたしは短大を卒業し、
地元に戻った。

レイは、東京のどこかの企業に就職したらしい。
地元の同級生が、そう言っていた。


わたしは地元にできたばかりの
大手の学習塾に就職した。

社会人としての生活は何もかもが新しく、
初めてのことばかりで戸惑うことも多かったけれど、次第にその忙しさにも慣れ、
充実した毎日を送っていた。

休憩時間に教室の窓から見える、
夕暮れのバイパス沿いの景色。

わたしは、コーヒーを飲みながら
その景色を見る時間が好きだった。


レイのことも、徐々に思い出す回数が減り、
わたしの胸の苦しさも少しずつに軽くなっていった。


梅雨に入ったばかりのある日、
一通の往復はがきが届いた。
高校のクラス会のお知らせだった。

高校卒業以来、初めてのクラス会。
返信用はがきのあて先は、シンゴの名前になっていた。

わたしの心が、小さく跳ねる。

ふと本棚に目をやり、
一冊の文庫本を手に取った。

「つれづれノート②」と書かれているその本は
角が少しだけ丸くなったまま、
実家の本棚の片隅でそっと息をひそめていた。

ページを開くと懐かしい紙の匂いがして、
忘れていたあの頃の教室の空気が、
ふっと鼻先をかすめる。


シンゴは今、どんな日々を送っているのだろう?
この本の存在を、まだ覚えているのだろうか……

そんなことを思いながら、
そっとページをめくる。

以前確かに読んだはずのその文章が、
今は少しだけ違って見える。

わたしは往復はがきの「参加」にマルをつけ、
ポストに入れた。



クラス会当日。
わたしはあの文庫本を、
そっとバックの奥に忍ばせて会場に向かった。

クラスの懐かしい面々と顔を合わせると、
記憶が一気に高校時代にタイムスリップする。

久しぶりに顔を合わせたせいか、
はじめは少しぎこちない雰囲気だったけれど、
時間とともに酔いも回ってきて、クラス会は大いに盛り上がった。

「何飲んでるの?」

中身が半分くらいになったビールのジョッキを持って、シンゴが話しかけてきた。

制服以外のシンゴを見るのは初めてだった。

高校時代よりもがっしりとした肩幅に、
少し日焼けした浅黒い肌。
黒いポロシャツが良く似合っている。
眼鏡をかけた横顔は、あの頃よりもずっと大人びて見えた。

「えっと、カシスソーダ」

雰囲気の変わったシンゴに、
ちょっとだけドキドキしてしまう。

「ビールとか、飲まないんだ」

「苦いのニガテなの」

「なんだ。意外とおこちゃまだなー」

そう言って、シンゴが笑った。

その笑顔を見た瞬間、
高校時代の記憶が押し寄せてくる。

シンゴはいつだって優しかった。

受験に合格した時は
自分のことのように喜んでくれたし、
落ち込んでいる時は、
さりげなくそばにいてくれた。


シンゴを好きになれたらよかったのに。


そんな風に思ったこともあった。

でも、
当時レイのことをまだ想い続けていたわたしは、
いつか芽を出してしまいそうなその気持ちを、
無意識に抑えていたのかもしれない。


「あ、そうだ。これ……」

わたしは本の存在を思い出し、
バッグから取り出した。

「ずっと借りっぱなしでごめん。
今日会えるかもって思って」

そう言って、シンゴに渡す。

「……ずっと、持っててくれたんだ」

シンゴはその本の表紙に、
優しい視線を落として言った。

「ありがとう」



「はーい!じゃあ今から集合写真撮りまーす!」

クラスメイトの一人が叫んだ。
みんなグラスを置いて、ぞろぞろと動き出す。

なんとなくそれまで一緒に話していた流れで、
シンゴはわたしの隣に並んで立った。

そのことを「嬉しい」と感じてしまった自分に、少し戸惑う。


「じゃあ撮るよー!ハイ、チーズ!」


カメラを持ったクラスメイトがそう叫んだ瞬間、
シンゴの手が、わたしの肩を抱き寄せた。


「えっ……」


顔が一気に赤くなるのがわかる。
でもこれは、カシスソーダのせいじゃない。

わたしは、ただただ茫然としていた。

「酔っぱらってると思ってる?」

シンゴが、わたしの肩を抱いたままそう言った。

恥ずかしくて何も言えない。

「俺、酒は強いんだ」

一瞬、顔を近づけてそう言うと

「ビールおかわりー!」

と大声で言って、シンゴは離れていった。

心臓が、うるさいくらいに鳴り響いていた。



それからずっと、
シンゴのことが頭から離れなかった。

仕事をしていても、家にいても、
気が付けばあのクラス会の日のことを思い出してしまう。

抱き寄せられた時の、シンゴの手の温度。

「俺、酒は強いんだ」

と言った時の、少し低い声のトーン。

レイはおろか、
男の人と手さえ繋いだことのないわたしにとって
この出来事の印象は、あまりにも強すぎた。



クラス会から一週間ほど経ったある日の、
雨の降る静かな夜。
リビングでテレビを見ていると、
突然電話が鳴った。

もうとっくに十一時を回っている。

こんな遅くに誰だろう?
いたずら電話だったらイヤだな、と思いつつ、
家族を起こさないように、わたしは慌てて受話器を取った。

「はい、もしもし」

と恐る恐る声を出すと、
少し間をおいて聞き覚えのある声がした。


「……サラ?」


シンゴだった。

「え、シンゴさん?どうしたの?こんな時間に」

「よかったー。サラが出てくれて。
親父さんが出たらどうしようって、心臓バクバクだったわー!」

受話器の向こうで、
シンゴがホッとしたように息を吐く。

シンゴは、クラスの住所録の取りまとめについて電話したと言っていた。

話はいつの間にか、
住所録のことからクラス会の時の話に変わり、
結婚するクラスメイトの話題へと徐々に脱線していった。

受話器から伝わるシンゴの声は、
少し低くて心地いい。


「……サラ、あのさ」


突然、シンゴの声のトーンが変わった。


「今日電話したのは、
こんなことを話すためじゃないんだ。
ちょっと待って」


受話器の向こうで、グラスか何かが机にコツンとあたるような音がして、シンゴがごくごくと、
何かを飲み干す気配がした。

「え、なに?どうしたの?」

「日本酒。一気飲みした」

「えー、なにそれ?」

「こうでもしないと、言えないから」

受話器を握るわたしの手が、
ほんの少し汗ばむのを感じた。


「きっと、もうとっくにバレてると思うけど」


「……」


「高校のころ、ずっとサラのことが好きだった」


鼓動が、一気に跳ね上がる。

「彼氏がいるって聞いてたから、
あの時は諦めた。
サラを困らせたくなかったし、
サラにはずっと笑っていてほしかったから。
でも、この前のクラス会で会って、
もう自分の気持ちにウソをつけなくなった」

シンゴのまっすぐな言葉が、耳元に届く。

「俺の隣にいるのが、
サラだったらいいなって……」


「……」


「サラのことが好きです。付き合ってください」



何も言えなかった。

もしかしたら、
わたしもこの言葉を待っていたのかもしれない。

レイを失って傷ついた心に、
シンゴの不器用な優しさがゆっくりとしみこんでいく。


「……ダメ、かな?」


少し不安そうな、シンゴの声。

わたしは、受話器を両手でぎゅっと握りしめた。
 

「ううん。嬉しい」


「え?」


「わたしも、あのクラス会から、
ずっとシンゴさんのことが頭から離れなかった」


「……え、それじゃあ」


「……わたしで、よければ」

「……や……ったぁー!!」



受話器の向こうで、シンゴの大きな声が響く。
部屋でひとり飛び跳ねている姿が目に浮かんで、思わず吹き出してしまう。

シンゴの飾らないまっすぐな想いが
嬉しくて、愛おしくて
なんだか泣き出しそうになった。


「サラ、ひとつお願いがある」

「なに?お願いって」

「今日から『さん付け』禁止」

「えー?」

「なんか他人行儀だろ。
これからは、シンゴって呼んでよ」

「だって、
なんだか急に変えるの恥ずかしいし……」

「いいから。試しに一回呼んでみ?」

「えー、やだ」

「照れるなって。もう『彼女』なんだから」

受話器越しに、彼の想いが
何のためらいもなくまっすぐに伝わって来る。

わたしは顔が赤くなるのを感じながら、
小さな声で呟いた。


「……おやすみ、シンゴ」


「あーーーっ!クソっ、最高!
この時をずっと待ってたんだ!」


受話器の向こうのシンゴは、
まるで少年のように叫んでいた。


なんだかすごく照れくさくて、 
でもすごくうれしくて。


世界中で今、わたしがいちばん幸せなんじゃないかって、本気で思った。


さっきまで降っていた雨は、
いつの間にか止んでいた。


つづく。

🌈次のストーリーはこちら▼
第十一話「君といた季節」


🌈シンゴ視点のサイドストーリー
〜シンゴのひとりごと(前編)〜

〜シンゴのひとりごと(後編)〜
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