恋愛小説「今度、虹を見たら」第九話~受話器の向う側で〜
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【第九話】
机の引き出しを開けると、
小さなパールのついた指輪が
控えめに光っている。
わたしはその指輪をくすり指にはめて、
自分の手をまじまじと見つめた。
夢じゃない。
大好きな人から、初めてもらった指輪。
だけど、あの日もレイは、
肝心なことは何も言ってくれなかった。
結局わたしたちの関係に、
名前が付くことはなかったのだ。
「指輪をくれたってことは、
サラは彼にとって特別ってことだよ」
学食でサンドイッチをつまんだまま、
トモミがそう言った。
「そうかな。指輪をプレゼントすることの意味、知らないだけじゃないかな」
わたしは、アイスティーをストローでぐるぐる
かき混ぜる。
「さすがにそれはないんじゃない?
素直に喜んでおけばいいのよ」
トモミにそう言われても、
なんだか落ち着かない。
わたしだって素直に喜びたいけれど、
まだレイのことを、
「恋人」や「彼氏」なんていうカテゴリーに
入れてはいけない気がする。
自分だけその気になって、もしもレイに
「そんなつもりはない」なんて言われたら
わたしはきっと立ち直れない。
そんな曖昧な関係に、何一つ変化はないけれど
わたしたちは月に一度
定期的に電話で話すようになっていた。
電話の時間は次第に長くなった。
気づいたら五時間も話していて、
わたしは開けたばかりのピアスの穴が、
化膿してしまったこともあった。
わたしは電話代を気にしつつも、
レイと話せるその時間を、
いつも心待ちにしていた。
ある日、
いつものようにレイと話す受話器の向こうに、
静かに英語の歌詞の曲が流れていることに気づいた。
「珍しいね。
レイが音楽かけながら電話するなんて」
わたしがそう言うと、
「この間サラさんと一緒に探した映画のサントラ、見つけたんだ」
とレイが言った。
「ああ、『ボディガード』の?
ってことは、これホイットニーヒューストンの曲?」
「うん。サラさん映画観た?」
「ううん。まだ」
「なんだ。まだ観てないのか。
もうレンタルしてるよ」
「そうなんだ。今度借りてみる」
その時の電話は、それで終わった。
心なしか、レイが何か言おうとしていた気がするけれど……
数日後、わたしは授業が終わると、
帰り道にある、レンタルビデオショップに立ち寄った。
「ボディガード」のビデオを探すとすぐに見つかったが、人気があるのか何本かあるそのビデオは
全て「レンタル中」になっていた。
諦めて帰ろうとすると、店員の男性に
「お姉さん、ひょっとして
『ボディガード』のビデオ、探してた?」
と声をかけられた。
「あ、はい。でも、全部レンタル中ですよね?」
「ちょうど一本返ってきたところなんだよ。
今、棚に戻そうと思ってたんだけど、借りてく?」
「あ、お願いします」
カウンターで店員さんがバーコードを読み取り、
マジックテープのついた黒い袋にビデオをしまいながら、
「これ、主題歌もすごくいいよ。
彼氏と一緒に観たらラブラブになっちゃったりして」
とニコニコしながら言った。
「……はあ」
とわたしは曖昧な笑顔で返事をして、
その店を後にした。
部屋に戻ると、さっそくビデオを取り出し、
ビデオデッキに入れた。
ドキドキしながら、再生ボタンを押す。
画面の中では、不器用な二人の大人の恋愛が描かれていた。
ハッピーエンドではなかったけれど、
だからこそお互いへの想いの深さが
切ないほどに伝わって来る映画だった。
そして、物語のクライマックスで
あの、レイの電話の後ろで流れていた曲が、
静かに響き渡った。
「I Will Allways Love You」
――私はあなたを、永遠に愛し続ける。
歌の中で、何度も繰り返されるこの歌詞。
レイはこの間の電話の時、
意味ありげにこの曲を流していた。
受話器の向こうでこの曲を流すことで、
わたしに何かを伝えようとしていたんだろうか?
だとしたら、何を伝えたかったんだろう?
それとも、
全部わたしの「思い込み」なのだろうか……
わたしからはそのことを聞けないまま
レイとの月に一度の長電話は、二年間続いた。
電話をかけるのは、どちらからともなく交代になった。
わたしから電話をかける時は、
心臓がうるさいくらいに鳴り響き、
レイからかかって来た時は、
一瞬で目の前の景色が、鮮やかに彩られる感じがした。
話す内容はとりとめもないことばかりなのに、
そのどれもが大切な宝物のように思えた。
短大の卒業が迫っていた二月。
前回レイから電話が来てから、
約一か月が過ぎていた。
その日は、わたしがレイに電話をかける番だった。
大手学習塾の地元にできたばかりの教室に、
ようやく就職が決まったわたしは、
そのことをレイに報告しようと思っていた。
今まで何度もかけているけれど、
レイに電話をする時は、未だに信じられないくらい緊張する。
その日も何度か深呼吸をして、
ようやくレイの番号のプッシュボタンを押した。
呼び出し音が何度か鳴って、
受話器を取る音がした。
「……はい」
レイの声がしたが、
なんだかいつもと雰囲気が違う。
「あ、もしもし?レイ?」
「うん」
「久しぶり。晩ご飯食べた?」
「……いや、まだだけど」
気のせいか、
いつもより話し方が冷たい感じがする。
レイ、疲れているのかな。
「レイ、就職先決まった?
わたし、地元に帰ることになったの。
新しくできた学習塾に……」
そこまで話した時
「レイ、早く行こうよー!」
と、受話器の向こうから声が聞こえた。
知らない、女の人の声。
一瞬、自分の胸が凍り付くのを感じた。
「ごめん、今から出かけるから」
レイの声で我に返る。
「誰?」
そう言えたらどんなに良かっただろう。
その言葉の代わりに、
わたしの口から出た言葉は
「へぇ。大した用事じゃないから別にいいよ。
わたしはただ、地元に帰ることになったって伝えたかっただけだから」
という、なんとも可愛げのないセリフだった。
「わかった。オレもう行くから。切るぞ」
レイはそう言って、ガチャリと電話を切った。
わたしは受話器を持ったまま、
動くことができなかった。
レイ、彼女ができたんだーー
悲しいとか悔しいとか、
そんな単純な言葉では言い表せない。
その場に置いてけぼりにされたような、
暗闇に放り込まれたような。
そんな言いようのない感情に、
わたしは打ちのめされていた。
どんなに理不尽だと思っても
わたしには、レイを責める資格すらない。
だってわたしたちは、
付き合っていないのだから。
わたしは、
レイの彼女でもなんでもないのだから……
つづく。
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