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恋愛小説「今度、虹を見たら」第十二話〜眠れない夜〜


🌈前回のストーリー(第十一話)はこちら▼


【第十二話】

あれ以来、
シンゴから電話が来ることはなかった。

わたしは何度もシンゴに電話をかけ、
留守電にメッセージを残した。

届いているかどうかさえわからない手紙も、
何通も書いた。

それでも、シンゴからの反応は何もなかった。


毎日、夜が来るのが怖かった。

ウトウトすることはあっても、
ぐっすりと眠れる夜はない。

夜中に目が覚めた時、暗い闇に放り出されたような静寂が怖くて、わたしはいつもラジオをかけっぱなしにしていた。

オールナイトニッポンの二部が終わる頃。
部屋の外が白んでいくのを見ながら、
じりじりと押し寄せる絶望感と罪悪感に苛まれる。

そんな日々を繰り返していた。


「その人のアパートには行ってみたの?」

売り物の鉢植えに水をやりながら、
ナツコが言った。

幼なじみのナツコは、花の専門学校を出て、
実家の花屋を継ぐために地元に帰ってきていた。

仕事が休みだったわたしは、朝ごはんも食べられないまま散歩に出て、ふらりとその花屋に立ち寄っていた。

「ううん。行ってない」

わたしが首を横に振ると、ナツコは水をやる手を止め、わたしの顔を覗き込んできた。

「理由だけでも知りたくない?
会えたら、何かわかるかもしれないじゃない」

「……でも、会いに行って迷惑な顔されたら、
怖いし」

「まあね、気持ちはわかるけどさ。
でもあんたってさ、つくづく男運ないよね。
レイといい、その人といい」

「……」

ナツコは足元にあった白いラナンキュラスを一本取ると、レジの方へ向かった。

「傷心のサラちゃんに大サービス。
ラナンキュラス、好きでしょ?」

「え、いいよ。ラナンキュラス高いのに」

慌てて財布を出そうとすると、
ナツコが真顔で言った。

「今日だけ特別。
だからお願い。ちゃんとご飯食べて。
そんなに痩せたサラの姿、見てられない」

そう言って、花を丁寧に包んでくれた。

自分がナツコにそんな顔をさせるほどボロボロになっていたことに、わたしはその時はじめて気づいた。


数日後、
わたしは意を決してシンゴの住む街に向かった。

去年の同窓会で作った、
クラスの住所録を握りしめて。

見知らぬ街で知らない住所を探すのは、
ひどく骨が折れることだった。

まるで母親を探して彷徨う迷子のように、ひたすら歩き続ける。

一時間ほど探し回った末、
小さな路地の奥に古びたアパートを見つけた。
看板には、住所録と同じ文字が書かれている。

二階の角部屋。あそこがシンゴの部屋だ。
ようやく見つけたという安堵の後に、
今度は猛烈な恐怖心が押し寄せる。

もし会えたら、なんて言おう?

「何があったの?」って聞いたら、
シンゴは困った顔をするだろうか?

それとも、何事もなかったみたいに、
「久しぶり」って笑った方がいいんだろうか?

そんなことを思って立ち尽くしていると、
後ろから声をかけられた。

「何か御用ですか?」

振り返ると、作業着を着た中年の男性が立っていた。

「あ、すみません。
あの、この部屋の方を訪ねて来たんですが……」

住所録を見せると、男性は、「あぁ」と頷いた。
このアパートの管理人らしい。

「シンゴ君ね。
彼なら、先月ここを引き払って出て行ったよ」


ドクン。と心臓が嫌な音を立てる。

視界の端からスーッと色が消えていくような感じがした。

「……あの、大学の方は?」

「辞めちゃったみたいだね。詳しい事は知らんが、急に出て行っちゃったんだよ」

頭の中が、真っ白になった。

シンゴが、大学を辞めた…?

あんなに、先生になりたがっていたのに。
採用試験、絶対一発で受かるって言ったのに。

合格したら結婚しようって、
言ってくれたのにーー


どうやって家まで帰ってきたのか、記憶がない。

シンゴに会えなかったこと以上に、
「彼の未来ごと消えてしまった」と言う事実は、
わたしをひどく打ちのめした。


風のうわさで、シンゴのお父さんの会社が倒産し、実家ごとどこかへ引っ越してしまったのだと知ったのは、ずいぶん時間が経ってからのことだった。

同級生の誰も、
今のシンゴの行方は知らなかった。



それからも、眠れない日々が続いた。

時々、夢の中にシンゴが現れた。

『ごめん、サラ。
ちょっと立て込んでただけなんだ』

そう言って、
あの屈託のない笑顔で手を差しのべて来る。

わたしが必死でその手を掴もうとすると、
指先は空を切り、次の瞬間にはシンゴの背中が遠ざかっていく。


「シンゴ!」


と泣きながら叫ぶ、自分の声で目が覚める。

涙と冷たい汗を拭って、そこからは少しも眠れないまま、また朝を迎える。


塾の仕事をしている時間だけが、
現実から逃げられる唯一の救いだった。

休みの日になると嫌でも押し寄せる絶望から逃げるように、あてもなく車を走らせたり、好きでもない映画を観たりして、必死に空白を埋めた。

毎朝占いを見ては、ラッキーアイテムの小物を握りしめて出かける。

そんな自分を、もう一人のわたしが
「バカみたい」と冷めた目で見ながら笑っているようだった。

わたしって、自分で思っていたよりずっと、
シンゴのことが好きだったんだ。

答えがわからないままの別れは残酷で、痛い。

手酷く振られた方が、よっぽど救われたのに。



――ある梅雨の夕方。

ドライブの帰り道、なんとなくそのまま家に帰りたくなくて、ナツコの好きなチーズケーキを買って花屋に立ち寄った。

店内に入ると、わたしに気づいたナツコが駆け寄って来た。

「お疲れさま。チーズケーキ買ってきた。
お店閉めたら一緒に食べない?」

ケーキの箱を見せると、
ナツコが真剣な目をして言った。


「サラ、レイが帰って来るよ!」


久しぶりに耳にする、その名前。

けれどわたしの心には、どこか遠くの出来事のようにしか響かなかった。

「この時期に帰省するなんて、珍しいね」

「帰省じゃないのよ。レイ、仕事辞めたらしくて。
さっきレイの友達が店に来て言ってた。
九月に帰ってきて、しばらくこっちにいるつもりらしいよ」

不思議なほど、動揺はなかった。

短大の卒業直前、受話器の向こうから聞こえた冷たい声と、女の人の気配。

閉じ込めていたはずの記憶が、静かに蘇る。

「そうなんだ」

「そうなんだ、って……嬉しくないの?
久しぶりに会えるかもしれないんだよ?」

「だって、最後に電話で話したとき、
レイ、なんか迷惑そうだった。女の人もいたし」

「それ、サラがこっちに帰って来る前の話でしょ?そのオンナが彼女かどうかも確かめてないんでしょ?」

こくりと頷くわたしに、ナツコが言った。

「あんたの彼氏も行方不明のままだし。
余計なこと考えてないで、また連絡してみたら?
まぁ、レイが帰ってくるのはもう少し先だけどね」

「……」

「もう店閉めるから、一緒にケーキ食べよ。
コーヒー淹れて来る」

そう言って、ナツコは店の奥へ消えていった。


――レイが帰ってくる。


何でこのタイミングなんだろう。

遠ざかったはずなのに、
どうしてまたわたしの前に現れるんだろう。


店の奥から漂ってきたコーヒーの香りが、
雨の日の湿った空気に溶けて、
いつもより少しだけ甘く感じた。


つづく。


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