宮崎駿の言葉からマンガの「にくめない悪役」について考える
宮崎 どうも悪人が苦手なんです。なんか根はいい人だってなっちまう。レプカなんかもそうなりかかるのを一生懸命こらえていたんです。あの人は背広を着てると駄目なんですよ、せいぜい意地の悪い官僚くらいにしかならなくって。だから戦闘服着せて、なるべく体格よくして、胸なんかも厚くしてね、少しはワルそうに見えるように一生懸命やったんですけどね。必死になって駆けずりまわる人物、なりふり構わぬ人間は、見てる側が許していくんですね。
この言葉は自身が初の演出(監督)を務めた『未来少年コナン』の悪役、レプカに対する宮崎駿自身の発言である。何気ない言葉なのだが、この発言は物語における悪役というものを考える上で、非常に示唆に富んだ発言だ。
実際この宮崎駿によるレプカという悪役評は私が『未来少年コナン』を見た時の印象と合致している。物語を通してかつて世界を滅ぼした大量破壊兵器、ギガントの再起動に尽力し、終盤でようやくギガントを空に飛ばすことに成功したと思ったら、主人公達に大暴れされて翻弄されまくるレプカの必死な有り様は一種の哀れみを感じさせるほどだった。結局ギガント速攻墜落しちゃうし。
宮崎駿自身、このレプカの反省を受けていくつかの作品を経た後に、『天空の城ラピュタ』のムスカという宮崎駿作品史上最も悪役らしい悪役を創造するに至っている。たしかにムスカは序盤こそ現場で行動し、シータに瓶でどつかれたりしながらも物語が進むほどに、落ち着いた態度で自身は直接現場で汗をかいたりしない形で、見事にラスボスとして君臨するようになる。そして最後の最後はサングラスが砕け散って「目がぁあああ~~」と叫んで這いずる必死な様は、哀れみと同時に一種の可愛げすら感じさせてしまう見事な悪役ぶりだった。

私はこの宮崎駿の言葉を「現場で汗をかく悪役嫌いになれない理論」として、他の作品を鑑賞する上での補助線として活用している。下記に挙げる5つのマンガに出てくる悪役をこの「現場で汗をかく悪役嫌いになれない理論」を軸に考察してみよう。
『ジョジョの奇妙な冒険 第5部 黄金の風』のディアボロ
まず「現場で汗をかく悪役嫌いになれない理論」で真っ先に思いつく人と言えばこの人。「数秒先の未来を予測し過程を消去した上で結果のみを残す」という驚異的な能力の持ち主。長い長いジョジョの歴史においても最強クラスの能力の持ち主で、冷酷極まりない悪役であるにも関わらず、5部のディアボロって名前を出した瞬間に思わず微笑んでしまいそうになるのは、ディアボロの苦闘の足跡を我々が知ってしまっているからだろう。
裏で暗躍するボスの「暗躍」の部分を描くとこんなに面白いんですねってことを再認識する意味でも画期的なラスボス。3部のディオが最後の最後まで戦わずに自分の素顔すら温存した上での圧倒的な強さを発揮するというラスボスの王道を歩み、続く4部のラスボスは吉良吉影という変化球型悪役の最高峰を描いたことで、ラスボスを描くハードルが荒木先生的にも上がってたのかなあとか色々考えてしまう。でもディアボロはディアボロでめちゃくちゃ味があり過ぎるのでやっぱジョジョって凄いよ。とうおるるるるる
『ドラゴンボール』のフリーザ
「現場で汗をかく悪役嫌いになれない理論」に則れば辺境の地、ナメック星に自ら出向いている時点でこの法則が当てはまる筈なのだけれども、あくまで自分は専用のポッド的な乗り物に乗って両サイドにザーボンとドドリアを添えることで、現場に顔出してるけど、あくまでも私は重役であって現場で手は動かしませんっていう感じを醸し出すことに成功している。下手すれば滑稽な絵面になりそうなところがそうなってないんだからやっぱ鳥山先生は流石。

フリーザ編はドラゴンボール全体でも最高に面白いエピソードなんだけど、やっぱ要所要所はフリーザがおいしいところを持っていってて、初めてポッドを降りてネイルと戦った時、すなわち遂に現場に降り立った時に相手に告げる「私の戦闘力は530000です」は最高。
『鬼滅の刃』の鬼舞辻無惨
パワハラ会議でも名高い『鬼滅の刃』の無惨さま。なんでも自分で行動してやっちゃうタイプって意味ではディアボロに似てるが、都度都度姿を変えててしかも、その姿が女性だったり子供だったりするからちょっと余裕あるように見えるのが巧い。パワハラ会議にしてもなんでこの人女装してんの?って感じが面白さに拍車をかけていたように思う。

最終章の無限城編の始まりにおいて、自ら産屋敷邸に出向いているにも関わらず、珠代の毒を食らって繭的なものに籠ることで憎々しいラスボス感のキープに成功しているのも巧い。力蓄えてるようで実はガンガンに珠代の毒がキマって削られまくってるのも後から知って読むと更に面白い。
それと無惨さまと言えば、逃げる時はまったく躊躇せず逃げの一手を打つのもすごい。普通ならラスボスの退却なんて最後の手段であるはずなのに、ちょっとヤバそうかもなくらいで躊躇せず逃げる様は本当に新鮮だった。最後の最後まで生き残ることに必死な姿を早く大スクリーンで観たいなと思わせてくれる稀有な悪役である。
『呪術廻戦』の両面宿儺
無惨とは違って生き残ることにそこまで執着がない分、最後まで真っ向勝負で戦ってくれるという嫌うほうが難しいラスボス。最終戦の早い段階で憎らしく描くことなどとっくに放棄してて、現代最強の術師として立ちふさがる五条に勝つためにしぶとく地道に布石を打っていく姿勢はお見事。五条じゃなくて宿儺のほうに天晴といいたくなった。冷酷非情だしとにかく容赦が全くないんだけど、強者に対する敬意はあるのでやっぱり嫌いにはなれない。
ゲームだとよくある、めっちゃ強くてHPも膨大なラスボスをパーティメンバーが一人一人脱落しながらも、バフデバフの応酬の果てに相手をギリギリのところで「削り殺した」感があって両面宿儺の最終戦はとても好き。それもこれも途中で逃げ出したりしない宿儺の存在あってこそ。
『ダイの大冒険』のフレイザード&ザボエラ
近くにいたら全力で距離をおきたいが、作品で見てる分には面白い悪役といえば思い浮かぶのが『ダイの大冒険』のフレイザードである。
やってることも言ってることも最低最悪で女子供も容赦ないんだが、そもそもコイツ人間じゃないしなあとか思うと納得出来なくもない。そしてなによりダイ達との闘いにおいて繰り出す奥の手を放つ際のセリフがすごい。


命捨ててでも必殺技で勝負に出るって言ってることがほぼ主人公じゃんコイツ……。
後にマトリフがフレイザードが成長してたらメドローア使いになって手に負えなかっただろうって言ってたのも印象深いし夢がある。コイツワンチャン、バーン様も殺れた……?みたいな。
フレイザードとは対極に位置するのがザボエラだろう。常に一歩引いた立ち位置で後方支援面したがるザボエラを真正面から好きだと言い切れる人は見たことない。でもなんとも言えない味のあるキャラなのも確かで、実際超魔生物をさらに改良して超魔ゾンビを作って自分は安全な体内に逃げ込むあたり「現場で汗をかく悪役嫌いになれない理論」を逆に証明してくれる感がある。

超魔ゾンビがしっかり強いのも良いのだが、最終決着がクロコダインとの対峙で終わるのは何回読んでも痺れる。ってか年を重ねるほどに味わいが増す。逆にザボエラ好きなのかと自問したりもするけど、全く憧れないと毎回思う。
理論の究極の体現者としてのばいきんまん
私が今回提唱した「現場で汗をかく悪役嫌いになれない理論」の究極の体現者はばいきんまんではないだろうか。
アンパンマンがジャムおじさんとの分業体制で、前線で戦うのはアンパンマンで、バックアップはジャムおじさんであるのに対して、ばいきんまんは一人で全てを担っている。アイアンマンのトニー・スタークと同じことやってる。そして何度倒れても諦めない不屈の精神も持っている。大したヤツだよコイツは。最近の映画でも主役級の活躍してるし。
逆にジャムおじさんに拭い難い黒幕感が漂っているのは、自分は基本的に前線には出ないからなんだろうね。
「現場で汗をかく悪役嫌いになれない理論」いかがでしたか?
もし「現場で汗をかく悪役嫌いになれない理論」が腑に落ちる部分があれば、他の作品もこの観点で読んでみると面白いかもしれない。
この理論というか観点はおそらくは、物語の中の食事シーンの描き方によってキャラクターの印象が変わる「フード理論」に近い部分があると思っている。
「フード理論」にしても私が勝手につくった「現場で汗をかく悪役嫌いになれない理論」にしても、どちらも観る人の生理的感覚に訴えかけるって部分で共通していて、そのどちらの理論も宮崎駿作品が重要参考作品になっているあたり、宮崎駿ってつくづく人間の生理的感覚に訴える作品作りの天才だなと。
だが、ムスカという自作の悪役最高到達点を叩き出して以降、宮崎駿作品にはわかりやすい悪役というものがほぼほぼ登場しなくなるのだが、またそれは別の話ということで。
↓オススメ記事です。結局前線に出て体張って戦うヤツって嫌いにはなれない…。

