『マンダロリアン』の面白さは人種や文明ごとのサイジングにある
『マンダロリアン・アンド・グローグー』観てきました。
もともとディズニープラスでシーズン3まで配信されているドラマシリーズは全て視聴済で、まあ楽しみにしていたんですが、なんだかんだ忙しくて公開からちょっと遅れてようやく観られました。
結論から言うと大変面白かったです。とくにドラマシリーズでのサブキャラクターの出番が抑えめであくまでもペドロ・パスカル演じるマンダロリアンのディン・ジャリンと相棒でありほぼ息子状態のグローグーに徹底的に焦点を絞った構成がドラマシリーズにおいても個人的に一番好きなシーズン1っぽくて良かったです。
確かにあんなキャラこんなキャラが次々登場してくるシーズン2以降の展開はワクワクするものの、シリーズが進むごとにキャラクター過多で自分が見たかったスターウォーズ世界の細かいアレコレを見せてくれる時間が相対的に短くなっていったのが若干残念ではありました。
そんなドラマシリーズに抱えていた葛藤が『マンダロリアン・アンド・グローグー』を観てよりクリアになりました。そして自分が観たかった『マンダロリアン』はこれなんだよ!って感じの映像が満載で映画は非常に満足でした。
私の考える『マンダロリアン』及びスターウォーズ世界の魅力とは、サイズ感の異なる人種がそれぞれのサイズ感の文明であるとか文化、そしてそれに付随する生活道具や機械を有しているということです。
これがどういうことかというと。我々と同じ通常の人間サイズのキャラクターがいれば、明らかに小さい種族がいて、より大きな種族もいる。そしてそれらはそれぞれに固有の文化や生活習慣を持っている。なので彼らの座る椅子であったり、生活するための住居、そして惑星間を移動するための乗り物に至るまで、それぞれの人種ごとにサイジングが違っているということです。
そしてそのサイズ感のズレの極致として、ギャグとも悲劇ともとれる映画のあの展開が待っているわけですね。
おそらくこの文明のサイジングの違いというものを『マンダロリアン』製作スタッフはかなり意図的に表現していると考えています。ドラマシリーズのシーズン1の第2話『ザ・チャイルド』において、ジャワ族の駆るサンドクローラーに乗った主人公が明らかに天井低くて頭ぶつけそうになってた描写などはその証左でしょう。
映画においても人間より、若干大きめの種族がマンドーに威圧的な態度を取ったり、人間よりは小さめの屋台の主人を問い詰める時は逆にマンドーが異常に威圧的に映ったりと、サイズ感の違いからくるそれぞれの種族の体験性であったり日頃感じている体感みたいなものがわかる演出が随所で見られました。
私の考える、というか私が好きなスターウォーズの魅力って結局この辺に尽きると思っています。異なる人種がそれぞれユニークな見た目をしているから面白いっていう以上に、それぞれサイズ感も微妙に異なる人たちが共存する世界だから、それぞれのサイズに合わせた生活様式や適切なサイズの道具を有しているし、そしてそれぞれの種族に応じて世界の見え方、感じ方も異なるってことが映像として表現されている、それが一番私にとって大事なスターウォーズの魅力であり、スターウォーズだからこそ得られる映像体験なわけです。
異なるサイズ感の人間たちが共に1つの世界に生きるのは、色々と不便も生じるし、認識のズレも起きます、その果てに、なんとか助けに来たはずの人物が助けられないという悲劇すら起きるでしょう。
それでもやっぱりそのことを一つ一つ乗り越えながら、理解しながら共に生きようとする姿は、当たり前すぎることですが、というか当たり前すぎるからこそ胸をうつものがあります。
そしてそう考えると、基本的にサイズ感が統一された帝国軍っていうのはそんなズレが生じることがないので、合理的でコスパよく見えます。そうやって統一された規格で運用した方が強いってのも納得できます。
でもやっぱりスターウォーズの世界は全然サイズ感が違ってる人たちがわちゃわちゃしてるその様にこそ魅力があるわけで、この『マンダロリアン・アンド・グローグー』が、その世界の魅力そのものを描けているということは、それ自体が帝国的な画一化された世界に対する一種のアンチテーゼにもなっているのだと思います。
世界での興行は苦戦もささやかれている本作ですが、テコ入れで結局いろんなキャラが入り乱れるようになるとそれって結局MCUの辿った道では……とも思うので、この調子のいろんな世界を見せてくれる作品をずっと続けてほしい気持ちが強いです。それこそが我らの道……。
