暗黒期でも手塚治虫は天才であったことが『チェイサー』を読むとよくわかる
コージィ城倉という漫画家は、非常に多作な漫画家で、森高夕次名義での原作担当作品まで含めれば30作以上の作品を手掛けている。
なかでもこの作家が凄いのは野球関連の作品で、週刊少年サンデーで連載していた『砂漠の野球部』を始めとして、週刊少年マガジンで連載開始し、後にマガジンSPECIALに移籍して続けられた『おれはキャプテン』、週刊モーニングで現在も連載を継続している『グラゼニ』シリーズに、果てはほぼ絵柄を完コピして描かれるちばあきおの『プレイボール』、『キャプテン』の続編、『プレイボール2』に『キャプテン2』。野球の全てを描かんばかりにあらゆる野球漫画を現在進行形で描きまくっている。
野球の全てを描かんばかりに野球漫画を執筆し続けているし、そのどれもが面白いのだが、野球漫画以外の漫画も面白いのがコージィ城倉の凄いところである。
そんなわけで今回採り上げたいのは、手塚治虫を異常なまでに意識し、追随しようとする漫画家、海徳光一を主人公にした『チェイサー』だ。
主人公の海徳は、既に充分に仕事に恵まれている漫画家である。だが彼は、その遥か先で異常なペースで漫画を執筆し、アニメ会社を興してテレビアニメの放映すら始めてしまう稀代の天才にして漫画の神、手塚治虫を猛烈に意識している。本作は、同年代、同い年の漫画家としてどうにかして手塚治虫に追いつこうと足掻く海徳をコミカルに描いたコメディ作品だ。
そんな『チェイサー』が面白いのは、どれだけ手塚治虫が凄かろうとも、大半の読者は手塚治虫が後に不振の時期、いわゆる暗黒期を迎えることを知っている、つまりは確定した未来を知った上で展開される物語である点が挙げられるだろう。
手塚治虫が70年代に暗黒期を迎え、起死回生の『ブラック・ジャック』によって復活を遂げたということは、手塚治虫に多少の関心がある人であれば大抵は知っている事実である。なので、読者は今はもがき苦しむ海徳と、時代の最先端を突っ走る手塚の立ち位置がやがて変わってしまうことを知っている。
大河ドラマでどれほどの栄華を極めた武将が落ちぶれたり、大敗を喫した後に大復活を果たしたりと、先を知っているからこそ楽しめるタイプのドラマというものがあって、『チェイサー』は手塚とその追随者を中心とした漫画の歴史を追体験する大河ドラマのように読めてしまうのである。
『チェイサー』の中で、『ブラック・ジャック』の連載開始は思った以上に淡々と開始される。当時はそれくらい少年漫画誌における手塚治虫のプレゼンスは下がっていたということなのだろう。一方で、手塚をライバル視しながらも熱烈なファンでもある海徳はこの時期の手塚治虫の青年誌での作品を高く評価する。

個人的に『チェイサー』を読んでいてもっとも面白かったのはここだ。確かに一般的には暗黒期と呼ばれがちな手塚治虫のこの時期の、特に青年誌における作品は面白い。『きりひと賛歌』、『奇子』、『ばるぼら』など、今読んでも普通に面白い、一番オススメしやすい手塚作品はこの辺の時期の作品じゃないかと自分も思う。
『ばるぼら』は比較的最近映画化もされているが、近いうちにNETFLIXで『きりひと賛歌』や『奇子』が映像化されても全然驚かない。それくらい普通に面白い作品を、暗黒期と言われがちな時期にも手塚治虫は量産していたのである。改めて恐ろしい才能だ……。
『チェイサー』はそれ以外にも週刊の漫画雑誌としては後発で、創刊当初はかなり舐められた存在だった「週刊少年ジャンプ」の台頭も描いており、現在に至るまでのジャンプの圧倒的な躍進ぶりを知っている我々にとっては興味深く読めるだろう。
しかし、コージィ城倉はなんでこんな奇妙な作品を多数の連載を抱えながら描いたのだろう。おそらくは複数の連載を複数の雑誌を渡り歩く形で描いてきた作家でしかわからない境地があるのではないかと思う。なんにせよ『チェイサー』を読むと手塚治虫の作家としてのすさまじさが改めてわかる。そしてコージィ先生にはどうにかして東京六大学野球を主題としながら掲載誌の休刊とともに連載も中断されてしまった『ロクダイ』の続きをどこかで描いてくれないかと思う……。どうにか…お願いします……!
