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【小説】旅行会社の一年間 (0) 4月: プロローグ

あらすじ

2007年、浅草の浅草寺の裏にあるリリパット・トラベル。
新卒として入社した阪口真奈は、業務視察課に配属された。
省庁、病院、学校,工場と、ヨーロッパにあるありとあらゆる分野の視察先を探し、顧客である旅行代理店に提案し、無事ツアーが完成、受注となれば視察の手配が始まる。
しかし、その道は英国本社の新人スタッフたちに仕事外の事で悩まされる険しい道だった。
リリパット・トラベルはツアーオペレーターという旅行会社で、旅行代理店の代行で海外旅行の手配を行う会社。普通海外旅行に出かける人は、旅行代理店の発行した旅のしおりの一番最後のページにある「現地緊急連絡先」という欄でしかその存在を知ることは無い。

見積もり課配属の田中優菜、手配課に配属になった相良美紀など同期入社の社会人一年生の成長の記録を通じて、ランドオペレーターの知られてこなかったディープな世界を送る連載小説。

2007年4月1日。阪口真奈は東京浅草にある浅草寺の境内にいた。

あと30分で、社会人としての初日が始まる。

大いなる期待とわずかばかりの不安を抱えて、浅草寺の仏様にその日の無事を祈って、墨田川方面へと足を進めた。今日の空は花曇りで、墨田川の広々とした水面から吹く風が心地よい。

事前に人事からもらっていた地図によると、真奈の入社するリリパットトラベルという会社は浅草寺の真後ろにある。細い路地を歩いていくと、急に灰色の大きな建物が目に飛び込んできた。一階の大きな窓には手書きのスケッチ風のエッフェル塔やタワーブリッジ、コロッセオの絵を描いたカーテンがかかり、ここぞとばかりに旅行に関する会社だという事を主張している。

真奈が入社する会社の業種はランドオペレーターという。事前に調べた限りでは海外旅行の手配を専門としている業種だった。真奈は幼稚園の終わりから中学校までをイギリスで過ごしており、少しでもイギリスとの懸け橋になりたいと、このリリパットトラベルという英国に本社をもつ企業を就職先に選んだ。

真奈は入り口の自動ドアの前で深呼吸をし、建物の中に一歩足を進めた。入り口には真奈と同じく今日入社する予定だと思われる男女10名ほどがスーツに身を包んで短い廊下にたむろしていた。皆、緊張のせいか口をきく人はほとんどいない。真奈は目の前にいたロングヘアの女の子に話しかけてみた。

「今日入社の方ですか?」

話しかけられたその子は一瞬びくっとしたが、眼鏡越しに見える優しい笑顔で真奈の方を向いた。

「そうなんです!6月の内定者の食事会にはいらっしゃってませんでしたよね?」

「内定者の食事会?そんなのがあったんですか?私は10月に内定が出たんです」

「ああ、そしたら本当に最後に内定が出た方ですね。私去年内定がでてからここでアルバイトさせてもらってたんですけど、二~三か月おきぐらいに入社試験があって、皆内定が出た時期はバラバラだったそうです」

ちょうどそこへ、チャコールグレイのスーツをびしっと身に着けた女性がやって来た。

「皆さん、おはようございます!」透き通るような声が廊下いっぱいに響く。

「人事総務の種田と申します。今大会議室が空きましたので,皆さんこちらへどうぞ」

そう言って、廊下の左奥にある扉に向かった。廊下にたむろしていた新入社員達は一人、また一人と種田さんの後を追う。

ドアの向こう側には鮮やかな黄緑色のカーペットが敷かれた白い壁の、30名ほど座れる机と椅子が置いてある会議室が広がっていた。何列にも置かれた机はホワイトボードの方を向いており、レクチャー形式の教室に入った気分になる。

「どこでも好きな席に座ってくださいね!」種田さんが大きな目を光らせながら言う。

種田さんはホワイトボードの前にある机の向こうの椅子に座った。
全員が椅子に落ち着いたところで種田さんは新入社員達に話し始めた。

「ようこそ、リリパットトラベルへ!これから各部署の部長、課長からそれぞれの部門に関して説明があります。メモを取りたい方は机の上の紙とペンを使ってください。最初は人事総務の竹村さんから会社の概要の説明があります。今呼んできますね」

部屋に沈黙が流れた。話す人はひそひそ声で何かを話している。

真奈は通路を挟んで右にいる、先ほど話した眼鏡の女子社員に話しかけた。

「結構綺麗な会議室ですね。それに広いし」

眼鏡の子は笑顔で返事をした。

「ここ、しょっちゅう会議で使われているそうで、皆さん取り合いになるそうですよ。あ、そうだ、お名前は?」

「阪口真奈です」

「私は田上優菜です。これからよろしくね」そう言うと優菜は眼鏡の奥の大きな瞳が見えなくなるくらいににっこり微笑んだ。


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程なくして、分厚い眼鏡の小柄で小太りな男性が会議室に入って来た。
ハンカチで汗をぬぐいながら、その男性は席に着いた。

「皆さん、入社おめでとうございます。人事総務課長の竹村です。皆さんとは入社試験以来ですよね。これからどんどん活躍して行ってくださいね。

人事総務は会社での困りごとや社則、その他今皆さんが会社に登録している情報が変わった時 – 例えば引っ越しや結婚などで登録内容が変わった時などに連絡していただき、登録内容を変更します。

その他文房具などの備品の管理もしているので、新入社員の方々とはご縁があると思います。具体的な業務はこれから各部門から説明があるので、そちらを楽しみにしてください。何か質問がある人はいますか?」

二列目の席にいたショートカットの女の子が手を上げた。

「休暇を取る場合は,人事総務に直接ご連絡すればよろしいのでしょうか?」

竹村さんは顔をほころばせて返事をした。

「休暇ですね。皆さん海外に行きたくてたまらないでしょう。皆さんは入社後6か月してから有給が発生します。基本的に休暇などのお休みは各所属長に報告してください。各課でまとめて承認をし、それが僕ら人事総務に連絡が来ます。

初年度の有給は10日で、毎年一日ずつ増えていきます。それを使ってどんどん旅に出てくださいね。

病欠の場合も各所属長に連絡してください。 他に質問はありますか?」
誰も手を上げなかったので、竹村さんは立ち上がった。

「次は手配部長を呼んできますね」そう言うと、竹村さんは足早に会議室を出て行った。


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数分後、ドアをくぐって入って来たのは華奢な50代と思われる女性だった。肩までのロングヘアと、華やかなメーキャップが印象的な人だ。

その人は先ほど竹村さんが座っていた椅子に腰かけると、低くかすれた大きな声で話し始めた。

「皆さん、リリパットへようこそ。手配部部長の吉永です。私からはまず会社の仕事の流れを説明しますね。

リリパットはランドオペレーターというB&B、つまり企業同士でビジネスを行っている会社です。私たちのお客様は旅行代理店です。

この旅行代理店から来る依頼をもとに、ヨーロッパの空港に実際に旅行にでるエンドユーザーである旅行者が空港に降り立ってから帰国の飛行機に乗るまでの旅行で必要な送迎やホテル、レストランや観光地の入場チケットなどの手配をします。

なぜ旅行代理店がお客様になるかというと、それは旅行業の免許の違いがあるからです。

旅行業免許には大きく三つあって、第一種とよばれる免許では飛行機のチケットからホテル、レストランなど、国内・海外の旅行に関する手配のすべてを取り扱える免許です。この第一種を持っているのが私たちのお客様の旅行代理店です。

次に第二種という免許は、海外の募集型企画旅行以外の旅行の手配ができる業務範囲で、旅行代理店が企画して販売するツアー以外の手配が出来る免許の事です。第三種は受注型企画旅行と言って、旅行に行かれるお客様が企画し、そのニーズに合わせて旅行を手配する免許です。企業の社員旅行などがこれにあたります。

リリパットはこの三つのうち、第二種と第三種を持っています。ですから,旅行代理店さんが企画・募集しているツアー以外を手配できるという訳です。第一種を持っていないので日本からの往復のフライトの手配はできません。

日本発着の飛行機の手配が出来る旅行代理店が、海外旅行の地上手配、つまり旅行に必要なもののすべての手配を我々に仕事として依頼してきます。

旅行には大きく二つの種類があります。一つはシリーズと呼ばれる量販のツアーです。これは皆さんが旅行代理店のパンフレットや新聞の広告で見る旅行のことです。

もう一つはアドホックと言う単発ツアーです。オーガナイザーと言う旅行を企画する人がいて、その人たちのニーズに合わせて旅行を企画・手配をするものです。企業の報奨旅行や社員旅行、海外挙式のご親戚御一行様など、こだわりのある旅行の手配などがそれにあたります。

リリパットは西ヨーロッパと、かつて東ヨーロッパと呼ばれていたポーランドやバルト三国、ウクライナやベラルーシなどの「欧州」の枠に入る地域での旅行の見積もりから手配までを担当します。

手配課では、リリパットが受注したお仕事を、とにかく手配する部門です。専用のコンピューターシステムを使って、リリパットのある本社や欧州の各支店に手配依頼を流し、全ての手配項目が予約されているかを確認し、最終的な日程表を整えます。

長い説明でしたが、うちはとにかく手配手配。そして最終的は請求書を切る所までを担当します。

以上がランドオペレーターの仕事の大まかな説明ですが、何か質問はありますか?」

先ほど手を上げたショートカットの女の子がまた手を上げた。

「ヨーロッパの支店に手配依頼をするとありましたが、言葉は何語を使っていますか?」

吉永さんはにっこりと笑って言った。

「すべて英語です。ヨーロッパはフランス語圏を覗けばほぼすべての国ごとにその国の言葉がありますが,社内ではすべて英語を使用しています」

「分かりました、ありがとうございます」ショートカットの女の子は満足げに笑みを見せた。

次に一番後ろの列に座っていたピンクのネクタイの男の子が手を上げた。

「ランドオペレーターは日本に何社あるのでしょうか。僕らのライバルになるような会社はあるのでしょうか?」

吉永さんはまた笑みをこぼして言った。

「良い質問ですね。ランドオペレーターは現在日本に100社以上あると言われています。海外旅行の方面ごとに分かれているので、リリパットの様なヨーロッパを手配している会社は、東京では主に10社程です。これ以外にも各旅行代理店が自社で持っている手配部門があります。

ライバルは主に四社か五社。ヨーロッパを専門にしているか、もしくは世界中の海外旅行の手配をしている大手の会社、そして各旅行会社が持っている手配部門です」

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続いてきたのは営業部長の坂上さんだった。

190センチはあろうかと思われる長身でがっしりとした体格の坂上さんには、一同気圧されたかのようになった。見た所30代から40代だろうか。

「入社おめでとうございます。営業部では,顧客である旅行代理店を回り仕事を獲得。見積もりの依頼を貰ったら見積もりの部署に仕事を回し、出来上がった見積もりにうちの儲けを乗せて旅行代理店に提出。

その後うちで手配することが決まったら、案件を手配課に回します。手配の知識も見積もりの知識も必要になりますが、それはOJTで覚えていけばいいでしょう。

物を売ることが大好きな人にはぜひ来てもらいたい。お待ちしています。これから外出しなければならないので時間が取れないのですが、営業希望の人は大歓迎です!」

早口な言葉をそこで締めると、坂上さんは颯爽と会議室を出て行った。

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次に入って来たのは、どう見ても外国人の人だった。

茶色の髪に先ほどの坂上さんと同じくらいの身長で、華奢な人だった。この人もおそらく30代から40代。そして紛れもない流暢な日本語で話し始めた。

「皆さん、入社おめでとうございます。視察課課長のマイケルと申します。

視察という言葉はあまり耳にしたことが無いかもしれませんが、かいつまんで言うと観光旅行で行く観光地以外の特別な場所を調べて、うちで受注したら手配をする部署です。

観光で行かない所とは,例えば工場や農家などの訪問。工場と言っても最新型のロボットを使っているような特殊な場所や、IoTを使った物流や倉庫、食品の製造工場など多岐に渡ります。その他、ヨーロッパでの最先端の取り組みに関する調査や手配をします。

何のことかと言うと、ヨーロッパで最新の政策や自治体の取り組み – ゴミ問題や環境保全、地域おこしや医療の仕組みなどを調査に行く訪問団のための最新事例の調査と手配を行います。

その他、専門学校やカルチャーセンターのために、ヨーロッパ最新の美容・理容やメーキャップの実習や見学、料理や音楽などを通じての文化交流の手配。高校や中学の修学旅行のためのホームステイや語学学校での英語研修、農家滞在など幅広く行っています。

一気に喋っちゃったけど、ここで質問のある方はいますか?」

真奈はとっさに手を上げた。

「調査とありましたが、それは海外にある支店がやるのでしょうか?それとも東京で調査するのでしょうか?」

マイケルさんは苦笑いをして答えた。

「本来なら海外にある支店が調査するものなんですが、とにかく回答が来るのが遅いので、急ぎの物は日本で調べています」

「ありがとうございます」

真奈は礼を述べた。自分のやりたかったことがもしかしたら実現するかもしれない。観光も大切な要素だが、観光だけでは味わえないヨーロッパの魅力を日本人に伝えたい。そんな気持ちが膨らんできた。

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次に来たのは、小柄でふっくらとした女性だった。ふわりとカールさせた髪が若々しい。おそらく20代と思敷き人だった。

「皆さん、リリパットへようこそ!見積もり課課長、徳永です。

見積もり課というのは文字通り旅行にかかる費用を見積もる所ですが、旅行を手配する際に必要な物をすべて把握しておく必要がある部署です。

ホテルや送迎バスなどが思いつくかもしれませんが、長距離バスを何日も走らせてヨーロッパの大きな国を回るときは、どこの駐車場が有料で、どこの駐車場が事前予約が必要か、などの知識が必要になってきます。これは見積もり用の虎の巻があるので,安心してくださいね。

ホテル一つとっても、ポーターさんに渡すチップも大事な手配項目です。これも見積もり忘れると結構な額になってしまい、下手すると赤字になりかねない。ほんの小さなミスが下手すると赤字に膨れ上がってしまうので、要注意です。

でも私たちは旅行に必要なものは何かというエッセンスを学んで、どうしたら実際に旅行に出られるお客様のために良いツアーになるかを追求できる部門です。

きつすぎる日程になる様なら観光の内容や移動時刻を調整したする。一日ではこなせない観光が入ったりした場合は営業に報告してツアープランを再度練り直してもらう。そうした旅程管理につながる指摘をするのも大切な役目です。ツアーを一から作ってみたい人は大歓迎です。皆さんのお越しを待っていますので、希望はどんどん出してくださいね! 

さて、私で入社時の説明は最後で、午後には見積もり体験と称した、リリパットのコンピューターシステムを実際に障ってみてもらいます。お昼ご飯はこの会議室で食べてもいいし、外に食べに行ってもいいです。13:30までにここの会議室に集合してください」

そう言うと、徳永さんは軽い足取りで会議室を出て行った。

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お昼休みが来て、真奈は隣の机に座っている田上優菜に話しかけた。

「ねえ、どの課にするか決めた?」

すると優菜はにこっと笑って、「見積もり課」と言った。

「どうして?」

「私、ツアープランを立てるのが好きなの。一日でどれだけ観光名所を回れるか、その土地でどんなものが食べられて、何が見れるか。そんなことを考えながら仕事できるのって、見積もり課が一番近いかな、と思ってね。そっちはどう?さっき質問してたけど、もしかして視察課?」

「うん。私は観光だけでは無くてもっと生活に根差した海外旅行を考えてたの。その国の仕組みや、その国でしかできない、観光だけではない何かに携わりたいと思ってるんだけど、一番近いのが視察課かな、と思って」

気が付くと、研修で良く手を上げていたショートカットの子が傍に立っていた。

「二人とも希望は決まったみたいね。あたしは手配をやってみたくって。現場に一番近い所で働いてみたいな、って思ってさ。同じ部署にはなれないかもしれないけどよろしくね。あたし相良美紀。 お二人は?」

真奈と優菜はあらためて自己紹介をした。

お弁当を持ってきていた真奈と優菜は美紀がコンビニでお昼を買ってくるのを待ってから昼食を食べ始めた。

一人暮らしの真奈は手製のおにぎりとお茶、同じく一人暮らしの優菜はお弁当箱に詰めた彩の好いお弁当を広げている。美紀はコンビニのスパゲッティを広げた。

「ねえ、ツアーオペレーターって、入社試験を受ける間に知ってた?あたしツアーオペレーターって何のことだか分からなくって、入社試験を受ける直前まで調べ切れてなかったんだよね。面接で何とか滑り込みで理解できた感じ」

「入社試験に間に合っただけ良いよ。あたしは面接の直前まで良く分かっていなかったもの」真奈は言った。

B to Bの会社の業務内容を知るのは至難の業だ。インターネットの世の中であっても、なかなか詳しい情報は出てこない。海外旅行の手配をする会社だとは理解していたが、中ではこんなに分業制になっているとは真奈は思いもしなかった。

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午後には二人一組になってコンピューターシステムの研修が始まった。

PCの前には「イタリア8日間」とかかれた日程表があり、どの町で何を見て、食事はどこで入れるのかが記入してある。

徳永さんの指導の元、コンピューターに手配項目を入力していった。

まずは空港の出迎えアシスタント。この人が送迎バスと日本から来た団体を繋げる重要な役割を果たす。

その次には空港のポーター代。団体旅行ではこのサービスを使える空港であればポーター代を見積もりに必ず含める。

次に専用のバス。団体の人数に合わせて、席にゆとりが出るサイズのバスを見積もりに入れる。

宿泊ホテルは、基本的には2人使用のツインルーム。日程表で「ホテルで夕食」の記載があれば夕食代を入れ、そして朝食代も見積もりに入れ込み。団体旅行は基本朝食が付いているからだ。そして添乗員用のシングルの部屋の入力も忘れない事。子供連れの家族が居ある場合はトリプルの部屋を見積もる。

その後は、入場するのにお金がかかる観光箇所を見積もっていく。

ローマのコロッセオやバチカン美術館。フィレンツェのウフィッツィ美術館。その他にもベニスでゴンドラに乗って移動する場合はゴンドラ代、各都市での駐車場代などを含めて、見積もり作業が終わった。

終わった見積もりを印刷して、徳永さんのチェックを受ける。

早く終わったいくつかのチームがすでに徳永さんの前に列をなしている。

「三日目のレストランが抜けてますよ!あと二連泊のフィレンツェのホテル代もぬけてるので入れてくださいね。入れ終わったらもう一度印刷をして持ってきてください」

真奈と優菜はおそるおそる見積もりを差し出した。

「うーん、惜しい!ベニスの夕食のメニューが違う。メニュー、よく読んだ?パスタなんだけどイカ墨パスタって書いてありますよ」

真奈と優菜が選んだのは、ボンゴレ・ビアンコ - つまりアサリのパスタだ。

「メニューが違うだけでも旅程保証と言って、規約違反になって返金をしなければならなくなるので本当に気をつけてね。旅費の15%か20%は返金しなきゃならなくなるから」

たった8日間とはいえ、どこで駐車場代が必要か、どこでホテル近くのレストランを手配するか、食事はどのメニューを選ぶかが慣れない眼にはなかなか見えてこない。

食事のメニューはすべてイタリア語と英語の二つで書かれており、日本語で書かれた日程表から正しいメニューを選び出すのにも一苦労だ。そして各都市での観光の時間配分や,市の中心街からホテルまでの距離を測って、夕食に間に合うようにバスを回す時間配分など、気にするべきことはいくらでもある。

結局、全員が合格を貰えるまで四時間かかり、気が付いたら17:00を回っていた。

ランドオペレーターの仕事はとにかく細やかでなければやっていけない。

全員が見積もりの洗礼を受けてぐったりしている所へ、人事総務の種田さんがやって来た。

「皆さん、お疲れさまでした。大変だったって聞いたけど,これはまだ序の口だから諦めないように、ってさっき各課長や部長が言ってましたよ。

さて、皆さん、今日の説明を聞いて、どの部署が希望かこの紙に書いて提出してください。

取りまとめて、明日の朝入り口右側の壁にあるボードに張り出しておきます。

どの階にどの部署があるかも記載しますので、それを確認してください。
明日は私と一緒に各部署を回って挨拶をしましょう。

それでは用紙を配りますので,希望する部署名を書いて提出してください。

真奈は慎重に考えた。手配会社に入ったのに手配のやり方を知らずに良いのだろうか。それを知るには見積もりか手配を希望するのが筋だろう。

しかし、視察課の仕事内容を聞いて、気持ちは視察課に確実に動いていた。同期の中で何人が視察課を希望するのかは見当もつかないが、まずは希望を出してみないと始まらない。シャープペンシルに思いっきり筆圧をかけて「視察課」と記入すると、種田さんの所に持っていった。

種田さんはにっこり笑って紙を受け取ると「ありがとうございます」と言ってクリアフォルダーの中に大切にしまった。

外に出たのは18:00を少し回っていた。あたりはまだ薄明るく、真奈は浅草駅までの短い帰路を優菜や美紀と一緒に歩いて行った。


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翌日、はやる心を抑えながら真奈は会社までの道を急いだ。

自動ドアを抜けて右側の壁を見ると、一枚の紙に新入社員の名前と所属先が書いてある。

上から順に見て行くと、さ行に自分の名前があった。

「 阪口真奈:本社三階 視察課配属 」

第一希望が通った。嬉しさがこみあげてきて、思わず小さくガッツポーズを取った。

他の新入社員達も続々と出社してきて、自分の配属先を確かめている。

がっかりした人は見当たらないので、おそらく全員の希望が通ったようだ。

優菜は希望した通りに見積もり課に配属になった。視察課と同じ三階にある部署だ。

美紀も希望通り手配課。この課は二階にあり、席が離れてしまう事が残念だった。

そうこうしているうちに種田さんが階段を降りてきた。廊下にごった返している10名の数を数え終わった種田さんは、元気な声で言った。

「さあ、それでは各課を回って挨拶をしましょう!」

初日と同じく、大いなる期待とわずかばかりの不安を抱えて、真奈は種田さんの率いる新入社員の一団の後を追って階段を上り始めた。


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