【小説】旅行会社の一年間:5月: イタリア6日間の謎(上)
2007年5月。ゴールデンウイークも無事に過ぎて、あと数日で三社祭りを迎える浅草は、いつも通り観光客で賑わいを見せている。
浅草寺の裏手にあるヨーロッパ専門のランドオペレーターのリリパット・トラベル社では、ゴールデンウイークの旅行手配のピークを終えた社員達がつかの間の静けさを楽しんでいた。
手配が終わって請求書もほぼ切り終わり、あとは夏休みの旅行ピーク時の喧騒を待つだけだ。
手配課に配属になった相良美紀は、早速シリーズ(量販のパッケージツアー)の手配を任されて大忙し。ピーク時に配属になった新入社員達は定時に上がれてはいたものの、毎日怒涛の様にやってくるコンピューターシステムの使い方や、手配の基本である専用バスの回し方や観光時間と都市間の移動の調整、どこの駐車場に予約が必要か、人数の最終調整はどうしたらいいかなど、一か月で旅行手配の洗礼を浴びた。
業務視察課に配属になった阪口真奈も、業務視察の流れを懸命に覚えている所だった。まずはオーガナイザー(旅行を企画し、その手配を旅行代理店に相談する人たち)が何の目的でどのような視察を考えているかのヒアリングを行い,必要な情報を集める。
例えば福祉で有名な北欧の福祉施設を見学し、北欧の福祉制度を学びたいと考えている日本の自治体の福祉担当者の場合。こうしたオーガナイザーにはまず北欧の福祉制度を簡単にまとめてイメージを持ってもらい、そこから高齢者施設や障碍者施設、高齢者を専門に診ている病院などを紹介していく。
真奈たちや競合相手のランドオペレーターが提出した資料がオーガナイザーの求めている物であれば、そこから旅程を組むことが始まる。
旅行代理店やリリパットの営業が作成した日程を元にツアーは見積もり課に回され、オーガナイザーが旅行の値ごろ感を得るためにツアーの代金を見積もっていく。
福祉で特徴的な国はヨーロッパではほかにもイギリスがあり、真奈はまずどの国の福祉政策にどのような特徴があるかを調べ、自分なりに資料をまとめる練習から始めた。
五月の半ば、美紀と真奈は浅草寺の境内でつかの間の昼休みを取っていた。
見積もり課に配属になった田上優菜は別のビルで研修を受けており、7月までは美紀や真奈の働く本社ビルには戻ってこられない。
日当たりのよいベンチに腰を下ろしながら、真奈は柴漬けのおにぎり、美紀は近くのコンビニで買った焼うどんを食べながら近況報告をしていた。
「手配、覚えることだらけだよ!自分で旅行を計画するのと基本は変わらないんだけど、大人数の団体だから大型バスも使うし、そのバスがそもそもホテルに横づけできるか調べないといけないし。ローマなんて交通規制が厳しいから街に観光バスが入場する規制があるの。
その場合どの許可証を持っていればバスを市内に入れられるか、その許可証で街のどこの地区に入れるかまで決まってるんだよ。
基本は見積もりの人達が必要な許可証は全部コンピューターのシステムに入れてくれてるんだけど、実際にそれを使って観光名所を巡るようにバスを手配するのはあたしたちなんだよね。覚えることだらけで今はもう手一杯。
そっちはどう?業務視察ってあんまりイメージが湧かないんだけど、どんなことやってるの?」
真奈は眉間にしわを寄せた。
「今やってるのは、北欧三国とフィンランド、イギリスの福祉政策についてかいつまんだ資料を作るのと、それぞれの国の福祉施設や高齢者施設、病院をヨーロッパの支店の人達に調べてもらって、どんな特徴があるのかを日本語でまとめてるの。これがお客さんの求めている物と合致したら、そこから日程表を作るんだって」
「へえ、それじゃあ真奈たちが調べたものを見に行くための日程表になるんだよね。その日程表って誰が作ってるの?」
「大抵はエージェント(旅行代理店)さんか、もしくは三課と四課のアドホック(単発旅行)の営業の人。それが出来たら見積もりに回してツアーの代金を決めるんだって」
「へえ~。私達だともううちの会社が受注しているツアーしか触らないから、想像するしかないね。日程表を作る前段階の作業があるんだ・・・」
「視察だけじゃなくて、もっと観光要素のあるものも扱ってるよ。上の人達なんか、オランダで花畑を観光客に開放している農家に掛け合って、花のシーズンに観光客を入れて畑を見せてくれるように支店に交渉してもらってるんだって。これ、多分単発ツアーでうまく行くようだったら、シリーズでも使う事を考えているみたいよ」
「そうなんだ!それじゃどっかで真奈がやった仕事が私たちシリーズの手配に来ることにもなるんだね。なんだか楽しみだな」
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その翌日も晴天で、早朝の浅草の街は静まり返り、墨田川の水面が日光を浴びてきらめいていた。
リリパット・トラベル営業第三課課長の五箇山重治は、大きなあくびをしながら社屋の自動ドアをくぐった。ツアーの見積もりが増えるピーク時を迎えており、日程作成や見積もりを担当する部署への連絡や説明、顧客である旅行代理店との新しいツアー造成のための打ち合わせなどが山盛りで、毎日深夜残業が続いていた。
深夜残業は本社から厳しく管理を求められており、五箇山も自分の部下たち三課の営業や営業サポートに出来るだけ早く帰る様促してはいた。しかし肝心の五箇山が遅くまで残っているため、部下達も速く帰る様子すら見せない。あと一本,もうあと一本と見積もりにかかる作業を部下達が続けている様は、どうにか対処せねばと頭を悩ます毎日だった。
リリパット社は創立四十周年を迎えたばかりのまだ中堅どころの会社だが、ホテルの仕入れが良く、団体割引でかなりの値段を下げることに成功していた。公的機関等の予算が限られたツアーや、量販の廉価ツアーを得意としており、仕事の受注率は悪くはなかった。ホテルの仕入れが良いが、団体割引で安い価格で仕入れた部屋が大量にあり、世界中の支店がどれだけ頑張っても売りさばき切れるような部屋数では無かった。
浅草の浅草寺の裏手に自社ビルを抱えるリリパットは、東京だけで約100人が働く中小企業で、本社はイギリスにある。欧州各国に支店があり、そこと連携して仕事に当たっている。社内の公用語は英語で、日本国内でのメールも大半が英語だ。
ただし、ランドオペレーターはB to B(Business to Business) 企業。日本にある旅行代理店(トラベル・エージェント)が顧客であり,あくまで旅行の黒子の存在だ。旅行に出かける人たちに手渡される「旅行のしおり」の一番最後のページに出て来る「緊急連絡先」にローマ字で書いてある会社が五箇山たちの業種の会社。
大半の旅行者は何事もなく海外での旅行行程をスムーズにこなし、日本にご帰着される。旅先でパスポートを盗まれたり体調不良を起こしたり、最悪の場合は入院したり死亡したりしない限り五箇山達の会社を知ることは無い。
ランドオペレーターは,基本は旅行代理店から来た海外旅行の見積もりと手配を請け負う会社だが、ツアーの造成の際に目玉となる観光箇所の提案や、海外視察や海外での研修の場所の提案も求められる。
例えばフランスのモンサンミッシェル寺院。
例えばポーランドのヴィエリチカ洞窟。
例えばボルドーのワインセラー。
例えばオランダの花畑。
こうした観光箇所を旅行代理店に提案し、話がうまくまとまれば見積もりが来る。
海外旅行客の人数が伸びている今、旅行代金を下げようと言う価格競争が激化しており、無料で見に行くことのできる観光地の開拓に、どのランドオペレーターも必死だった。
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旅行代理店からの見積もりの来方も様々で、旅行代理店ごとのカラーがはっきり出る。
その日も11:00頃から、顧客からのFAXや電話が盛んに来るようになった。
鉄道と旅行業を主軸にしたKKTトラベルや、やはり鉄道と不動産を主軸にした地球トラベルなどは、FAXやメールで一行「イタリア6日間。30名。ツイン部屋15室。時期は2023年の7月上旬。日程はお任せします。最安値で最高の内容を作成してください。間際の依頼ですがよろしく」とあるのが常だった。
引っ越しやカーゴなども扱うジャッポーネ通運トラベルの担当は電話が好きで、旅行の日程表も必ず五箇山のチームのの営業と話し合いながら作成していく。今日もジャッポーネ通運トラベルの三国義輝と、リリパットの営業三課の赤石武が熱心に電話で話し合っていた。
「赤石さん、今年の7月、イタリア6日間のツアー造成依頼が来てるんだけど、何とかいつもより安く上げる方法は無いかな?」
「7月のツアーですか、時期的にきついですね。あと二か月もありませんし。競合の案件でしょうか?結果がすぐに出る様なら何とかなるかもしれませんが・・・お値段ですが、食事を入れなければかなり安くなりますけど、どうでしょう?あと入場観光を入れずに下車観光だけにするとか」
「それじゃちょっとまずいんだよね。あまり金の無い顧客だけど、イタリアでの6日間・・・正味4日間だけど、入場も食事も旅行会社に任せて,最高の内容にして欲しいと言ってきている」
「安かろう、悪かろうでは困るという事ですね。それではまず値頃感を知ってもらうために4つ星クラスのホテルで見積もってみましょう。これでお客様の想定を超えるなら3つ星に落としてみましょうか」
日本最古の旅行会社であるジパングトラベルは変わり種で、江戸時代から続くと言われるその長い伝統とエリート主義に誇りを持つ会社だった。大卒以外は取らないと言う主義を貫いているが、どの人もプライドが高すぎて,知ったかぶりをするのが困りものだった。ここの会社の営業マンも電話で注文を入れてくることがほとんどだ。その日も砂山雄介という男性の担当者から長電話が五箇山宛に入って来た。
「あ,リリパットさん?本来御社にお伺いしなくてもいい案件なんですけど、7月のイタリア6日間の旅行の引き合いが来ているんですよ。ええ,ええ,ほぼうちで受注しているようなものなんですけどね?
6日間かけてイタリアを周遊して最高の旅行をしたいと言っているんです。6日間あるから、ローマ、フィレンツェ、ピサ、ベローナ、ベネツィア、ミラノは確実に入れられますけれど、問題は料金なんです。安くて最高の内容を求められていまして」
安くて最高の内容。矛盾するようだが、これを求める顧客は山の様にいる。
どこで落としどころを作るか。ランドオペレーターと旅行代理店のすり合わせが始まる。
7月のツアーともなれば見積もりを提出してどのランドオペレーターが担当するか決まれば、即手配に回さなければ間に合わないかもしれない。急な仕事だ。
「イタリアご滞在が6日間なのですか?行きと帰りのフライトを入れたら8日間になりますが、全体で8日間という事でよろしいでしょうか?」
「あ,そうでは無いんですよ。旅行の期間はあくまで6日間。今言った6つの都市を全部入れて欲しいんです」
「できない事は無いですが、各都市半日の観光になってしまいますよね。お客様はそれはご承知なのでしょうか?」
「いやっ,そうじゃないんです。あくまで観光も食事もたっぷりと。できればフィレンツェでキャンティワインをお出ししたいですね。できればモンテプルチャーノ」
「観光をたっぷりと言うのは厳しいですね。お食事は何とかボリュームのあるものを入れてみましょう」
「いやっ,それは困るんです。観光もたっぷり,食事もたっぷり。そしてワインはマストです。その位できるのはご存じですよね。あ,オペレーターさんは知らないのかなあ、こういう現地の事は」
「できる限りご要望にお応えします」
「ええ,ええ,最初からそう言ってくれれば話は短かったんですよ。オペレーターさんはなんにも知らないからなあ・・・とにかくうちの言っていることに従っていれば良いんです。分かりましたか?本当に全く、物を知らない業者はこれだから・・・」
その他にもリリパットのお得意様のCITY社や、会社の報奨旅行や出張旅行を数多く手掛ける大手のジャポン・ボヤージュなどからもイタリア6日間の見積もり依頼が来た。
ひとしきり問い合わせの電話が終わった所で五箇山は営業チーム3課のメンバーを集めて作戦会議を始めた。
「まずは、ジパングは切ろう。これは俺が担当する。観光も早朝開始の物を入れたり、お客様を走らせたりするようなきつい日程になってしまうが、キャンティワインを入れた時点で安く上げることはできないだろう。もしかしたらジパングの客は他と違うオーガナイザーの案件かもしれない。
6社似たような案件が来ているので、ぜひ1本でも取りに行きたいところだ。7月は売り上げ目標に達していなかったので、一本でも増えればありがたい。30名の廉価のツアーになりそうだが、7月の案件。見積もりと合わせてもあと二か月を切っている。本来断ってもいい案件だが、これだけ広範囲に旅行代理店に話が来ているという事は、キャンセルになる可能性は無いと言っていいだろう。
赤石、ジャッポーネ通運は頼んだぞ。あとお前はジャポン・ボヤージュも抱えることになるよな。それぞれ変化球をつけて、ツアーの目玉になる所を工夫して日程表を作成してもらいたい。
斉木、KKTトラベルは頼んだぞ。これは1課でやっているシリーズを参考にさせてもらっていいかもしれない。栂野さんに声をかければKKTトラベルのシリーズツアーパンフレットを見せてくれるかもしれない。
北里さん、地球トラベルをお任せします。地球トラベルのシリーズツアーなら2課が担当しているはずなので、参考に出来る旅程票のパンフレットを貸し出してもらえるよう、私から話をつけておきます。
太田さん、CITY社はお任せしますよ。先方も6日間でゆったりたっぷりの日程は無理だと分かっていらっしゃるでしょうから、問題は無いでしょう」
各営業がデスクに三々五々と戻っていき、日程表の作成に取り掛かる。フライトのイタリア到着時刻を見ながら、到着後の観光の回し方や、各都市のホテル選出、レストランの予算やガイドを付ける必要のある都市とそうでない都市を選別していく。無茶なオーガナイザーからの要望も出来る限り参加者に無理が出ない様に、きつすぎる日程にならないように、調整しながら日程表を作成していく。
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