【小説】旅行会社の一年間 :5月: イタリア6日間の謎(下)
出発日も迫りつつある中、ツアーの手配が大急ぎで始まった
そこからがランドオペレーターの「手配」と言う本当の仕事が始まる。
見積もり段階からホテルを抑え、手配チームに見積もりを渡すと,そこで初めてレストランや送迎バス、駐車場、アシスタント,ガイド、通訳の手配が始まる。
日本を出発して海外の空港に到着した時から、滞在を終えて空港に到着するまでの間、お客様達はランドオペレーターが手配したサービスを使って旅行をしていく。今回の案件は夏休みのピークシーズンと重なっており、送迎車や出迎えのアシスタントの手配が遅きに失する懸念があった。
しかし、ジパングの「イタリア6日間」のツアーの手配はとてつもなく簡単だったという。入場観光するところは一か所も無く、全て外観のみ。食事は「イタリア人の食事は日本人の食事より多いだろうから」という事で最安値のメニューになっていた。
無事に手配も完了し、請求書も切られ、社内の皆がいつもの仕事を淡々とこなしている所へ一本の電話が五箇山宛に入った。
一時間後、五箇山はセールスサポートの東美沙と、手配担当の中田義忠を読んでミーティングスペースを陣取った。
「先ほどジパングから電話があって、うちの過失で旅程保証になったと言い出した。入場観光をすべて下車観光にしたことと、ツアーの目玉のワインが入っていなかった、と主張している。美沙、例のワインを含めないという念書のメール,まだ手元にあるか?」
「はい。何か気になって見積もりが終わっても捨てられなくて。メールボックスにも残っています」
「そうか。義忠、ジパングから来た日程表を見せてもらえるかい?」
「こちらです」
義忠の差し出した日程表には、観光箇所にはすべて「下車」とあり,どの都市の食事にもワインの記載は無かった。
五箇山は丁寧に日程表を検めた。事前に砂山と確認に確認を重ね、こちらからの見積書にもワインや観光箇所の入場は含めていないとしたはずなのになぜこのような旅程保証などという事態になったのか。
旅程保証とは、旅行規約に対する違反だ。本来旅行に含まれていなければならないもの、つまり日程表に記載されている物が手配されていなかった時、旅行業者は旅行費用の15%から20%を返金することになっている。
しかし、話は返金だけでは済まない。旅程保証を出したランドオペレーターや旅行代理店は手配もまともにできない信用の置けない企業として見做され、業界で話が広まれば今後の取引にも影響が出かねない深刻な事態だ。
五箇山はため息をついて言った。
「美沙,悪いがこの日程表をワインについてのメールと一緒にカラースキャンをして、ジパングに送付してくれ。送付相手はジパングの坂本部長で,砂山さんはcc。この二つがあればうちへの疑いは晴れるだろう」
東がメールを送付してものの10分も経たないうちに五箇山に電話が入った。電話の主は砂山本人だった。
「五箇山さん、あなたあんなお粗末な証拠が証拠として成り立つとでも思っているんですか?こちらはあなたのアドバイスを受けて日程表に入場観光とワインを明記したんですよ。いくらアドバイスが電話だったからといって、弊社に全責任を負わせるつもりですか?」
「いえ,こちらは当初からワインはお勧めしておりませんし、最初の見積もりの段階から入場箇所は含めておりません。弊社が提出したお見積書を見ていただければわかるはずです」
「そう言っても御社の見積書は英語ですからねえ・・・僕はもちろん英語はできますよ。ジパング社の社員は全員TOEICは900点を超えているのですから。しかしお宅の、その,何ですか?ランドオペレーターの様な低レベルな英語しかできない見積書など誰が読むんです?人に読んでもらいたければ読めるような見積書を出しなさいよ、まったく」
「お言葉ですが」五箇山が落ち着いた声で話し始めた。
「弊社の見積書は、すべて本社のイギリスの社員が作成した条件書です。英語に問題があるとは思っておりませんし,実際に読んでも不自然なところはありません。それに御社の坂本部長とはもう10年以上もお付き合いさせていただいておりますが、どんなに問題のあったツアーでも見積書や条件書の英語が問題になることはありませんでした」
砂山が大笑いした。その声は限りなく大きく、五箇山の近くの席にいる全員に,砂山の奇声が漏れ聞こえてきた。
「イギリスの英語だって?五箇山さん、日本のビジネスを舐めてるんですか?ここは日本ですよ?最低でもアメリカの英語で寄越しなさいよ。あ,でもランドオペレーターさんにはアメリカ英語の様な正式文章を書けるほどの語学力のある人はいらっしゃらない?そうでしょうねえ,そうですとも。ランドオペレーターごときに何ができるって言うんですか」
絹を裂くような砂山の甲高い声が受話器に響く。
話がずれてきたのを五箇山が慎重に戻す。
「英語はまずひとまず脇に置いて、お手数ではございますがお客様に提出されたパンフレットの原本を頂けないでしょうか?弊社でいただいたパンフレットと何処に齟齬があったのか精査させていただきたく思います」
これを聞いた砂山はまた奇声を上げた。周囲に黄色い声がこだました。その数秒後,電話が突然切れた。
五箇山は東を呼ぶと、再度先方の坂本部長あてに、お客様に提出したパンフレットの原本を送ってもらえるようメールを送付する様指示を出した。
一週間後、ジパングトラベルの営業本部長である藤原から、今回の旅程保証についてはリリパットが責を負うものではないと説明がメールであった。
曰く、受注を焦った砂山は仕入れ値よりも40%安い価格で大赤字のツアーを販売し、自分が見積もりの段階で作った入場観光やワインを明記した日程表を、間違っているのを気が付かないままお客様に送付してしまっていたと言う。
旅程保証での返金額はツアー代金の15~20%が相場だ。砂山のツアーが悲惨な赤字状態にになったことは間違い無い。
その日の昼休憩は、ジパングの旅程保証で持ちきりだった。
「ジパングのツアーさ,ランドオペレーターで正規の値段付けたのってうちだけだったんだって。他社さんは皆50%ぐらい乗せてオファーしたらしいよ。だからうちに来ちゃったんだね・・・」
「五箇山さん、良い人過ぎ。なんでそんなに正直に商売するんだろう?出発まで二か月切ってるような案件なんて断ればよかったのにね」
「それにしても40%の赤字ツアーなんて滅多に聞かないよね。一体どうしちゃったんだろう」
「砂山さん、売り上げが悪すぎて今年が正念場らしいよ。これでだめだったらバックヤードに回されるとかなんとか」
「結局は自業自得だったんだね」
「下請けを何だと思ってるんだろう,全く。」
「大赤字のツアーを出すのは旅行代理店の勝手だけど,うちに責任擦り付けただけじゃなくてお金まで巻き上げようとするって、どういう事?」
「自分で間違った日程表を送って、自分で赤字を出したのに、うちに旅程保証を肩代わりさせようなんて図々しいにも程があるよ」
「ジパングの人はプライドが高いから本当に要注意だよ。ちょっとしたことで知ったかぶりして、結局何も理解していないまま事が進んでいくから、連絡はできるだけメールにした方がいいよね。美咲ちゃん、これからは居留守を使って,やりとりは全部メールにすれば?」
美咲は渋そうな顔つきで言った。
「あの人たち、メールを送るとすぐに電話をよこすんですよ。そこで爆弾発言をすることが多くて。うちの電話、応対品質の向上とか理由付けて録音できないんですかね?」
「その通り!本当にそういうシステム取り入れてもらいたいよね」
休憩室の入り口にある自動販売機の前で、五箇山は社員達の話に耳を傾けていた。ランドオペレーター業に携わってもう20年が過ぎようとしている。この旅行代理店の下請けいじめは何時まで続くんだろうか。
今回の一件は旅行代理店が赤字に陥るのみならず旅程保証にまで陥ると下請けに牙を剥く一例だった。休憩室から漏れ聞こえてくるのは、ただ聞いているだけでも気が滅入るような話ばかりだ。
ジパングの担当者は砂山だけではない。恐らくこの一件で砂山は前線を外れる可能性がある。次の担当者に期待しよう。次こそリリパットとひざを突き合わせて話せるような担当者が来てくれることを切に願った。
午後には山積みになっている自分の仕事を片付けなければ。五箇山は軽いため息をつきながら、三階にある自分の席まで重たい足を引きずりながら登っていった。
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