【小説】旅行会社の一年間:5月: イタリア6日間の謎(中)
その日の午後遅くから見積もりが始まった。
三課の営業から一人、また一人と書類が見積もり課第二チームのリーダー、保高淑子に手渡されてくる。
日付印の入った書類の一枚目にはエージェント名、旅行に行く目安の人数、ホテルの部屋数とベッド数、食事に有無、ポーター代、ポーターやアシスタント、ガイドに手渡すチップの有無などが記入されており、次のページには日程表。6行の日程表にはフライトの便名と到着時間が記入されており、どこで空港の出迎えアシスタントや専用車、ガイドや食事を付けるかが一覧になって見やすく書かれている。
地上費(海外の空港に到着してから帰りの飛行機に乗る間、海外で必要とするサービス)を安くするため、ポーターやガイド、アシスタント、専用車の運転手やレストランのスタッフに渡すチップは添乗員払いに設定している見積もり依頼がほとんどだ。
大半の日程がローマ、フィレンツェ、ベニス、ミラノの4都市を回るが、各都市でコロッセオやフィレンツェのドゥオモ、ベニスの聖マルコ教会などの入場観光を入れているのはジパングツアーの物だけだった。
見積り課二係リーダーの保高淑子が昨日廻って来た日程表を早速チームに配布している。
「この見積もり、中1日しかもらえないの。他にも抱えている見積もりが沢山あると思うんだけど、こちらを優先してやってくださいね。すでにシステムにある過去の日程表をコピーできるものは調べておきました。
長谷部さん、ジパングの見積もり、ワインは特にローマ支店に見積もり取らなくてもいいそうです。システムにある概算料金で見積もってください。最高級のワインを別出しにして、見積もり依頼書に手書きしてくださいね」
五箇山は、廉価ツアーであっても一気に6本来た見積もりに気持ちが高ぶっている様だった。終業間近というのに見積もり課をうろうろしてしきりと皆に話しかける。
「見積もり課も真剣にやれよ。6つも見積もりが来た案件だ、間違いだけは決してしない事。サービスは出来るだけ安く。競合他社との相見積もりだけど、これだけ営業全員で取り掛かっているし、7月は売り上げ目標に達していないし、せめて一本でも撮りたい案件だ」
五箇山はいつになく息まいていた。フランスに三年、イタリアに五年駐在し、その後も一年に二度はイタリアとフランスを2週間かけて自分で見て回っている五箇山にとっては、第二の故郷を日本人に体験してもらえるチャンスでもあった。
五箇山の見積もりを担当している、長谷部薫子というこの筋30年のベテラン社員が口を開いた。どんな細かい所でも気が付く彼女に任せておけば見積もりのミスなど考えられないだろう。
「五箇山課長、今日はとみに熱心ですね!任せてくださいよ、この日程ならそれほど難しくないからへまはしないですよ。納期までに必ず間に合わせます」
「長谷部さん、そうは言っても、以前ポーター代を入れ忘れて大損を食らったじゃないか。ああいう小さいミスが重なると、マークアップを食いつぶされるんだ。今回はそれだけはやらないで欲しい」
「ご心配なく!イタリアの日程なら私だけじゃなく全員が何度もやってますから。ポーター代は別出しで添乗員さんが払うんですよね?ジパングのツアーは旅費に込みでしたよね。こちらはもう計算システムに入力済ですよ!」
「そうか・・・それなら今日は安心して帰れるな」
「五箇山さん、こんな中身の無いスカスカな日程表、俺30分で計算して見せますよ!」
田之上が言うと、他の日程を受け取ったメンバーが同じことを繰り返して言った。
「簡単、簡単!ねえ、これ皆で競争しない?一番最後に作った人が今日の夜食手配するとか」
「良いですねえ~!」美紀島春奈が感嘆の声を上げる。
「あー。そしたら遅くなるの俺だ。ベローナ観光が入ってるし、ボローニャ観光まで入っているよ」下山祐樹がはずれを引いたとばかりに机に突っ伏した。
「じゃあ下山さん、いつもの餃子屋さんのバンが回ってきたら10人分よろしくお願いします!」
周囲から歓声が沸き起こった。このローマ6日間以外にもまだまだ見積もりは待ち受けている。今日も終電まで残業が続くだろう。
「それはそうと、五箇山さん、今日は金曜日ですよ。早くお帰りになった方がよろしいのでは?もう18:00回ってますし。確か今日は息子さんの誕生日ですよね?」
「あ、そうか!すっかり忘れてたよ」
それを聞きつけた見積もり課の人達が全員どっと笑った。
「五箇山さん、今走ればドンキが開いてますよ!せめておもちゃの一つでも買って帰らないと」
五歳になる長男のいる五箇山は、そっと鞄を手にしてPCの電源を切ると、
「それじゃお言葉に甘えて!」そう言って浅草の町へと飛び出していった。
***************
翌日には見積もりが出来上がり、各担当営業から旅行代理店にメールやFAXで見積書と条件書が送付されていった。
五箇山はジパングトラベルの見積もりには通常のマークアップ(儲け)を乗せた。
高い料金であれば、リリパットにビジネスは来ない。特に今回の様に廉価を期待している案件なら尚更だ。また、ランドオペレーターの意見に耳を貸さずに知ったかぶりをするエージェントとの仕事はなるべく避けたいところだ。
その二日後、五箇山宛に電話が入った。先日見積もりを電話で依頼してきた砂山というそのジパングの担当者は相変わらず甲高くも粘っこい口調で長々と電話で話した。
一時間後、電話を切った五箇山は、セールスサポートの東美沙に指示を出した。
「砂山課長宛てにメールを一本入れてくれ。ワインは食事に含めないと相手の承諾を取ってくれ。ワインを無料で入れろと無茶を言ってきたので、そこは突っぱねたんだが、そうこうしているうちにワインの値段だけ損していることが分かったんだろう。
そもそも砂山さんはキャンティどころか高級品のモンテプルチアーノを入れると言ってきた。あんなもの強烈に高いワインだ。あれだけで一杯1000円以上はする。食事に含めないとは見積もりで伝えていたが、ここは書面で残した方がよさそうだ」
東は早速メールを砂山さん宛に打ち始めた。
「株式会社ジパングトラベル
砂山課長殿
平素よりお世話になっております。
先ほど弊社五箇山あてにご依頼のあった「イタリア6日間」にて、ワインを食事に含めない旨、ご了承の旨、ご回答をお願いいたします
リリパット・トラベルセールスサポート東 美沙」
夕方、このメールに返信が来た。
「リリパット株式会社
東 美沙様
お世話になっております。砂山がお電話でお伝えした通り、ワインは食事に含めないでください。
よろしくお願いします。
株式会社ジパングトラベル
砂山 雄介(代 福島愛)」
リリパットでは最初から受注の可能性は無いと踏んでいたジパングのツアーが動いているのは不思議でしかなかった。「観光もたっぷり、食事もたっぷり」のツアーがどこまで変わっているのか。社内で興味を持つ人たちの間で話題になった。
見積もりをエージェントに提出した営業サポートチームは特に姦しかった。
安永芳子と溝口雄平、それに新村加奈がひそひそ声で話していた。
「やっぱりジパングさんはプライドが高いからねえ・・・何が何でも他社に負けることだけはしたくなかったんでしょう」
「日程、どこまで変わったんでしょうね。あのツアー、ジパングさんの判断で深夜着のフライトを使っているからイタリアで動ける時間は賞味5日間しかないのに、どうやったんでしょうね」
「まあ、フライトの仕入れの事もあるし、何かいい方法を考えついたのかもしれないね」
3日後、「イタリア6日間」は正式にジパングトラベルが受注し、再度ランドオペレーター数社で競合が入った。不思議な事に、リリパットが受注する事となった。
日程はフライトが変更になってローマに早朝に着く便に変わっており、少なくともローマの観光は充実したものとなっていた。フライトの変更など、他の旅行代理店でもすぐ思いつく選択だとは思われるものの、何が決め手になってジパングが受注したのかは謎のままだった。
*****************
書籍はこちら
