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立春を迎える祈りの季節|2月の神社行事5選【節分祭・初午祭・紀元祭・祈年祭・梅花祭】深掘り解説

@Ricoです。

お正月を過ぎて、早くも2月。
暦の上では「立春」を迎え、寒さの底から少しずつ春の気配が漂い始める季節となります。

しかし神道の世界では、2月は「季節の変わり目」以上の意味を持つように感じます。一年の邪気を祓い、建国を祝い、新しい年の豊穣と安寧を祈る、極めて重要な月なのです。

古来より日本人は、季節の変わり目に邪気が生じやすいと考えてきました。その代表的な行事が「節分祭」であり、全国の神社で多彩な祭事が執り行われます。また、2月は稲荷信仰の「初午祭」、神武天皇の即位を祝う「紀元祭」、五穀豊穣を祈る「祈年祭」、そして学問の神・菅原道真公を偲ぶ「梅花祭」など、神道における重要な行事が集中する月でもあります。

今回の記事では、2月に行われる神社の主要な5つの行事について、それぞれの意味や由来、そして代表的な参拝場所を深掘りしていきます。

1. 節分祭(せつぶんさい)|2月3日頃

行事の意味と由来

「節分」とは文字通り「季節を分ける」日のことを指します。

本来、節分は立春・立夏・立秋・立冬の前日をすべて指す言葉でした。つまり、一年に4回の節分が存在していたのです。しかし現在では、立春の前日(2月3日頃)のみを「節分」と称するのが一般的となっています。

なぜ立春前日の節分だけが特別視されるようになったのでしょうか。
その理由は、旧暦において立春が新年の始まりとされていたことにあります。

太陰太陽暦(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日としていました。したがって、立春前日の節分は「旧年の大晦日」にあたる日であり、新たな年を迎える前に一年の穢れや邪気を祓う、極めて重要な意味を持つ日だったのです。

今でも節分を「年越し」「年取り」と呼ぶ地域があるのは、この名残といえます。

節分の行事の原型は、平安時代の宮中で行われていた「追儺(ついな)」または「鬼遣(おにやらい)」と呼ばれる儀式にあります。これは中国から伝来した風習で、疫鬼を駆逐して災厄を祓う行事でした。

「延喜式」には、大内裏の各門に色を塗った土で作った牛と童子の人形を飾る儀式の記録が残されており、奈良時代にはすでに宮中行事として定着していたことがわかります。その歴史は実に1300年以上にも及ぶのです。

豆まきの起源と「魔滅」の意味

では、なぜ「豆をまく」のでしょうか。

室町時代に編纂された辞典「壒嚢鈔(あいのうしょう)」(1445年または1446年成立)には、興味深い伝説が記されています。

宇多天皇の時代(867年〜931年)、鞍馬山の僧正が谷と美曽路池(深泥池)の端にある石穴から鬼が出て都を荒らすのを、祈祷によって鬼の穴を封じ、三石三升の炒り豆で鬼の目を打ちつぶして災厄を逃れたというのです。

「豆」という言葉には、古くから呪術的な意味が込められてきました。

穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっているという信仰があり、また語呂合わせで「魔目(まめ)」を鬼の目に投げつけることで邪気を「魔滅(まめつ)」させる、という意味があるとされています。

鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願う。この素朴な祈りが、千年以上の時を経て今も受け継がれているのです。

代表的な神社

【関東】

🔹浅草神社(東京都台東区)

浅草寺と隣接する浅草神社では、毎年節分の日に「節分祭」が執り行われます。七福神の舞とともに盛大な豆まきが行われ、浅草の芸者衆や著名人が参加することでも知られています。浅草の下町情緒あふれる節分祭は、江戸の風情を今に伝える貴重な行事です。

🔹大國魂神社(東京都府中市)

武蔵国の総社として1900年以上の歴史を持つ大國魂神社の節分祭は、関東有数の規模を誇ります。境内では複数回にわたって豆まきが行われ、多くの参拝者で賑わいます。武蔵国の総社にふさわしい、格式ある節分祭として知られています。

🔹鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)

鎌倉の象徴的存在である鶴岡八幡宮では、舞殿において節分祭が斎行されます。年男・年女による豆まきとともに、破魔矢の授与も行われます。源頼朝が創建した武家の守護神にふさわしい、厳かな節分祭です。

【関西】

🔸八坂神社(京都府京都市)

京都の祇園に鎮座する八坂神社の節分祭は、2日間にわたって開催されます。その歴史は奈良時代まで遡るとされ、疫病をもたらすとされた鬼を追い祓う行事が宮中で行われていたことに由来します。

特筆すべきは、祇園甲部、宮川町、先斗町、祇園東の四花街の芸舞妓による舞踊奉納と豆まきです。華やかな着物姿の芸舞妓が舞殿で舞を披露し、その後に豆をまく光景は、まさに京都らしい優雅な節分として全国的に知られています。

🔸吉田神社(京都府京都市)

室町時代から続く吉田神社の節分祭は、京都でも特に有名な行事です。本宮並びに大元宮において、節分の当日を中心に前後3日間にわたって執行されます。

追儺式(鬼やらい神事)では、方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を追い払う役が登場し、古式ゆかしい儀式が再現されます。また、火炉祭では参拝者が持ち寄った古いお札やお守りが焚き上げられ、旧年の感謝と新年の祈りが捧げられます。

🔸石清水八幡宮(京都府八幡市)

国宝の社殿を持つ石清水八幡宮では、「鬼やらい神事」が執り行われます。弓矢で鬼を射る「追儺弓」の儀式は、武家の崇敬を集めた八幡宮ならではの節分行事です。武神・八幡神にふさわしい、力強い邪気払いの神事といえるでしょう。

特筆事項:追儺式と福豆の霊力

神社における節分祭の特徴として、「追儺式」と呼ばれる古式の神事が行われることが挙げられます。これは平安時代の宮中儀式を今に伝えるものであり、「方相氏」と呼ばれる鬼を追い払う役が登場する神社もあります。

方相氏は、黄金の四つ目の仮面をかぶり、黒い衣に朱の裳をつけ、矛と盾を持って「鬼やらい、鬼やらい」と唱えながら鬼を追い払います。この姿は、古代中国の「儺(な)」の儀式に由来するもので、日本独自の発展を遂げながら今に伝えられています。

また、節分祭で授与される福豆には特別な霊力があるとされています。これを年齢の数だけ(または一つ多く)食べることで、一年の無病息災を祈願する風習が今も続いています。

2. 初午祭(はつうまさい)|2月最初の午の日

行事の意味と由来

「初午(はつうま)」とは、2月最初の「午(うま)の日」のことを指します。

古来、日付を十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)に当てはめて数えていた日本では、「子」から始まって「亥」で一巡すると再び「子」に戻ります。このように日付を数え、2月の最初にやってくる「午」の日が「初午」です。

この日は全国の稲荷神社において「初午祭」が執り行われ、稲荷信仰の最も重要な祭日とされています。

2026年の初午は2月1日(日)にあたります。
※立春過ぎの最初の午の日を初午とする場合、旧暦での初午とする場合などあります

なぜ初午の日が稲荷神社の祭日となったのでしょうか。

その起源は、和銅4年(711年)2月の初午の日に遡ります。この日、稲荷大神(宇迦御霊神・うかのみたまのかみ)が京都・伏見の稲荷山(伊奈利山)に降臨されたと伝えられています。稲荷社の本社である伏見稲荷大社のご祭神が、この日に稲荷山の三ヶ峰にご出現になられたことを記念して、全国の稲荷神社で祭祀が行われるようになったのです。

稲荷信仰と「稲生り」の意味

「稲荷」という名は「稲生り(いねなり)」に由来するとされています。
稲荷神は本来、五穀豊穣を司る農業神として信仰されてきました。「稲」が「生る(なる)」、すなわち稲が豊かに実ることを願う神様だったのです。

古代日本において、稲作は生活の根幹でした。稲の豊穣は、そのまま人々の生存に直結する問題です。そのため、稲荷神への信仰は非常に篤いものがありました。
やがて時代とともに、稲荷信仰は農業だけにとどまらず、商売繁盛、産業興隆、家内安全、交通安全、芸能上達など、人々の生活全般を守護する信仰へと広がっていきました。

現在、全国には約3万社もの稲荷神社があるとされ、その数は日本で最も多い神社の系統です。これは、稲荷信仰がいかに人々の暮らしに密着してきたかを物語っています。

狐と油揚げ、いなり寿司の由来

稲荷神社といえば、狐の像を思い浮かべる方も多いでしょう。

ただし、稲荷神=狐ではありません。狐は稲荷神の「お使い」であり、神様を守り、神様の意志を伝える存在とされています。

では、なぜ狐が稲荷神の使いとなったのでしょうか。

諸説ありますが、
一つには、狐が田畑の害獣である野ねずみを捕食することから、農耕を守る存在として崇められたという説があります。
また、狐の尻尾が黄金色の稲穂に似ていることから、豊穣の象徴とされたという説もあります。

初午祭の日には、稲荷神の使いである狐の好物とされる「油揚げ」をお供えする風習があります。そして、油揚げに稲荷神のおかげでもたらされた米(酢飯)を詰めたものを奉納したのが、「いなり寿司」の始まりとされています。

興味深いことに、いなり寿司の形状は東西で異なります。東日本では米俵に見立てた「俵型」、西日本では狐の耳にちなんだ「三角形」が主流だそうです。

代表的な神社

【関東】

🔹王子稲荷神社(東京都北区)

関東稲荷総司として知られる王子稲荷神社の初午祭は、「凧市」と呼ばれる独特の行事で有名です。

江戸時代、この地域では火事が多発しました。そこで、風を切って揚がる凧を「火事除けの守り」として売り出したのが凧市の始まりとされています。「火防の凧」と呼ばれるこの凧を買い求め、火災除けを祈願する風習が今も続いています。

🔹佐助稲荷神社(神奈川県鎌倉市)

源頼朝の挙兵を助けたという伝説を持つ佐助稲荷神社は、「出世稲荷」としても知られています。

初午祭の日には正午から神事が執り行われ、藁を束ねた「つとっこ」に小豆御飯を入れたものや、一対の油揚げを米・酒・お金などとともにお供えする、古式ゆかしい参拝が行われます。

🔹笠間稲荷神社(茨城県笠間市)

日本三大稲荷の一つとされる笠間稲荷神社の初午祭は、例年多くの参拝者で賑わいます。地元名物の「笠間いなり寿司」を中心とした町おこしイベントも行われ、地域に根ざした初午の風習が大切に守られています。

【関西】

🔸伏見稲荷大社(京都府京都市)

全国約3万社の稲荷神社の総本宮である伏見稲荷大社の「初午大祭」は、初午の日の朝8時から執り行われます。

和銅4年(711年)のこの日に稲荷大神が稲荷山に鎮座されたという故事にちなむ、稲荷信仰の原点ともいえる祭典です。

初午大祭では、商売繁盛・家内安全の御利益があるとされる「しるしの杉」が参拝者に授与されます。これは稲荷山の杉の小枝で作られた縁起物で、古くから「験(しるし)の杉」として信仰を集めてきました。

🔸玉造稲荷神社(大阪府大阪市)

豊臣秀頼公ゆかりの神社として知られる玉造稲荷神社は、商売繁盛のご利益があると有名です。2月の初午祭でも商売繁盛を祈願する人々が多く参拝に訪れ、大阪商人の信仰を今に伝えています。

(補足事項)
伏見稲荷大社では、初午のほかにも2月の2回目の午の日(二の午)、3回目の午の日(三の午)にも祭礼が行われることがあります。初午に参拝できなかった方も、これらの日に参拝することで同様のご利益を授かることができるとされています。

特筆事項:火の用心と初午の俗信

初午にまつわる興味深い俗信として、「初午が早く来る年は火事が多い」というものがあります。

2月早々に初午が訪れると、まだ乾燥した冬の空気が続いているため火災が起きやすいと考えられたのです。そのため、初午の日には消防団員が各家庭を回って火の用心を呼びかける習慣がある地方も存在します。

また、江戸時代には初午の日に子どもが寺子屋へ入門する習わしがあり、学問始めの縁起の良い日としても知られていました。
何かを始めるきっかけとして、初午の日を選ぶのも良いかもしれません。

3. 紀元祭(きげんさい)|2月11日

行事の意味と由来

2月11日は「建国記念の日」として国民の祝日に定められています。
この日は、初代天皇である神武天皇が橿原宮(現在の奈良県橿原市)において即位されたとされる日です。

「日本書紀」には、神武天皇の即位が「辛酉年春正月庚辰朔」と記されており、これを明治時代に太陽暦(グレゴリオ暦)に換算した結果、2月11日と定められました。

明治6年(1873年)、明治政府は神武天皇の即位日を「紀元」と定め、この日を「紀元節」として祝日に制定しました。
紀元節は、天長節(天皇誕生日)とともに最も重要な国家祭日と位置づけられ、宮中では天皇親祭の大祭が執り行われていました。

しかし、第二次世界大戦後の昭和23年(1948年)、GHQ(連合国軍総司令部)の方針により紀元節は廃止されました。

その後、国民からの復活を求める声が高まり、昭和41年(1966年)に「建国記念の日」として復活し、翌年から施行されました。「建国記念日」ではなく「建国記念の日」とされたのは、神武天皇の即位が歴史的事実かどうかについて議論があったためです。

現在、この日は全国の神社において「紀元祭」が斎行され、国の肇(はじ)めを祝い、皇室の弥栄と国の隆昌、国民の繁栄と世界の平和が祈願されています。

神武天皇と日本建国の物語

神武天皇は、天照大御神の五代後の子孫にあたる神様です。

「日本書紀」「古事記」によれば、神武天皇(神日本磐余彦天皇・かむやまといわれびこのすめらみこと)は、日向国(現在の宮崎県)の高千穂を出発し、国を統一するために東へ向かわれました。

これが「神武東征」と呼ばれる物語です。

東征の道中、神武天皇は幾多の困難に遭われました。河内国の白肩津では豪族ナガスネビコの激しい抵抗にあい、兄のイツセは傷を負って亡くなられます。熊野では進む道に迷い、天上の神から遣わされた八咫烏(やたがらす)に導かれて吉野の険しい山を越え、ついに大和に入りました。

そして、紀元前660年の春正月、畝傍山の東南にある橿原の地に宮を建て、初代天皇として即位されたのです。

この時、神武天皇は「八紘為宇(はっこういちう)」という理想を掲げられました。これは「世界を一つの家のようにする」という意味であり、人々が争うことなく、永遠に困窮しない国を実現するという建国の理念を示しています。

代表的な神社

【関東】

🔹明治神宮(東京都渋谷区)

明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする明治神宮では、2月11日に紀元祭が厳かに執り行われます。神武天皇建国の聖業を偲び、祖国日本の永遠の繁栄と世界の恒久平和を祈る祭典です。

この日は外部団体である「日本の建国を祝う会」の主催で「建国記念の日奉祝パレード」も催され、総勢約6,000名以上の参加者によるマーチングバンドと神輿の連合渡御が、神宮外苑・表参道から明治神宮の社殿前まで行進します。

🔹鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)

常陸国一宮として知られる鹿島神宮では、紀元祭が重要な祭祀として位置づけられています。

御祭神の武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、神武東征の際に神武天皇を助けた神として知られています。「日本書紀」によれば、神武天皇が熊野で窮地に陥った際、武甕槌大神は霊剣「布都御魂(ふつのみたま)」を下界に降ろし、天皇を救われました。

日本建国に深く関わる神を祀る鹿島神宮での紀元祭は、格式ある厳粛な雰囲気の中で執り行われます。

🔹大國魂神社(東京都府中市)

武蔵国の総社である大國魂神社では、「建国祭(紀元節祭)」として紀元祭が斎行されます。

午前9時より皇室の繁栄と国の益々の発展を祈念する祭典が執り行われ、当日は境内で唱歌「紀元節」が流されます。この唱歌は明治21年(1888年)2月に制定されたもので、宮内庁御歌所長であった歌人・高崎正風が詞を書き、東京音楽学校創始者として知られる伊沢修二が曲をつけました。

【関西・その他】

🔸橿原神宮(奈良県橿原市)

神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を御祭神とする橿原神宮は、まさに日本建国の聖地です。

橿原神宮の紀元祭は、1年を通じて行われる祭典のうち最も重要なお祭りであり、例祭として位置づけられています。毎年2月11日、勅使参向のもとに行われ、全国津々浦々から寄せられる奉賛と約4,000名にも及ぶ参列者によって盛大に執り行われます。

明治23年(1890年)の創建以来、神武天皇が即位された畝傍山東南の橿原宮址に鎮座する橿原神宮での紀元祭は、まさに「日本のはじまり」を祝う祭典の中心といえるでしょう。

🔸伊勢神宮(三重県伊勢市)

皇室の御祖先神である天照大御神を祀る伊勢神宮では、「建国記念祭」として紀元祭が執り行われます。

外宮(豊受大神宮)では午前7時に、内宮(皇大神宮)では午前11時に、それぞれ大御饌(おおみけ)をお供えして祭典が行われます。神武天皇が橿原の地に宮を建てて初代天皇に即位された日を我が国のはじめとしてお祝いし、国の平安・発展が祈念されます。

🔸宮崎神宮(宮崎県宮崎市)

神武天皇を主祭神とし、父神の鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と母神の玉依姫命を配祀する宮崎神宮は、神武天皇が東征に出発される前にお住まいになっていた宮の跡と伝えられる由緒地です。

地元では「神武さま」と呼ばれ親しまれており、紀元祭では日本と皇室の繁栄を願って祝詞が奏上された後、巫女による「悠久の舞」が奉納されます。

橿原神宮が「即位の地」であるのに対し、宮崎神宮は「出立の地」として、神武天皇ゆかりの両神宮で紀元祭が盛大に執り行われることには、深い意義があります。

特筆事項:皇紀と建国の意義

年の数え方には西暦や元号がありますが、神武天皇の即位を紀元とする「皇紀」という数え方もあります。2026年は皇紀2686年にあたります。

紀元祭において大切なのは、2月11日という日付が歴史的に正確かどうかということではありません。

むしろ、日本という国の歴史が悠久の時を経て連綿と続いていること、そして私たちの祖先が、多くの困難を乗り越えながらこの国を守り継いできたことに思いを馳せ、感謝の念を新たにすることに意義があるのではないでしょうか。

神武天皇が掲げられた「八紘為宇」の理想、すなわち世界を一つの家のように和合させるという建国の精神は、現代においても変わらぬ価値を持っています。紀元祭は、その原点に立ち返り、日本人としての自覚を深める機会といえるでしょう。

4. 祈年祭(きねんさい)|2月17日

行事の意味と由来

祈年祭は「としごいのまつり」とも読み、毎年2月17日に宮中および全国の神社で執り行われる重要な祭祀です。

「としごい」の「とし」とは稲のことを指し、「ごい(こい)」は祈りや願いのことを意味します。
つまり「としごい」とは、五穀豊穣を祈るという意味なのです。

祈年祭は、秋の収穫に感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」(11月23日)と対をなす大切な行事とされています。春には祈年祭で豊作を祈り、秋には新嘗祭で収穫に感謝する。この「祈り」と「感謝」のサイクルこそが、稲作を基盤とした日本文化の根幹をなすものといえるでしょう。

古代からの歴史と明治の再興

祈年祭の起源は非常に古く、7世紀後半の天武天皇の時代にはすでに記録が残されています。

本来は民衆が行う田の神への予祝祭でしたが、やがて中国の大祀祈穀の要素を取り入れ、律令国家の祭祀として成立しました。

「延喜式」によれば、当時は神名帳に記載されたすべての神社(3132座)が祈願の対象でした。神祇官に全国の神職が参集し、中臣氏が祝詞を奏上して斎部氏(忌部氏)が幣帛(神への供物)を頒布するという、国家的な大祭祀だったのです。

しかし室町時代の応仁の乱を契機に、祈年祭は他の祭祀とともに廃絶してしまいます。
明治時代に入り、国家神道の確立とともに再興され、明治5年(1872年)からは全国の官国幣社で、その後は民社でも祈年祭が行われるようになりました。
第二次世界大戦後は、国家神道が廃止されたため、祈年祭は国家祭祀ではなく、宮中では天皇家の私的な祭祀として、他の神社でも通常の祭祀として斎行されるようになりました。

神社本庁の規定では、祈年祭は「大祭」に位置づけられており、各神社において非常に重要な祭祀として扱われています。

代表的な神社

【関東】

🔹明治神宮(東京都渋谷区)

明治天皇と昭憲皇太后を祀る明治神宮では、2月17日に祈年祭が厳かに執り行われます。私たちの主食である米(稲)が豊かに実ることをはじめ、あらゆる産業の発展、国力の充実が祈願されます。

🔹鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)

常陸国一宮として知られる鹿島神宮は、武甕槌大神を祀る由緒ある神社です。祈年祭は重要な祭祀として位置づけられ、五穀豊穣と国家安泰が祈願されます。

🔹香取神宮(千葉県香取市)

下総国一宮である香取神宮は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祀ります。鹿島神宮とともに東国の要として崇敬を集めてきた神社で、祈年祭においても五穀豊穣と国の隆昌が祈られます。

【関西・その他】

🔸伊勢神宮(三重県伊勢市)

皇室の御祖先神である天照大御神を祀る伊勢神宮の祈年祭は、最も重要視される祭祀の一つです。

外宮(豊受大神宮)では早朝4時に「大御饌(おおみけ)の儀」が、午前7時に「奉幣(ほうへい)の儀」が執り行われます。内宮(皇大神宮)では午前11時と午後2時にそれぞれの儀が行われます。

「大御饌の儀」は神饌(しんせん・神が召し上がる食べ物)を供えて豊作を祈願するもので、「奉幣の儀」は天皇陛下が勅使を遣わされて幣帛(五色の絹など)を奉られるものです。

祈年祭は両正宮に引き続き2月23日まで、伊勢神宮のすべての宮社で執り行われます。

🔸出雲大社(島根県出雲市)

大国主大神を祀る出雲大社では、祈年祭を「祈穀祭(きこくさい)」と称します。

出雲大社の祭事は「大祭式・中祭式・小祭式」に分類されますが、祈穀祭は一番の重儀である「大祭式」にあたります。神職たちは前夜より潔斎をし、御本殿奥の御神座の大前に多くの神饌が供されて、國造により秋の豊かな実りを祈願する祝詞が厳かに奏上されます。

🔸住吉大社(大阪府大阪市)

摂津国一宮である住吉大社でも、祈年祭は年間を通じた重要な祭祀として位置づけられています。住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)と神功皇后を祀る由緒ある神社で、五穀豊穣が祈願されます。

特筆事項:「年」は「稲」を意味する

「年(とし)」という言葉は、本来「稲」を意味していました。

古代日本人にとって、稲は一年に一回稔(みの)るものでした。そこから転じて、穀物が成熟すること、または穀物そのものを「年」と呼ぶようになったのです。

「一年」という言葉も、もともとは「稲が一回実る期間」を指していました。私たちが何気なく使っている「年」という言葉の中に、稲作を基盤とした日本文化の根幹が息づいているのです。

食料自給率が4割を切り、米作りが身近でない人口が増えた現代だからこそ、食事への感謝を起源とする祈年祭には、是非とも祈りを捧げたいものです。

5. 梅花祭(ばいかさい)|2月25日

行事の意味と由来

2月25日は、学問の神様として知られる菅原道真公の祥月命日にあたります。

菅原道真公は、承和12年(845年)6月25日に生まれ、延喜3年(903年)2月25日に大宰府で亡くなりました。誕生日が6月25日、左遷されたのが1月25日、そして命日が2月25日と、いずれも「25日」であることから、毎月25日は「天神さんの日」として縁日が開かれるようになりました。

全国の天満宮・天神社では、この命日に道真公を偲ぶ祭典が執り行われますが、特に有名なのが京都・北野天満宮の「梅花祭」です。

道真公と梅の深い絆

菅原道真公は、梅の花をこよなく愛された方でした。

延喜元年(901年)、藤原時平の讒言(告げ口)により大宰府に左遷されることが決まった道真公は、自邸である紅梅殿の梅の木の前で、有名な和歌を詠みました。

「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」

(東風が吹いたら、香りを送っておくれ、梅の花よ。主人がいなくなったからといって、春を忘れてはいけないよ)

この歌に込められた道真公の思いに応えるかのように、梅は道真公を慕って一晩のうちに大宰府へ飛来したという「飛梅伝説」が生まれました。

北野天満宮の古記録には、「延喜7年(907年)2月27日、紅梅殿の梅、安楽寺(大宰府の菅公の墓所)へ飛びて参る、単紅梅也」との記述があり、道真公が亡くなって4年後に、京の都から大宰府へ飛梅が伝わったとされています。

梅花祭の神事

梅花祭では、蒸した米を大小2つの台に盛った「大飯(おおばん)・小飯(こばん)」や、白梅・紅梅の小枝を挿した「紙立(こうだて)」という特別な神饌が御神前に供えられます。

紙立には、男女の大厄にちなんで白梅42本と紅梅33本が2台に分けて奉納されます。紙立に用いた玄米は「厄除玄米」として授与され、参拝者はこれを受けることで厄除けのご利益を授かることができます。

10時より本殿において「梅花御供(ばいかのごく)」が神前に奉納され、神職は「菜種御供」の名残りから菜種の花を冠につけて奉仕します。宮内庁京都事務所の所長による皇后陛下の御代拝も行われます。

この祭典は約900年の歴史があり、道真公の遺徳を偲ぶ重要な行事として今に受け継がれています。

代表的な神社

【関東】

🔹湯島天満宮(東京都文京区)

関東を代表する天神様として知られる湯島天満宮では、2月25日に梅花祭が執り行われます。

「湯島の白梅」として有名なこの神社の境内には、約300本の梅が植えられており、例年2月中旬から3月上旬が見頃となります。学問の神様として受験生の参拝が特に多い神社ですが、梅花祭の時期には梅の香りに包まれた境内で、道真公への祈りが捧げられます。

🔹亀戸天神社(東京都江東区)

「亀戸の天神様」として親しまれる亀戸天神社でも、道真公の命日に梅花祭が斎行されます。

「藤まつり」で全国的に有名な神社ですが、境内には梅の木も多く植えられており、2月には紅白の梅が咲き競います。太宰府天満宮に対して「東宰府」とも称される由緒ある神社です。

🔹谷保天満宮(東京都国立市)

関東三大天神の一つとされる谷保天満宮でも、梅花祭が執り行われます。

菅原道真公の三男・道武が創建したと伝えられる古社で、東日本最古の天満宮ともいわれています。交通安全発祥の地としても知られ、境内の梅林は「谷保の梅林」として親しまれています。

【関西】

🔸北野天満宮(京都府京都市)

菅原道真公を祀る天満宮の総本社である北野天満宮の梅花祭は、全国でも最も有名です。

梅花祭とともに、豊臣秀吉公が北野大茶湯を催した故事にちなみ、「梅花祭野点大茶湯」が催されます。これは、菅公が亡くなって後1050年の大萬燈祭にあたる昭和27年(1952年)から始まった行事です。

境内の船出の庭に野点の席が設けられ、上七軒の芸舞妓による茶の湯のお点前が披露されます。華やかな着物姿の芸舞妓が梅の花に囲まれてお茶を点てる光景は、まさに京都の春を告げる風物詩です。

境内約2万坪には50種約1,500本の梅が植えられており、例年2月中旬から3月中旬が見頃となります。

🔸大阪天満宮(大阪府大阪市)

「天神祭」で全国的に有名な大阪天満宮でも、2月25日に梅花祭が執り行われます。

大阪の学問の神様として厚い信仰を集める神社で、梅花祭の日には道真公への報恩感謝の祭典が厳かに斎行されます。

🔸太宰府天満宮(福岡県太宰府市)

菅原道真公が最期を迎えた地に鎮座する太宰府天満宮では、命日にあたる2月25日に「梅花祭」が盛大に執り行われます。

境内には約200種、約6,000本もの梅があり、飛梅伝説の「飛梅」も現存しています。飛梅は本殿に向かって右側にあり、例年境内で最も早く花を咲かせるとされています。

道真公終焉の地で行われる梅花祭は、全国の天満宮の中でも特別な意味を持つ祭典といえるでしょう。

特筆事項:天神市と梅苑公開

北野天満宮では、毎月25日は「天神さんの日」として縁日(天神市)が開かれ、参道には終日露天商が所狭しと立ち並びます。2月25日は道真公の命日と重なることから、特に多くの参拝者で賑わいます。

また、梅花祭の時期には梅苑「花の庭」が公開されます。令和4年(2022年)に再興された「花の庭」は、江戸時代に「雪月花の三庭苑」として名を馳せた名庭の一つ。梅の盛りを迎えた境内で雅なひとときを過ごすことができます。

まとめ──2月は神道における「祈りの転換点」

2月は、神道において特に「祈り」が凝縮された月といえるでしょう。

節分祭で旧年の邪気を祓い、
初午祭で稲荷神に五穀豊穣と商売繁盛を祈り、
紀元祭で神武天皇の建国の聖業を偲んで国の隆昌を祝い、
祈年祭で新しい年の収穫を祈願し、
梅花祭で学問の神・道真公を偲ぶ。

※天長祭を敢えて入れていないのは、天皇誕生日は天皇の代替わりにより日付が変わる性質のため、恒例の神社行事として紹介しにくいためです。

これらの行事に共通しているのは、「過去への感謝」と「未来への祈り」という姿勢です。

立春を境に、自然界では少しずつ春の気配が漂い始めます。その転換点にあたる2月に、神様に祈りを捧げることで、私たちの内面もまた新たな一年へと向かう準備が整うのかもしれません。

古代日本人は、春になると田の神が山から下りてきて田を守護し、秋の収穫が終わればまた山に戻って山の神となると考えていました。
この素朴で原初的な信仰は、形を変えながらも今なお神社の祭祀として受け継がれています。

2月の神社参拝は、季節と同様に、私たちの内面もまた不要なものを削ぎ落とし、新しいエネルギーを充填するタイミングでもあります。人生を「善き流れ」へと捉え直す──そのための、大切な機会なのではないでしょうか。

この機会に、お近くの神社の2月の行事に足を運んでみてください。
きっと、新しい気づきがあることと思います。


では。

いつも、ありがとう^^


@Rico

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世界が平和であるために

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