女人大峯登拝ねえさんぽ【前編】風の神から始まる旅の軌跡
@Ricoです。
前回の信貴山朝護孫子寺参拝で受け取った気づき。
それが次なる扉を開くきっかけとなったのですが、まさか翌月には奈良の地に戻り、女人大峯への登拝という本格的な修行の道へと導かれるとは。。。
今回の記事では、女人大峯登拝へと至る前編として、龍田大社から始まり、橿原神宮、金峯山寺、天河大弁財天社、そして龍泉寺での禊に至るまでの気づきをお伝えしていきますね。
第1章|風の神が教える「気」の大切さ〜龍田大社〜
夜行バスで奈良へ|早朝の静寂に包まれて
1泊2日の登拝スケジュール。その初日、夜行バスで奈良に到着した私が最初に向かったのは龍田大社でした。
龍田大社は奈良県生駒郡三郷町に鎮座し、「風の神様」として古くから多くの方に親しまれており、天地宇宙の万物生成の中心となる「気」でお守りくださる、幅広いお力のある神様です。
▶︎御祭神
天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)・国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)
▶︎由緒:『日本書紀』天武4年(675年)に勅使が遣わされた記録があり、平安期には「風神祭」が朝廷の四時祭のひとつとして定着していた。
▶︎御神徳:風難排除・五穀豊穣・交通安全など。
JR三郷駅から徒歩5分。朝の澄んだ空気の中、静かな参道を歩いていると、不思議と心が落ち着いてきます。

2100年の歴史が語るもの
今から約2100年前、第10代崇神天皇の時代、国内が凶作や疫病の流行に騒然としていたさなか、天皇の御夢に現れた大神様のお告げ通りにお社を造営されると、作物は豊作に、疫病は退散したと伝えられており、それが当社の創建とされています。
御祭神の天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)と国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)の二柱。「志那都比古神」と「志那都比売神」という別名があり、一般的に男神と女神と考えられ、陰陽を表すペアの風神様とされています。
風がもたらす浄化の力
境内に入ると、まず目に飛び込んでくるのが拝殿の柱に巻かれた注連縄。下から上に巻き上げられた注連縄はまるで昇り龍のようで、よく見ると左右で巻き方が逆になっています。これは陰陽のバランスを保つためだそうです。
風の神様は、単に風をコントロールするだけではありません。陰陽五行では「風の神様」は木気にあたることを示しており、「木」偏に「風」と書く楓で四方八方を風の神様の清々しい「気」が行きわたる様にと八重の楓をご神紋として用いております。
私たちの生活に欠かせない「気」。その流れを整え、良い気をもたらしてくださる。それが風の神様の真の御神徳なのです。

元寇の神風伝説
龍田大社を語る上で外せないのが、鎌倉時代の元寇における神風伝説です。
モンゴル帝国の艦隊は2度とも嵐に遭い、日本侵攻は失敗に終わります。このとき、「龍田大社の本殿から袋のようなものが飛んでいき、元の船の上で開いて風が起こった」という噂が国中に広まっていきます。
国難を救った神風。その源が龍田大社の風神様だったという伝承は、今も人々の心に生き続けています。
参拝中、境内を渡る風に「自分が向かうべき方向がある」という感覚が湧きました。風は形なくとも、確かな存在として肌に触れ、流れを運び、そして変化を促していくことを実感するのです。
第2章|日本の始まりの地で原点に還る〜橿原神宮〜
神武天皇が築いた理想の国
龍田大社での参拝を終え、登拝の皆さんとの集合場所に向かい、バスで次に向かったのは橿原神宮です。
第一代天皇である神武天皇が、橿原宮で即位したという「日本書紀」の記述に基づき、畝傍山の東南麓に明治23年(1890)に創建されました。
▶︎御祭神
神武天皇(じんむてんのう)
媛蹈鞴五十鈴媛皇后(ひめたたらいすずひめこうごう)
▶︎由緒:明治23年(1890年)創建。
日本建国の地とされる畝傍山東南麓に鎮座。
▶︎見所:53万㎡を超える社域、静けさの中に日本の歴史が立ち上がる場所。

初代天皇を祀るこの神社は、まさに日本の原点ともいえる場所です。
ここでは「始まり」に立ち、「これからを宣言する場」として意識しました。
初めての神社でのお勤めです。祈りを力に変えること。
そんなイメージが湧いてきます。
東遷の物語が教える困難を乗り越える力
神武天皇は、互いに争うことのない、永遠に困窮しない国を実現するため、九州の日向国高千穂から、国の中心地を目指し東へ向かいます。東遷の道中、豪族との争いや、相次ぐ兄弟達の不幸等、想像を絶する困難に遭いながらも、国内を平定され、ついに畝傍山の東南橿原宮で第一代天皇として即位されました。
約53万平方メートルもの広大な境内を眺めていると、その壮大な歴史の重みを肌で感じることができます。
京都御所から移築された本殿
明治天皇は、京都御所内の天照大神がお祀りされていた内侍所(賢所)を御本殿として、また、新嘗祭が執り行われていた神嘉殿を拝殿として下賜されました。
現在は国宝に指定されている本殿。その荘厳な佇まいは、参拝者の心を自然と清めてくれます。

※橿原神宮の詳細は、また別記事にしたいと思います
第3章|青き蔵王権現の迫力〜金峯山寺〜
修験道の総本山へ
橿原神宮から次に向かったのは、吉野山の金峯山寺です。
1ヶ月前に参拝したのが、懐かしい気持ちになります。
白鳳時代に役行者が金峯山の山頂にあたる山上ヶ岳で、一千日間の参籠修行された結果、金剛蔵王大権現を感得せられ、修験道のご本尊とされました。役行者は、そのお姿をヤマザクラの木に刻まれて、山上ヶ岳の頂上と山下にあたる吉野山にお祀りしたことが金峯山寺の開創と伝えられています。

日本最大の秘仏
蔵王堂に安置される三体の蔵王権現。中尊は約7mもあり、普段は非公開(秘仏)であることから「日本最大の秘仏」とも称される存在です。
役行者は、苦しみの中に生きる人々をお救いいただける御本尊を賜りたいとの祈りに応えて、先ずお釈迦如来、千手千眼観世音菩薩、弥勒菩薩の三仏がお出ましに成られました。役行者は、その三仏の柔和なお姿をご覧になって、このお姿のままでは荒ぶ衆生を済度しがたいと思われて、さらに祈念を続けられました。
すると天地鳴動し、現れたのが蔵王権現でした。

修験道という日本独自の信仰
修験道は、人間誰もが持っている自然に対する畏敬の念、いわゆる自然崇拝に外来の仏教、道教、陰陽道などが融合して成立した我が国独自の宗教です。
蔵王権現のからだの青─それは蔵王権現の大慈悲を表しているとも言われますが、もうひとつ、たたなづく青垣、大和の色、吉野の色でもあります。
自然と仏、神と仏が融合した独特の信仰形態。それが修験道の本質なのです。
世界遺産としての価値
平成16(2004)年7月7日、紀伊半島南部の3霊場(吉野大峯・高野山・熊野三山)とそれらを結ぶ参詣道が「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。
金峯山寺の国宝蔵王堂と国宝仁王門、そして境内は、その中核資産として登録されています。


第4章|芸能の神が宿る聖地〜天河大弁財天社〜
呼ばれた者だけが辿り着く場所
金峯山寺の参拝を終え、次に向かったのは天川村の天河大弁財天社です。
別名天河神社ともいい、日本三大弁財天の筆頭・大峯本宮とされる霊験あらたかな神社で、芸能の神様としても有名です。

▶︎御祭神
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
▶︎由緒:修験道の霊場としても古く、空海・世阿弥も参拝。
▶︎体感:五十鈴の音が境内に響き、自身の内側の“静寂”が音を通じて開かれていくような感覚
弘法大師も修行した聖地
弘法大師空海は、同神社への参籠や大峯の山中で修行によって神仏習合の密教を「阿字観」として完成し、塔中寺院の一つであった来迎院横にあるお手植と伝えられる大銀杏(天然記念物)の脇に碑が残されています。
歴史に名を残す高僧たちも、この地で修行を重ねたのです。

役行者による創建
天河大辨財天社の草創は飛鳥時代です。役行者が弥山に弥山大明神を祀ったことを始まりとし、さらに、壬申の乱の頃、大海人皇子(天武天皇)が勝利を祈願していると、天女が現れ舞を舞い、戦勝の祝福を示され、この天女の加護に報いるため神殿を造営したのが天河大辨財天社だと伝えられます。
第5章|修験の聖地・洞川温泉での体験
天河からさらに奥、洞川温泉街から山道を入り、「蟷螂の岩屋」へ。
この地には、修験道開祖・役行者が籠もり修行をしたという伝承が残ります。

蟷螂の岩屋での気づき
洞川では、まず蟷螂の岩屋を訪れました。
役行者が大峯開山の際に「一之行場」として開いた洞窟です。蟷螂(とうろう)とはカマキリとも読み、天上の低い洞窟へ腰を屈めて入っていく修験者の姿がカマキリの歩く姿に似ていることから名づけられたとされています。

天井が低いところを身をかがめて歩くという経験を通して、世の中、頭を高くするよりは低くして生きた方が良いということを学ぶ場所。
実際に洞窟の中を進んでいくと、自然と謙虚な気持ちになってきます。


自然が何万年もかけて作り上げた自然が生み出す奇跡。その神秘的な光景を目の当たりにすると、人間の小ささと自然の偉大さを改めて感じさせられます。
標高820メートルの別世界
参拝を終え、いよいよ洞川へと向かいます。
天川村の北東部に位置する洞川地区は、2004年ユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された「大峯奥駈道」・霊場「吉野・大峯」の一部を擁しています。
修験者たちが大峯山への登拝前に身を清める宿場町。そこには独特の空気が流れています。



第6章|龍泉寺での禊〜清めの水に身を委ねて〜
八大龍王が守る聖水
登拝本番前夜、私たちは「龍泉寺」へと足を運びました。洞川の湧き水に由来する泉を祀り、修験者の禊場として知られています。
※写真は翌日登拝後のもの
白鳳年間、大峯開山役行者が大峯山修行の初り山麓の洞川に下られた時、岩場の中から浩々と水が湧き出る泉を発見されました。行者様が泉のほとりに八大龍王尊をお祀りし行をしたのが龍泉寺の始まりであると伝えられ、この泉を龍之口、この地を龍神様の住まわれる泉から取り龍泉寺と名付けられました。

▶︎ご本尊
弥勒菩薩(みろくぼさつ)ほか、役行者・聖宝理源大師・弘法大師を祀る。
▶︎由緒:白鳳年間、役行者が湧水を発見し八大龍王を祀ったことが発端。
以降、修験道の根本道場として発展。

大峯山第一の水行場
龍泉寺の境内には「龍の口」と呼ばれる泉から湧き出る清水が流れており、修験者たちから「清めの水」とされています。その先は池となっており大峰山の第一の水行場とされる場所です。
洞川から大峰山(山上ヶ岳)を登る修験者は、宗派を問わず龍泉寺で水行の後、八大龍王尊に道中の安全を祈願するのが慣例となっているのです。

身も心も清められて
冷たい清水での禊。最初は躊躇しましたが、思い切って水に入ると、不思議と心が澄み渡っていくのを感じました。
身体の汚れだけでなく、心の中に溜まっていた澱みまでもが洗い流されていくような感覚。
「余分な想いをそぎ落とし」「内なる空白をつくる」。
そして、祈ることにまた別の意味合いを感じます。

第7章|登拝前夜の体験を振り返って──「流れ」に乗るとは何か
旅の流れを捉える3つの視点
信貴山での参拝から始まり、わずか1ヶ月後に女人大峯への登拝へと導かれた今回の旅。振り返ってみても、まさに導きとしか思えない展開でした。
✔️「風」が運ぶ気配を感じる
龍田大社の風、その後の参拝での変化、禊での静けさ。
風は形なき“流れ”の象徴です。
✔️「原点」に立ち返る
橿原神宮では建国の地に立ち、自分のスタート地点を再確認。
✔️「準備」が道を拓く
金峯山寺・洞川・龍泉寺で、登拝という挑戦に向けて内側を整える重要性。
また、それぞれの神社仏閣で受け取ったメッセージ。
風の神様からは「気」の大切さを、神武天皇からは困難を乗り越える勇気を、蔵王権現からは慈悲の心を、弁財天様からは芸術と美の価値を。
そして洞川での体験は、謙虚さと自然への畏敬の念を改めて教えてくださいました。
まとめ|あなたの“流れ”はどこへ向かうのか
神社仏閣参拝での気づき。
そこには、風を受けるように、自分自身が動き出すための合図を感じることに繋がるものです。
今回の旅では、信貴山から始まり(正確には吉野からの流れですが)、風を司る龍田大社、建国の地である橿原神宮、修験道の中心・金峯山寺、音に満ちた天河大辨財天社、自然の奥に祈りを捧げる洞川、禊による身の清めという流れを経て、「登拝」という次なるステージに向けて自分の心を整えました。
この記事を読んで、全く違う視点であっても「わたしも動いてみよう」と感じてくださったなら、それはあなたの内なる“流れ”が動き出す兆しかもしれません。
次回は、いよいよ女人大峯登拝当日──その道中・頂上・その後における体験を綴っていきたいと思います。
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために
