【桜の吉野】蔵王権現御開帳と寺宝めぐり満願|一目千本の桜に包まれて感じた内なる変化
@Ricoです。
前回の金峯山寺さんの「秋・ご開帳シリーズ」に続き、翌年の「春・ご開帳シリーズ」をお届けします!
振り返ってみても、あの山桜に宿った力強い桜は、生きる勇気と大地の源を感じさせてくださいます。

初吉野の紅葉から5ヶ月、桜満開の吉野山へ再訪。
蔵王権現御開帳と九ヶ寺寺宝めぐりを満願しました!
お釈迦様の花まつり、天武天皇の夢見の桜、閼伽井不動明王との再会。
一目千本の桜に包まれて感じた神仏からの導きと内なる変化の記録です。
前回、紅葉の時期に初めて訪れた吉野山。 あのときに約束したことがありました。
「今度は桜の季節に、必ず戻ってきます」
2022年の春、iPhoneのカレンダーに一年前から登録してあった御開帳の日程を見つけて、気づいたら夜行バスのチケットを取っていました。
朝5時過ぎに大阪到着。 そこから吉野へ向かいます。
桜の開花と蔵王権現様の御開帳、そしてお釈迦様の降誕会(花まつり)が重なるこの特別な時期に、またまた吉野を訪れることになったのです。

「呼ばれる」という言葉は使わないのが信条ですが、間違いなく「参拝する」という約束をしたならば、必ずその瞬間というのは訪れるものです。
その声に素直に従ったとき、思いもよらない気づきと出会いが待っています。
今回の吉野山での体験も、まさにそんな神仏様からの導きに満ちた旅となりました。

早朝の吉野駅から始まる巡礼の道
七曲坂を歩いて出会ったもの
朝7時30分、吉野駅に到着。
まだ早朝過ぎてケーブルカーが動いていません。 よって、歩いて向かいます。
七曲坂を一歩一歩、テクテク。 薄いピンク色に染まった山々を見ながら歩いていく。 この歩くということが、実は巡礼の本質なのかもしれませんね。
幣掛(しでかけ)神社さんで最初のお参り。
御車返しという品種の桜があって、八重咲きと一重咲きが交じって咲く不思議な姿を見せてくれます。 なんだか、人生みたいだなぁって思います。
単純じゃない美しさがそこにあるのですよね。

役行者様の像に手を合わせて、大峯山への入山をご報告。
「お山に入らせていただきます」
ここから始まる一日が、どんな展開を見せるのか。 期待とワクワクが入り混じります。


黒門をくぐって、金峯山寺さんの総門を通過。
桜のトンネルを歩きながら感じるのは、この場所に集まる人々の想いのエネルギー。
千年以上も前から、どれだけの人がこの道を歩いてきたのでしょう。 その積み重ねが、この聖地の力を作り上げているのですね。

弘願寺さんでの運命的な出会い
最初に訪れたのが弘願寺さん。
ここで、めっちゃ運命的な出会いがあったのです。

お寺の方と虚空蔵求聞持法の話とか、梵字写経のこととか、いろいろと話に花が咲いて。 そうしていると、天武天皇の夢見の桜の話になったのです。

さらに、 「今日の13時から桜本坊さんで花まつりの法要がありますよ」 って教えていただいたのです。
夢見の桜というのは、大海人皇子(後の天武天皇)が冬にうたた寝してたとき、満開の桜を夢に見たという伝説の桜。 その夢が天皇即位の吉兆となったのですって。
夢が現実を引き寄せる。 この話を聞いたとき、今回の旅もまた、何か大切なメッセージがあるのでは?と直感しました。
弘願寺さんの境内にある夢見の桜の子孫を見上げながら、人生における「夢」の意味を考える。 私たちが心に描く未来のビジョンは、単なる願望じゃなくて、実現への道筋を示す地図なのかもしれません。

蔵王権現御開帳|圧倒的な存在感との対面
金峯山寺さんで神仏霊場巡礼のはじまり
いよいよ金峯山寺さんの蔵王堂へ。

前回の訪問では、あまりにも舞い上がり過ぎて神仏霊場の御朱印を授かるのを忘れてしまっていたのです。。。
※通常の御朱印帳にいただいてしまっていた
今回こそは、しっかりと神仏霊場の巡礼をスタートさせます。
厚さ約4センチもある特別な御朱印帳。 めっちゃ重いのです。 これを手にしたとき、これから始まる旅の重みを感じました。

【87/154】・・・半分超えましたね^^
御開帳された蔵王権現様の前に立たせていただくと...
やはり、その圧倒的な存在感に言葉を失います。
憤怒の表情の奥にある深い慈悲。 それは私たちの煩悩を焼き尽くして、本来の姿へと導く炎のよう。
手を合わせていると、日常で抱えていた悩みがいかに小さなものだったかに気づくのです。 やっぱり、一番最初のお参りのときが、いろんなアンテナがビビっときていますね。
観音堂では十一面観世音菩薩様にお参り。 前回は急いでいて上がれなかったお堂に、今回はゆっくりとお参りでき、手を合わせる時間に感じる喜び。
巡礼というのは、ただ場所を訪れることじゃない。 その場所と深く対話することなのだと改めて感じます。


東南院さん|巽の方角が持つ意味
東南院さんは、金峯山寺さんから巽(東南)の方角にあります。
開基のときに、中心となる伽藍から東南に寺院を建てて、一山の興隆を祈願するという古来の習わしがあるのだそうです。
方角には意味がある。
そして、私たちの人生にも、進むべき方向性というものがあるのでしょう。
多宝塔の大日如来様 本堂の毘沙門天様と不動明王様
それぞれの仏様が持つ役割と意味を考えながらお参りさせていただきます。

稲荷社さんの飛ぶ姿の狐様は関東では見かけない珍しい形。 地域によって信仰の形が違うのも、多様性の美しさを教えてくれます。
そして、なぜか散華を授かりました。 お釈迦様のお誕生日だったからでしょうか。
めっちゃうれしいサプライズです。 小さな花びらの形をした紙片を手にして、仏縁の不思議さを感じました。



ご縁は必ず、次にも結びます!
如意輪寺さんへの道のり|後醍醐天皇の足跡を辿って
中千本の絶景を歩く
東南院さんから如意輪寺さんへ向かいます。
前回、道が分からずに諦めた経緯があったので、実は東南院さんで行き方をレクチャーしていただいたのです。 この道が最短ですね、と地図に沿って向かいます。

テクテクしながらの景色が本当に絶景で。 ピンク色に染まる中千本。
こんな世界が見れて、こんな瞬間を身体で感じることができて、本当にうれしい。
歩いているだけですべてを忘れてしまう。 この世に生きて、感動の想いを感じられて、これが幸せなんだと思います。
この自然はすべて。 桜も木も、この吉野山のすべてが生きている。 ありがとうって言葉が身に染みますね。

後醍醐天皇が歩かれた道。 私も同じ道を辿っていると実感しながら、一歩一歩を噛み締めながら歩いていきます。
南朝の夢、建武の新政への想い。 かつてこの道を歩いた人々の願いや祈りが、今も山に宿っているかのよう。
ひとつ山を越えていくと、また違う桜色の景色があります。 お日さまの光を受けて透き通るように桜も緑も、本当に幸せそうに見える。
人もまた、ありのままの姿で輝けるはずです。


如意輪寺さんでの深い祈り
ようやく如意輪寺さんの近くまでやってきて、寺宝めぐりの案内板がやっとこ見えてきました。
到着です!

如意輪寺さんは後醍醐天皇の勅願寺。
本堂の如意輪観世音菩薩さま、そして難切不動尊さま、それぞれに深い祈りを捧げます。
特に印象的だったのは二河白道庭園。
左に、燃え盛る火の河 右に、激流が渦巻く水の河 その間の細い白道。
煩悩に満ちた私たちが極楽浄土へ向かう道筋を表現しているのです。

「恐れず安心して行きなさい」というお釈迦様の声。
「怖がらず信じてきなさい」という阿弥陀様の導き。
人生の岐路に立ったとき、この言葉を思い出したい。
後醍醐天皇陵では、北を向いて葬られた天皇の想いに触れます。
「身はたとえ南山の苔に埋むるとも、魂魄は常に北闕の天を望まん」
死してなお京都を想う執念。 しかし、その執着さえも、やがては自然に還っていく。 桜のように、美しく散って、また新しい命として咲いていくのです。



寺宝めぐり|九ヶ寺それぞれの教え
大日寺さん|五智如来と曼荼羅の世界
大日寺さんへと向かっていきます。 25分って書いてあるけど、20分ぐらいで到着します。

途中、観光客っぽい人に道を訊ねられて、自信を持って「こちらの道ですよー」と案内できるぐらい、もう奈良吉野のプロになってます。
大日寺さんの五智如来様の前に立つと... うわわわーーー。
大日如来様を中心に、阿閦如来様、宝生如来様、無量寿如来様、不空成就如来様。 五体の如来様が圧巻の御姿でいらっしゃいます。
一尊一尊に手を合わせて、特に大日如来様の御姿に手を合わせる想いが止まらなくなります。

曼荼羅について考えました。
「がらんどう」って言葉の語源は「伽藍堂」なのです。
何もない空間に、人の想い、気持ち、行動が加わって初めて聖なる場所が完成する。 寺院も、そして私たちの人生も同じ。
自分という器に何を満たすか。 どんなエネルギーを発するか。
光を求めて人は集まるのか。 人が集まるから光を放つ場となるのか。 きっと両方なのでしょう。
誰かになる必要はない。 何者かになる必要もない。 ただ、あなたがあなた自身を光らせることに、専心すればいいのだ。
曼荼羅は不思議と意識せずして、まったく別の世界をみせてくださる気がするのです。

喜蔵院さん|天狗様と自然から学ぶこと
喜蔵院さんへ到着する前に、なぜか気になった「井光神社八幡宮」とある場所へお参りさせていただきます。

程なくして、喜蔵院さんへ到着。

本堂内にあがらせていただいて、ご本尊の役行者様、蔵王権現様、不動明王様、そして今回の寺宝である大天狗様。
それぞれ間近でご挨拶です。
天狗様は修験道の天狗さんで、お坊さんの姿をしてないのです。
お寺の方といろんな話をしていると、なぜか修験道のお話をうかがうことになり、法話タイムのようになって。
印象的だったのが、 「さまざまな木や、その咲く花のように生きたらええんやよ。みんな忘れとる...」 とおっしゃる視線のさきには、満開を少し過ぎた桜の花が美しくみえる様子があったのです。
自然にまなぶ。 自然に真似る。
桜は桜として、梅は梅として咲く。 比較も競争もない。 ただ、与えられた場所で精一杯咲くだけ。
私たちも、自分らしく咲けばいい。 満開を少し過ぎた桜も、それはそれで美しい。 人生のどの段階にも、その時期ならではの美しさがある。
日常で忘れがちな想いに、ふと呼び戻されるようにありがたいお話をうかがうことができて、感謝の想いがまた一つ重なっていきます。

桜本坊さん|花まつりと天武天皇の夢
喜蔵院さんでちょうど12時30分。 最初の弘願寺さんで教えていただいた桜本坊さんの「花まつり」のはじまりが13時から。
なかなかいい時間になってますね。
前回、感動のお参りをした桜本坊さんへ急ぎます。

今回拝見したかった天武天皇の夢見の桜。 葉桜になっていたけど、ちろっとだけ桜の花を愛でることができました。
花まつりが行われる本堂へ。 ドキドキ。
法螺の音とともに法要がはじまります。 毎度、お経本を準備してお参りしているので準備は万端です。
実は、参列したのが早かったので最初のほうで案内されて、法要で撒かれた散華をまさかの順番で授かることができました。 桜色がとってもかわいい。
聖天堂の壺に祈願文を入れてお参り。
(こちらにある鈴の音が忘れられない...)
大講堂からみた景色がなんとも素晴らしいのです。 天龍蟠龍という天井画もぜひ拝観してください。
再訪することで見えてくるものがありますね。


満願への道|竹林院さんと善福寺さんでの気づき
竹林院さん|千利休の庭園に想う
次に向かった先は、竹林院さん。
聖徳太子創建と伝わる古刹です。 千利休により改築された群芳園(ぐんぽうえん)は大和三庭園の一つ。

護摩堂では不動明王様、役行者様、蔵王権現様、聖徳太子坐像にお参り。 (扁額には慈救殿とあったので観音堂のような気もするのですが、時間なくて質問できませんでした)
ちなみに、こちらの庭園が素晴らしいのですが、全然見てなかったことに後から気づく... (ただし、大錫杖は見てます)
まぁ、致し方なし。 また機会があるでしょう。
それもまた次回への楽しみですね。 すべてを一度に体験する必要はない。 また、何度でも訪れればいいのです。

善福寺さん|井光権現との出会い
善福寺さんに到着。 なんやら明るい雰囲気がします。

うわわわーーー。 まさに花まつり。 ありがたやです。
本堂でお参りしてから甘茶をいただきました。 (めっちゃ美味しい)

御朱印を授かるときに「本堂に上がらせていただけますか」とうかがってみると、OKとのことでしたので。
本堂内にあがらせていただき、ご本尊 薬師瑠璃光如来様。
さらには不動明王様、蔵王権現様、役行者様、弘法大師様、そして井光権現様へご挨拶です。
井光(イヒカ)権現様は、神武天皇東征の際に八咫烏とともに道案内をした存在。 光る井戸から現れたという伝説があるのです。
実は、先ほど参拝させていただいた神社。。。
知らず知らずのうちに井光神社八幡宮さんにも参拝していたという不思議。 導きの存在は、いつも思いがけない形で現れます。
今回の旅でも、多くの人との出会いが道を示してくださいました。
寺宝めぐりを満願🌸
あとから知ったのですが、満願したら最後のページに満願の梵字の御朱印をいただけるみたいで。 なぜか気づかずに、そのまま移動...やってしもたパターン。
まぁ、また吉野に来なさいなってことでしょう。
完璧である必要はない。 不完全さも含めて、それが人生の味わいなのです。

奥千本|閼伽井不動明王様との再会
約束の再会を果たす
善福寺さんを後にして、さて、どこに一番うかがいたいか。
と、自分に問いかけたら、真っ先に思い浮かんだのが閼伽井不動明王様。
前回、初めて御姿を拝見したときに、やっとお会いできましたという感覚になって、めっちゃ涙が止まらず、ただただ感謝しかなかった...
もちろん、再会の約束をして前回は奥千本を後にしたのですが、まぁ再会の日は意外と早くやってきました。
数えてみたら、ちょうどぴったり5ヶ月後でした。
善福寺さんから移動して、奥千本行きのバス停に向かったら「最終バスは終わりました」と言われて、むむむ。
どうするかな、と。
奥千本まで歩くしかないか...と思っていたら、「帰りはない片道だけなら、最終の迎えのバスがあと15分後ぐらいに出発します」となんとも、ステキなお知らせをキャッチ。
もちろん、乗ります。 (あの登り坂は避けたかったのです・・・)

修行門に到着。
いやぁ...今回もこちらまでうかがうことになるとは。 自分が一番ビックリ。
あの天狗様の木(勝手に命名)とも再会を果たします。

あとのくだりの道のりは既に分かっているから、スイスイとくだっていきます。
閼伽井不動明王様のいらっしゃる場所へ。
約束した再会を。 そして、ご挨拶できたことへの感謝を。

今回、あらためて写真を振り返ると、お不動様の場所にだけスポットライトが当たっているようでした。 神仏様は、いつも何かのサインを送ってくださいますね。
さらに... お休みを取得したにも関わらず、なぜかこのタイミングで会社から電話が...
お不動様の前に椅子が設置されていたので、そこに座って、しばらくトーク。 →その案件は無事に進行しています。
仕事と巡礼、日常と非日常。 それらは対立するものじゃない。 すべてが人生の一部。 どんな状況でも、心の中心を保つことが大切なのです。

吉野水分神社さん|しだれ桜に包まれて
ここまで来たら、吉野水分神社さんへ。
秋には暖かな霧雨が迎えてくださいましたので、その感謝を。

しだれ桜が美しいです。 フクロウちゃんにも再会。
やっぱり、どこまでも桜に心動かされてしまう。
西行法師の歌を思い出す。
「吉野山梢の花を見し日より、心は身にも添はず成にき」
桜を見てから、心が身体から離れてしまったという。 それほどまでに桜は人の心を捉える。
西行にとって和歌を詠むことは仏像を彫ることと同じ、仏道修行の一環だったそうです。

私たちも、それぞれの方法で自分なりの修行をしている。 それは特別なことじゃなくて、日々の生活の中で心を磨くこと。
ゆっくりお参りしていたら、えーーーっと。 時間は?
なかなかにギリな時間になってます。 翌日のお参り場所(朝護孫子寺さん)近くまで移動しないとなので、吉野駅まで急ぎます。

振り返り|気づきと今後への示唆
訪問の流れが示すもの
今回のあらたな気づきは三つありました。
まず、訪問の流れ。 前回は出雲→吉野へ。 今回は吉野→信貴山へ。
この流れには、きっと意味がある。
出雲での気づきが吉野での体験を深めて、吉野での学びが信貴山へとつながっていく。 点と点が線になって、やがて面となって人生の地図を描いていく。
この再訪までの間に、関東三十六不動結願して、さらにはサムハラ神社〜大神神社〜石上神宮、伊勢神宮への参拝。
すべての参拝が重なり合って、今回の御開帳のタイミングに導かれた。 偶然のように見えて、実はすべてが必然だったのかもしれません。
振り返ってみると、キッカケというかはじまりは出雲で、この旅というのが今後のねえさんぽの流れを変えていった...といってもいいと感じます。
心惹かれる「ねえさんぽ」の在り方みたいなのに気づいた旅でした。

井光権現様が示す導きの意味
今回最も心に残ったのは、善福寺さんの井光権現様との出会い。
こちらにうかがう前に井光神社八幡宮さんに不思議とご挨拶していて、なんでこちらにご挨拶するのだろうかとそのときは思っていたのですが、後からの紐解きでそれがなんとなく分かる、って毎度の流れ。
この「イヒカ」という文字というか音が最初から気になっていて。
井光は尾のある人として描かれる。 人間と神の間の存在。
※井氷鹿は、神武天皇に「あは国つ神、名は井氷鹿(いひか)と謂ふ」と答えており、国つ神(その土地の神)とされています。
私たちも、物質的な存在でありながら精神的な存在でもある。 その両面を認めて、バランスを保つことが大切なのでしょう。
うーーーむ。 個人的にめっちゃ気になっているらしく(記事に書かずに終わらせようとしたら、その後、記事を書くような内容の夢を三回見ました)
自然が教える生き方
喜蔵院さんの住職の言葉が心に残る。 「さまざまな木や、その咲く花のように生きたらええんやよ」
自然に学び、自然に真似る。 それは模倣じゃなくて、本来の自分を思い出すこと。
桜は一年のうち、花を咲かせるのはわずか一週間ほど。 残りの時間は、次の開花のために力を蓄えている。
私たちの人生も同じ。 輝く瞬間のために、日々を大切に生きる。 そして、散るときは潔く、美しく。
まとめ|内なる変化を日常に生かす
吉野山での御開帳体験を通して得た最大の気づきは、「すべてはつながっている」ということ。
過去の参拝、現在の体験、未来への導き。 人との出会い、神仏との縁、自然からの教え。 それらが織りなす大きな物語の中で、私たちは生きている。
寺宝めぐりで出会った九つの寺院、それぞれの仏様、住職さんや参拝者との会話。 すべてが私たちに何かを教えてくださる。
大切なのは、その教えを日常生活でどう生かすか。
神社参拝や寺院巡礼は、特別な体験だけど、そこで得た気づきは日常でこそ輝く。
御開帳で見た蔵王権現様の憤怒の表情は、私たちの煩悩を焼き尽くす炎。 その炎を心に宿して、日々の雑念を清めていく。
夢見の桜が教えてくれたように、夢は現実を引き寄せる力がある。 大切なのは、夢を持ち続けること、そして一歩ずつ歩み続けること。
急ぐ必要はない。
七曲坂を一歩ずつ登ったように、人生も一歩ずつテクテク。
如意輪寺さんの二河白道が示すように、人生の道は細く、両側には煩悩の炎と激流が待ち受けている。 でも恐れることはない。
お釈迦様と阿弥陀様が導いてくださる。 そして何より、自分自身の内なる光が道を照らしてくれるから。
最後に、満願できなかった寺宝めぐりの印。 それは「また来なさい」という吉野からのメッセージ。
人生に完璧はない。 不完全だからこそ、次がある。成長がある。出会いがある。
桜のように、今この瞬間を精一杯咲く。 そして時が来たら、潔く次のステージへ。
それが吉野山が教えてくれた生き方。
内なる変化は、もう始まっている。 あとは、その流れに身を委ねて、自分らしく歩いていくだけ。
ひとつひとつのご縁がつなぐもの。 それは、より良い自分、より豊かな人生への道筋だと思うのです。
神仏との縁を大切にしながら、日々を丁寧に生きていく。 それが、御開帳で受け取った最高の贈り物なのです。
それぞれのタイミングで善き時が刻まれていき、そのひとつひとつのご縁なるものがさらに、みずからの進む方へ望むことがひらけていくように、自然と結びの糸はつながっていくと感じるのです。
だから、心配などない。
ちゃんと目の前の道をしっかり歩いていこう。


では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために
