見出し画像

人手不足は“真実”か、“言い訳”か、“親切”か

副題:最低賃金・価格転嫁・雇用不全の三竦み構造

序章|足りないのは、人か、都合のいい人か?


最近、どこに行っても「人手不足」が聞こえてくる。

飲食店、コンビニ、福祉施設、建設現場。

張り紙が貼られ、店員が疲れた顔をして、
「人がいなくて……」とつぶやく。

だが、ふと、こんな疑問が湧く。

本当に「人」が足りないのだろうか?

日本の人口の約半数が50歳以上。

少子高齢化は厳然たる事実だ。

しかし──

人手不足は、果たして“そのせいだけ”なのだろうか?

「人手不足とは、単なる人間の数ではなく、“誰を必要とし、誰を不要とするか”という構造的な選別なのではないか。」

「足りないのは人である場合もあれば、企業にとって都合のいい条件で働く人である場合もある。その二つを『人手不足』という同じ言葉で呼ぶから議論が混線する」


第1章|最低賃金と「雇えない現実」


最低賃金は、年々上昇している。

もちろん、働く者にとってはありがたい。

だが企業側にとっては、人件費の増加を意味する。

特に中小企業や人海戦術型の現場では、
「賃金を上げたくても上げられない」状況が続く。

では、どうするか?

賃金は上げなければならない。

でも、価格に転嫁すると客が離れる。

結果、こうなる。

「雇えない」=「人手が足りない」と言い換える。

ここで、“人手不足”は、表現のすり替えとして登場する。


第2章|価格転嫁というタブー


企業にとって、賃上げと同じくらい難しいのが「値上げ」だ。

とりわけ日本では、価格に敏感な消費者が多い。

1円でも高くなると炎上し、
「昔はもっと安かったのに」とSNSで叩かれる。

その結果、企業はこう口にするようになる。

「人手不足で、サービスを縮小します」

本当は、価格を上げなければやっていけないのに。

それを言うと“自己責任”や“努力不足”と言われる。

だから“人手不足”という言葉で、価格転嫁の不可能を隠す。


第3章|三竦みの中で、選ばれた「人手不足」


こうして見えてくるのは、三つ巴の構造だ。

• 最低賃金の上昇(=制度的プレッシャー)

• 価格に転嫁できない(=消費者意識の硬直)

• 雇用できない(=採用リスクとコスト)

この三つは、互いに矛盾し、足を引っ張り合っている。

そして、この三者の均衡点として、
一番角が立たず、同情も得られ、責任も回避できる言葉──

それが「人手不足」なのではないか?

“人手不足”は、企業と社会の間に立つ緩衝材として機能している。


第4章|本当に「いない」のか?


では、改めて問おう。

「人手不足」とは、誰の視点での“不足”なのか?

労働者側の視点ではどうだろう?

• フルタイムで働けない人

• 子育てや介護と両立したい人

• スキルや年齢を理由に断られた人

• 外国人であるという理由で受け入れられない人

こうした“潜在労働力”は、決して少なくない。

にもかかわらず、企業側の「欲しい人材像」に合わなければ、
それは「いないこと」にされてしまう。

足りないのは、人ではなく、都合のいい人なのではないか?

「足りないのは、人ではなく、都合のいい人なのではないか?──この構造は、“構造化された排除”を“人手不足”という言葉で上塗りしているにすぎない。」


結章|「人手不足」は誰のための物語か?


人手不足とは、ただの事実ではない。

それは社会が編み出した、最も穏便で、共感されやすく、責任を問われにくい言葉だ。

最低賃金が上がる

→ 価格に転嫁できない

→ 雇えない

→ 「人が足りない」

この構造の中で、“人手不足”は免罪符として振る舞う。

だが、それはあくまで“演出された優しさ”に過ぎない。

• 「雇う気がないこと」を隠すための優しさ

• 「値上げできないこと」を他者のせいにする優しさ

• 「自分たちが選別していること」に気づかせない親切

人手不足は、そうした優しさに包まれた“構造の隠蔽装置”ではないか?

そして、私たちはその物語を、どこまで引き受けるつもりなのだろう。


🔚 最後に|問いを残す


本当に足りないのは、人か?

それとも、「人をまともに扱おうとする覚悟」なのか?

“人手不足”の背後には、言葉を都合よく使いこなす構造がある。

それをただの“現象”として受け入れるか、
それとも“物語”として解体し直すか。

選ぶのは、私たち自身だ。


🔻補章|とはいえ、生活はツライ。


近年、ようやく平均賃金が少しずつ上昇し始めた。

30年間動かなかったものが、ようやく動いた。

だが──動いたからこそ、痛みが伴う。

繰り返される値上げ、容赦ない増税。

賃金が上がっても、その上昇率を上回るスピードで生活コストが上がっていく。

政府も人手不足の深刻さを理解しているのか、定年は65歳に延長され、再雇用制度も整えられつつある。

ステルス値上げと呼ばれる“内容量の削減”からも、企業の苦闘が透けて見える。

電気代の高騰、原材料価格の暴騰──

それでもなんとか体裁を保とうとする企業。

雇用の間口も、以前よりは広がっているように感じる。

街のコンビニでは、外国人労働者の姿も珍しくなくなった。

再就職のハードルも、かつてほど高くはないのかもしれない。

──だが、だからこそ、ギリギリだ。

誰もが、どこかで、何かを我慢している。

企業も、行政も、労働者も、消費者も。

「この状況が、あと何年続くのだろうか?」

この“我慢の連鎖”こそが、いまの社会を支えているのだとすれば──

私たちは、その痛みを「共有」するだけで満足してよいのか。

だからこそ、問わねばならない。

「“我慢”という名の応急処置が、いつしか“前提”になってしまったのではないか。」

“人手不足”という言葉が、本当に語っているものは何なのか。

そして、誰の痛みを見えなくしているのかを。


補章2|不足の炊き出し状態


「若者の◯◯離れ」

「人手不足」

「○○の低下」

──こうした“◯◯が足りない”という言葉が一度報じられると、まるで「俺も!私も!」と炊き出しに並ぶように、世の中に広がっていくのはなぜだろうか。

まるで、“不足”の周囲に人々が群がっているかのようだ。

だが、よく考えてみれば、社会は常に変化している。

価値観も、欲望も、技術も、働き方も──絶えず移り変わっている。

それでも、なお“変わらないもの”があるかのように信じたがる。

「昔のように」「本来あるべき姿に」「正常に戻そう」

そうした語りの中に、人間の“変わらないでほしい”という願望が透けて見えないだろうか?

“不足”という言葉は、変化への拒絶と喪失感の表明として使われているのではないか。

あるいはそれは、「足りないこと」ではなく、「失われたと“思い込まされていること”」に過ぎないのかもしれない。

「本当に不足しているのは、我々が変化に対応しようという心構えなのではなかろうか。」


補章3|それでも社会は、動き始めている


実際のところ、多くの企業は“値上げ前”に、すでにできる限りの削減をしている。

もちろん、便乗値上げもあるだろう。

だが、電気代、燃料費、原材料の高騰──これらは毎月のように変動する、“避けられないコスト”だ。

それでも価格に反映できない日本社会では、経営者は“内部努力”を美徳とされ、声をあげにくい。

「値上げします」ではなく、「人手が足りません」と言うほうが、まだ優しく聞こえるのだ。

それに、賃金を上げる前には、企業が一度“きちんと儲かる”必要がある。

「内部留保があるじゃないか」という声も聞こえてきそうだが──

実際に潤沢な内部留保を持つのはごく一部の大企業であり、ほとんどの中小企業は、カツカツでやりくりしている。

結論として、「値上げを許容できない社会に、賃上げは存在しない」。

問題は、物価高騰のスピードと、賃上げのスピード(多くの企業では年1回の昇給)が、釣り合っていないということだ。

これは1955年頃から始まった高度経済成長期にも見られた現象である。

──当時、労働者の賃金は急速に上昇した。

たとえば男性の平均賃金は、1955年から1975年の20年間で約7.4倍に、女性では約9.0倍に伸びている。

経済全体で見ても、1960年代の実質GDP成長率は年9~11%台という驚異的な水準だった。

しかし1970年代に入ると、実質成長率は年4.5%前後に鈍化し、代わって名目成長率が15%近くまで跳ね上がる──つまり、“高インフレの時代”へと突入する。

このように、賃金が上がるときには、必ず“物価の歪み”が伴う。

今、日本でもその兆候が現れている。

30年間ほとんど上がらなかった賃金が、ついに動き始めたのだ。

止まっていたものが、動く──

そこには当然、痛みがある。

その痛みが“歪み”となって現れ、まるで企業間が照らし合わせたかのように、値上げラッシュが起きている。

それがあと何年続くのかはわからない。

だが、日本もまた、静かに変わろうとしている。

政府も、単に増税しているだけではない。

市中にお金を流す方法として、還付金や補助金のほか、公務員の採用や賃上げという手段も用いられている。

令和6年現在、国家公務員の人数は約59万人、地方公務員は約281万人。

平成28年以降、微増傾向にある。

また、同年の公務員人件費は約25.6兆円にのぼる。

職を得た、あるいは賃金が上がった公務員たちは、消費を刺激し、大企業の商品──家電や自動車など──を購入する。

売り上げが上がれば、大企業も賃金を上げやすくなり、中小企業の値上げ要請にも応えやすくなる。

こうして、徐々にだが、“正の循環”が始まる。

ただし、それには数年という時間がかかるのが現実である。

関連記事
『かつて豊かだった国の病』


関連記事

『見えないコストと、消費のエンターテイメント化』

『2100年、文明は宇宙か戦争か』

『ふーんで終わらさずに…NEWSの一歩先に問いがある。』

『人手不足の正体は「労働力の消失」ではなく「関係性の設計ミス」』

『次の奴隷制は、鎖ではなく快適さで出来ている』

『民主主義は終わるのではない、意味を失うのだ』

『「差別はいけない」と言いながら、差別を別の形で続ける社会について』

いいなと思ったら応援しよう!

谷博貴の哲学【フォロバ100】 応援よろしくお願いします!いただいたチップは研究費用に回します。