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かつて豊かだった国の病

副題:過去の成功が、未来の席を塞いでいる

はじめに

日本と他国を比較すると、かなり高い確率でこう言われる。

「他国はそうかもしれない。けれど、ここは日本だ」

たしかに、その通りである。

日本には日本の歴史があり、制度があり、雇用慣行があり、家族観があり、企業文化がある。海外の事例をそのまま日本に当てはめれば、雑な議論になる。

しかし、ここで一つ問いを置きたい。

日本には日本の事情がある。

では、その事情は、日本だけが変化しなくてよい理由になるのだろうか。

世界は変わっている。

人口構造も、産業構造も、働き方も、家族の形も、国際競争も、技術も、価値観も変わっている。

その中で、自分たちだけが変わらないで済むと思える根拠はどこにあるのか。

「ここは日本だ」という言葉は、反論のように見える。

けれど本当は、それは反論ではない。

それは、日本が日本の条件のまま、どう変わるのかを考えるための出発点である。

この記事は、経済だけの記事ではない。

コロナ、インフレ、利上げ、増税、円安、賃上げ、中小企業、倒産、終身雇用、少子化を、別々の問題としてではなく、一つの成熟社会の症状として読む試みである。

日本はなぜ、過去の豊かさを守るほど、未来の余白を失っていくのか。


序章|先進国は本当に長期で考えているのか


先進国とは何だろうか。

経済規模が大きい国だろうか。
技術が進んでいる国だろうか。
社会保障が整っている国だろうか。
教育水準が高い国だろうか。

もちろん、それらはすべて先進国の条件に含まれる。

けれど、もう少し深く見るなら、先進国とは過去の失敗を制度として保存し、未来の負担を現在の判断に含められる国のことではないかと思う。

つまり、先進国とは豊かな国というより、時間感覚の長い国である。

目先の怒りだけで動かない。
目先の人気だけで制度を壊さない。
目先の利益だけで未来を売らない。
過去の失敗を覚えている。
未来の世代を現在の判断に含める。

それが本来の先進国の成熟だったはずだ。

ところが、コロナ以降の世界を見ると、その前提はかなり揺らいでいる。

多くの先進国は、短期的な危機対応に追われた。

欧米は給付金を出しすぎた。

経済の心停止を防ぐためには必要だった。

しかし、その後のインフレを強めた側面もある。

一方で、日本は出さなすぎた。

欧米ほど需要を燃やさなかった代わりに、国民生活を十分に支えきれなかった。

つまり、欧米は熱を入れすぎた。

日本は熱を入れなさすぎた。

どちらも、短期的には理解できる。

それは何を恐れていたのかが違うという点だ。

だが、結果としてどちらも後遺症を残した。

欧米は、インフレを退治するために金利を上げる必要が出た。

日本は、内需が弱いまま円安と輸入物価高に晒された。

ここで重要なのは、日本の失敗は単に給付金が少なかったことだけではないという点だ。

日本は、そもそも悪いタイミングで危機を迎えていた。

消費税を10パーセントに引き上げた直後に、コロナが来た。

内需が冷えかけたところに、感染症による行動制限が重なった。

その後、ロシアとウクライナの戦争が起き、資源価格が上がった。

中東情勢も不安定になり、エネルギー不安が続いた。

そこへ円安が重なった。

日本は、増税で冷えた身体に、コロナが来て、さらに外から資源高と円安が刺さった。

この構造を見ないまま、日本経済を語ると、かなり見誤る。

問題は、景気が悪いのに物価が上がることだった。

給料が十分に上がる前に、生活費が上がることだった。

企業の利益が回復する前に、材料費、燃料費、電気代が上がることだった。

つまり、日本は内側から燃えたのではない。

外側から焼かれたのである。

高度経済成長期にも似たような現象は起きた。

でも、その時の日本は景気が良かった。

昇給は年に2回あったし、物価高に苦しみつつも確実に生活が良くなっていってるという実感が強かった。


第1章|インフレを退治する国と、利上げできない国


コロナ後、欧米はインフレを退治するために利上げを進めた。

給付金、失業給付、企業支援、低金利。

それらは危機の最中には、経済の心停止を防ぐために必要だった。

だが、供給制約、資源高、物流混乱、戦争が重なったあと、それは需要側の熱として残った。

だから欧米は金利を上げた。

金利を上げるとは、経済の熱を冷ますことである。

借入を抑え、消費を抑え、投資を抑え、インフレを冷ます。

痛みを伴うが、インフレを放置すれば通貨と生活が壊れる。

つまり、政策金利を上げるというのは国家が意図的に不景気にしようとしているということだ。

一方、日本は同じようには動けなかった。

日本の物価高は、欧米のように内需が燃えすぎた結果だけではない。

むしろ、円安、資源高、輸入物価、エネルギー価格に押し上げられた面が大きい。

しかも、日本には国債の問題がある。

金利を上げれば、円安対策にはなる。

だが同時に、国債の利払い、住宅ローン、中小企業の資金繰り、金融機関の保有国債にも影響する。

さらに、消費税10パーセントへの引き上げ直後にコロナが来たため、内需はすでに弱っていた。

その状態で強い利上げをすれば、円は守れても国内経済をさらに冷やす危険がある。

ここに、日本の難しさがある。

欧米は、熱くなりすぎた経済を冷ますために利上げした。

日本は、冷えた身体のまま外から物価高に焼かれたため、強く利上げしにくかった。

その結果、海外との金利差が残り、円安圧力が続いた。

円安は、さらに材料費、燃料費、電気代を押し上げる。

世界の投資マネーは、仮想通貨などの例外はあったとしても、基本的に金利の低い場所から高い場所へ流れやすい。

アメリカや欧州がインフレ退治のために金利を上げる一方で、日本が強く利上げできなければ、円を持つ魅力は相対的に下がる。

その結果、円は売られやすくなり、金利の高い通貨へ資金が流れやすくなる。

つまり日本は、利上げしないから単純に円安になるというより、利上げしにくいことで金利差が残り、円安圧力を受け続けるのである。

しかし利上げすれば、国内の弱い部分が傷む。

円を守れば、内需が傷む。

内需を守れば、円が傷む。

この板挟みが、日本の物価高を複雑にしている。

こうして、日本は円安、物価高、国債、内需の弱さを同時に抱えることになった

その中で、政府が取りやすい選択肢の一つが増税だった

税収とは国家の年収のようなものである。

円安の原因は複雑で

金利差・低成長・輸入依存・国債制約・将来不安の複合的な要素が絡んでいる。

しかし、増税で円安を止めようとすると、こういう副作用が出る。

増税する
→ 消費が冷える
→ 景気が弱る
→ 賃上げが弱る
→ 日銀が利上げしにくくなる
→ 金利差が残る
→ 円安圧力が残る

つまり、財政信認にはプラスでも、内需と利上げ余地にはマイナスになりうる。

ここで問題なのは、増税そのものではない。

問題は、為替に直接効くはずの金利差、成長期待、経常収支の中身、投資マネーの流れを十分に変えないまま、増税によって財政信認だけを守ろうとすることである。

たしかに、増税は国家財政への不安を抑える可能性がある。

しかし、それだけでは円安の根本には届きにくい。

むしろ増税によって消費が冷え、内需が弱り、賃上げが鈍れば、日本経済の成長期待はさらに弱くなる。

成長期待が弱ければ、円を持つ理由も強くならない。

つまり、増税で円を守ろうとしても、国民生活を痩せさせれば、結局は円を支える実体そのものが弱くなる。

しかし増税しなければ、円安と物価高が進む危険がある。

しかし増税すれば、内需と可処分所得が傷む。
問題は増税の有無ではない。

増税によって守るものが、過去の制度なのか、未来の稼ぐ力なのかである。

日本は金がないのではない。

だが金を動かせば、どこかが傷む。

動かさなければ、未来が痩せる。

これが、かつて豊かだった国の病だと思う。


第2章|円安は生活だけではなく企業の入口を焼く

ここには、二つの別の問題がある。

一つは、企業が海外で稼いでも、その利益が国内に戻りにくいという企業レベルの問題である。

もう一つは、日本の黒字そのものが、輸出ではなく海外資産収益に支えられているという国家収支レベルの問題である。

1|企業が海外で稼いでも、国内に戻るとは限らない

円安というと、よく輸出企業に有利だと言われる。

たしかに、海外で稼ぐ大企業にとっては、円安が利益を押し上げることがある。

円建てで見れば、海外売上が大きく見える。

株価にもプラスに出る。

しかし忘れてはならないのは、日本企業が海外で稼いでも、その利益がそのまま日本国内へ戻るとは限らないという点である。

いまの日本は、単純な輸出国家ではない。

国内で作り、海外へ売り、その利益が国内の工場や賃金へ戻る。

そういう時代のイメージだけでは、もう日本経済は読めない。

多くの企業は、海外で作り、海外で売り、海外で稼ぐ。

そしてその利益は、現地法人に残り、現地で再投資されることも多い。

これは企業としては合理的である。

成長している市場に投資する。

為替リスクを避ける。

現地の需要に合わせる。

サプライチェーンを現地化する。

株主に説明しやすい利益率を維持する。

それは日本国内の血流とは別問題である。

企業グループ全体が儲かっていても、国内の中小企業に仕事が戻るとは限らない。

後からなら何とでも言える。

だが、いま振り返ると、日本には見逃していた視点があったのかもしれない。

日本のインフレ耐性は、日本自身の慎重財政だけで成り立っていたわけではない。

世界各国が給付金をばら撒き、需要を保ったことで、日本企業の海外売上や海外資産収益も支えられていた。

つまり日本は、国内には十分な熱を入れなかった一方で、海外が入れた熱によって、外側の収益を保っていた面がある。

だが、その外側の熱は、国内の若者や中小企業や子育て世代へ十分には届かなかった。

日本は、海外の需要によって外では支えられた。

しかし国内では、物価高と円安の痛みだけが先に届いた。

構造的には、日本は海外の需要刺激によって外側の収益を支えられた一方、その後のインフレや資源高、円安の痛みを国内生活で受けた面がある。

だとすれば、日本も国内の生活者と中小企業を守るために、もう少し厚く、複数回、目的を絞って給付すべきだったのではないか。

ただし、それは欧米の真似をして無制限に出すことではない。

一律十万円を一回で終わらせるのではなく、感染拡大期、行動制限期、回復移行期の三段階で出す。

生活者への直接給付を厚くする。

子育て世代や低所得層には追加支援する。

中小企業には固定費、電気代、燃料費、社会保険料負担を緩和する。

単なる消費刺激ではなく、危機を越えるための橋として設計する。

日本は、ばら撒きの副作用だけを受け取り、ばら撒きによる国内保護を十分に行わなかった。

ここに、コロナ後の日本経済の歪みがある。

海外子会社が利益を出していても、国内の若者の賃金が上がるとは限らない。

経常黒字が大きくても、地方の個人商店が楽になるとは限らない。

つまり、日本は外では稼いでいる。

しかし、その稼ぎが国内の生活者へ還流する経路が細くなっている。

ここに、現代日本のねじれがある。

円安は、海外で稼ぐ企業の円建て利益を大きく見せる。

だが同じ円安は、国内の生活者と中小企業に材料費、燃料費、電気代として降ってくる。

外で稼ぐ企業には追い風。

内で暮らす生活者には向かい風。

内で作る中小企業には、さらに強い向かい風。

この構造を見ないまま株高や経常黒字だけを見ても、日本の中身は見えない。

日本は、外貨を稼げない国になったのではない。

日本の外で稼ぐことと、国内の若者、中小企業、子育て世代が豊かになることは、同じではないということだ。

円安は国全体にとって単純な利益ではなく、資源の多くを海外からの輸入に依存している日本にとっては損失にもなり得る。

それはエネルギー、食料、原材料、部品、燃料を買うためのコストが上がるということだ。

材料費が上がる。
燃料費が上がる。
電気代が上がる。
物流費が上がる。
包装資材も上がる。
食材も上がる。
建材も上がる。

そして、それらは中小企業や零細企業を直撃する。

大企業なら、値上げ交渉ができる。
海外売上で吸収できる場合もある。
資金調達の余地もある。
株式市場から評価されることもある。

しかし、中小企業はそうはいかない。

仕入れは上がる。

電気代も上がる。

人件費も上がる。

しかし、販売価格を簡単には上げられない。

下請けなら、元請けに値上げを断られる。

飲食店なら、客が離れるのが怖くて値上げできない。

小売なら、近隣競合との価格差が怖い。

町工場なら、材料費と電気代に挟まれる。

運送業なら、燃料費と人件費に挟まれる。

中小企業の賃上げ原資は、基本的には値上げによって生まれる。

だが、その値上げが通らない。

仮に値上げが許されても、材料費、燃料費、電気代の上昇が大きければ、賃金まで回す余白は残らない。

ここに、今の日本の苦しさがある。

賃上げしろと言われる。
だが、賃上げの原資はない。
値上げしろと言われる。
だが、値上げすれば客が離れる。
価格転嫁しろと言われる。
だが、取引先が認めない。

つまり、中小企業は賃上げを嫌がっているだけではない。

賃上げするための呼吸を、材料費、燃料費、電気代、取引構造に塞がれている。

円安は、企業の入口価格を上げる。
価格転嫁の失敗は、出口価格を塞ぐ。
その狭間で利益が潰れ、賃上げどころか存続そのものが耐久戦になる。

2|そもそも日本の黒字は、輸出よりも海外資産収益に支えられている

さらに忘れてはならないのは、いまの日本は、かつてのように輸出で稼ぐ国ではなくなっているという点である。

経常黒字の多くは、貿易黒字ではなく、海外からの利子・配当・投資収益によって支えられている。

つまり日本は、工場で稼ぐ国から、過去に海外へ積み上げた資産から収益を受け取る国へ変わりつつある。

これは悪いことではない。成熟した債権国としては自然な姿でもある。

だが同時に、それは国内の産業、賃金、中小企業、若者の未来が太っていることを意味しない。

これが、今の日本の毛細血管で起きていることだ。


第3章|賃上げは血流であり、発表ではない


大企業が賃上げを発表する。
春闘で高い賃上げ率が出る。
ニュースでは、日本にもようやく賃上げの波が来たように見える。

もちろん、それ自体は悪いことではない。
賃金が上がることは必要だ。
長く賃金が伸びなかった日本にとって、賃上げは重要な転換点である。

しかし、そこで国民全体が豊かになったと判断するのは早すぎる。

賃上げは、発表ではなく血流である。

さらに言えば、賃上げは生活が豊かになる前に起きるとは限らない。

むしろ多くの場合、生活が苦しくなったという声が上がって、ようやく賃上げの必要性が認識される。

賃金とは、生活を豊かにするための余剰資金というより、まず生活を回すための最低限の資金である。

だから物価が上がり、家計が苦しくなり、人が辞め、採用できなくなり、世論や労働者の声が強くなってから、ようやく賃上げが始まる。

これはつまり、賃上げが生活苦に対して後追いで起きるということである。

生活が苦しいという声が出なければ、企業も社会も賃金の不足を十分には認識しない。

だから賃上げは、豊かさの先払いではない。

多くの場合、生活破綻を防ぐための後払いなのである。

また、公務員の増員や賃上げも、単なる公務員優遇と限定して見るべきではない。

もちろん、国民から見れば不満は出る。

民間が苦しい。

中小企業が苦しい。

生活費が上がっている。

その中で公務員だけ先に賃上げされるように見えれば、反発が起きるのは自然である。

だが、経済全体で見れば、公務員給与は賃金相場の一つの基準にもなる。

そもそも日本政府は、日銀で刷った円を無条件にばら撒けるわけではない。

政府支出には、予算、国債、税制、法律、国会承認、行政執行という通路がある。

その意味で、公務員の増員や賃上げは、単なる公務員優遇ではない。

広い意味では、公共事業の一種である。

道路や橋に金を流すのが土木型の公共事業だとすれば、公務員の増員や賃上げは、人と制度に金を流す公共事業である。

国が公務員を増やす。

公務員の賃金を上げる。

安定した所得層が地域で消費する。

民間企業も人材確保のために賃金を上げざるを得なくなる。

これは、景気を支えるための賃金型公共事業とも言える。

しかし、ここで国民が公務員賃上げをただの優遇として叩けば、結果的に賃金上昇の足場そのものを弱めることになる。

自分たちが苦しいから、先に上がった者を引きずり下ろす。

だが本来必要なのは、先に上がった者を下げることではない。

その水準を民間へ波及させることである。

ここに、日本の賃上げをめぐる不幸がある。

生活が苦しい人ほど、賃上げの波及を求めるべきなのに、しばしば最初に賃上げされた層を攻撃してしまう。

もちろん、不要な部署や非効率な人員配置まで肯定する話ではない。

問題は、公務員に金を流すこと自体ではなく、その金が公共サービス、地域消費、民間賃上げへ波及する設計になっているかである。

賃上げされた公務員を引きずり下ろしても、民間の生活は豊かにならない。

必要なのは、公務員賃上げを民間賃上げへ波及させる設計である。

構造としては、まず国が公務員を増やし、賃金を上げる。

安定した所得層が地域で消費する。

その消費が大企業、中堅企業、飲食店、小売へ流れる。

同時に、公務員給与が賃金相場の一つの基準になる。

民間企業も人材確保のために賃金を上げざるを得なくなる。

その後、中小企業、零細企業、個人商店へ波及する。

この順番には時間がかかる。

公務員や大企業は比較的早く動ける。
制度や労使交渉がある。
利益や内部留保がある。
採用競争に耐える体力もある。

しかし、中小企業は違う。

価格転嫁が進まなければ賃上げできない。
売上が増えなければ賃上げできない。
利益が残らなければ賃上げできない。
人手不足で上げざるを得なくても、それは成長による賃上げではなく、防衛による賃上げになる。

零細企業や個人商店はさらに遅い。

従業員の賃上げどころか、店主自身の所得が削られている場合もある。

客の財布が細れば、値上げは売上減につながる。
仕入れは上がる。
電気代も上がる。
最低賃金も上がる。
しかし、売上は増えない。

ここで起きるのは、賃上げの波及ではなく、耐久試験である。

物価高は全国に一斉に降る。
だが賃上げは、階層を通って遅れて届く。

この時間差こそが、今の日本の痛みだ。

スーパーの値札は今日上がる。
電気代も今月上がる。
ガソリン代もすぐ上がる。
だが賃金が上がるのは、会社の決算、交渉、取引価格、業績回復を通った後である。

だから生活者は先に削られる。
中小企業も先に削られる。
賃上げが届く前に、物価高が体力を奪う。

問題が短期間で収束すれば、中小企業以下には賃上げが届かない可能性がある。
一方、問題が長く続けば、賃上げ圧力は中小企業以下にも届く。
だがその場合、届くまでの一年以上、生活者も企業も物価高に先に殴られる。

短く終われば、賃上げは上流で止まる。
長く続けば、賃上げは届くが、その前に多くが削られる。

どちらにしても、末端ほど苦しい。

市場は半年先を見る。
大企業は一年先を見る。
中小企業は今期の資金繰りを見る。
個人商店は今月の売上を見る。
生活者は今日の値札を見る。

この時間感覚のズレを見ないと、日本経済の実感は理解できない。

賃上げが届く前に、物価高が末端を削る。

ここにも、過去の制度を守りながら未来の余白を削る成熟社会の病がある。


第4章|最低賃金は防衛ラインであって成長エンジンではない


最低賃金の上昇は必要である。

低所得層の底抜けを防ぐ。
働いても生活できない状態を抑える。
極端な低賃金競争を防ぐ。
社会の防衛ラインとしては意味がある。

しかし、最低賃金の上昇を、国民全体を豊かにする賃上げのエンジンと見るのは危ない。

最低賃金は、防波堤である。
だが、成長のエンジンではない。

最低賃金が上がると、労働者の最低限の所得は守られる。
しかし、企業側から見れば固定費が上がる。

特に中小企業や零細企業では、人件費の上昇はそのまま利益を削る。
価格転嫁ができなければ、最低賃金上昇は倒産圧力になる。

ここで重要なのは、呼びかけられてすぐに賃上げできる中小企業は、普通の中小企業ではないという点だ。

独自技術がある。
価格決定力がある。
優良顧客がいる。
内部留保がある。
金融機関から信用されている。
採用戦略として先に賃上げできる。
設備投資もできる。

こういう企業は、規模は中小でも、体質は大企業に近い。

いわば、戦略的中小企業である。

一方で、多くの中小企業はそうではない。

元請けの価格に従う。
取引先に値上げを断られる。
材料費を自分では決められない。
電気代を自分では決められない。
燃料費を自分では決められない。
それでも人手不足で賃上げ圧力だけは来る。

この状態で最低賃金だけが上がれば、企業には逃げ場がない。

もちろん、低賃金を放置してよいわけではない。
だが、最低賃金を上げるなら、価格転嫁、社会保険料、補助、設備投資、取引構造の是正まで同時に考えなければならない。

最低賃金だけを上げるのは、床を持ち上げる政策である。
だが床の下にいる企業の土台が腐っていれば、床ごと抜ける。

最低賃金は貧困の防波堤にはなる。
しかし弱い企業にとっては、波を防ぐ壁ではなく、背中から押される圧力にもなる。

ここを見落とすと、賃上げ政策は美しい言葉のまま、現場では倒産圧力に変わる。


第5章|倒産は悪なのか


倒産という言葉には、悪い響きがある。

働いている人にとっては、たまったものではない。
生活がある。
家族がある。
住宅ローンがある。
子どもの学費がある。
その会社で積み上げてきた時間がある。

だから倒産を軽く語ってはいけない。

しかし、経済全体で見れば、倒産は必ずしも悪だけではない。

景気が良くても倒産する企業はある。
古い企業が退場し、新しい企業が生まれることもある。
低収益の事業から、人材や資本が別の場所へ移ることもある。
技術更新できない企業が退場し、新しい産業が育つこともある。

倒産は、新陳代謝のきっかけにもなる。

ただし、ここには重大な条件がある。

倒産した後に、新しい受け皿があること。
働いていた人が、次の仕事へ移れること。
再教育の仕組みがあること。
地域に新しい需要があること。
起業や転職の資金があること。
社会保障が、人間を沈ませないこと。

これらがなければ、倒産は新陳代謝ではない。
単なる壊死である。

新陳代謝とは、古いものが死ぬことではない。
古いものが退場したあとに、新しい生命が立ち上がることである。

企業は倒産してもよい場合がある。
しかし、働く人間まで沈んではいけない。

終身雇用が崩れること自体は、時代の変化として避けられないかもしれない。
だが、終身雇用が崩れたあとに、人生設計まで崩れてしまうなら、それは自由化ではなく放置である。

成熟した社会に必要なのは、企業を無理に延命することだけではない。
古い企業が倒れても、人間が新しい構造へ移れる仕組みである。

ここがなければ、倒産は新陳代謝ではなく、地域経済の壊死になる。

倒産を恐れて古い企業を延命するだけでは、未来の席は空かない。

だが人間を沈ませる倒産は、新陳代謝ではなく壊死である。


第6章|終身雇用が崩れた後の若者


かつて、会社に入ることは未来を預けることだった。

若い頃は給料が低くても、年功序列があった。
長く働けば昇給した。
退職金もあった。
住宅ローンも組めた。
結婚し、子どもを育てる道も見えた。

もちろん、その時代にも苦しさはあった。
会社に縛られる。
理不尽に耐える。
転職しにくい。
個人より組織が優先される。

今より長時間労働やブラック企業は多かった。

これは美談のように語られる危険もある。

それでも、会社に所属することは、ある種の長期契約だった。

ところが、いまは違う。

終身雇用は弱くなった。
年功序列も崩れた。
会社に尽くしても、未来が保証されるとは限らない。
賃金は伸びにくい。
社会保険料は重い。
物価は上がる。
住宅は高い。
子育てには金がかかる。

そうなると、若者は会社に未来を預けにくくなる。

副業をする。
転職を考える。
フリーランスになる。
個人で稼ぐスキルを探す。
複数の収入源を持とうとする。

これは甘えではない。
企業社会への不信であり、出口探索である。

若者は、先人たちが作ったルールに乗らないのではない。
そのルールに乗っても未来が見えないから、別の道を探している。

つまり、若者の◯◯離れとは単純に興味がないというだけの話ではない。

そこに付け入る隙が無いのだ。

そして、ここにも罠がある。

フリーランスは自由に見える。
だが、全員が自由になれるわけではない。

強い人は、企業の外で高く売れる。
弱い人は、企業の保護も失い、個人事業主という名前の下請けになる。

会社員なら守られていた社会保険、信用、住宅ローン、育休、福利厚生が、個人になると弱くなる。
収入が不安定になる。
病気や出産や育児に弱くなる。
将来設計が難しくなる。

ここで少子化とつながる。

若者が会社に未来を預けられない。
しかしフリーランスにも安定はない。
結婚には不安が残る。
子育てにはさらに不安が残る。
住宅取得も難しい。
長期計画を立てにくい。

すると、自由は増えるが、家庭を持つ余白は減る。

終身雇用が崩れたあと、社会が新しい安定を用意できなければ、若者は自由になったのではない。
ただ、企業にも国家にも未来を預けられなくなっただけである。


第7章|先進国として成熟することの副作用


先進国として成熟するとは、制度が整うことである。

法律がある。
資格がある。
規制がある。
大企業がある。
既存取引がある。
金融制度がある。
土地の所有権がある。
社会保障がある。
教育制度がある。

それ自体は悪いことではない。
むしろ、未熟な社会では人は安心して生きられない。

だが、制度が整うことには副作用がある。

席が埋まるのである。

土地はすでに誰かのものになっている。
市場はすでに大企業が押さえている。
流通はすでに既存企業が持っている。
資格がなければ入れない職業がある。
取引先はすでに固定されている。
規制は新規参入者にとって高い壁になる。
高齢世代は資産を持ち、若者は家賃と税と社会保険料から始まる。

成熟した社会では、成り上がる前に通行料が高い。

昭和の頃、地方から東京へ出て一旗上げるという感覚があった。

それは、東京に余白があったからだ。

人口が増えていた。
経済が伸びていた。
企業が拡大していた。
街が成長していた。
新しい仕事が生まれていた。
若者が都市へ行けば、自分の席を作れる感覚があった。

いまは違う。

東京に出ても家賃が高い。
大企業に入っても出世枠は細い。
起業しても既存プラットフォームに手数料を取られる。
フリーランスになってもアルゴリズムと価格競争に晒される。
会社員になっても終身雇用の保証はない。
家庭を持とうにも将来不安が強い。

つまり、日本は貧しくなっただけではない。
かつて豊かだった時代に作られた制度や席の配置が、低成長時代にも残り続けている。

これが、若者の成り上がる余白を狭めている。

利権の固定化とは、単に誰かが悪いことをしているという話ではない。
成熟した社会が、自分の作った秩序を守ろうとすることで、自然に起こる現象でもある。

過去の成功者が席を持つ。
その席を守るために制度が作られる。
制度は安定を生む。
だが同時に、新しい人間の参入を難しくする。

先進国の成熟とは、安心を作ることである。
しかし、その安心が固定化すると、未来の挑戦を塞ぐ。

ここに成熟社会の病がある。


第8章|裕福だった時代の制度を、低成長時代にも維持しようとしすぎた


日本は一度裕福になりすぎた。

そう言いたくなる。

だが、正確には少し違う。

豊かになったこと自体が悪いのではない。
問題は、裕福だった時代の制度を、低成長時代にも維持しようとしすぎたことだ。

高度成長の時代には、人口が増えた。
市場が広がった。
企業が拡大した。
賃金も伸びた。
若者には未来があった。
税と社会保険料を支える現役世代も多かった。

その時代に作られた制度は、右肩上がりを前提にしていた。

会社に入れば何とかなる。
正社員になれば安定する。
結婚し、子どもを持ち、家を買う。
年功序列で給料が上がる。
高齢者は現役世代が支える。
企業は長期雇用で人を育てる。
地方にも人がいる。
国は成長で税収を得る。

しかし、いまはその前提が崩れている。

人口は減る。
高齢化は進む。
成長は鈍い。
社会保険料は重い。
若者の可処分所得は削られる。
終身雇用は崩れる。
中小企業はコスト高に苦しむ。
地域は縮む。
子どもは増えない。

それでも、制度は過去の豊かさの形を維持しようとする。

高齢者の社会保障を維持する。
既存企業を守る。
既存業界を守る。
既存の雇用慣行を守る。
既存の取引構造を守る。
既存の税制で維持しようとする。

もちろん、守ること自体が悪いわけではない。
社会は、簡単に壊してよいものではない。
高齢者も生活者である。
中小企業も地域の雇用を支えている。
急激な破壊は、多くの人を傷つける。

だが、守ることだけを続ければ、未来の余白が削られる。

若者の可処分所得が削られる。
起業の余力が削られる。
子育ての余裕が削られる。
中小企業の投資余力が削られる。
教育や研究に回す余白が削られる。
地域の新陳代謝が止まる。

すると、国は表面上は制度を維持しているように見える。
だが、中身は痩せていく。

株価が上がっても、国が太ったとは限らない。
大企業が賃上げしても、社会全体に血流が届いたとは限らない。
国債が維持されても、若者が未来を持てなければ国家は痩せる。
社会保障を守っても、子どもが生まれなければ未来は細る。

国家の中身とは、企業の時価総額だけではない。

はっきり言えば、日本には金がないわけではない。

日本は、まだかなり金を持っている。

金は天下の回りものだと言われる。

だが、金はただ存在すればよいわけではない。

流れなければならない。

金の流れが滞れば、それは国家の凝りとなり、やがて痛みとして現れる。
若者の可処分所得の低下。
中小企業の投資余力の減少。
子育て世代の不安。
地域の衰退。
研究開発の細り。

それらは別々の痛みに見えるが、根には同じ循環不全がある。

そして現代の金の流れは、一国の中だけで完結しない。

金は世界を巡る。

海外で稼ぎ、海外で再投資され、為替を通じて国内の物価へ戻ってくる。

だから日本の問題は、日本国内だけを見ても分からない。

外で稼いだ金が、内へ戻らない。

内にある金が、未来へ流れない。

その一方で、世界を巡った金の副作用だけが、円安や物価高として生活に届く。

企業にも、家計にも、海外資産にも、過去に積み上げてきた信用にも、膨大な蓄積がある。

問題は、金が存在しないことではない。

その金が、未来を作る場所へ流れていないことだ。

若者の可処分所得へ流れない。
子育て世代へ流れない。
中小企業の投資余力へ流れない。
研究開発へ十分に流れない。
地域の新陳代謝へ流れない。

金はある。

だが、未来の席を作る場所へ届いていない。

これが、豊かだった国の病である。

そして厄介なのは、この金が円安には効きづらいという点である。

国内に資産があることと、為替市場で円が買われることは同じではない。

家計が預金を持っていても、それが円を強くするとは限らない。

企業が内部留保を持っていても、それが国内投資や賃上げに回らなければ、経済の体温は上がらない。

海外資産から収益を得ても、その収益が海外で再投資されるなら、国内の血流は太らない。

つまり日本には金がある。

しかし、その金は国内の未来へ流れにくく、円安を止める力にもなりにくい。

ここに、現代日本のねじれがある。

若者が結婚できること。
子どもを持つ余白があること。
中小企業が賃上げできること。
地域に仕事があること。
教育と研究に投資できること。
倒産しても人が再出発できること。
フリーランスになっても人生設計が壊れないこと。
失敗しても社会から落ちきらないこと。

これらがなければ、国家の中身は痩せていく。


終章|未来の席を空けられる国へ


日本の問題は、単に金がないことではない。

危機のたびに短期対応を重ねながら、過去の豊かさを前提にした制度を維持し続けていることだ。

コロナでは、欧米は出しすぎた。
日本は出さなすぎた。
消費税を上げた直後に危機が来た。
その後、資源高、円安、戦争、エネルギー不安が重なった。

中小企業は、賃金だけでなく、材料費、燃料費、電気代に苦しんでいる。
賃上げの原資は値上げしかない。
だが、値上げは断られる。
通っても追いつかない。
最低賃金は防衛ラインにはなるが、成長のエンジンではない。
倒産は新陳代謝にもなるが、受け皿がなければ壊死になる。

若者は企業に未来を預けにくくなった。
フリーランス化は自由であると同時に、企業社会への不信でもある。
しかし不安定な自由は、結婚、出産、住宅、子育てとは相性が悪い。

先進国として成熟することは、制度が整うことだった。
だが制度が整うとは、席が埋まることでもあった。
かつての豊かさが制度になり、その制度が未来の余白を食い始めている。

だから、これから必要なのは、単なる増税でも減税でもない。
単なる賃上げ要請でもない。
単なる倒産防止でもない。
単なる起業支援でもない。

必要なのは、古い構造が退場しても、人間が壊れず、新しい構造へ移れる仕組みである。

企業は倒産してもよい。
だが働く人間まで沈ませてはいけない。

終身雇用は崩れてもよい。
だが人生設計まで崩れてはいけない。

若者が会社に乗らなくてもよい。
だが制度の外へ出た瞬間に、住宅、社会保障、子育て、信用から排除されてはいけない。

過去の豊かさを守るだけでは、未来は生まれない。
未来を作るには、席を空けなければならない。
余白を作らなければならない。
挑戦しても死なない構造を作らなければならない。

日本は貧しくなったのではない。

過去の豊かさが重くなりすぎたのだ。

そして成熟した国に必要なのは、過去を捨てることではない。
過去の成功を、未来の邪魔にならない形へ組み替えることである。

国家の豊かさとは、昔の席を守ることではない。
次の世代が、自分の席を作れる余白を残すことである。


補章|日銀は肺であり、政府は心臓である

日銀を心臓と呼ぶことがある。

だが、より正確には、日銀は肺に近いのかもしれない。

日銀は、金利や流動性を通じて、通貨が呼吸できる条件を整える。

経済が窒息しないように、金融市場に酸素を送る。

しかし、酸素を含んだ血を全身へ送り出すのは心臓である。

国家における心臓は、政府である。

政府は、税、国債、予算を通じて金を集め、どこへ流すかを決める。
公共事業へ送るのか。
社会保障へ送るのか。
子育てへ送るのか。
研究開発へ送るのか。
中小企業へ送るのか。
それとも、過去の制度維持へ吸わせるのか。

肺が動いても、心臓が血を正しく送らなければ、身体は回復しない。

日銀が金融環境を整えても、政府が未来を作る場所へ金を送らなければ、国家の末端は冷えたままである。


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