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人間が最後に見失うもの



副題
品格とは
壊れかけた人間に残る
最後の倫理である

序章
失うことと
見失うことは違う


人間が最後に見失うものは
人間としての品格かもしれない

失う
と言い切るには
少しだけ重すぎる

なぜなら
人は本当に失ったのではなく
ただ見えなくなっているだけの場合があるからだ

優しさを失ったと思う

誠実さを失ったと思う

誰かを大切にする力を失ったと思う

もう昔の自分には戻れないと思う

けれど
それは本当に消えたのだろうか

あるいは
怒りの下に沈んでいただけではないのか

疲労の奥に隠れていただけではないのか

絶望の濃さによって
一時的に見えなくなっていただけではないのか

失ったものは
もうそこにない

けれど
見失ったものは
まだどこかにある

この差は大きい

人間は
壊れる前に
まず自分の中に残っているものを見失う

第一章
品格とは
上品さではない


品格という言葉は
少し誤解されやすい

礼儀作法

言葉づかい

身なり

教養

立ち居振る舞い

そういうものと結びつきやすい

もちろん
それらも品格の一部ではある

けれど
ここで言いたい品格は
もっと根の深いものだ

品格とは
余裕のある人間が見せる
表面の美しさではない

追い詰められたときに
それでも他者を雑に扱わないための
最後の踏みとどまりである

人は
余裕があるときなら
いくらでも優しくできる

落ち着いているときなら
正しいことも言える

満たされているときなら
他人に寛容でいることもできる

問題は
それらを失ったあとだ

金を失う

立場を失う

若さを失う

健康を失う

人間関係を失う

期待を失う

希望を失う

そして
余裕を失う

そのあとに
何が残るのか

そこに
その人の品格が現れる

品格とは
勝者の余裕ではない

むしろ
敗者にも残された
最後の自由である


第二章
感情を出すことは
品格を失うことではない


ここは
丁寧に分けた方がいい

泣くことは
品格を失うことではない

怒ることも
弱音を吐くことも
取り乱すことも
ただちに品格の喪失ではない

人間は
苦しければ泣く

悔しければ怒る

限界なら崩れる

それは
みっともないことではあるかもしれない

けれど
みっともなさと
品格の喪失は違う

品格を失うとは
感情があることではない

その感情を
他者への支配や攻撃に変えてしまうことだ

自分が苦しいから
誰かを傷つけてもいい

自分が惨めだから
誰かを見下してもいい

自分が満たされないから
誰かの尊厳を削ってもいい

そう思い始めたとき
人は品格を見失う

苦しみは
免罪符ではない

傷ついたことは
誰かを傷つけていい理由にはならない

ただし
ここでも断罪しすぎてはいけない

品格を見失った人間の背後には
そこまで追い詰められた事情があるかもしれない

長い孤独

報われない努力

積み重なった屈辱

誰にも届かなかった悲鳴

そういうものが
人の目を曇らせることはある

だから
品格を見失った人間を
ただ軽蔑すればいいわけではない

けれど
事情があることと
他者を傷つけていいことは同じではない

ここに
人間を見る難しさがある


第三章
人は他者を壊す前に
自分を見捨てている


品格は
他者への態度だけではない

自分への態度でもある

人は
他者を雑に扱う前に
たいてい自分自身を雑に扱い始めている

どうせ自分なんて

もうどうでもいい

誰も見ていない

何をしても同じだ

そうやって
自分を投げ捨てる

そして
自分を投げ捨てた人間は
他者のことも投げ捨てやすくなる

自分の尊厳を見失った人は
他者の尊厳も見えにくくなる

自分を物のように扱い始めた人は
他人を物のように扱うことにも
鈍感になっていく

だから
品格とは
他者を壊さない力であると同時に
自分を見捨てない力でもある

自分を大切にするとは
甘やかすことではない

自分の中に
まだ人間として残っているものを
乱暴に捨てないことだ

どれだけ惨めでも

どれだけ恥ずかしくても

どれだけ遅れていても

まだ
ここから戻れるかもしれない

その可能性を
自分で踏み潰さないこと

それもまた
品格なのだと思う


第四章
品格は
失われる前に見失われる


品格は
突然消えるのではない

まず
見えなくなる

疲れすぎたとき

報われなさが続いたとき

誰にも理解されない時間が長すぎたとき

自分だけが損をしているように感じたとき

人は
自分の中にある
最後の倫理を見失う

あんなに大切にしていたはずの誠実さが
馬鹿らしく見える

守ってきた優しさが
損に見える

我慢してきた自分が
ただ利用されていただけに見える

そのとき
人は思う

もういい

もう知らない

もう自分だけが我慢する必要はない

この言葉が出てくるところまでは
人間として自然な反応だと思う

けれど
そこから先が分かれ道になる

もういい
と思ったあとに
誰かを壊しにいくのか

もういい
と思ったあとに
いったん立ち止まるのか

品格とは
その一瞬の差に宿る

綺麗な心を持ち続けることではない

汚れた感情を抱えたまま
それでも最後の線を越えないこと

これが
人間としての品格なのだと思う


第五章
失ったと思っていたものは
まだそこにあるかもしれない


人は
自分の優しさを失ったと思うことがある

もう誰にも優しくできない

もう誰かを信じられない

もう誠実でいる意味がわからない

もう自分は変わってしまった

そう思うことがある

けれど
それは本当に失ったのだろうか

ただ
見失っていただけかもしれない

夜になると
道は見えなくなる

けれど
道が消えたわけではない

霧が出ると
山は見えなくなる

けれど
山が消えたわけではない

心が荒れると
品格も見えなくなる

けれど
それが消えたとは限らない

怒りの下に沈んでいるだけかもしれない

疲労の奥で黙っているだけかもしれない

絶望の底で
動けなくなっているだけかもしれない

ならば
人はまだ戻れる

完全に失ったのではなく
見失っていただけなら
もう一度探し直せる

品格とは
失わないことだけではない

見失ったあとに
もう一度探しに戻ることでもある


第六章
最後に残るのは
正しさではない


人間が最後に見失うものは
正しさではないのかもしれない

正しさは
人を裁くことができる

でも
正しさだけでは
人は戻れない

正しさは
間違いを指摘できる

けれど
間違えた人間が
そこからどう戻るかまでは
必ずしも教えてくれない

人間が最後に必要とするのは
正しさよりも
品格なのかもしれない

ここでいう品格とは
自分を綺麗に見せるためのものではない

他者より上に立つためのものでもない

自分が壊れかけたとき
それでも誰かを壊さずに済むための
最後の抑制である

そして
自分がもう終わったと思ったとき
まだ終わっていないかもしれないと
自分を呼び戻す力でもある

品格とは
人間が人間であるための
最後の飾りではない

最後の輪郭である


終章
人間が最後に見失うもの


人間が最後に見失うもの

それは
強さではない

賢さでもない

正しさでもない

余裕でもない

自分の苦しみを
誰かを傷つける理由にしないための
最後の品格である

けれど
見失ったからといって
すぐに終わりではない

見失うことと
失うことは違う

見失ったものは
まだどこかにある

自分の中に残っていた優しさ

まだ捨てきれなかった誠実さ

他者を物として扱わないための最後のためらい

自分自身を完全には見捨てないための小さな意地

それらは
怒りや疲労や絶望の下で
見えなくなっているだけかもしれない

人間が最後に見失うものは
人間としての品格かもしれない

そして
もしそれを失ったと思ったとしても

まだ
探しに戻れる場合がある

人は
完全に綺麗なまま生きることはできない

何度も崩れる

何度も濁る

何度も自分を見失う

それでも
自分の苦しみを
他者への暴力に変えないために
もう一度立ち止まることはできる

その立ち止まりこそが
人間に残された
最後の品格なのだと思う


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