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その人なりに、とは何か

副題  
人となりと、その人らしさのあいだで

はじめに

 

「その人なりに頑張っている」

この言葉は、優しいようで、少し危うい。

相手の努力を認めているようにも聞こえる。  

しかし同時に、どこかで「一般的な基準には届いていないが」という含みを持つこともある。

その人なりに考えている。  
その人なりに愛している。  
その人なりに誠実であろうとしている。  
その人なりに向き合っている。

こう言うとき、私たちは相手を理解しようとしているのか。  

それとも、相手を少し低い場所に置いて、許容しているだけなのか。

けれど、ここで立ち止まる必要がある。

「その人なりに」という言葉は、本当に評価の言葉なのだろうか。

日本語には、「人となり」という言葉がある。

人となりとは、その人の性質、気質、振る舞い、在り方を指す。  
つまり「なり」とは、単なる能力の程度ではない。

その人がどのように成ってきたのか。  
どのような形を持っているのか。  
どのような癖で世界に触れているのか。

そこまで含んだ言葉である。

だとするなら、「その人なりに」とは、本来、相手を下に見る言葉ではない。

それは、その人の成り立ちに即して、その人を見るための言葉なのではないか。

第1章  
「なり」とは、成り立ちである


「その人なりに」という言葉の中心には、「なり」がある。

なりとは、成りである。

「その人なりに」という言葉の中心には、「なり」がある。

もちろん、これは厳密な語源の話ではない。

けれど私はここで、この「なり」を、単なる程度や方法ではなく、その人の「成り立ち」として読みたい。

人となり、という言葉があるように、人にはその人がそう成ってきた形がある。

何かがそうなってきた形。  
時間の中で身についた癖。  
経験によって作られた輪郭。  
環境によって与えられた条件。  
傷つき方、守り方、選び方、諦め方。

人は、突然その人になるのではない。

家庭。  
学校。  
仕事。  
関係。  
失敗。  
喪失。  
成功。  
恥。  
愛された記憶。  
愛されなかった記憶。

そうしたものが折り重なり、その人の現在の形を作っている。

だから、「その人なりに」とは、本来、

この人は、この人の成り立ちの中で、こう現れている

という意味に近い。

それは、相手を甘く見ることではない。  
相手を単純な基準で裁かないということだ。

同じ言葉を聞いても、すぐに反応できる人がいる。  

しばらく黙る人がいる。  

冗談で逃がす人がいる。  

怒りで守る人がいる。  

何でもない顔をして、あとから一人で考える人がいる。

それらは単なる性格の違いではない。

その人が、これまで世界とどう関わってきたかの痕跡である。


第2章  
その人なりに、という理解


「その人なりに」とは、相手の能力を低く見積もる言葉ではない。

むしろ、相手をその人の条件の中で見る言葉である。

たとえば、ある人が不器用に謝ったとする。

言葉は足りない。  
表情も硬い。  
こちらが期待したほどの深さはない。  
それでも、その人にしてはかなり勇気を出していることがある。

そのとき、

その人なりに謝っている

という言葉は、単なる妥協ではない。

この人は、この人の成り立ちの中で、いま可能な形でこちらに近づこうとしている

という認識である。

ある人がゆっくりしか覚えられない。  
何度も同じところでつまずく。  
周囲から見れば遅い。  
効率も悪い。

けれど、その人なりに考え、覚えようとし、怖さを抱えながら続けていることがある。

そのとき大事なのは、  
「普通ならもっとできる」と裁くことではない。

その人の中で、何が起きているのかを見ることである。

その人なりに、とは、  
外側の基準だけでは見えない内側の運動を見ようとする言葉なのだと思う。


第3章  
その人らしさ、という現れ


では、「その人らしさ」とは何か。

「その人なりに」が成り立ちに即した理解だとするなら、  
「その人らしさ」は、その成り立ちが外へ現れた輪郭である。

その人らしい話し方。  
その人らしい怒り方。  
その人らしい優しさ。  
その人らしい距離の取り方。  
その人らしい失敗。  
その人らしい黙り方。

らしさとは、一度きりの行動ではない。

時間の中で何度も現れ、  
周囲が「ああ、この人はこういう形で世界に触れるのだ」と感じ取るものだ。

すぐに笑いにする人。  
最後の一線では黙る人。  
表では軽く見せて、裏でずっと考えている人。  
不器用だが、逃げずに残る人。  
強そうに見えて、本当は傷つきやすい人。

その反復の中に、その人らしさが見えてくる。

だから、その人らしさとは、単なる個性ではない。

その人の成り立ちが、時間の中で反復され、外へ滲み出たものだ。


第4章  
評価に滑る瞬間


ただし、「その人なりに」という言葉は、簡単に評価へ滑る。

その人なりに頑張っている。  
その人なりに考えている。  
その人なりにやっている。

この言葉が、どこか上から聞こえることがあるのは、そこに見えない基準が混ざるからである。

本当はもっとできるべきだ。  
普通ならこのくらいできる。  
こちらの期待には届いていない。  
でも、その人としてはやっている。

そういう比較が混ざると、「その人なりに」は、理解の言葉ではなく、許容の言葉になる。

もちろん、許容が悪いわけではない。

人はいつも完璧ではない。  
相手の未熟さを、ある程度引き受ける場面もある。

けれど、そこに無自覚な上下関係が混ざると、言葉は濁る。

その人なりに、という言葉を使うとき、私たちは自分に問い直す必要がある。

私はこの人を、その人の成り立ちに即して見ているのか。  

それとも、自分の基準に届かない相手を、少し優しく見下ろしているだけなのか。

この違いは大きい。

前者は観察である。  
後者は評価である。


第5章  
自分なりに、という救いと逃げ


「その人なりに」という言葉は、他者に向けて使われるだけではない。

私たちは、自分に対してもよく使う。

自分なりに頑張った。  
自分なりに考えた。  
自分なりに向き合った。  
自分なりに誠実であろうとした。

この言葉には、救いがある。

人はいつも、理想通りにはできない。  
十分に説明できないことがある。  
勇気が足りないことがある。  
感情に負けることがある。  
あとから振り返って、もっと違う言い方があったと思うこともある。

それでも、その時の自分の条件の中では、確かに考えていた。  

逃げ切ったわけではなかった。  

不完全なままでも、何かを引き受けようとしていた。

そのとき、

自分なりにはやった

という言葉は、自分を雑に責めすぎないための支えになる。

これは甘えとは限らない。

自分の限界を認めること。  
その時点での自分の精一杯を認めること。  
今の自分が持っていた材料、時間、体力、理解力、経験の中で、どうにか応答したことを認めること。

それは、次へ進むために必要な自己理解である。

けれど同時に、「自分なりに」は逃げにもなる。

自分なりにやったのだから仕方ない。  
自分なりに考えたのだから、これ以上はいい。  
自分なりに誠実だったのだから、相手がどう受け取ったかは知らない。  
自分なりに頑張ったのだから、結果は問わないでほしい。

そう言った瞬間に、人は自分を守るだけでなく、自分を止めてしまうことがある。

「自分なりに」は、反省の入口にもなる。  
しかし、反省を終わらせる言い訳にもなる。

ここが難しい。

自分なりにやったことを認めなければ、人は潰れる。  
けれど、自分なりにやったことだけで満足してしまえば、人は変わらない。

だから本当に必要なのは、

自分なりにやったことを認めることと、  
それが十分だったかを問い直すことを、分けることなのだと思う。

自分なりにやった。

それは事実かもしれない。

だが、それで相手に届いたのか。  
それで現実は少しでも良くなったのか。  
それで自分は、次にもう少し違う応答ができるのか。  
その「自分なり」は、成長の途中なのか、それとも停滞の言い訳なのか。

ここを見なければならない。

「自分なりに」とは、自分を免罪するための言葉ではない。

それは、自分の現在地を知るための言葉である。

現在地を知ることは、自分を責めることではない。  

しかし、現在地を知ったまま一歩も動かないことでもない。

自分なりにしかできなかった。  

だからこそ、次はもう少し違う形を探す。

この姿勢があるとき、「自分なりに」は救いになる。

反対に、

自分なりにやったのだから、もう問わなくていい

となったとき、「自分なりに」は逃げになる。

人は、自分を責めすぎても壊れる。  
だが、自分を許しすぎても鈍る。

そのあいだで、自分を見なければならない。

自分なりに生きるとは、自分の限界に甘えることではない。  
自分の成り立ちを理解したうえで、それでも少しずつ応答の形を更新していくことだ。

その意味で、「自分なりに」は終点ではない。

それは、今の自分がどこまで来たのかを示す仮の線である。

その線を認めること。  
そして、その線を絶対化しないこと。

そこに、自分なりに生きることの難しさがある。


第6章  
「らしさ」で人を閉じ込める危険


一方で、「その人らしさ」にも危険がある。

その人らしいね。  
あの人はそういう人だから。  
あの人ならそうすると思った。  
まあ、あの人らしいよね。

こうした言葉は、相手を理解しているようで、相手を過去の形に閉じ込めることがある。

人は変わる。

昔は怒りで守っていた人が、少しずつ黙って待てるようになることがある。  

昔は逃げていた人が、あるとき逃げずに立つことがある。  

昔は軽く流していた人が、ある出来事をきっかけに深く受け止めるようになることがある。

それでも周囲が、

あの人はそういう人だから

と言い続けると、その人の変化は見えなくなる。

その人らしさとは、過去から現在までに見えてきた輪郭である。  

しかし、その輪郭は固定された檻ではない。

人は、自分らしさを少しずつ更新しながら生きている。

だから、本当に相手を見るなら、  
その人らしさを認めながらも、その人をらしさの中に閉じ込めてはいけない。


第7章  
見ることと、観ること


人を見ることは簡単である。

行動を見る。  
言葉を見る。  
結果を見る。  
能力を見る。  
態度を見る。

けれど、人を観ることは、もう少し難しい。

その行動の奥にある成り立ちを見る。  
その言葉の手前にある迷いを見る。  
その結果に至るまでの条件を見る。  
その態度が、何を守るために身についたのかを見る。

見るとは、表面を受け取ること。  
観るとは、時間ごと受け取ることだと思う。

その人なりに、という言葉は、観るための入口である。

この人はなぜ、このように反応するのか。  
なぜ、この距離でしか近づけないのか。  
なぜ、この言葉になるのか。  
なぜ、ここで黙るのか。  
なぜ、ここだけ急に熱を持つのか。

そこまで見ようとしたとき、  
「その人なりに」は、単なる評価ではなくなる。

それは、その人の世界への触れ方を理解しようとする態度になる。


第8章  
その人なりに生きたものが、その人らしさになる


その人なりに、とは現在の条件に即した現れである。  
その人らしさ、とはその現れが時間の中で反復され、周囲に輪郭として見えてきたものである。

この二つは別物だが、つながっている。

その人なりに考える。  
その人なりに迷う。  
その人なりに傷つく。  
その人なりに愛する。  
その人なりに逃げる。  
その人なりに戻ってくる。

そうした反復が、やがてその人らしさとして見えてくる。

だから、その人らしさとは、生まれつき完成しているものではない。

その人なりに生きてきた痕跡が、時間の中で形になったものだ。

そして、そこには必ず変化の余地がある。

人は、自分の成り立ちを完全には選べない。  
けれど、その成り立ちをどう引き受けるかは、少しずつ変えていける。

だから、「その人なりに」と言うとき、私たちは相手の現在を見ている。  
「その人らしさ」と言うとき、私たちは相手の時間を見ている。

しかし、どちらの場合も忘れてはならない。

人は、まだ途中にいる。


結語  
人となりを、閉じずに観る


「その人なりに」は、相手を下に見る言葉ではない。

それは、本来、その人の成り立ちに即して見る言葉である。

ただし、そこに自分の基準が混ざれば、評価になる。  

相手の限界を決めつければ、見下しになる。  

優しさの顔をしながら、相手を固定する言葉にもなる。

「その人らしさ」も同じである。

相手の輪郭を捉える助けにはなる。  

けれど、その輪郭で相手を閉じ込めてはいけない。

人となりとは、完成品ではない。

それは、成ってきたもの。  
今も成りつつあるもの。  
これから別の形へ向かうかもしれないもの。

だから人を観るとは、  
その人なりの現在を軽んじず、  
その人らしさの反復を見落とさず、  
それでも変わっていく余白を残しておくことなのだと思う。

その人なりに生きている姿が、時間の中でその人らしさになる。

けれど、その人らしさは、まだ終わりではない。

人はいつも、成り続けている。


余談

この記事では「その人なり」と「その人らしさ」という言葉の意味とその危うさについて考えてきた。

しかし、

「その人にしては」という既に評価に落ちてしまった言葉もある。

この言葉は、その人を見直しているようでいてその実、既に過去に裁いていることに気付かされる言葉だと思う。

本来なら3章と4章の間と6章と7章の間にそれぞれ追加章を設けて加筆しても良いくらい大切な論点ではあるのだと思う。

そして、「その人としては」という保留の言葉もあると思う。


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