『「進化の図」に騙されていた。ネアンデルタール人は私たちの祖先ではない』
あの図を、なぜ私は疑わなかったのか
アウストラロピテクスから現代人まで、一本の線に並んだ猿人たち。誰でも一度は見たことがある、あの図。
私はあれを、ずっと信じていた。ネアンデルタール人も、あの列のどこかにいて、進んで進んで、現代人になったんだと。
正確に言うと、こう思っていた。
ネアンデルタール人が、全部クロマニョン人に進化して、それが現代人に繋がっている。

間違いだと知っても、悔しくはなかった。教わった内容が間違っていただけで、私の頭が悪かったわけじゃない。残念でもない。
ただ、ひとつだけ、引っかかった。
なんで私は、あの一列を、疑わなかったんだろう。
梯子だと思っていたものは、茂みだった
正しい絵は、こうだ。
ネアンデルタール人は、クロマニョン人に「進化」していない。彼らは、数十万年前にどこかで共通の祖先から分かれた、別の枝だ。クロマニョン人はホモ・サピエンス側の枝。ネアンデルタール人は、それとは別の方向へ伸びて、そして絶滅した枝。
二つは、親子ではない。兄弟ですらない。もっと早くに分かれた、遠い従兄弟みたいなものだ。
分かれた時期には諸説ある。古いDNA解析では約30万〜50万年前、歯の形を調べた研究では「少なくとも80万年前」という説もある。どこで線を引くかは研究者によって割れているけれど、桁はだいたい同じだ。数十万年前。この桁を覚えておいてほしい。あとで効いてくる。
つまり、進化は梯子じゃなかった。一段ずつ上っていく縦の梯子じゃなくて、横にぐしゃぐしゃと枝分かれして、ほとんどの枝が途中で枯れて、たまたま一本だけ生き残った──そういう茂みだった。

現代人は、行進のゴールで勝ち名乗りを上げた一等賞じゃない。茂みの中で、たまたま今日まで枯れなかった一本の枝。それだけだ。
ここで、ちょっと立ち止まる。
「別の枝が、途中で絶滅した」。文字にすると一行で済む。でも、この一行が腹に落ちる感覚って、なかなか持てない。私もそうだった。だって学校で見た図は、誰ひとり脱落せず、全員が背筋を伸ばして同じ方向に歩いていたから。
そこで、自分が一番体で分かる例に置き換えてみた。言語だ。先に断っておくと、これはあくまで「血の繋がりがないのに痕跡だけ残る」という感触を掴むための模型で、遺伝の仕組みそのものの説明ではない。それでも、腹に落とすにはよく効く。
ポルトガル語とスペイン語の、ちょっと気まずい関係
ポルトガル語を話す人は、スペイン語をかなり聞き取れるらしい。
ところが、逆はそうでもない。スペイン語の人がポルトガル語を聞くと、けっこう取りこぼす。お互いさまの関係じゃなくて、片方だけがよく分かる、ちょっと気まずい片想いみたいな状態になる。言語学ではこれを「非対称」と呼ぶ。
面白いのは、ここだ。
ポルトガル語とスペイン語は、どっちかがどっちかの親じゃない。両方とも、ラテン語という同じ親から分かれた、横並びの兄弟だ。分かれたあと、それぞれ勝手に変化して、今は「通じるけど、完全には通じない」絶妙な距離にいる。
これって、ネアンデルタール人とサピエンスの関係に、ちょっと似ている。
別々の枝だけど、出会ったときに、少しだけ通じてしまった。
「通じてしまった」痕跡が、私たちの中に残っている
ネアンデルタール人とサピエンスは、一時期ヨーロッパで一緒に暮らしていた時期がある。別の枝なのに、出くわした。そして、少しだけ交わった。
その証拠が、いま私たちの体に残っている。
アフリカの外にルーツを持つ現代人のDNAには、ネアンデルタール由来の配列が**約1〜4%**含まれている。アフリカの集団ではほとんど見られない(ごく一部に例外も報告されている)。東アジア系はやや高いという報告もある。
ここが、この話のいちばん奇妙なところだ。
ネアンデルタール人は、私たちの祖先じゃない。縦の線で繋がってはいない。なのに、痕跡だけが残っている。横で一度すれ違ったときの、わずかな置き土産として。

これも、言語で言える。
借用語だ。ある言語が、別の言語と接触したときに、単語をちょっと借りる。借りたほうの言語が生き残れば、貸したほうがとっくに消えていても、その単語だけは生き残った言語の中に化石みたいに残る。
「祖先じゃないのに、痕跡だけ残る」。これがどういうことか、ぴったりの言語が一つある。
最後に、その言葉を話せた人
ダルマチア語、という言語がある。いや、あった。
アドリア海の東岸で話されていた、ラテン語から分かれたロマンス語の一つ。スペイン語やイタリア語の、横並びの兄弟だ。けれど、こっちは生き残れなかった。枯れた枝のほうだ。
この言語を最後に語れた人物の名前が、記録に残っている。トゥオネ・ウダイナ。イタリア語名でアントニオ・ウディナ。
彼は1898年6月10日、道路の補修作業中の爆発事故で亡くなった。これで、ダルマチア語を語れる人間は、この世から一人もいなくなった。
厳密には、彼は子どもの頃に断片的に聞いた言葉を覚えていた「思い出せる人」に近かったらしい。完全な母語話者というより、最後にこの言葉を語れた人、と言うのが正確だ。
それでも、ダルマチア語は完全には消えていない。近くで生き残った言語の中に、借用語として、いくつかの単語が残っている。話者はいない。けれど、隣の血の中に、数滴だけ混じっている。
──これだ。これが、ネアンデルタール人だ。
トゥオネ・ウダイナが最後に話せた言葉が、隣の言語に数滴残っているように。別の枝。絶滅した枝。私たちの祖先ではない。けれど、生き残った私たちのDNAの中に、確かに数滴、残っている。
ところで、英語の祖先はドイツ語じゃない
もう一つだけ、縦の誤解をほどいておきたい。
英語とドイツ語は似ている。だから、つい「英語の古い形がドイツ語なんじゃないか」と思いたくなる。古いほうが、新しいほうの親だろう、と。
違う。
英語もドイツ語も、もっと前にあった共通の祖先(ゲルマン語の祖先)から、横に分かれた兄弟だ。ドイツ語は英語の親じゃない。隣で別々に育った、同い年のきょうだいだ。
「古い=祖先」という思い込み。これがまさに、私がネアンデルタール人に対してやっていた間違いそのものだった。古そうに見える者を、自分の縦のラインの上流に並べてしまう。本当は、横にいる別の枝なのに。
そういえば、さっき桁を覚えておいてくれと言った。
ラテン語が今のロマンス諸語に分かれたのは、だいたい2000年前。一方、ネアンデルタール人とサピエンスが分かれたのは、数十万年前。
その差、数百倍。
言語の兄弟げんかが2000年なら、ネアンデルタール人との分かれ道は、その何百倍も前。「ちょっと方言が違う親戚」どころじゃない。気の遠くなるほど昔に、別々の道を歩き始めた、ほとんど他人のような枝だった。それでも、すれ違いざまに、少しだけ混じった。
【連載】クロマニョン人
・第一話「クロマニョン人は、現代でも普通にモテる」AIにスペック比較をさせて気づいた残酷な真実
・第二話「クロマニヨン人の知能」を聞いたら、現代社会が隠している「物差しの正体」が暴かれた。
・第三話「現代人の脳は、10万年前より13%縮んでいる」という不都合な真実。
で、最初の問いに戻る
正しい絵は分かった。梯子じゃなくて茂み。縦じゃなくて横。
でも、私が本当に引っかかっているのは、そっちじゃない。
なんで私は、あの一列を、疑わなかったんだろう。
たぶん、あの図は嘘をついていたわけじゃない。横にぐしゃぐしゃ広がる茂みを、人間が見て分かるように、一列に整列させて見せてくれただけだ。親切な編集だ。分かりやすくするための、まっとうな工夫。
ただ、その「分かりやすさのために、横のものを縦に整える操作」に、私はまったく気づかなかった。整列させられた図を、世界の本当の形だと思い込んだ。
ここで、ひやりとする。
縦に並べて分かりやすくする物差し。それ、この連載でずっと私が外から叩いてきたやつじゃないか。進歩の梯子。賢さの順位。優劣の一列。あれだけ「縦の物差しを疑え」と言ってきた私の頭の中に、人類の枝分かれについては、いちばん律儀な縦の梯子が、しれっとインストールされていた。
外から石を投げていた壁の内側に、自分が住んでいた。
だから、悔しくはない。でも、これは覚えておきたい。
縦に整列したきれいな図を見たとき、それが世界の形なのか、それとも「分かりやすさのために誰かが縦に整えた編集」なのか。一度は、立ち止まって疑っていい。
あなたが子どもの頃に見た、あの一列行進の図。
なんであれは、横じゃなくて、縦で描かれていたんだろうね。
参照した主な研究・資料
ネアンデルタール人とサピエンスの分岐年代:Smithsonian National Museum of Natural History(humanorigins.si.edu)/UCL News 2019「少なくとも80万年前」説(歯の形態研究)
ネアンデルタール由来DNA(非アフリカ系に約1〜4%):Smithsonian Human Origins / PMC収載の集団遺伝研究
ポルトガル語とスペイン語の相互理解の非対称性:Wikipedia "Comparison of Portuguese and Spanish" / SpanishLinguist.us
ダルマチア語とトゥオネ・ウダイナ(Antonio Udina、1898年6月10日没):Encyclopædia Britannica ほか
(気になった方が辿れる道しるべとして置いておく。年代・原因には諸説あり)
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