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休むことは、遅れることではない

ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣ごきたゆたかです。

このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。

体が重い朝に、予定を詰めすぎない。

そんな話を、昨日書きました。

梅雨の湿った季節。
小満芒種、すーまんぼーすー。

空気が重く、
体も心も少し内側に向きやすいころ。

そんな時期に、
いつも通り動けない日があります。

朝から体が重い。

予定を立てても、
思うように進まない。

頭がぼんやりする。

気持ちが乗らない。

やろうと思っていたことが、
後回しになる。

そんな日があると、
私たちはつい、自分にこう言ってしまいます。

遅れている。

置いていかれている。

ちゃんと進めていない。

もっとやらなきゃ。

休んでいる場合じゃない。

でも、本当にそうでしょうか。

休むことは、
本当に遅れることなのでしょうか。

止まることは、
本当に後退なのでしょうか。

何もできないように見える時間は、
本当に無駄なのでしょうか。

今日は、
そんなことを書いてみたいと思います。



休むことに、罪悪感が出る理由

休むことに、
罪悪感が出る人がいます。

予定を減らすと、
サボっているように感じる。

横になると、
怠けているように感じる。

返信を明日に回すと、
申し訳なくなる。

何もしない時間があると、
落ち着かなくなる。

他の人が動いているように見えると、
自分だけ止まっているように感じる。

SNSを見ると、
誰かが前に進んでいるように見える。

誰かが結果を出している。

誰かが発信している。

誰かが勉強している。

誰かが働いている。

誰かが成長している。

それを見ると、
自分も何かしなければと思う。

休んでいる自分が、
取り残されているように感じる。

でも、その感覚は、
本当に自分の体から出ているものでしょうか。

それとも、
思考が外の速度と比べているのでしょうか。

体は休みたいと言っている。

心は少し安心したいと言っている。

でも思考だけが、
「遅れる」
「置いていかれる」
「今やらないとダメだ」
と急がせている。

休むことに罪悪感が出る時、
体・心・思考の速度がズレていることがあります。


休むことを、遅れとして見てしまう

私たちは、
進むことを良いことだと思いやすいです。

動くこと。

積み上げること。

結果を出すこと。

変わること。

続けること。

前に進むこと。

もちろん、それは大切です。

何かを形にするには、
動くことも必要です。

続けることも必要です。

でも、
進むことだけを価値にすると、
休むことが「遅れ」に見えてしまいます。

今日は進めなかった。

今日は積み上げられなかった。

今日は何も生み出せなかった。

今日は予定通りできなかった。

だから、遅れた。

そう感じてしまう。

けれど、人は機械ではありません。

毎日同じ速度で進み続けることはできません。

季節があります。

体調があります。

気圧があります。

湿度があります。

睡眠があります。

感情があります。

人間関係があります。

仕事量があります。

暮らしの揺れがあります。

そういうものの中で、
私たちは生きています。

だから、
休む日があるのは自然なことです。

休む時間があるのは、
進む力がなくなったからではありません。

進み続けるために、
戻る時間が必要だからです。


休むことは、戻ること

休むことは、
ただ止まることではありません。

休むことは、
戻ることです。

浅くなった呼吸が、戻る。

張りつめた体が、ゆるむ。

走り続けていた思考が、落ち着く。

外へ向きすぎていた意識が、内側へ戻る。

人に合わせすぎていた感覚が、自分へ戻る。

急ぎすぎていた心が、少し静かになる。

休むとは、
本来の自分の速度へ戻る時間です。

だから、
休んでいる間に、
目に見える成果がなくてもいい。

何かを生み出していなくてもいい。

誰かに評価されなくてもいい。

休む時間の中では、
外から見える変化よりも、
内側の回復が起きています。

それは、
すぐには見えないかもしれません。

でも、
その見えない回復があるから、
また動けるようになります。


休まずに進むと、ズレが深くなる

休まずに進み続けると、
一見、前に進んでいるように見えます。

予定をこなす。

仕事を進める。

返信をする。

発信を続ける。

人と会う。

学ぶ。

考える。

動く。

でも、
体が追いついていないまま進むと、
ズレが少しずつ大きくなります。

体は疲れているのに、
思考が動かし続ける。

心は不安なのに、
予定で埋めてごまかす。

呼吸は浅いのに、
さらに情報を入れる。

眠いのに、
もう少しだけ頑張る。

休みたいのに、
「ここで止まったらダメだ」と言う。

そうやって進んでいると、
ある時、急に動けなくなることがあります。

それは、
突然壊れたのではなく、
少しずつズレを積み重ねていた結果です。

休むことを遅れと見て、
必要な回復を後回しにしてきた。

その積み重ねが、
体や心の重さとして現れることがあります。

だから、
休むことは、遅れではありません。

むしろ、
大きく崩れないための調整です。


休むことにも、勇気がいる

休むことは、
簡単なようで、
勇気がいることがあります。

予定を減らす勇気。

今日はここまでにする勇気。

返信を明日にする勇気。

人に合わせすぎない勇気。

誰かと比べるのをやめる勇気。

何もしていない時間を許す勇気。

「今は休む」と決める勇気。

頑張ることに慣れている人ほど、
休むことが怖くなります。

止まったら戻れなくなる気がする。

休んだら怠け癖がつく気がする。

誰かに迷惑をかける気がする。

自分だけ遅れる気がする。

価値がなくなる気がする。

でも、
休むことと、投げ出すことは違います。

休むことと、諦めることも違います。

休むことは、
また進むために、自分を戻すことです。

自分を壊さずに続けるために、
必要な選択です。


「遅れる」という感覚の奥にある不安

休むと遅れる。

そう感じる時、
その奥には不安があります。

周りに置いていかれる不安。

期待に応えられない不安。

成果が出ない不安。

自分だけ止まっている不安。

人に迷惑をかける不安。

もう戻れなくなる不安。

価値がなくなる不安。

その不安があるから、
休むことが怖くなります。

だから、
休めない自分を責める前に、
その不安を見てあげることが大切です。

本当は、何が怖いのか。

何に遅れる気がしているのか。

誰と比べているのか。

何を失うと思っているのか。

休んだら、
自分はどうなると思っているのか。

その問いを置いてみる。

すぐに答えが出なくてもいいです。

ただ、
「休めない」の奥にある不安に気づくだけで、
少し力が抜けることがあります。


休み方まで、ちゃんとしようとしない

休むことが苦手な人は、
休み方までちゃんとしようとすることがあります。

良い休み方をしなきゃ。

有意義に休まなきゃ。

リカバリーしなきゃ。

睡眠を整えなきゃ。

スマホを見ないようにしなきゃ。

散歩もしなきゃ。

呼吸も整えなきゃ。

本も読まなきゃ。

体をほぐさなきゃ。

もちろん、
どれも悪いことではありません。

でも、
休み方まで「ちゃんと」しようとすると、
休むこと自体がタスクになります。

休みが、また予定になる。

回復が、また義務になる。

ととのえることが、また頑張りになる。

すると、
休んでいるのに休まらない。

回復しようとして、
かえって疲れる。

そんなことが起きます。

休む時は、
休み方まで完璧にしなくていい。

ただ横になる。

ぼーっとする。

少し眠る。

温かいものを飲む。

雨の音を聞く。

スマホを少し置く。

何も考えない時間をつくる。

それだけでいい日があります。

休み方を評価しない。

休んだ成果を求めない。

それも、
大切な休み方です。


休む時間は、見えないところを整えている

休んでいる時間は、
外から見ると何もしていないように見えます。

でも、
体の中ではいろいろなことが起きています。

疲労が回復する。

緊張がゆるむ。

呼吸が戻る。

神経が落ち着く。

内臓が働く。

感情が整理される。

思考の余白が戻る。

情報の過剰さが少し減る。

体は、
休んでいる間に、
見えないところを整えています。

心も、
休んでいる間に、
言葉にならなかったものを少しずつ処理しています。

だから、
休んでいる時間を、
何もしていない時間だと思わなくていい。

見えないところで、
戻る準備が進んでいる。

芽が出る前に、
土の中で根が伸びているように。

外には見えなくても、
内側では必要なことが起きています。


休むことで、見えるものがある

進んでいる時には、
見えないものがあります。

忙しい時には、
気づけないことがあります。

予定が詰まっている時には、
感じられないことがあります。

休むことで、
初めて見えるものがあります。

本当は疲れていたこと。

本当は無理をしていたこと。

本当は不安だったこと。

本当は少し寂しかったこと。

本当はやめたかったこと。

本当は大事にしたかったこと。

本当は自分の速度ではなかったこと。

動き続けている時は、
それらを感じないようにできます。

でも、
休むと、少し感じる余白が生まれます。

それが怖いこともあります。

だから、
人は忙しさの中に逃げることもあります。

でも、
休むことで見えたものは、
自分を責めるためのものではありません。

今後の自分を調えるための情報です。


休む日は、未来の自分を守っている

休む日を、
今日だけで見ると、
何も進んでいないように感じるかもしれません。

でも、
少し長い目で見ると、
休む日は未来の自分を守っています。

今日、無理をしないことで、
明日の自分が少し楽になる。

今日、予定を減らすことで、
週末に崩れにくくなる。

今日、早めに寝ることで、
明日の判断が少し穏やかになる。

今日、休むことを許すことで、
長く続けられる自分になる。

休むことは、
今日の成果を減らすことではなく、
未来の自分を守ることでもあります。

短期的には、
少し遅れたように見えるかもしれません。

でも、
長い目で見れば、
休める人の方が続いていく。

戻れる人の方が、
大きく崩れにくい。

だから、
休むことを、
その日だけの損として見なくていい。

休むことは、
長く続けるための土台です。


何もしない日も、暮らしは進んでいる

何もできなかった日。

予定が進まなかった日。

発信できなかった日。

片づけられなかった日。

考えがまとまらなかった日。

そんな日でも、
暮らしは進んでいます。

ご飯を食べた。

水を飲んだ。

少し眠った。

洗濯物を見た。

外の雨音を聞いた。

体の重さに気づいた。

今日は無理だとわかった。

予定を減らした。

少し横になった。

それも、
暮らしの一部です。

成果として見えなくても、
自分を保つために必要な時間です。

何かを積み上げる日だけが、
生きている日ではありません。

戻る日も、
休む日も、
何もしないように見える日も、
ちゃんと暮らしの中にあります。


休むことは、遅れることではない

休むことは、
遅れることではありません。

休むことは、
自分の速度へ戻ることです。

体の声を聞くことです。

心の緊張をほどくことです。

思考の走りすぎを止めることです。

未来の自分を守ることです。

長く続けるための土台をつくることです。

もちろん、
いつまでも休めばいいという話ではありません。

休むだけで、
すべてが解決するわけでもありません。

でも、
休むことを遅れとしてしか見られないと、
人はいつまでも自分を急がせてしまいます。

体が重いのに進ませる。

心が疲れているのに頑張らせる。

思考が限界なのに考え続けさせる。

その先にあるのは、
本当の前進ではなく、
ズレの蓄積かもしれません。

だから、
休むことを、
もう少し信じてみてもいい。

今日は休む。

今日は少し減らす。

今日は急がない。

今日は深く考えない。

今日は戻る日にする。

そう決めることは、
遅れることではなく、
自分を大切に扱うことです。

梅雨の湿った季節。

体も心も、
少し重くなりやすいころ。

そんな時こそ、
休むことを責めない。

休む自分を置いていかない。

休んでいる間にも、
見えないところで自分は戻っている。

そう思えたら、
少しだけ安心して、
今日の速度をゆるめられるかもしれません。

休むことは、遅れることではない。

自分に戻るための、
大切な時間です。

今日は、
いつもより少し休みを意識してみてください。

ととのえ職人
五木田穣


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