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【活動記録】春の七沢は人がつくる――最後の活動日に見えた、畑と観光と湧水のつながり

3月20日、七沢里山マルチライブプランの最後の活動日だった。

棚田復元事業の看板

厚木市の制度上、令和8年3月で現在の枠組みが一区切りになる。畑の入口には「棚田復元事業」の看板がある。「この事業は厚木市の勧める『里山マルチライブプラン』を基に、『七沢里山づくりの会』が市内在住者等のボランティアの協力により実施しているものです」。制度の名前と、現場を動かしてきた人たちの名前が、一枚の看板に並んでいる。厚木市と七沢里山づくりの会。行政の枠組みと、地域のボランティア。その両者がなければ、この畑は動かない。そしてその枠組みが、この3月で一区切りになる。

七沢里山づくりの会の看板

七沢里山づくりの会の拠点にある看板は、青いトタン屋根の小屋にかかっている。ペンキの色はとうに褪せていて、看板そのものが里山の時間を刻んでいる。この場所がどれだけの年月、人の手で維持されてきたかが、文字よりも先に伝わってくる。

だが現場に立ってみると、終わりの感じはしなかった。

農具一式

鍬、移植ごて、縄、バケツ。使い込まれた農具がコンテナに並ぶ。赤い柄の鍬は塗装が剥げて地金が見え、キタアカリの種芋袋がその隣に置いてある。農具の傷み具合が、この畑に入った手の数と時間を物語っている。道具は使い捨てではなく、毎回ここから出して、使って、戻す。それ自体が、この場所の作法になっている。

畑全景

畑の全景を見渡すと、四方を里山に囲まれた谷地に広がる区画が見える。手前は草取りが終わった区画、奥にはのらぼう菜が列をなす。さらにその向こうには休耕田と、冬枯れの山の斜面。畑の周囲には防獣ネットと電気柵が張り巡らされている。空は高い。この谷地のすべてが、誰かが手を入れなければ一季で藪に戻り、柵を外せば一晩で野生に食われる土地だ。

畑では草取りが始まる。

女性たちが賑やかに草取り

参加者が3人、しゃがんで草を引いている。菅笠をかぶった人、ピンクの帽子の人、紺の作業着の人。後ろのフェンスには防獣ネットが張られ、その外周に電気柵が走っている。二重の防御。七沢の畑は、野生との境界線の上に成り立っている。草取りは地味な作業だが、これをやらなければ野菜は育たない。畑の時間の大半は、こうした目立たない手入れと、野生との終わらない攻防でできている。

のらぼう菜の畝、鍬作業

のらぼう菜は前回からさらに育ち、つぼみが出始めている。2月の記事では葉がようやく広がったところだったが、この1ヶ月で畑の景色が変わった。のらぼう菜は秋に種を蒔いて冬を越し、春先にとう立ちした花茎を食べる。つまりこの畑の野菜は、ひとつの季節では完結しない。秋の種蒔きから春の収穫まで、何度も手を入れることで初めて口に入る。

のらぼう菜

のらぼう菜をよく見ると、葉がかじられている。虫ではない。鹿だ。二重の防御を敷いても、鹿は電気柵を飛び越えてくる。せっかく育てたのらぼう菜を、一晩で食われる。それでも種を蒔き、草を取り、育てる。植物工場のトマトとは対極にある「手がかかる」の実態が、この齧り痕に集約されている。

耐病大根の畝
天王寺かぶの畝

耐病大根、天王寺かぶ、大根。種袋が竹の支柱にくくりつけてあり、それぞれの畝で芽が育っている。畑は単一品目で回しているのではなく、複数の野菜を並行して育てている。種袋をわざわざ支柱に残しておくのは、何をどこに蒔いたかの記録であり、次に来る人への引き継ぎでもある。制度が終わっても、この種袋が支柱にある限り、畑には「次」がある。

ジャガイモの植え付けが今日の主作業だった。

ジャガイモの畝掘り

紐で畝を引き、鍬で溝を掘る。参加者が横一列に並んで鍬を振り下ろす。紐を張るのは、畝を真っ直ぐにするためだ。こういう一手間が、素人のボランティアの集まりを「農作業」にする。

種芋の植え付け

キタアカリの種芋がプラスチックのコンテナに入っている。半分に切って切り口を乾かした芋を、溝の中に等間隔で並べていく。手袋をした手が芋を置き、隣の人がバランスを見ている。

種芋が畝に並ぶ

種芋が畝の中に並んでいるのを見ると、不思議な感覚がある。この芋はまだ何も生んでいない。けれどここに埋めたということは、数ヶ月後に誰かが掘り出すということだ。制度の区切りとは無関係に、ジャガイモは土の中で芽を出し、葉を広げ、新しい芋をつける。「最後」という言葉は、畑の時間には馴染まない。

のらぼう菜の畝を整備

種芋を植え付け、のらぼう菜の畝を整備して作業終了。
ふたたび畑全景を見渡す。整えられた畝、のらぼう菜の緑、背景の里山。朝とは違い、土が掘り返されて黒々としている。人の手が入った後の畑は、入る前とは明らかに違う顔をしている。

全ての作業が終わった

作業を終えて畑を離れると、七沢は別の顔を見せる。

広沢寺温泉入口バス停

広沢寺温泉入口のバス停にはハイカーの列ができている。この日は春分の日の前日で、三連休の初日。天気は快晴。不動尻のミツマタは3月中旬から4月上旬が開花期で、ちょうど最盛期にあたる。年に一度の「当たり日」に、人が一気に集まる。

クマ出没注意、朝7時には満車

広沢寺前第1駐車場は「満車」。そのすぐ隣にクマ出没注意の看板がある。里山の観光とは、こういうことだ。駐車場が満車になるほど人が来て、その同じ場所にクマが出る。畑では鹿が電気柵を飛び越え、駐車場ではクマが目撃される。自然と観光が別のレイヤーにあるのではなく、まったく同じ地面の上に重なっている。

臨時駐車場の看板

不動尻のミツマタ来場者用の臨時駐車場も車が並んでいる。臨時駐車場をわざわざ開設するほどの集客力。ミツマタという一種の植物が、春の一時期だけ七沢の観光を回しているということだ。

厚木市観光協会のテント
厚木市観光協会が仕切る

厚木市観光協会がテントを出して案内に立っている。蛍光黄緑のジャケットの背中に「一般社団法人 厚木市観光協会」の文字。テーブルにはパンフレットが並び、ハイカーが足を止めて地図を見ている。里山の保全活動とミツマタの観光動線が、同じ土地の上で同時に動いている。里山作業を終えた自分が、ミツマタを見に来た人たちと同じ道を歩き始める。

林道二の足線

林道二の足線に入る。標識には幅員3.6〜4.0m、延長1,775mとある。車がすれ違えるかどうかの幅の林道が、杉林の奥へまっすぐ延びている。路面は落ち葉の赤茶色で、杉の幹が垂直に並ぶ中に木漏れ日が落ちている。

ハイカーの列

杉林の中を色とりどりのザックを背負った人たちが進んでいく。青、橙、ピンク、灰色。街中では見ない色の組み合わせが、林道の中では自然に見える。この人たちの大半はミツマタを目指している。七沢の里山作業のことは知らないだろう。けれど彼らが歩いている道は、誰かが維持している道だ。

道標
カーブミラーに映っているのは…?

道標で広沢寺温泉1.4km、不動尻2.3kmを確認。
隣にはカーブミラーが立っていて、ここではいつも・・・(笑)

小さな橋を渡る
ヤマブキ

林道沿いの沢には苔むした石と小さな橋が架かり、足元の藪にはヤマブキが黄色い花をつけていた。


二の足湧水

二の足湧水に着く。竹筒から水が流れ落ちている。勢いは細くもなく太くもなく、一定のリズムで落ち続けている。岩の表面は苔に覆われ、水の通り道が長い年月をかけて磨かれたことがわかる。この水は、七沢の山が蓄えて、ここで地表に出てくる。

盛升の瓶に七沢の湧水を汲む

ここで盛升の瓶を差し入れた。黄金井酒造は七沢に蔵を構える酒蔵で、盛升とさがみビールを展開している。青い瓶に「吟醸辛口」のラベル。竹筒の水が瓶の口に注ぎ込まれ、ラベルが水越しに揺れる。

盛升と七沢の湧水

この絵が七沢の説明になっている。山の水が酒になり、酒が土地の名前を運ぶ。湧水の脇に瓶を置かなければただの水場だが、そこに盛升があるとき、七沢の水と七沢の酒が一本の線でつながる。黄金井酒造がこの土地で酒を醸しているということは、この水がそのまま酒の原料になりうるということだ。里山と水と酒が同じ場所にある。それを「地域資源」と呼ぶのは簡単だが、実際にここに立ってみると、言葉より先に手触りがある。


愛宕社

林道を戻り、愛宕社に立ち寄った。広沢寺の正面に対峙するように建つ鎮守社で、由来板によれば草創は1532年。天文元年。戦国時代のただなかだ。「奉膳 愛宕大謝恩」の赤い幟が石段の両脇に立ち、苔の生えた石段を登ると、朱塗りの灯籠が4基、参道を挟んで並んでいる。

愛宕社の社殿、献燈

献燈に刻まれた「七澤養鱒組合」の文字が目を引いた。七沢に鱒の養殖業があったこと——あるいは今もあること——が、この献燈に記録されている。防火の神として祀られた愛宕社を、養鱒業者が支えてきた。里山の保全も、酒蔵も、養鱒も、そしてこの神社の維持も、七沢に根を下ろした人間たちの手で回ってきた。500年近い時間の蓄積が、この石段の苔と献燈の文字に刻まれている。

庚申塔

さらに歩くと、今度は石仏と石碑が並ぶ風景に出会う。
熊野神社の碑もある。
七沢がこの谷地で何百年も人を迎え、送り出してきたことが、ここに物理的に残っている。

熊野神社

レンギョウとユキヤナギ

帰りの道で春に出会う。レンギョウの黄色とユキヤナギの白が、同じ枝先で青空に向かって咲いている。

椿
フキの群生
タンポポ
アセビ

椿の赤。フキの群生が道沿いに広がっている。タンポポが地面にへばりつくように咲き、アセビの薄桃色が道路脇のフェンスから溢れている。

つくし

つくしが、畑の端に立っていた。春がいちどきに来ている。


1月の記事で、この制度の転換点を書いた。

2月の記事では、畑とのらぼう菜と湧水に視野を広げた。

3月、最後の活動日に見えたのは、七沢という土地が「自然」でも「観光地」でもなく、人の手が入ることで初めて回る場所だということだった。

草を取る人、ジャガイモを植える人、ミツマタを見に来る人、酒を醸す人、神社を守る人、鱒を育てる人。七沢の春は、それぞれの手で成り立っている。
蓄積は設計できない。だが手を入れ続けた場所にだけ、次の春が来る。

奥に見える山は東丹沢の名峰、鐘ヶ嶽

制度は区切りを迎えるが、畑にはジャガイモが確かに埋まっている。

七沢バス停

本日も、おつかれさまでした。


本日の報酬

家に帰ると、台所に七沢が並んでいた。
畑のオッチャンからもらった甘夏、湘南ゴールド、ブラッドオレンジ。
湧水を汲んだペットボトル、そして盛升。

地産地消プレート
題して「厚木テロワール・マーレ」

夜、七沢のおばちゃんのフキと筍の煮物を皿に盛った。林道で群生していたあのフキが、ここにある。こういうものを自分では作れない。だが七沢には作れる人がいる。

制度は終わっても、七沢はここまで届いている。


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