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AIの正体、AIと人の違い雑感

AIと人の違い雑感

 Open AIのサム・アルトマンの発言は、AIとは何かを再確認させてくれる。
 AIとは、あらゆる人間の知識・経験・性格の良い面も悪い面も読み込み、結集させた集合知であると捉えられる。
 言い換えれば、AIは一人の人間のようになるように設計されているわけではない。
(なお、この特徴がプロンプトにおいて、「あなたは、〇〇の専門家です」と効果的であることとに起因しているものと思われる。)

 人にしかできない仕事とは何か?という議論を見かけるが、将来的にはなくなる、としかいえないと思う。では、AIとは違う人の本質とは、何なのか。
 例えば、かかる問いかけに対し、AIは身体がないことから説明していくものがある。しかし、早くて来年にはロボットが普及し、AIはボディーを手にすることが予想される。
(参考)

 例えば、かかる問いかけに対し、人間の持つ愛憎といった感情からくる関係性から説明するものもある。しかし、パーソナルAIやAIチャットbotを恋人のように使用する現在のAIの在り方は他者に抱く感情そのものである。
(参考)

 では人とは、なんなのか。あえて、人とAIの違いから、人間の本質を示すのであれば、個人的には、不完全性であり予測不可能性が挙げられると考える。
 AIは一度間違え学習すれば失敗しない。また、AI特有のリスクとされるハルシネーションやブラックボックスも将来解消される可能性が高い(以下の参考noteを参照)。一方で、人間は間違い続ける生き物である。大きな話では、今も世界で沢山の人が人を殺し、どこかで戦争は繰り返されている。小さな話では、AIを人間に真似させる時に示すと良いとされるプロンプトの多くはあえてAIが作った完璧を不完全にする旨のものである。
(参考)

 AIに比べ、人間は予測不可能な行動にでる。AIは指示に忠実であるが、人間はそうではない。世間から用意された正しいと教育されたレール通りにゴールまでいける人の方が稀である。人は、挑戦のために突拍子もない行動にでたり、勉強ではないたかが部活の一試合に人生の全てをかけたり、好きな人のために咄嗟に全てを投げ出してみたりする。道を逸れたり失敗したり誰しもが人生で経験してきたことであろう。
 AIは集合知であり一人の人間に比べ圧倒的な経験と知識を有する。だからこそ、集合知からくる経験則は問題から答えの予想を容易にする。(旧来天才と言われてきた人々、つまり贅沢な教育が施され、IQが高い人が問題を見て答えがすぐに分かるといったのと似ているように思える。)
 将来、遺伝がAIに利用されたり、BMIが応用されるようになれば人間は予測不可能性を克服できるだろう。それをどう捉えるかはまさに人それぞれである。
(参考)


 また、例えば、法分野でもweb3アバターの解釈を例として挙げられる。形式論でいえば法人格や契約といった法技術で対処できる。しかし、実質論まで踏み込むのであれば人とは、という問いに踏み込まなくてはならない。
(参考)

 本来であれば、パーソナルAI化やAIによる自己複製の議論はこの問いが先行しても良かったのかもしれない。しかし、チャットbot等のAIのパーソナルメモリー機能で、この問いの岐路に立つこともなくパーソナルAI化やAIによる自己複製は既に進行し、すでになくてはならないものとなっている。
 この問いが顕在化するとすれば、先程も触れたBMI・脳へのAI統合かゲノムとAIの実装局面であろう。もしかしたらこれらすらも岐路に絶たずに実装が進んでいくかもしれない。AI時代では法や規制より先に技術や産業が先行するからである。

 私はAIを否定的に捉えていない。AIの時代の研究者で良かったと捉えている。前にも述べたが、国内外問わず幅広くそして深く色々な知見を学べ様々な分野の人に出会える、この大変革の時代に生まれたことは幸福だと捉えているからである。  

 全ての人に共通するAI時代では大切なことは、考えることをやめないことであると考える。例えば、人とは、といった問いを真剣に考える機会などAI時代でなければなかった問いであろう。

 今回取り上げたテーマは大きなテーマであり、人それぞれ答えが絶対に違うと思う。私がここに記した考えも来月には変わっているかもしれない。ただ、再度念押しするが、考え続けることには確実に意味があると思っている。


(マガジン)「AIと法雑感」

※目次は以下を参照


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