英国AI動向と日本への示唆 / 英国AIガバナンスの現在地と産業政策への転回 / The Alan Turing Institute国別プロファイル(2026)を読む雑感
0 はじめに
2026年1月、英国の国立データサイエンス・人工知能研究所であるThe Alan Turing Institute(アラン・チューリング研究所)は、世界のAIガバナンス動向を調査するプロジェクトの一環として、英国のカントリープロファイル『AI Governance around the world: Country Profile: United Kingdom』(以下「本報告書」という)を公開した。
英国は、EUが包括的なAI法(AI Act)による水平的かつ硬直的な規制を選択したのに対し、既存の法枠組みと規制当局の専門性を活用したプロ・イノベーションかつ文脈依存的(Context-specific)なアプローチを採用してきたことで知られる。
本報告書は、2021年の国家AI戦略から、2024年の労働党への政権交代を経て、2026年初頭に至るまでの英国のAI政策、法制度、および標準化の取り組みを一次資料に基づき精緻に整理・分析したものである。
今回は、公開された最新の報告書に基づき、英国のAIガバナンスが現在どのような位置にあるのかを検討する。特に、政権交代後の産業政策としてのAIへのシフトや、概念としての「安全性(Safety)」から「セキュリティ(Security)」への重心移動、そしてソフトローの実効性を担保する標準化・アシュアランス(保証)戦略の深化について、2026年の視点から論じる。
1 規制アプローチの継続とコンテクスト依存の原則
英国のAI規制の基本骨格は、2023年3月のホワイトペーパー『A pro-innovation approach to AI regulation』によって定義されており、本報告書が確認するように、2026年現在もその基本的な哲学は維持されている。
その特徴は、AI特化型の水平的な新法を直ちに制定するのではなく、文脈依存的なアプローチを採用している点にある。これは、AIのリスクは技術そのものよりも、それが使用されるユースケース(文脈)によって大きく異なるという認識に基づく。そのため、英国政府は、金融行為規制機構(FCA)、競争・市場庁(CMA)、情報コミッショナー事務局(ICO)、Ofcom(通信庁)といった既存の規制当局が、それぞれの管轄分野において、共通の5つの原則(①安全性・セキュリティ・堅牢性、②適切な透明性と説明可能性、③公平性、④説明責任とガバナンス、⑤異議申立てと救済)を適用するというモデルを構築した。
本報告書によれば、このアプローチにおけるAIの定義もまた柔軟である。政府はAIシステムを「適応性(adaptable)」と「自律性(autonomous)」を持つ製品・サービスとして広義に定義し、技術の進化に対して規制が陳腐化しないよう配慮している。一方で、法的拘束力を持つ国家安全保障・投資法(NSI Act)においては、より厳密な定義を採用するなど、目的に応じた使い分けがなされている点も実務的である。
ただし、この非制定法主義には重要な留保がついている。本報告書は、汎用AI(General Purpose AI)モデル、特に高度なフロンティアモデルに関しては、特有のリスクに対処するために、将来的に拘束力のあるルール(binding rules)を含む特別な規制アプローチが必要となる可能性を政府が示唆している点に言及している。この点は、英国モデルが純粋な「自主規制」から、必要に応じてハードローを組み合わせる「ハイブリッド型」へと進化する可能性を残していることを意味する。
2 産業政策としてのAI AI機会行動計画の全貌
2024年7月の労働党政権発足以降、英国のAI政策には新たなレイヤーが加わった。それが産業戦略としての側面である。本報告書では、2025年1月に発表された『AI Opportunities Action Plan(AI機会行動計画)』が大きく取り上げられている。
この計画は、以前の政権が強調していた実存的リスクを含む「安全性」中心の言説から、AIの「導入(Adoption)」と「経済成長」へと軸足を移すものである点が極めて重要である。Matt Clifford OBEの主導により策定されたこの計画は、以下の3つの柱から構成されている。
第一に、AI基盤の構築(Establishing AI foundations)である。これには、AIの学習や推論に不可欠なデータセンターの建設・運営に関する計画プロセスの簡素化(AI Growth Zonesの指定)や、公共部門のデータ資産をモデル学習に活用するための「国立データライブラリ(National Data Library)」の創設が含まれる。また、規制当局に対して「安全なイノベーションを可能にする」よう指示し、規制が成長の阻害要因とならないよう配慮している。
第二に、AI導入の加速(Advancing AI adoption)である。ここでは、公共サービスにおいて「スキャン→パイロット→スケール(Scan>Pilot>Scale)」というアジャイルなアプローチを導入し、イノベーションを促進することが提言されている。また、民間セクターにおける導入障壁を取り除くための官民パートナーシップも重視されている。
第三に、フロンティアAI能力の収穫(Harvesting national champions)である。特筆すべきは、政府内に主権AIユニット(Sovereign AI Unit)を創設し、国内のフロンティアAI企業を支援するという記述である。
政府は同計画の50の提言を受け入れ、AIを経済成長の主要なドライバーと位置付けた。これは、従来の「ライトタッチな規制」を維持しつつ、市場形成と国家能力構築のために国家が積極的に介入するという、より強力な産業政策へのシフトを意味している。
3 「安全性」から「セキュリティ」へのシフトと機関の再編
本報告書で詳述されているもう一つの重要な変化は、AIの「安全性(Safety)」に関する機関の名称と焦点の変更である。
2023年11月のAIセーフティ・サミット(ブレッチリー・パーク)の成果として設立された「英国AI安全性研究所(UK AI Safety Institute: UKAISI)」は、2025年2月に「英国AIセキュリティ研究所(UK AI Security Institute)」へとリブランドされた。
この名称変更は単なる看板の掛け替えではない。本報告書によれば、同研究所は化学・生物兵器への転用、サイバー攻撃、詐欺、児童搾取といった「敵対的ユースケース(adversarial use cases)」に焦点を当てた新たなワークストリームを発表している。「Safety(安全性:意図しない事故や誤作動の防止)」から「Security(セキュリティ:意図的な攻撃や悪用からの防護)」への重心の移動は、高度なAIモデルがもたらすリスクが、抽象的な未来のリスクから、より具体的かつ喫緊の国家安全保障上の脅威として認識され始めたことを示唆する。
これに関連して、2025年1月には科学イノベーション・技術省(DSIT)より『AI Cybersecurity Code of Practice(AIサイバーセキュリティ行動規範)』が公表された。これは、データポイズニングやモデルの難読化、間接的なプロンプトインジェクションといったAIサプライチェーン全体のリスクを管理するための枠組みであり、セキュリティ・バイ・デザインや人間による監督といった13の原則を定めている。
注目すべきは、この規範が各原則を関連する国際標準(ISO/IEC等)に明確に紐づけている(signposted)点である。ソフトローベースではあるものの、サイバーセキュリティの文脈において、より具体的な技術的・運用的要件が提示されつつある点は、実務的観点から極めて重要である。
4 規制当局による垂直的執行の実態
英国モデルの実効性は、各規制当局の執行能力と連携に依存している。本報告書は、デジタル規制協力フォーラム(DRCF)を構成する主要な規制当局の2026年初頭時点での動向を以下のように整理している。
第一に、競争・市場庁(CMA)の動きである。CMAは、基盤モデル(Foundation Models)市場における競争上のリスクについて継続的に警告を発しており、2025年7月にはクラウドサービス市場の競争状況に関する調査結果を公表した。ここでは、市場の集中に対する懸念が示されており、2024年のデジタル市場・競争・消費者法(DMCC Act)によって付与された強化された権限を活用し、断固たる措置をとる姿勢を見せている。
第二に、金融行為規制機構(FCA)である。FCAは、技術中立的なアプローチを維持しつつ、2024年10月に「AI Lab」を開設した。これは、企業がAI導入の課題を克服するための支援を行うもので、データや計算資源、技術的専門知識へのアクセスを提供する規制サンドボックス機能を有している。また、2025年6月には、ICOと連携して、AIを開発・導入する組織向けの「法定の行動規範(statutory code of practice)」の策定に取り組むことを発表しており、規制当局間の連携が具体化している。
第三に、情報コミッショナー事務局(ICO)である。ICOはデータ保護の観点からAIガバナンスに関与しており、2025年の戦略『Preventing harm, promoting trust』において、AIに関する法定の行動規範を策定する意向を示した。また、エージェント型AI(Agentic AI)やニューロテクノロジーといった新興領域への監視も強化している。
第四に、Ofcom(通信庁)である。Ofcomはオンライン安全法(Online Safety Act)に基づき、アルゴリズムや生成AIによって増幅されるリスク(児童性的虐待コンテンツや偽情報の拡散など)への対応を進めている。2025年11月には女性や少女のオンラインでの安全性を高めるためのガイダンスを公表するなど、コンテンツモデレーションとアルゴリズム規制の交差点において積極的な役割を果たしている。
これらの動きからは、包括的なAI法が存在しなくとも、競争法、データ保護法、オンライン安全法といった既存の強力な法的枠組みをAIという技術に適用することで、実質的な規律の網が形成されている様子が窺える。
5 アシュアランスと標準化 市場とルールの接続
英国の戦略において、ハードローによる規制の不在を埋める重要なピースが「AIアシュアランス(保証)」と「標準化」のエコシステムである。
政府は、AIシステムが意図した通りに機能することを検証・保証する市場の育成に力を入れている。2025年9月にはDSITより『Roadmap to trusted third-party AI assurance(信頼できる第三者AIアシュアランスへのロードマップ)』が公表され、第三者によるAIアシュアランスを支援するための具体的な介入策が示された。これには、アシュアランス・プラットフォームの構築や、OECDのAI原則に沿った共通用語の開発が含まれる。規制当局がすべてのAIシステムを直接審査するのではなく、民間アクターによる検証メカニズムを確立することで、信頼性を担保しようとするアプローチである。
また、標準化(Standardisation)も戦略の礎石と位置付けられている。英国規格協会(BSI)は、ISO/IEC 42001(AIマネジメントシステム)などの国際規格の開発において主導的な役割を果たしており、本報告書によれば、BSIのAI委員会(ART/1)は既に43の標準化成果物を発行し、100以上の項目について作業を進めている。
英国政府は、2023年のホワイトペーパーで「レイヤード・アプローチ」を提案した。これは、まずセクターにとらわれない水平的な規格(リスク管理など)の採用を推奨し、次に特定の課題(バイアスなど)に関する規格、最後にセクター固有の規格の採用を促すというものである。法的な義務付けではなく、標準への準拠を推奨することで間接的にガバナンスを効かせる手法は、英国の法文化に根差したものであると同時に、国際的な相互運用性を確保する上でも有利に働く可能性がある。
6 雑感
The Alan Turing Instituteの報告書が描き出す2026年初頭の英国の風景は、非法律による規律が決して無法状態を意味するものではないことを如実に示している。むしろ、既存の規制当局がそれぞれの強力な権限を行使し、それをアシュアランス市場や技術標準といったソフトなインフラが支えるという、極めて重層的かつ実務的なガバナンス構造が構築されつつある。
特に注目すべきは、政権交代を経てもなお、セクター別のアプローチという基本線が維持されたことである。これは、AIという汎用技術を単一の法律で規律することの困難さと、コンテクストに応じた判断の重要性が、政策立案者の間で広く共有されていることを示唆する。
一方で、当初の待機姿勢(wait and see)から、具体的なリスクへの標的を絞った介入へとフェーズが移行している点も見逃せない。セキュリティへのリブランディングや、一部領域での法定規範の検討は、ソフトローアプローチの限界を補完する動きとも捉えられる。また、汎用AIに関しては、拘束力のあるルールの導入が依然として選択肢に残されている点も重要である。
日本においても、AI推進法はありつつも、AI事業者ガイドラインなどのソフトローを中心としつつ、基本計画が議論されている。英国の事例は、ハードロー(包括法)かソフトローかという二項対立ではなく、既存法の執行強化、第三者認証のエコシステム育成、そして国際標準との連携を組み合わせた「ハイブリッドなガバナンス」の可能性と、その実装における課題を考える上で、極めて有益な参照項となるであろう。
7 日本への示唆
翻って日本を見れば、英国の経験から学ぶべき点は少なくない。第一に、既存の規制当局の専門性を活用するという発想である。金融庁、個人情報保護委員会、公正取引委員会といった既存機関が、それぞれの所管分野においてAIの文脈に即した執行を行うことは、日本においても十分に実現可能である。第二に、アシュアランス市場の育成である。AI事業者ガイドラインの実効性を担保するためには、第三者による検証・認証のエコシステムが不可欠であり、この点において英国の取組みは先行事例として参照に値する。第三に、国際標準との整合である。ISO/IEC 42001をはじめとする国際規格への積極的な関与は、日本企業のグローバルな競争力を維持する上でも重要な意味を持つ。もっとも、英国モデルをそのまま移植することには慎重であるべきである。英国の強力な規制当局文化や、コモンロー圏における自主規制への信頼は、日本の法制度とは異なる土壌の上に成り立っている。重要なのは、ハードローとソフトローの二項対立を超え、日本の法文化に適合した重層的なガバナンス構造を構想することであろう。
7 英国AIガバナンスまとめ
参考資料
1 Arcangelo Leone de Castris=Charlie Thomas『AI Governance around the world: Country Profile: United Kingdom』The Alan Turing Institute(2026年1月)(doi:10.5281/zenodo.18172829).
2 GOV.UK『National AI Strategy』(2021年9月).
3 GOV.UK『A pro-innovation approach to AI regulation(White Paper)』(2023年8月).
4 GOV.UK『A pro-innovation approach to AI regulation: Government response』(2024年2月).
5 GOV.UK『AI Opportunities Action Plan』(2025年1月).
6 GOV.UK『Code of Practice for the Cyber Security of AI』(2025年1月).
7 GOV.UK『Tackling AI security risks to unleash growth and deliver Plan for Change』(2025年2月).
8 GOV.UK『The roadmap to an effective AI assurance ecosystem』(2021年12月).
9 GOV.UK『Portfolio of AI assurance techniques』(2023年6月).
10 GOV.UK『Trusted third-party AI assurance roadmap』(2025年9月).
11 GOV.UK『National security and investment: mandatory notification sectors』(2020年11月).
12 Competition and Markets Authority『AI Foundation Models: Initial report』(2023年9月).
13 Competition and Markets Authority『AI Foundation Models: Update paper』(2024年4月).
14 Financial Conduct Authority『AI Lab』(2024年10月).
15 Information Commissioner’s Office『Preventing harm, promoting trust: our AI and biometrics strategy』(2025年).
16 Ofcom『Strategic approach to AI』(2025年6月).
17 British Standards Institution『ART/1 - Artificial Intelligence』(2026年).
(マガジン)「AIと法雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
3.2 クリエイターが制作したデジタルコンテンツの著作権は、クリエイターに帰属します。
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