【自己紹介③】理論は、現場で裏切られる。64歳の私が「AI」という最後の相棒を選んだ理由。
序章:大学院修了者が直面した、一枚の「ない」リスト
2004年、オーストラリアから帰国した私は、◯◯という沖縄の教育企業に就職しました。
職員数100名超、生徒数1500名。県内教育業界では大手とされる組織です。
入社した翌週、私は静かに、しかし確実に動揺していました。
月次の経営会議が、ない。 年次の経営方針発表会も、ない。 人事考課制度も……ない。
創業者は素晴らしい情熱家でした。学生への愛情は本物でした。ただ、急成長する組織に、「仕組み」が追いついていなかったのです。
ここに、パースの大学院で最新の経営理論を叩き込んできた42歳の男が放り込まれました。「タックマンモデルで組織を分析し、KPIを設計すれば解決できる」。そう信じていた私の前で、現場はまったく別の顔を見せました。
理論は正しい。しかし、人は動かない。
本当に役立ったのは、20代の泥臭さだった
窮地を救ったのは、大学院の学位ではありませんでした。
20代・30代に本土系の資格学校で叩き込まれた、泥臭い管理職経験でした。福岡や熊本で、年上の部下をなだめ、数字を追い、組織を回してきた、あの日々です。
気難しい先輩社員の話を、夜の居酒屋で2時間聞く。現場が嫌がる制度は、形を変えて再提案する。言葉ではなく、小さな実績を積んで信頼を養う。
「スマートな正解」ではなく、「汗をかいた納得解」。
MBA理論を土台に、現場の声で修正する(PDCA)。導入しては失敗し、また現場に戻る。私の沖縄での20年間は、この繰り返しでした。理論と現場の間で、ひたすら汗をかき続けた日々でした。
転機:60代、「黒船」との格闘
定年が見えてきた2023年初頭。世の中は「ChatGPT」の話題で持ちきりでした。
多くの同世代が「難しそうだ」と敬遠する中、私はすぐに飛びつきました。「これは仕事を奪う敵ではない。最強の『参謀』になる」。そう直感したのです。
最初は挨拶文の作成や、学生の小論文添削から始めました。その生産性の高さに舌を巻きながら、私はまた「浮気」を繰り返しました(笑)。より自然な日本語を求めてClaudeを使い倒し、2026年現在はGeminiをメインの相棒にしています。
実は当初、GoogleのAIには失望して放置していました。しかし、私が講師を務める研修で、ある優秀な参加者が教えてくれました。「今のGeminiの分析力は、凄いですよ」と。
使い直して、衝撃を受けました。
最新のツールを20代に教わり、自分のやり方を改める。「現場の声を聞いて柔軟に変える」とは、自分の道具に対しても同じことです。これもまた「現場知」だと気づいた瞬間でした。
今では、経営戦略のPEST分析もSWOT分析の叩き台も、すべてAIと壁打ちして作っています。かつて深夜2時までかかっていた作業が、一瞬で終わる。
では、その空いた時間で私は何をしているか。
それこそが、「現場知工房」の核となる部分です。
哲学:なぜ「研究所」ではなく「工房(Kobo)」なのか
2027年4月、私は独立し「現場知工房」を立ち上げます。
なぜ、スマートな「コンサルティング」や「研究所」と名乗らないのか。
私が13年間メイン講師を務める「かりゆし塾」では、若手社員たちが地域の農家さんにアポを取り、厳しいことを言われ、それでも頭を下げて信頼を勝ち取るプロセスを経験します。それは、南風原町のへちま農家が台湾まで品種改良に赴く姿と重なります。読谷村の農家が規格外のニンジンを磨き上げて商品に変える姿と重なります。
AIは、「それっぽい正解」を3秒で出してくれます。しかし、それを現場に持ち込んでも、人は動きません。
かつてパースで「Donkey Japanese」と呼ばれ、路頭に迷った私も、バスの乗り方を教えてくれたのは20代の日本人留学生でした。「頼れない」「弱みを見せられない」というプライドを捨てた時にだけ、扉は開きます。
それは組織も、地域も、人間も変わりません。
AIにはできない「人間同士のぶつかり合い」の中にこそ、熱意と信頼、そして本当の成長が宿る。だから私は、現場で汗をかく「職人」でありたいのです。
結び:AIを武器にした、64歳の職人として
深夜24時から英作文を解き続けた40歳の夜。
「Donkey」と呼ばれ、パースの公衆電話からタクシーを呼んだ屈辱の朝。
そして木漏れ日の下で妻と「人生で一番幸せかもしれないね」と呟いたあの午後。すべてが今、ここに繋がっています。
AIで「論理的な地図」を描き、人間力で「現場の道」を切り拓く。生産者、加工業者、消費者、そして研修生。関わるすべての人の幸せをプロデュースする。それが、私のたどり着いた答えです。
64歳。デジタルネイティブではありません。世間一般では定年を迎え、守りに入る年齢かもしれません。でも、40年の泥臭い経験と、最新のAIという武器を持った今の私が、一番面白い仕事ができると確信しています。
これが、私の「未来に向けた挑戦」です。
「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ」
あの言葉の意味が、今ならわかります。
「現場知工房」。ここからまた、新しいモノづくりが始まります。
(自己紹介シリーズ・完)
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