20年前のカミングアウト(4):「ホモ?」と聞かれたあの日
こんにちは、しみっく(@simik_gay)です。
20年以上前に親友4人にゲイをカミングアウトした話 4つめです。
2004年大学4回生の冬、一時期好きだった親友シバタにカミングアウトした話になります。
初めから読んでいただける方はこちらです。
前回の話はこちらです。
シバタについて
まずはシバタについて簡単に説明します。
シバタは、明るいムードメーカーでした。自分の失敗談を面白おかしく語って場を盛り上げたり、いつも周囲を笑顔にしていました。
スポーツ万能でストイックにサークル活動に打ち込む姿や、短期留学したりするバイタリティ溢れる彼に私は憧れを抱いていました。自分の考えを率直に語るところに親近感を覚えたのもあって一時期、彼に密かに恋心を抱いていた時期もありました。
その一方、少しデリカシーがないところがあり、無意識のうちに人を傷つけたり、酷い冗談をいうこともありました。ただ、悪気もなく憎めない性格で、周囲も彼のことを放っておけない、そんな存在でした。
覚悟を決めて「話したいことがある」と伝えて会えることに
ヤスダにカミングアウトを相談した翌日、2004年1月31日朝に覚悟を決めて、シバタに「ちょっと話したいことがあるんやけど、直近でどこか会われへんかな」とメールしました。そんなメールを送っちゃって、もう後には引かれへんねんなって心臓がドキドキしたことを覚えています。
最初は「わかった。3日後はどう?」って返信が来て「了解。よろしく」と返しました。猶予期間ができてどこかホッとした自分がいたんですが、その後「予定が変わったから今日の夕方どう?」ってメールがきました。一瞬迷いましたが、3日間ずっとモヤモヤするより全然良いやってことでその日の夕方に会うことになりました。もう逃げられません。
ヤスダに「いきなり今日シバタに話すことになったわ。うまくいくよう祈っててな~。」とメールしました。「展開が早いなー。でも、絶対うまくいくと思うで。そんなもろい関係じゃないと思うし。万が一うまくいかなかったら、俺がなぐさめてやるわ。緊張するだろうけど、がんばって。」とありがたいメールが返ってきて、かなり勇気づけられました。
とは言いつつ、駅に向かう途中、心臓がドキドキしたままでひとり自転車をこぎながら、勝手に最悪なケースをいろいろ考えているとまた涙が止まらなくなりました。どんな風に話そうとかも考えていましたが、結論も出ず。その場の勢いで話すしかありません。
駅についてから少し心を落ち着けて、トイレで鏡を見て、泣いてたことはバレないかなと確認して、待ち合わせ場所に到着です。
喫茶店に向かう途中に探りを入れられる
シバタと待ち合わせ場所で合流して、とりあえず喫茶店へ向かうことになりました。
シバタからは喫茶店へ向かう途中、軽い感じでどんな話か探りを入れられました。今思えばこっちが深刻そうな表情をしてたから話しやすくしようと気を遣ってくれていたのかもしれません。
そのとき、「彼女を妊娠させたとか?」と聞かれたことを覚えています。私がゲイだなんて少しも思い当たらなかったんだと思います。「彼女を妊娠させたとかではないよ」と否定しつつ、「あんまり思いついたこと言われているとそのうち当たりそうやから」とか言ってあて推量をやめさせてつつ、人気のない喫茶店に入りました。
最初は両隣に人がいない席に座ったのですが、話を始める前に隣に人が来てしまい、話しにくいので席を移らせてもらったのを覚えています。そこまで神経質な行動をとるのはシバタから見たら異様に思えたかもしれません。でも、隣に知らない人がいる状態で話せるとは思えず、私にとって席の移動は必要なことでした。
言葉が出てこず「ホモ?」と聞かれる
それから、飲み物が来て話をする雰囲気になったものの、少しも言い出せません。言わなきゃ始まらないのに言葉が出てこないのです。あれほど脳内シミュレーションを繰り返してきたはずなのに。
「俺、男が好きやねん」、「俺、ゲイやねん」、「彼女って言ってたけど、あれ実は彼氏やねん」、思いつくどの言葉も口にできませんでした。口にしてしまえば、今までの自分という存在が全て壊れて、シバタの知らない別人、異常者になってしまうんじゃないかと恐ろしかったのです。
そのうちにシバタが痺れを切らして、またあて推量し始めました。何回か繰り返すうちに「もしかして、ホモとか?」と聞いてきました。当時はホモという言葉が持っている差別的意図にまだまだ世間は鈍感でした。半分冗談だったのでしょう。すぐにまさかな、そんなわけないよなっていう雰囲気でシバタはその選択肢は引っ込めようとしました。
でも、私はこのタイミングで言うしかないと思って「実は、そうやねん」って言ったらシバタは「マジで?」と。それに対して、「うん」って返したら10秒ぐらい沈黙しました。こちらとしては言えたことの安堵と、これからの不安が半分半分。シバタは動揺を隠せません。いつもは堂々としているシバタの目がちょっと挙動不審になっていました。相当ショックだったんでしょう。
そりゃそうですよね。今でこそLGBTQ+の市民権も少しはあるようになっているけれど、当時はそれこそ変態だったり異常者、なんなら犯罪者かのような、別世界の人間っていう扱いでした。そんな人が身近に、しかも何年も一緒にいた友達がそうだったなんて。
沈黙がつらくなって「正直、ちょっと引いたやろ」って聞きました。直接肯定はされませんでしたが、シバタの反応をみれば図星で、引いていたとしか言えませんでした。
そこから少ししてシバタは疑問が湧いてきたようで、「ホモは治らへんの?」と質問を受けました。
そう考えるのも自然なことです。私が高校生の頃、自分がゲイかもしれないと感じた時は同性愛は病気、異常だと思っていましたし、当時の辞書にも「異常性愛」と書かれていました。昔ゲイを治療しようとする試みがあったというのも知っています。一般的な感覚としてそう考えてしまうのも無理はないでしょう。私もゲイだと自覚した時には同性愛が治るなら治したいと考えたのですから。
ただ、私も自分を少しでも肯定できる材料を必死で探して関連する知識は得ていたので、あまり戸惑うことなく「同性愛は治るようなものでもないし、WHOでも病気扱いではなくなっている」ということはなんとか答えられました。
あと、当時付き合っている人がいることは伝えていたので、「今付き合ってる人もそういう人なん?」って聞かれました。「そうやねん」と答えました。
「何をして欲しいのかわからへん」とも言われました。そりゃそうですよね。何のためにそんなとんでもない告白をしたのだろうと感じて当然です。私が彼に求めていたのは私がゲイだと知っても、今までと変わらず隣にいてくれること。普段から本当の話ができること。異性愛者からしたら当たり前のことです。ただそれだけのために私は友人を失うかもしれない大きな博打に出たんです。でも、あの時の私は「別に何かをして欲しいわけじゃない」としか答えられませんでした。だからきっと私のその願いはその場では理解されなかったでしょう。
他にもいろいろ聞かれて自分の話をしました。高校生の時に自分はゲイかもしれないと自覚したんだけれどそのときは人生が終わったような気がした。結婚して家庭を持つことも、子供を育てることも全て諦めなければならない。もう普通の人生は送れない。自分が異常者であることを隠し通して生きていく未来しかないという絶望。悪い夢なら醒めないものかとずっと思っていた。でもそれからネットとかを通じてゲイの人と知り合って今までとは違う考え方もできるようになったし、今はある程度ゲイであることも受け入れられている。そんな話ができました。
いろいろ話をしたら少しはわかってくれたらしく、シバタからは「それで日頃から視野が広くて、いろんな立場に立った考え方できるんや」なんて感心されました。その場で本当にどこまで受け入れてくれていたのかはわかりませんが、彼なりに理解しようと努力してくれていたんだと今ならわかります。
その後、ヤスダにもこの件は報告しました。とりあえずは問題なかったと。
次回はタカノにカミングアウトしたお話です。
