第4章:離婚調停でも、夫婦の会話が通じない!【カサンドラ症候群】

離婚調停は、テレビの中の話だと思っていた。
でも現実は、子どもは不登校、妻とは意思疎通できず、毎日が地獄。
時間が経つにつれ、状況はどんどん悪化していった。

親には「調停はやめておけ」「本当に終わるぞ」と反対された。
それでも、自分は「第三者を交えて話し合えば戻れるかもしれない」という希望があった。妻と話し合いの末、夫婦関係調整調停(再構築)を申し立てた。

この判断は、結果的に関係修復からは遠ざかった。
でも、自分自身の「限界」と「真実」を見つめ直す意味では、必要なステップだったのかもしれない。

この章では、夫婦関係調整調停の中で感じたこと、見えた“限界”、そして自分なりの教訓を残したい。

「話せば分かる」が通じない相手と、どう向き合うか

夫婦なんだから、話せば分かる。そう信じていた。

でも気づけば、会話は“地雷原”になっていた。
些細な一言で怒る。泣く。黙る。説明しても誤解されたまま。
伝えたいことは届かず、言葉を交わすたびに心がすり減っていった。
「言葉のあげ足取りがすごい」そう感じた。

一生懸命に「こうしたほうがいい」「こうすればうまくいく」と提案していたつもりだった。でも、妻にとっては「責められている」「攻撃されている」と感じる言葉だったのかもしれない。

もう、話すことが面倒くさくなっていた。

いわゆるカサンドラ症候群状態の俺は、最終手段として調停という制度に頼ることにした。夫婦で話し合いができないから、第三者を間に入れるしかなかった。

夫婦関係調整調停(再構築)の申立

調停の制度は、話し合えない夫婦のためにある。
再構築を目的として、妻と合意したうえで申し立てをした。

だが、いざ家庭裁判所からの通知が届いたとき、妻は「見限られた」と受け取ったようだった。
俺は「一緒に問題解決するため」と伝えたのに、彼女には「終わりの宣告」に映ったたしい。
──事前に何度も話し合ったはずなのに。結局、思いは交わらなかった。

事前の話し合いはなんだったんだ…。そういうとこだぞ!

調停委員に伝わればいいーそう思わないと、やってられなかった

調停の場には、調停委員が2人いた。年配男性と中年女性。
中立の立場で話を聞いてくれる、家庭裁判所の仲介役だ。

最初の1回目。
家庭の状況や、妻とのすれ違いをできるだけ客観的に書面にまとめ、話した。子どもが不登校で、妻が情緒不安定になり、話が通じなくて、つらい。そもそも妻は専業主婦なのに家事もできず、自分が家事も担っていたと。

女性の調停委員がふと漏らした言葉が、心に刺さった。

「あなたは、その家庭にもう一度戻りたいのですか?
 ・・・もう十分頑張ってきたと思いますよ」

その一言が、胸に刺さり、自分の中の何かを決定づけた。

カサンドラ症候群と言った妻。でも、それは自分だ

以前、妻が「私、カサンドラかも」と言った。
発達障害のパートナーといることで、自分の感情が麻痺していく──そういう状態だという。

むしろ「空気を読めない」「極端な受け取り方をする」のは妻のほうじゃないか?と感じていた。

でも調停の過程で、調停委員や臨床心理士と話していくうちに、
自分自身も「相手の気持ちを置き去りにしていたかもしれない」と思い始めた。

「こうあるべき」という正論で話しても、相手の感情に届いていなかった。
“感情の温度差”が、夫婦の距離を広げていた。

発達障害かどうか──その診断よりも、「どう向き合うか」の方が重要だ


もっと「今のこの人の気持ち」を見つめないと、何も始まらないと思った。

診断よりも、どう接すれば誤解を防げるのか?その方が重要だった。
たとえば

  • 相手の言葉をそのまま鵜呑みにしない

  • 論理ではなく感情に応答する

  • 会話の前提が共有できていないかも?と常に意識する

ASD(自閉スペクトラム症)の特性を知ることで、自身の対応は大きく変わったと思う。

本や支援サイトを読んで、「あ、これは妻の特性と重なるかも」と思えるところが増えた。
診断よりも、「傾向と対策」を知ること。
それが夫婦関係の“詰まり”をほどいていく鍵になった。

調停を通して気づいた「正しさ」では人は動かないという現実

自分はずっと、理屈で解決しようとしていた。
問題があれば、改善点を挙げて、手順を考えて、論理的に話せば伝わると思っていた。

でも、それが逆効果だった。
感情で動いている相手には通じない。
相手が傷ついていたら、どれだけ正しくても届かない。
相手が心を閉ざしたら、どれだけ正直でも意味がない。

正しさではなく、「安心して話せる関係」を作ること。
そのためには、まず“責めない”こと、ジャッジしないこと。
でもそれが、自分にとって一番難しかった

調停とは、話し合えない夫婦を無理に整理する場所。正義の場ではない。


家庭裁判所は、「正義」の場ではない。
話し合えない夫婦を、無理に整理整頓する場所だ。

そこには、「どちらが悪かったか」を判断する余地はない。
「話ができるか」「合意できるか」それだけがすべてだった。

調停を通して、俺はある覚悟を決めた。

  • 妻を変えようとするのは、やめる(そもそも、できない)

  • 子どもとの関係も、焦って修復しようとしない。

  • 自分の人生を、自分で立て直す。

調停は、心が削られていく場所だった。
だからこそ、自分を保つ力が必要だった。
書いて、話して、働いて、誰にもわかってもらえない怒りや悔しさを、
「前に進むための燃料」に変えていった。

今もなお、調停は続いている。
「対話ができなかった過去」に整理をつけ、自分の限界を受け入れるために、必要だったのかもしれない。
熟年離婚になるよりは良かったと思ってる。

📝この章の教訓:

  • 話し合えば分かるは、幻想。正論をぶつけ合っても解決しない。

  • 調停で謝罪は、負け。相手は、持論を守るためにさらに攻撃的になる。

  • 調停は、正義の場ではなく、無理やり整理する場

  • 自分を守るために、諦め方を知ることも必要

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